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二章
三十二話
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漠然と時間を過ごし、あっという間に放課後になった。部室に向かう。
岸本はやはり先に来ていた。今日は珍しく奇っ怪な完成品が見当たらない。この前から引き続き人物画を描いているようだ。
デッサンから既にぐだぐだだったに違いない。背景も構図も滅茶苦茶だ。
ただ、眼鏡をかけた禿頭の人物の表情には妙な温かみがあり、なかなか味のある作品に仕上がっていた。
「ガンジーか?」
悪戦苦闘している岸本に声をかける。
「そうだ。身どもの憧れだから一度は描いてみたいと思ってな……」
そうなると、背景の茶色い蛇はガンジス川か何かか? アイスクリームのコーンを逆さまにしたような建物も、インドの寺院だと思えば納得できる。
「まあ味があっていいんじゃないのか。ガンジーらしさも出ているし」
「本当かの」
岸本の表情がパッと明るくなる。流石は単細胞。
「じゃ、もう少し奮起するかのう。柿市も描き始めたらどうじゃ?」
岸本に言われ、俺はうなずく。
いつも通り準備を進め、筆を手にする。が、進まない。あんなに上手くいっていたのに。
俺のキャンバスはまっさらの状態で、最初の息吹も吹き込んでもらえぬまま作者の手を待ち望んでいた。
何を描こうとしても、パンパンに腫れ上がった板垣の顔が脳裏をちらつく。
「柿市、どうしたのだ? 全然進んでおらぬぞ」
岸本が首を突っ込んでくる。
「悩みがあるなら吐露するがよい。身どもがあっという間に解決してみせよう」
偉そうに言って、彼は薄い胸を張った。
何でもないと言いかけて口をつぐむ。俺一人でぐだぐだと悩むよりも、岸本に相談した方が幾分かはましかもしれない。岸本は馬鹿でどうしようもないヤツだが、口は堅く、信頼できるヤツである。人を利用するのは気が引けるが、岸本の関係者の中には役に立ちそうな人もいる。
俺は、家出したときのことから包み隠さず岸本に打ち明けた。
岸本は黙って聞いていた。聞き終えると開口一番、とんでもなくくだらないことを言った。
「家出かあ。いよいよ柿市も、身どもと志を同じくして既存の概念に対する反骨精神を身に付けてきたのか」
「お前はクラスで孤立してるだけだろ」
俺は呆れて言った。
「それはそうと、板垣さんの件は大変だのう。話を聞いた以上、放っておくことはできぬぞ」
早くも岸本はやる気だった。
対照的に、俺にはまだ迷うところがあった。
「そうなんだよ。でも、俺にはアイツの気持ちが分からない。正直、アイツはあのままでいいんじゃないのか、助けなくてもいいんじゃないのかと思ってしまう」
板垣は変な男に殺されかけても、なにも言わない。それどころか、止めようとした俺に罵声を浴びせた。
彼女には助けが必要だ。それは分かるのだが、心の奥ではまだ怒りと戸惑いがくすぶっていた。
「それはいかん。いかんぞ、柿市よ。板垣は明らかに悩みを抱えておる。そのままでいい訳がなかろう」
ガンジーの眼鏡をおぼつかない手つきでなぞり、岸本が語気を強くする。
「他人に変わってほしければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ。……とガンジーも言っておった」
「……そうだな」
岸本、いやガンジーの言っていることは正しい。板垣のことを何も知らないのに、ああだこうだと言うのは間違っている。
「そこでひとつ、岸本に頼みがある。お前の友人には警官がいたよな?」
「正確には友人の父親なのだが」
岸本曰く、彼の幼馴染である佐久間尊の父親は警察に勤めていると言う。
「尊は立場の違う身どもと仲良くしてくれるいいヤツなのだ。お父さんもいい人だぞ。身どもが話をつけようではないか」
岸本は快く了承してくれた。
岸本はやはり先に来ていた。今日は珍しく奇っ怪な完成品が見当たらない。この前から引き続き人物画を描いているようだ。
デッサンから既にぐだぐだだったに違いない。背景も構図も滅茶苦茶だ。
ただ、眼鏡をかけた禿頭の人物の表情には妙な温かみがあり、なかなか味のある作品に仕上がっていた。
「ガンジーか?」
悪戦苦闘している岸本に声をかける。
「そうだ。身どもの憧れだから一度は描いてみたいと思ってな……」
そうなると、背景の茶色い蛇はガンジス川か何かか? アイスクリームのコーンを逆さまにしたような建物も、インドの寺院だと思えば納得できる。
「まあ味があっていいんじゃないのか。ガンジーらしさも出ているし」
「本当かの」
岸本の表情がパッと明るくなる。流石は単細胞。
「じゃ、もう少し奮起するかのう。柿市も描き始めたらどうじゃ?」
岸本に言われ、俺はうなずく。
いつも通り準備を進め、筆を手にする。が、進まない。あんなに上手くいっていたのに。
俺のキャンバスはまっさらの状態で、最初の息吹も吹き込んでもらえぬまま作者の手を待ち望んでいた。
何を描こうとしても、パンパンに腫れ上がった板垣の顔が脳裏をちらつく。
「柿市、どうしたのだ? 全然進んでおらぬぞ」
岸本が首を突っ込んでくる。
「悩みがあるなら吐露するがよい。身どもがあっという間に解決してみせよう」
偉そうに言って、彼は薄い胸を張った。
何でもないと言いかけて口をつぐむ。俺一人でぐだぐだと悩むよりも、岸本に相談した方が幾分かはましかもしれない。岸本は馬鹿でどうしようもないヤツだが、口は堅く、信頼できるヤツである。人を利用するのは気が引けるが、岸本の関係者の中には役に立ちそうな人もいる。
俺は、家出したときのことから包み隠さず岸本に打ち明けた。
岸本は黙って聞いていた。聞き終えると開口一番、とんでもなくくだらないことを言った。
「家出かあ。いよいよ柿市も、身どもと志を同じくして既存の概念に対する反骨精神を身に付けてきたのか」
「お前はクラスで孤立してるだけだろ」
俺は呆れて言った。
「それはそうと、板垣さんの件は大変だのう。話を聞いた以上、放っておくことはできぬぞ」
早くも岸本はやる気だった。
対照的に、俺にはまだ迷うところがあった。
「そうなんだよ。でも、俺にはアイツの気持ちが分からない。正直、アイツはあのままでいいんじゃないのか、助けなくてもいいんじゃないのかと思ってしまう」
板垣は変な男に殺されかけても、なにも言わない。それどころか、止めようとした俺に罵声を浴びせた。
彼女には助けが必要だ。それは分かるのだが、心の奥ではまだ怒りと戸惑いがくすぶっていた。
「それはいかん。いかんぞ、柿市よ。板垣は明らかに悩みを抱えておる。そのままでいい訳がなかろう」
ガンジーの眼鏡をおぼつかない手つきでなぞり、岸本が語気を強くする。
「他人に変わってほしければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ。……とガンジーも言っておった」
「……そうだな」
岸本、いやガンジーの言っていることは正しい。板垣のことを何も知らないのに、ああだこうだと言うのは間違っている。
「そこでひとつ、岸本に頼みがある。お前の友人には警官がいたよな?」
「正確には友人の父親なのだが」
岸本曰く、彼の幼馴染である佐久間尊の父親は警察に勤めていると言う。
「尊は立場の違う身どもと仲良くしてくれるいいヤツなのだ。お父さんもいい人だぞ。身どもが話をつけようではないか」
岸本は快く了承してくれた。
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