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三日目
最高で最低の騎士
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「それは、できない」
苦しそうな声だった。
絶対に、そう言われると分かっていた。
「どうして?」
「主の責務を奪うことは許されない」
「純潔をなくして城から飛び降りても、きっと誰にも分からないのに? 飛び降りても死ぬ、飛び降りなくても殺される。ならせめて、こんな神か呪いか分からないものの生贄として死にたくない」
キトエの声が続かなかった。顔を上げると、キトエは悲痛な顔をしてリコを見つめていた。分かっている。この命令はキトエの意思を完全に無視している。
「わたしを汚したことが分かったらキトエも殺されるから、命が惜しいの?」
「違う!」
体に響くくらい、キトエの声は強かった。
「俺の命はリコのものだ。どうなったっていい。けどリコを汚して、そのあとも汚名を着せることは……できない」
汚されれば、リコの死後、汚点が残る。だからできないとキトエは言っているのだ。死んでしまえば同じだというのに。
「死後の評判なんてどうでもいい。生きてたってどうでもいいのに」
キトエは痛みをもって、視線を下げた。
「キトエ。命令です。わたしの純潔を奪いなさい」
出会ったとき以来、初めて主の距離で命令した。何て酷い命令だろう。キトエの下げられた瞳か、リコがキトエを見つめる瞳か、どちらが痛みをもっているのか、もう分からない。
キトエは動かすのもつらいはずの体で、座った体勢から片ひざを立てて、頭《こうべ》を垂れた。
「できません」
分かっていた。
「キトエ。あなたは最高で最低の騎士だわ」
キトエは何も間違っていない。キトエは自分の命はリコのものだと言うけれど、キトエはリコのものではない。
リコは立ち上がって、色ガラスの散らばった濃紺のじゅうたんから剣を拾い上げた。魔力の尽きた体では、両手で柄を持たなければ持ち上がらない。キトエがリコをかばったときに離したのだ。剣は騎士の命だというのに。
リコは剣をキトエの前まで運んで、ひざをついた。両手で持った柄を、キトエへさし出す。片ひざを立てたままのキトエが両手で柄を受け取るとき、手が触れた。驚いたように見つめられる。
柄を握った両手が、震えていることに、気付かれてしまった。
「怖い」
言葉があふれていた。
「怖いの。本当は。ずっと何でもないように振るまってきたけど、生贄に選ばれたときから、ずっと。ここに来て、一日すぎるたびに、叫び出しそうになるくらい、すごく」
リコはキトエの手と触れていた柄から手を離した。キトエは受け取った剣をそのまま濃紺のじゅうたんへ置いた。
「結界がうそならいいと思ってた。でもここに来たら本当に魔力が吸い取られて外に出られない。生贄になっても死ぬ。生贄じゃなくなっても死ぬ。生贄に選ばれた時点で、どうやっても、死ぬ」
ひざを折って、座った。
今から言うことは、懺悔だ。少しでも報いを受けたいだけだ。そらしたくなるのをこらえて、キトエを正面から見る。
「だから、最後にキトエと恋人みたいにすごしたかったの。うそでも冗談でもない、キトエが好きなの。人間として、男の人として、ずっと一緒にいてくれて、大切で、本当に、本当に好きなの。ここに来るまでは、どうせわたしは誰かと結婚させられるから、意味がないって逃げてた。ここに来てからも、恋人になってって言ったら、もしかしたらキトエもわたしのことが好きだったって言ってくれるんじゃないかと思って……でもそんなのわたしのうぬぼれで、それ以上拒絶されるのが怖くて、冗談みたいにしか言えなかった。けど、もっと早く、ちゃんと好きって、ずっと前から好きって、勇気を出して言えばよかった」
本当は言わずに終えるつもりだった。本当の気持ちを伝えて、拒絶されるのが何より怖かった。
本当の絶望で恐怖を塗り潰したいのなら、純潔を奪えという命令ではなく、好きと伝えて拒絶されればよかった。それなのに、本心を伝えて心の底から絶望するのを避けた。身勝手な心で、キトエに深い傷を負わせた。リコも心の底から絶望するべきだ。
「恋人としてすごしてって言ったのも、キスしてって言ったのも、純潔を奪ってって言ったのも、全部本当だった。キトエの命がわたしのものなら、わたしは神だか呪いだか分からないものになんかじゃなく、キトエに、触れてほしかった」
キトエのあまりにも驚いた顔がおかしくて、小さく笑ってしまった。
「でも、ごめんなさい。押しつけて、傷付けて。キトエにとってわたしは主で、それ以上でも以下でもない。好きじゃない人と手をつないだりしたくなかったよね。ましてや好きでもない人の純潔を奪えだなんて、そんな気持ち悪いことできるはずない……」
隠してきた本心が、自分の言葉が、自分の心を傷付ける。けれどキトエはもっと痛かったのだ。リコの身勝手で理不尽な傷を負ったのだ。
さあもっと傷付け。心の底から絶望しろ。ずっと隠してきた報いだ。泣く資格などない。好きだという想いを拒絶されて、心の底から絶望して生贄になれ。
「ごめんねキトエ。恋人ごっこに付き合ってくれてありがとう。キトエがわたしを好きじゃなくても、わたしは、キトエを好きでいさせて」
不恰好だけれど、微笑めたと思った、のに。
苦しそうな声だった。
絶対に、そう言われると分かっていた。
「どうして?」
「主の責務を奪うことは許されない」
「純潔をなくして城から飛び降りても、きっと誰にも分からないのに? 飛び降りても死ぬ、飛び降りなくても殺される。ならせめて、こんな神か呪いか分からないものの生贄として死にたくない」
キトエの声が続かなかった。顔を上げると、キトエは悲痛な顔をしてリコを見つめていた。分かっている。この命令はキトエの意思を完全に無視している。
「わたしを汚したことが分かったらキトエも殺されるから、命が惜しいの?」
「違う!」
体に響くくらい、キトエの声は強かった。
「俺の命はリコのものだ。どうなったっていい。けどリコを汚して、そのあとも汚名を着せることは……できない」
汚されれば、リコの死後、汚点が残る。だからできないとキトエは言っているのだ。死んでしまえば同じだというのに。
「死後の評判なんてどうでもいい。生きてたってどうでもいいのに」
キトエは痛みをもって、視線を下げた。
「キトエ。命令です。わたしの純潔を奪いなさい」
出会ったとき以来、初めて主の距離で命令した。何て酷い命令だろう。キトエの下げられた瞳か、リコがキトエを見つめる瞳か、どちらが痛みをもっているのか、もう分からない。
キトエは動かすのもつらいはずの体で、座った体勢から片ひざを立てて、頭《こうべ》を垂れた。
「できません」
分かっていた。
「キトエ。あなたは最高で最低の騎士だわ」
キトエは何も間違っていない。キトエは自分の命はリコのものだと言うけれど、キトエはリコのものではない。
リコは立ち上がって、色ガラスの散らばった濃紺のじゅうたんから剣を拾い上げた。魔力の尽きた体では、両手で柄を持たなければ持ち上がらない。キトエがリコをかばったときに離したのだ。剣は騎士の命だというのに。
リコは剣をキトエの前まで運んで、ひざをついた。両手で持った柄を、キトエへさし出す。片ひざを立てたままのキトエが両手で柄を受け取るとき、手が触れた。驚いたように見つめられる。
柄を握った両手が、震えていることに、気付かれてしまった。
「怖い」
言葉があふれていた。
「怖いの。本当は。ずっと何でもないように振るまってきたけど、生贄に選ばれたときから、ずっと。ここに来て、一日すぎるたびに、叫び出しそうになるくらい、すごく」
リコはキトエの手と触れていた柄から手を離した。キトエは受け取った剣をそのまま濃紺のじゅうたんへ置いた。
「結界がうそならいいと思ってた。でもここに来たら本当に魔力が吸い取られて外に出られない。生贄になっても死ぬ。生贄じゃなくなっても死ぬ。生贄に選ばれた時点で、どうやっても、死ぬ」
ひざを折って、座った。
今から言うことは、懺悔だ。少しでも報いを受けたいだけだ。そらしたくなるのをこらえて、キトエを正面から見る。
「だから、最後にキトエと恋人みたいにすごしたかったの。うそでも冗談でもない、キトエが好きなの。人間として、男の人として、ずっと一緒にいてくれて、大切で、本当に、本当に好きなの。ここに来るまでは、どうせわたしは誰かと結婚させられるから、意味がないって逃げてた。ここに来てからも、恋人になってって言ったら、もしかしたらキトエもわたしのことが好きだったって言ってくれるんじゃないかと思って……でもそんなのわたしのうぬぼれで、それ以上拒絶されるのが怖くて、冗談みたいにしか言えなかった。けど、もっと早く、ちゃんと好きって、ずっと前から好きって、勇気を出して言えばよかった」
本当は言わずに終えるつもりだった。本当の気持ちを伝えて、拒絶されるのが何より怖かった。
本当の絶望で恐怖を塗り潰したいのなら、純潔を奪えという命令ではなく、好きと伝えて拒絶されればよかった。それなのに、本心を伝えて心の底から絶望するのを避けた。身勝手な心で、キトエに深い傷を負わせた。リコも心の底から絶望するべきだ。
「恋人としてすごしてって言ったのも、キスしてって言ったのも、純潔を奪ってって言ったのも、全部本当だった。キトエの命がわたしのものなら、わたしは神だか呪いだか分からないものになんかじゃなく、キトエに、触れてほしかった」
キトエのあまりにも驚いた顔がおかしくて、小さく笑ってしまった。
「でも、ごめんなさい。押しつけて、傷付けて。キトエにとってわたしは主で、それ以上でも以下でもない。好きじゃない人と手をつないだりしたくなかったよね。ましてや好きでもない人の純潔を奪えだなんて、そんな気持ち悪いことできるはずない……」
隠してきた本心が、自分の言葉が、自分の心を傷付ける。けれどキトエはもっと痛かったのだ。リコの身勝手で理不尽な傷を負ったのだ。
さあもっと傷付け。心の底から絶望しろ。ずっと隠してきた報いだ。泣く資格などない。好きだという想いを拒絶されて、心の底から絶望して生贄になれ。
「ごめんねキトエ。恋人ごっこに付き合ってくれてありがとう。キトエがわたしを好きじゃなくても、わたしは、キトエを好きでいさせて」
不恰好だけれど、微笑めたと思った、のに。
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