卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜

ポルカ@縁の下のチカラモチャー

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沢桂の木椀

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 その日から、邪馬台国の宮殿の空気は一変した。
 
 女王・卑弥呼が、得体の知れない一杯の汁物に心を奪われ、その作り手を見つけ出せと厳命を下した。

 最初は、誰もが女王の一時的な気まぐれ、3日も経てば……と高をくくっていた。だが、その考えが甘いことを、彼らはすぐに思い知らされることになる。

 密偵という密偵が、蜘蛛の子を散らすように都から西へと放たれた。

 西側のみならず、街道という街道は検問が敷かれ、商人や旅人たちは、手がかりのほとんどない村と、「汁物を作った男」について、執拗な尋問を受けた。

 しかし有用な情報はほとんどなかった。

 西といっても、その範囲はあまりに広い。
 山を越え、谷を渡り、無数の集落が点在する中から、地図にも載っていない一つの村を探し出すなど、砂漠で一粒の砂金を見つけるに等しい所業だった。

 卑弥呼の元には、毎日、「発見に至らず」という報告だけが届けられた。
 そのたびに、玉座の間に漂う空気は、氷のように冷たく張り詰めていった。

 豪族や神官長たちは、困惑していた。

 国の祭祀や、隣国との緊張関係といった重要事を差し置いて、なぜ女王は、たかが一人の料理人にこれほどまでに固執するのか。

「陛下、いつまでそのような素性の知れぬ者のために、国の兵を割くのでございますか。民草の戯言に、心を乱されてはなりませぬ」

 ある日、しびれを切らした神官長がそう諫言すると、卑弥呼は、玉座から冷たい視線を投げかけた。彼女の手には、あの日から片時も離さず持ち続けている、粗末な木椀があった。

「そなたには分かるまい。あれはただの汁物ではない。あれは『力』だ。武力でも、神託でもない、第三の力。民の心を満たし、国を内側から豊かにする、全く新しい力だ。その源泉が私の知らぬ場所に、私の許しなく存在すること。それこそが、国を揺るがす最大の脅威なのだ」

 その言葉に、神官長は返す言葉もなく、ただ頭を下げるしかなかった。

 だが、捜索は遅々として進まず、半月という時間が成果もなく無為に過ぎ去っていった。

 卑弥呼の苛立ちは、限界に達しようとしていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 あれから一カ月。
 捜索が行き詰まり、宮殿に重苦しい空気が漂う中、事態を動かす一つの光が差し込んだ。

 それは卑弥呼が、国の知恵者と謳われる者たちを全て召集し、改めて叱咤した時のことだった。

「兵の足が駄目ならば、頭を使え! 何か手立てはないのか!」

 その中で、ひときわ年老いた、木工を司る工房の長である室の翁が、静かに前に進み出た。

「陛下。恐れながらその御手にある椀を、この老いぼれに拝見させてはいただけませぬでしょうか」

 卑弥呼は訝しげな顔をしながらも、その木椀を室の翁に手渡した。
 翁は椀を受け取ると、戦の地図を見る将軍のように真剣な眼差しでその分析を始めた。

 椀を光にかざして木目を見、指先でその削り跡をなぞり、鼻を近づけて香りを嗅ぎ、ついには刃物の先で極々僅かな木屑を削り取ると、それを舌の上に乗せて味まで確かめた。

 しばらくの沈黙の後、室の翁は、確信に満ちた声で言った。

「…見えましたぞ、陛下」

「何が見えたと申すのだ」

「この椀に使われている木。これは、そこらに生えている杉や檜ではございませぬ。これは、『桂《かつら》』の木。それも、ただの桂ではありませぬ。この特有の甘い香りと、緻密な木目は、標が高く、常に清流の霧に濡れるような、寒い谷間にのみ育つ『沢桂《さわがつら》』にございます」

 その言葉に、広間の空気が変わった。

「沢桂……」

「そのような木は、この国のどこにでもあるものではございません。私の知る限り、これほど見事な沢桂が群生しているのは、西域を流れる翠川《みどりかわ》の、そのさらに上流。サイの国との境に近い、険しい山懐のみ。もし、この椀が、かの地で作られたものならば……」

 卑弥呼の目が、鋭い光を放った。

「……作り手の村も、その近辺にある、と申すか」

 翁は頷いた。

「地図にはありませぬが、私の記憶が正しければ、確かこのあたりには、カイナという村がございます」

 翁はかつて、その付近の森に迷い込んだことがあり、カイナの村の民に助けてもらったのだという。

「それがまことならば……」

 長らく閉ざされていた分厚い暗雲の向こうから、一条の光が差し込んだ瞬間だった。広大で曖昧だった「西」という捜索範囲が、今、明確な一つの地点へと絞り込まれたのだ。

 卑弥呼は、すぐさま衛兵の長であるハヤトを呼び寄せた。

「ハヤト。精鋭五十を率い、翠川の上流へ急げ! 沢桂の森を探し、その周辺にある村を、一軒残らず洗い出せ。そして、カイナという名の村と、凄腕の料理人を見つけ出すのだ。半月以内に、結果を私に報告せよ!」

 女王の、歓喜と厳命に満ちた声が、玉座の間に響き渡った。


 
 ◇◆◇◆◇◆◇



 その頃、カイナ村は、穏やかな時間に包まれていた。
 朔がもたらした知恵によって、村の生活は徐々に改善されていた。

 付近に鉄の鉱脈を見つけ、朔のクラフト能力で農具の一部を鉄製に新調することができたのだ。

 鉄の刃を持つ農具は固い大地を容易く耕せるため、畑を大きく広げることができた。
 来年の種植えが楽しみである。

 さらに先日の屋台の儲けで、わずかだが燻製や塩漬けといった保存食を作り置くことができた。

 甘葛のシロップも各家庭で在庫できており、今年の冬はかつてない安心感があると、皆が嬉しそうに笑い合っていた。

 その日も、朔は厨房で、子供や女たちに簡単な料理を教えていた。彼が作った鉄の小刀を、おっかなびっくり使いながら、木の実の皮を剥く練習をしている。

 その拙い手つきを、朔は穏やかな目で見守っていた。
 朔はこの村で、失われたはずの自分の居場所と、新たな家族を見つけ出していた。

 しかし、そのあまりに平和な日常は、突如として引き裂かれた。

 ドドドドドッ……!

 地響きのような、規則正しい蹄の音。

 それは、村にある駄馬のそれとは全く違う、統率の取れた騎馬の響きだった。

 村中の人々が、何事かと家の外へ飛び出す。
 朔も、子供たちを背後にかばいながら、厨房から外を睨んだ。

 村の入り口から現れたのは、黒っぽい鉄の鎧に身を固め、鋭い槍を携えた、五十人ほどの屈強な兵士たちだった。

 先頭に立つ、一際立派な鎧を着た男(ハヤト)が、馬を乗りこなし、村の中央で止まる。

 その威圧的な姿に、村人たちは恐怖に顔を引きつらせ、後ずさった。

 ハヤトは、馬上から村人たちを見下ろすと、腹の底から響くような声で言った。

「答えよ。ここは、『カイナ』という名の村で間違いないか」

 村長が、震えながら一歩前に出た。

「……いかにも。我らがカイナの村の民にございますが……」

「よろしい」

 ハヤトは、満足げに頷くと、その鋭い視線で村人たちを見渡す。

「この中に、都で出した、汁を作っていた料理人がいるはずだ」

 村人たちが、はっとする。

 なぜ王宮がそんなことまで、と村人たちがパニックに陥る中、朔は子供たちをシノに預けると、静かに前に進み出た。

「俺だが」

 彼らの狙いはどうやら自分のようである。

 ならば自分一人でかぶった方が良い。
 村に災いが及ぶ前に。

「ほう。そなたが」

 ハヤトは満足げに頷く。

「探したぞ。――失礼致す」

 ハヤトが、顎で合図をするなり、二人の兵士が馬から飛び降り、朔の両腕を掴み、麻縄で荒々しく後ろ手に縛り上げた。

「な、何をする! サク殿は、我らの恩人だぞ!」
 
 カズマが叫び、鍬を手に飛び出そうとするが、別の兵士の槍の穂先が、その喉元に突きつけられ、動きを封じられた。

 タケルが「サク!」と泣き叫びながら駆け寄ろうとするのを、母親のシノが必死で押さえている。

「丁重に扱え! かすり傷も負わせるなとの厳命だぞ」

 ハヤトは力任せに縛り上げていた兵を叱責する。
 怒られた兵は慌てて朔を縛り直す。

「縛り上げる前に、説明がほしいところだが」

 縛られた朔は無表情のまま、問いかけた。

 ハヤトは馬から降りると、朔に一礼する。

「突然の失礼を詫びる。此度は女王陛下がそなたをお望みなのだ」

「女王……陛下?」

(というと……まさか、卑弥呼が、俺を?)

 朔は思案する間もなく、兵士の一人が乗る馬の後ろに乗せられ、落ちないよう縛られる。
 痛くありませんか、などと訊かれる。

「サク!」「サク殿!」

 村人たちの悲痛な叫び声と、子供たちの泣き声が耳に飛び込んでくる。

「心配するな」

 朔は縛られたまま振り返り、根拠はないものの、それだけを言った。

「急ぐぞ! 陛下がおまちかねだ」

「はっ」

 馬は、速度を上げた。
 見慣れた村の風景が、あっという間に遠ざかっていった。


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