リング上のエンターテイナー

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3話

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「おかえりー。遅かったわね」
「ただいま。お母さん早いじゃん」
「レッスンの時間変わったのよ。だから最近はいつもこの時間よ」

ほっそりとした母が菜箸を持ったまま玄関で出迎えてくれた。
長い髪をバレッタでまとめただけで化粧もしたままなので、今帰ったところみたいだ。

母はヨガのインストラクターをやっている。
出産のタイミングでしばらくは専業主婦だったけど、あまりじっと家に居られないタイプなのか、私が小学校の高学年になったあたりから仕事に復帰していた。

「へー。そうなんだ。康太は?」
「部屋にいるんじゃないかしら。もうすぐご飯だから呼んできて」
「はぁーい」

康太は私の2つ下の弟だ。
私が中学3年の時だけ通った地元の中学に通っている。

あの子は全然部屋から出ない。一体誰に似たのだろう。
中学でも部活には入らず、毎日すぐに帰ってきて部屋に閉じこもっている。

「康太ぁ、入るよ。ご飯だってさ」
「おい、入ってくるときはノックしてって言ってんじゃん」

ヘッドセットを外しながら康太が苛立った声を返してくる。

「したじゃん」
「ノックして、返事してからドア開けるだろ普通」
「知らないわよあんたの普通なんて。今日は何のゲームしてんの?」
「姉ちゃんには関係ない」

はぁ。
康太の部屋のドアにもたれかかりながらため息をつく。

中学2年になった康太は反抗期に突入した。
家では誰の言うことも聞かない。
昔は一緒にゲームしていたけど、私が中学に入って以来ほとんどやっていない。

「康太も昔は可愛かったのになー」
「あっそ」
「いいから、早く来なよ。ご飯だからね」

ゲームの画面から目を離すこともなく返事もしない康太にまたため息が出る。
康太は中学に入ってから一気に身長が伸び始めて、私もあっという間に抜かれてしまった。
もう170cmくらいあるらしい。

前田家は母は小柄だけど父が大きく、私も父からの遺伝で背は高い方だ。
でも康太はずっと小柄だった。
私が中学に入った頃はまだかなり身長差があって、可愛い弟だったんだけどな。
ドアを閉めて私は先にリビングに向かった。
お腹が減ったらその内来るだろう。

「康太は?あ、陽菜、先着替えてきなさい。制服汚すわよ」

リビングに戻るとちょうど作り終えた母がテーブルに料理を運んでいるところだった。
早く食べたい私もそれに加わる。

「えー、もうお腹すいたんだもん。後で着替えるよ。康太呼んだけどゲームしてた。しばらく来ないと思う」
「もう。一緒に食べてくれないと片付かないじゃない」

母は困った顔をする。
歳の割には若く見える方だということに最近気付いた。
身体を動かす仕事をしているからかなのかな。

「あの康太も一丁前の反抗期だね」
「最近お父さんの言うことも聞かなくなっちゃってね。中学の男の子はそんなもんだって言って気にしてないみたいだったけど」
「まだお父さんの方が大きいし康太ひょろひょろだし、ここぞという時は力づくで押さえつける、みたいなこと考えてんじゃない?」
「嫌よそんな乱暴。あんたも激しかったし、心配だわ」

私も康太の歳の頃は反抗期だった。
母とは顔を合わせれば言い争っていたし、父とは口を聞いた覚えがない。
転校する話が出た頃にようやくピークは過ぎて着き始めたけど。

「私はもうそんなガキじゃないから。あーお腹すいた。いただきまーす」

母はいつも栄養バランスを気にしたご飯を作ってくれる。
健康な体はいい食事からというのが母の考えだ。
朝は早起きしてお弁当も作ってくれるので、やっぱり偉そうな口利けないなってじわじわと感じさせられているところだ。

「陽菜、部活はどう?上手くいってる?」
「上手くって、そんなざっくり聞かれても。ていうかまだ始まったばっかりだし。でも大丈夫、ちゃんとやってるよ」
「そう。でも朝日丘高校に元々女子プロレス部なんてないんでしょ?人集まった?」
「まだ」

ご飯を食べながら答える。
部員の勧誘は大きな課題だ。
強豪校ならまだしも、普通の高校なら元々部があっても新入部員が簡単に集まるような競技じゃない。
まして新しく作った部ならなおさらだ。

「他に練習できるところ探した方がいいんじゃない?別に学校じゃなくっても…」
「大丈夫だって!ちゃんと考えてるから」

もう、何でそんなにあれこれ言うんだろう。
まだ始めたばっかりなのに。
大変なのは自分でもよくわかっているし、それを周囲から指摘されたくはない。

人がいないと練習にならない。
それもわかっている。
上手くなるには練習が必要だ。
それもわかっている。
こうしている間にも他の選手との差が広がっていくことだってわかっている。

つい声を荒げてしまって私もまだまだ康太と同じガキなのかもしれない。
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