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6. 葛藤
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山下は、プライドが最後の抵抗を見せる中、ハローワークの門を叩いた。
彼の前職は「東亜ハウジング営業部長」という輝かしい肩書きだったが、ハローワークの職員にとっては、単なる「無職の失業者」リストの一項目に過ぎなかった。
受付で発行された番号札を握りしめ、山下は待合室のプラスチック製の椅子に座った。周囲には、夢破れた若者、再就職に疲れた中高年、そして失業保険の相談に来たであろう人々がいた。かつて、彼が「勝者」として見下していた側の人々だ。彼は、自分がその一員になったという事実を、まだ受け止めきれずにいた。
自分の番号が呼ばれ、山下はキャリア相談のブースに向かった。対応したのは、四十代後半と思しき女性職員だった。彼女は山下の提出した職務経歴書にざっと目を通すと、眼鏡の奥から冷めた視線を向けた。
「山下さん。元営業部長とのことですが、再就職の希望職種は?」
「もちろん、マネジメント職か、それに準ずるコンサルタント職を希望しています」
職員は資料から顔を上げず、ため息のような息を吐いた。「この経歴で、その年齢で、そして過去の経緯を考えると、現実的ではありません。プライドを捨ててください」
その言葉は、まるで彼の心を裸にするようだった。山下は反論しようとしたが、彼女の事務的な声がそれを許さなかった。
「ハローワークは、キャリアを追求する場所ではありません。生活を立て直す場所です。あなたが必要なのは、過去の栄光ではなく、今日から稼げる仕事です」
彼女は山下の目をまっすぐ見て言った。「大企業の看板がなくなったあなたは、ただの五十代男性です。特別でも何でもない。それが世間からの評価です」
山下は、自分の過去の地位と人脈が、どれほど薄っぺらな幻想の上に成り立っていたのかを痛感した。彼を評価していたのは、彼自身ではなく、東亜ハウジングという巨大な組織の力だったのだ。
職員は淡々と、山下の再就職先の選択肢を提示した。警備員、清掃業、そして最後にタクシー運転手。
「タクシー会社なら、二種免許取得を支援してくれるところが多く、すぐに働き始められます。実力次第で、収入も見込めますよ。あなたのような体力と学習意欲のある方には、良い選択肢です」
山下は、その提案を反射的に拒絶したかった。かつての部下に、あるいは知人に、都心のタクシーを運転している姿を見られるなど、耐えられなかった。
しかし、職員が机の端に置いた求人票には、具体的に「月収〇〇万円可能」「即勤務可能」と書かれていた。その数字と現実的な言葉は、彼の空腹とローンの残高に直結した。
「考えさせていただきます」
絞り出した山下の声は、いつもなら自信に満ちていたはずだが、今はただ弱々しかった。
ハローワークを出た山下は、陽の当たる大通りを歩いた。街を行き交う人々は、彼に何の関心も示さない。彼は、この都市の中にいるにもかかわらず、まるで透明人間になったようだった。
タクシーが目の前を通り過ぎるたびに、彼は無意識に顔を伏せた。そして、心の中で呟いた。
「俺は、タクシーなんかには乗らない。絶対に」
それは、自分に残された最後のプライドを守るための、脆い誓いだった。しかし、彼の気持ちは、その誓いとは裏腹に、徐々にその道へと傾き始めていた。
彼の前職は「東亜ハウジング営業部長」という輝かしい肩書きだったが、ハローワークの職員にとっては、単なる「無職の失業者」リストの一項目に過ぎなかった。
受付で発行された番号札を握りしめ、山下は待合室のプラスチック製の椅子に座った。周囲には、夢破れた若者、再就職に疲れた中高年、そして失業保険の相談に来たであろう人々がいた。かつて、彼が「勝者」として見下していた側の人々だ。彼は、自分がその一員になったという事実を、まだ受け止めきれずにいた。
自分の番号が呼ばれ、山下はキャリア相談のブースに向かった。対応したのは、四十代後半と思しき女性職員だった。彼女は山下の提出した職務経歴書にざっと目を通すと、眼鏡の奥から冷めた視線を向けた。
「山下さん。元営業部長とのことですが、再就職の希望職種は?」
「もちろん、マネジメント職か、それに準ずるコンサルタント職を希望しています」
職員は資料から顔を上げず、ため息のような息を吐いた。「この経歴で、その年齢で、そして過去の経緯を考えると、現実的ではありません。プライドを捨ててください」
その言葉は、まるで彼の心を裸にするようだった。山下は反論しようとしたが、彼女の事務的な声がそれを許さなかった。
「ハローワークは、キャリアを追求する場所ではありません。生活を立て直す場所です。あなたが必要なのは、過去の栄光ではなく、今日から稼げる仕事です」
彼女は山下の目をまっすぐ見て言った。「大企業の看板がなくなったあなたは、ただの五十代男性です。特別でも何でもない。それが世間からの評価です」
山下は、自分の過去の地位と人脈が、どれほど薄っぺらな幻想の上に成り立っていたのかを痛感した。彼を評価していたのは、彼自身ではなく、東亜ハウジングという巨大な組織の力だったのだ。
職員は淡々と、山下の再就職先の選択肢を提示した。警備員、清掃業、そして最後にタクシー運転手。
「タクシー会社なら、二種免許取得を支援してくれるところが多く、すぐに働き始められます。実力次第で、収入も見込めますよ。あなたのような体力と学習意欲のある方には、良い選択肢です」
山下は、その提案を反射的に拒絶したかった。かつての部下に、あるいは知人に、都心のタクシーを運転している姿を見られるなど、耐えられなかった。
しかし、職員が机の端に置いた求人票には、具体的に「月収〇〇万円可能」「即勤務可能」と書かれていた。その数字と現実的な言葉は、彼の空腹とローンの残高に直結した。
「考えさせていただきます」
絞り出した山下の声は、いつもなら自信に満ちていたはずだが、今はただ弱々しかった。
ハローワークを出た山下は、陽の当たる大通りを歩いた。街を行き交う人々は、彼に何の関心も示さない。彼は、この都市の中にいるにもかかわらず、まるで透明人間になったようだった。
タクシーが目の前を通り過ぎるたびに、彼は無意識に顔を伏せた。そして、心の中で呟いた。
「俺は、タクシーなんかには乗らない。絶対に」
それは、自分に残された最後のプライドを守るための、脆い誓いだった。しかし、彼の気持ちは、その誓いとは裏腹に、徐々にその道へと傾き始めていた。
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