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第一話 淑乃と晶斗(下)
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2.
(やばい。 ギリギリになっちゃう…)
余裕をもって乗ったはずの地下鉄の中で電車遅延のアナウンスを聞きながら私はヒヤヒヤしていた。
集合時間の20分前にはつけるはずだったのに電車内でトラブルがあったらしく、目的の駅のひとつ前で電車はずっと止まっている。
もうここで電車諦めて走ったほうがいいかも…。
時計を見ながらそう思い始めたときガタンと電車が動き出す。
(よかった…)
とはいえ、目的の駅に着いた時にはもう時間はギリギリだ。
電車のドアが開いたとき人混みに流されるように私は駅のホームに押し出された。
「あっ…」
ホームに降りる瞬間、私はバランスを崩し足を踏み外していた。
「…おっと」
後ろから誰かが腕を引っ張る。
バランスを立て直した私は駅のホームに降り立ち、助けてくれた人のほうを振り返る。
その人も一緒に降りてきて乗降口から少し離れたところで足を止めた。
「ありがとうございました」
私はぺこりと頭を下げて顔を上げ――
(怖いひとだ!)
思わず、ひゅっ…と息を飲み込んだ。
パリッとした仕立てのいい外国製のスーツに、古いけどよく磨かれてつやつやの革靴。
スーツの袖からのぞく腕時計はいかにも重そうな金とホワイトゴールドで、ネクタイも艶のある正絹。
かすかにだけど、いかにも高級そうなムスクの香り。
私はその人の胸くらいまでしか背がなく、見上げてもなかなか顔にたどり着けない。
やっと見られたその顔は、にこりともせずに私を見下ろしていた。
がっしりとした輪郭にまっすぐ通った鼻筋。意志の強そうな濃い眉の下の瞳は鋭い一重の切れ長。
顔には2か所大きな傷がはしっている。
苦み走った、40歳前後の渋い男性。
「あ、ありがとうございました」
改めてもう一度お礼を言うとその人は小さくうなずく。
「怪我はしていないか」
(声良っ…!)
おなかに響く低音で、それなのに聞き取りやすい声でその人は私を労わってくれた。
「あっ、はい。大丈夫です!」
「そうか」
再び小さくうなずいてその人は踵をかえす。
――人ごみが割れる。
ただでさえ背が高いのに姿勢がいいその人の歩く姿はかなり迫力がある。
その人が歩いていくと、間違ってもぶつからないようにか周りは真っ二つに分かれていく。
あれ…。ひょっとしたら同じ出口使うのかも?
正直、出口までも時間がかかりそうな混雑なので同じ出口だったらかなり助かる。
私はコソコソその人の後を追う。
(これ、間に合うかも…)
その人は私が目指していた8番出口を出て、通りをまっすぐ歩いて大きなビルに入っていく
「ここって…」
そう、そこは今日面接のある大手出版社だった。
「では、次16~20番の方お入りください」
(いよいよだ…)
「はい」
私は返事をして、緊張しながら面接会場に入る。
手前側に私たちが座るパイプ椅子が5脚。
その正面に面接官となる社員さんが3人座っている。
――って…。
あの人だ!
そこにはさっき駅で助けてくれたスーツの男性が座っていた。
その隣には恰幅のいい50代くらいの人のよさそうな男性と、資料を用意している30前後の眼鏡の男性。
私はその人に小さく頭を下げると、あの人も気づいたようでうなずいてくれる。
眼鏡の男性が面接の開始を告げる。
私の番号は16番。まず自己紹介をしようと口を開きかけると――
「キミ、島江永の妖精だろ?」
真ん中の50代くらいの男性がにこやかに言った。
「え…?」
…要請って、なにを?
島江永高校は確かに私の母校だけど…。
驚いて目を白黒させていると、男性は言葉を続ける。
「いやー、うちの息子もサッカーやっててね。3年位前か?可愛すぎるマネージャー特集で見て確かに可愛いなぁと思っていてね。今日は実物が見られると思って楽しみにしていたんだ」
あの特集記事…?
隆斗が苦い顔で私は見ないほうがいいって言ったから見てなかったけど…。
まさか妖精呼ばわりされてたなんて思ってもみなかった。
「いやー、あの写真よかったよねぇ。子どもっぽい顔と体つきのアンバランスさが…」
「部長」
さらに言葉を続けようとした男性…、部長さんの言葉をあの人の聞き取りやすい低音が遮る。
「セクハラです。お止め下さい」
(また助けてくれた…?)
隣から厳しい視線を向けられた部長さんは少し慌てたように両手を挙げた。
「そんな大げさな。僕は緊張をほぐしてあげようとだね…」
「お止め下さい」
重ねて言われて部長さんは言葉に詰まると、笑ってあの人の背中をばしばし叩く。
「まったく…、固いな鬼島君は。そんな怖い顔をしてるとパワハラで訴えられるぞ?」
「荒島です」
そこに眼鏡の男性が遠慮がちに言葉をはさむ。
「部長、お時間が…。副部長、面接を始めてください」
眼鏡の男性の言葉に荒島さんはうなずき、部長さんは両手をあげてやれやれといったジェスチャーをとる。
多分普段から眼鏡の男性が調停役をしているんだろうな、というのが透けて見えるような流れだった。
相当胃が痛む役回りだろうと思ったが、それより私はまだ混乱する頭を面接に切り替えなおすことにした。
「それでは最初の質問です。今回は一問一答形式で受験番号順に答えて貰います」
気を取り直して面接が開始され、まずは受験者一人一人が自己紹介をする。
私も無難に自己紹介を終え、20番のひとの自己紹介が終わるまでに何とか気を取り直すことができた。
私は、荒島さんの心地よい低音を聞きながら頭の中で準備してきた志望動機を組み立てる。
「では桜井さん。まず弊社に就業後、余暇に何をして過ごすか教えて下さい」
ヨカ…?
想定とは全く違う質問が来て私の頭はまた混乱する。
ヨカ…、余暇か。
余暇…。
…正直、考えてなかった。
ここ1年半は大学やバイトから帰ったらあっくんのごはん作ったり家のことをしたりしかしていなかった。
自分のことは全く考えてこなかったし、少なくともあっくんがもう少し大きくなるまでは一緒にいてあげないと駄目だろうって思っていた。
でも、今朝あっくんはいつの間にか私と同じくらいまで大きくなっていたことに気づいた。
もうあっという間に背も力も私を抜いていくだろう。
いつまでも小さなあっくんじゃない…。
じゃあ、私も…自分のことを考えて…いいの?
隆斗と付き合ってた時みたいにどこかに遊びに行ったり、何かおいしいものを食べたり。
また、誰かを好きになったり…?
諦めていたつもりはなかったけど、考えから押し出してはいたんだ。
そう思うと、改めてやりたいことがいろいろ浮かんでくる。
「…桜井さん?」
考え込んでいた私を、荒島さんの心地よい低音が呼び戻してくれる。
「すみません…。やりたいことが多すぎて短くまとめられません…」
私の言葉に、周りから失笑がこぼれる。
笑い声を聞いて私は顔が熱くなるのを感じる。
そりゃそうだよ。考え込んだ挙句答えにもなってない。
「やりたいことが多いのは良いことです。では、志倉井さんは」
荒島さんはにこりともせずそういうと、隣の受験者の方に話を向ける。
「はい。僕はスキルアップのために○○という資格を取得するために勉強します!」
…え?
「私は、自己啓発のために受けたいセミナーがあります。それは…」
ええ??
「私はキャリア形成のために語学の勉強を…」
もしかしてそういう質問だったの?
恥ずかしすぎる…っ。
そうして、最初の質問で躓いた私は立て直せずに面接を終えてしまった。
うう…。
**
「荒島君、キミはどう思った?」
集団面接を終えた後、喫煙ルームで太田部長は荒島副部長に話しかけた。
「部長のセクハラには閉口しています」
「ははは…、そうではなく誰が印象に残ったかと聞いているんだ」
「…そうですね。私は受験番号7番の江藤さん、16番の桜井さん、22番の岩川さんあたりがよいかと」
「ほう…?」
太田部長は紫煙を吐き出しながら目を細めた。
「どちらかといえば回答に詰まっていた子たちだね」
「はい。学力や大学での動向については書類で分かります。私が見たのは人間力です」
言って、荒島副部長も紫煙を吐く。
「ほう? 今キミが挙げてくれた子たちはあまり機転がきいたり応用ができるタイプではないと思うが?」
「そうですね。どちらかといえば不器用なほうでしょうが、学生の能力など現時点では大差はありません。
彼らならば、仕事で困った時に変に誤魔化したりせず報告が上がるでしょう」
「あー、瀬山君の件か。なるほどね」
太田部長は得心したようにうなずいた。
去年、飛び抜けて優秀な人材と評価して採用した新人が一人いた。
確かに彼は優秀で、仕事の習得も早くコミュニケーションも巧みだった。
だが彼はプライドが高く能力で相手を測るところがあり人によって態度が変わる短所があった。
そして、彼はあるミスを犯したがそれを認められず同じチームで彼が見下す先輩に転嫁しようとした。
それを荒島副部長に追及され退職した。 そして今、彼は外資で活躍しているという。
「瀬山君の件は適切に評価出来なかった私の責任でもあります。彼は確かに優秀でしたがうちの社風には合わなかった。ならば、面接で落とすべきでした」
「最終的に僕が良しと判断したんだ。キミが責任を感じることはない」
言いながら太田部長は荒島副部長の肩を叩いた。
「キミの目利きは信頼している。さっきの三人に内定を出しておいてくれたまえ」
「はい」
荒島副部長は小さく頭を下げた。
「ところで…、島江永の妖精が来年の春入ってくるわけだがキミはあの記事を見たことあるかね?」
「いえ」
「ほかの子たちは写真1枚か2枚なのに桜井さんだけ1ページも紙面を使われててね。結構きわどい角度の写真ばかりでね。そうだ、今度持ってきてあげよう」
――太田さんのこの癖だけは仕方がないな。
「結構です」
そういって、荒島副部長は深く紫煙を吐き出した。
**
「ただいまー…」
ガチャリとドアを開けて帰ってきた私をあっくんが玄関まで出迎えてくれる。
「おかえり。…って、どうしたの変な顔して」
変な顔って…。
「あっくんひどいー…。すっごく行きたい会社だったんだけど失敗しちゃったぁ…」
疲れた私はそのままあっくんに寄り掛かる。
あっくんはびっくりしたようだったけど、しっかり受け止めてくれる。
――前のあっくんだったら多分そのまま尻もちついてたよね。やっぱり大きくなってるんだなぁ…。
「まだわからないよ。失敗したと思ってても、向こうはそう思ってないかも」
言いながらあっくんは私の頭をよしよしと撫でてくれる。
「ありがとー…」
ついこの間までは私が撫でるほうだったのにね。でも、この感じ落ち着くなぁ…。
私はそのまま目を閉じて、今だけ甘えさせてもらうことにした。
「…人の気も知らないで」
「何か言った?」
「なんでも」
そうして、あっくんはしばらく私の頭をなで続けてくれた。
―――それから数か月。
「あっくん!」
弾んだ声で淑乃が僕の部屋に飛び込んできた。
「どうしたの?」
「あっくん! やったよ!受かったよ!」
言いながら淑乃はスマホの画面を見せてくれる。
そこには確かに『内定』の文字があった。しかも、第一志望の出版社!?
「マジ!? やったじゃん姉ちゃん!」
「うん!ありがとう!」
やった! こんなうれしそうな淑乃を見るのは本当に久しぶりだ。
はしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねる淑乃は本当にかわいい。
やがて淑乃は動きを止めて顔の前でスマホを持って来て画面を見上げる。
「…また荒島さんに会えるかも…」
「…え?」
淑乃の目は喜びでうるみ、頬もかすかに紅潮している。
え? …それって内定がうれしいから、だよね?
『アラシマサン』に会えるかもしれないから、じゃないよね?
淑乃って兄ちゃんの彼女じゃないの?
…考えてみれば、隆斗が亡くなってもう2年近い。
淑乃にずっと隆斗だけを好きでいてくれ、というのは酷だろう。
でもさ。だったら…
別に、僕…でもよくね?
わかってるよ。淑乃は大人の女性で、僕はただの小学生でしかないってことは。
それに、淑乃が僕のことを『弟』としてしか見ていないってことも。
でも…
あと数年。せめて淑乃から見ても僕が子どもに見えなくなるまで待ってて。
――どうか僕にチャンスを下さい。
===
ちなみに荒島さんの声はある種の女子たちには下腹部強襲型の美声です(笑)。
次の更新までちょっと間が開くかもしれません。
(やばい。 ギリギリになっちゃう…)
余裕をもって乗ったはずの地下鉄の中で電車遅延のアナウンスを聞きながら私はヒヤヒヤしていた。
集合時間の20分前にはつけるはずだったのに電車内でトラブルがあったらしく、目的の駅のひとつ前で電車はずっと止まっている。
もうここで電車諦めて走ったほうがいいかも…。
時計を見ながらそう思い始めたときガタンと電車が動き出す。
(よかった…)
とはいえ、目的の駅に着いた時にはもう時間はギリギリだ。
電車のドアが開いたとき人混みに流されるように私は駅のホームに押し出された。
「あっ…」
ホームに降りる瞬間、私はバランスを崩し足を踏み外していた。
「…おっと」
後ろから誰かが腕を引っ張る。
バランスを立て直した私は駅のホームに降り立ち、助けてくれた人のほうを振り返る。
その人も一緒に降りてきて乗降口から少し離れたところで足を止めた。
「ありがとうございました」
私はぺこりと頭を下げて顔を上げ――
(怖いひとだ!)
思わず、ひゅっ…と息を飲み込んだ。
パリッとした仕立てのいい外国製のスーツに、古いけどよく磨かれてつやつやの革靴。
スーツの袖からのぞく腕時計はいかにも重そうな金とホワイトゴールドで、ネクタイも艶のある正絹。
かすかにだけど、いかにも高級そうなムスクの香り。
私はその人の胸くらいまでしか背がなく、見上げてもなかなか顔にたどり着けない。
やっと見られたその顔は、にこりともせずに私を見下ろしていた。
がっしりとした輪郭にまっすぐ通った鼻筋。意志の強そうな濃い眉の下の瞳は鋭い一重の切れ長。
顔には2か所大きな傷がはしっている。
苦み走った、40歳前後の渋い男性。
「あ、ありがとうございました」
改めてもう一度お礼を言うとその人は小さくうなずく。
「怪我はしていないか」
(声良っ…!)
おなかに響く低音で、それなのに聞き取りやすい声でその人は私を労わってくれた。
「あっ、はい。大丈夫です!」
「そうか」
再び小さくうなずいてその人は踵をかえす。
――人ごみが割れる。
ただでさえ背が高いのに姿勢がいいその人の歩く姿はかなり迫力がある。
その人が歩いていくと、間違ってもぶつからないようにか周りは真っ二つに分かれていく。
あれ…。ひょっとしたら同じ出口使うのかも?
正直、出口までも時間がかかりそうな混雑なので同じ出口だったらかなり助かる。
私はコソコソその人の後を追う。
(これ、間に合うかも…)
その人は私が目指していた8番出口を出て、通りをまっすぐ歩いて大きなビルに入っていく
「ここって…」
そう、そこは今日面接のある大手出版社だった。
「では、次16~20番の方お入りください」
(いよいよだ…)
「はい」
私は返事をして、緊張しながら面接会場に入る。
手前側に私たちが座るパイプ椅子が5脚。
その正面に面接官となる社員さんが3人座っている。
――って…。
あの人だ!
そこにはさっき駅で助けてくれたスーツの男性が座っていた。
その隣には恰幅のいい50代くらいの人のよさそうな男性と、資料を用意している30前後の眼鏡の男性。
私はその人に小さく頭を下げると、あの人も気づいたようでうなずいてくれる。
眼鏡の男性が面接の開始を告げる。
私の番号は16番。まず自己紹介をしようと口を開きかけると――
「キミ、島江永の妖精だろ?」
真ん中の50代くらいの男性がにこやかに言った。
「え…?」
…要請って、なにを?
島江永高校は確かに私の母校だけど…。
驚いて目を白黒させていると、男性は言葉を続ける。
「いやー、うちの息子もサッカーやっててね。3年位前か?可愛すぎるマネージャー特集で見て確かに可愛いなぁと思っていてね。今日は実物が見られると思って楽しみにしていたんだ」
あの特集記事…?
隆斗が苦い顔で私は見ないほうがいいって言ったから見てなかったけど…。
まさか妖精呼ばわりされてたなんて思ってもみなかった。
「いやー、あの写真よかったよねぇ。子どもっぽい顔と体つきのアンバランスさが…」
「部長」
さらに言葉を続けようとした男性…、部長さんの言葉をあの人の聞き取りやすい低音が遮る。
「セクハラです。お止め下さい」
(また助けてくれた…?)
隣から厳しい視線を向けられた部長さんは少し慌てたように両手を挙げた。
「そんな大げさな。僕は緊張をほぐしてあげようとだね…」
「お止め下さい」
重ねて言われて部長さんは言葉に詰まると、笑ってあの人の背中をばしばし叩く。
「まったく…、固いな鬼島君は。そんな怖い顔をしてるとパワハラで訴えられるぞ?」
「荒島です」
そこに眼鏡の男性が遠慮がちに言葉をはさむ。
「部長、お時間が…。副部長、面接を始めてください」
眼鏡の男性の言葉に荒島さんはうなずき、部長さんは両手をあげてやれやれといったジェスチャーをとる。
多分普段から眼鏡の男性が調停役をしているんだろうな、というのが透けて見えるような流れだった。
相当胃が痛む役回りだろうと思ったが、それより私はまだ混乱する頭を面接に切り替えなおすことにした。
「それでは最初の質問です。今回は一問一答形式で受験番号順に答えて貰います」
気を取り直して面接が開始され、まずは受験者一人一人が自己紹介をする。
私も無難に自己紹介を終え、20番のひとの自己紹介が終わるまでに何とか気を取り直すことができた。
私は、荒島さんの心地よい低音を聞きながら頭の中で準備してきた志望動機を組み立てる。
「では桜井さん。まず弊社に就業後、余暇に何をして過ごすか教えて下さい」
ヨカ…?
想定とは全く違う質問が来て私の頭はまた混乱する。
ヨカ…、余暇か。
余暇…。
…正直、考えてなかった。
ここ1年半は大学やバイトから帰ったらあっくんのごはん作ったり家のことをしたりしかしていなかった。
自分のことは全く考えてこなかったし、少なくともあっくんがもう少し大きくなるまでは一緒にいてあげないと駄目だろうって思っていた。
でも、今朝あっくんはいつの間にか私と同じくらいまで大きくなっていたことに気づいた。
もうあっという間に背も力も私を抜いていくだろう。
いつまでも小さなあっくんじゃない…。
じゃあ、私も…自分のことを考えて…いいの?
隆斗と付き合ってた時みたいにどこかに遊びに行ったり、何かおいしいものを食べたり。
また、誰かを好きになったり…?
諦めていたつもりはなかったけど、考えから押し出してはいたんだ。
そう思うと、改めてやりたいことがいろいろ浮かんでくる。
「…桜井さん?」
考え込んでいた私を、荒島さんの心地よい低音が呼び戻してくれる。
「すみません…。やりたいことが多すぎて短くまとめられません…」
私の言葉に、周りから失笑がこぼれる。
笑い声を聞いて私は顔が熱くなるのを感じる。
そりゃそうだよ。考え込んだ挙句答えにもなってない。
「やりたいことが多いのは良いことです。では、志倉井さんは」
荒島さんはにこりともせずそういうと、隣の受験者の方に話を向ける。
「はい。僕はスキルアップのために○○という資格を取得するために勉強します!」
…え?
「私は、自己啓発のために受けたいセミナーがあります。それは…」
ええ??
「私はキャリア形成のために語学の勉強を…」
もしかしてそういう質問だったの?
恥ずかしすぎる…っ。
そうして、最初の質問で躓いた私は立て直せずに面接を終えてしまった。
うう…。
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「荒島君、キミはどう思った?」
集団面接を終えた後、喫煙ルームで太田部長は荒島副部長に話しかけた。
「部長のセクハラには閉口しています」
「ははは…、そうではなく誰が印象に残ったかと聞いているんだ」
「…そうですね。私は受験番号7番の江藤さん、16番の桜井さん、22番の岩川さんあたりがよいかと」
「ほう…?」
太田部長は紫煙を吐き出しながら目を細めた。
「どちらかといえば回答に詰まっていた子たちだね」
「はい。学力や大学での動向については書類で分かります。私が見たのは人間力です」
言って、荒島副部長も紫煙を吐く。
「ほう? 今キミが挙げてくれた子たちはあまり機転がきいたり応用ができるタイプではないと思うが?」
「そうですね。どちらかといえば不器用なほうでしょうが、学生の能力など現時点では大差はありません。
彼らならば、仕事で困った時に変に誤魔化したりせず報告が上がるでしょう」
「あー、瀬山君の件か。なるほどね」
太田部長は得心したようにうなずいた。
去年、飛び抜けて優秀な人材と評価して採用した新人が一人いた。
確かに彼は優秀で、仕事の習得も早くコミュニケーションも巧みだった。
だが彼はプライドが高く能力で相手を測るところがあり人によって態度が変わる短所があった。
そして、彼はあるミスを犯したがそれを認められず同じチームで彼が見下す先輩に転嫁しようとした。
それを荒島副部長に追及され退職した。 そして今、彼は外資で活躍しているという。
「瀬山君の件は適切に評価出来なかった私の責任でもあります。彼は確かに優秀でしたがうちの社風には合わなかった。ならば、面接で落とすべきでした」
「最終的に僕が良しと判断したんだ。キミが責任を感じることはない」
言いながら太田部長は荒島副部長の肩を叩いた。
「キミの目利きは信頼している。さっきの三人に内定を出しておいてくれたまえ」
「はい」
荒島副部長は小さく頭を下げた。
「ところで…、島江永の妖精が来年の春入ってくるわけだがキミはあの記事を見たことあるかね?」
「いえ」
「ほかの子たちは写真1枚か2枚なのに桜井さんだけ1ページも紙面を使われててね。結構きわどい角度の写真ばかりでね。そうだ、今度持ってきてあげよう」
――太田さんのこの癖だけは仕方がないな。
「結構です」
そういって、荒島副部長は深く紫煙を吐き出した。
**
「ただいまー…」
ガチャリとドアを開けて帰ってきた私をあっくんが玄関まで出迎えてくれる。
「おかえり。…って、どうしたの変な顔して」
変な顔って…。
「あっくんひどいー…。すっごく行きたい会社だったんだけど失敗しちゃったぁ…」
疲れた私はそのままあっくんに寄り掛かる。
あっくんはびっくりしたようだったけど、しっかり受け止めてくれる。
――前のあっくんだったら多分そのまま尻もちついてたよね。やっぱり大きくなってるんだなぁ…。
「まだわからないよ。失敗したと思ってても、向こうはそう思ってないかも」
言いながらあっくんは私の頭をよしよしと撫でてくれる。
「ありがとー…」
ついこの間までは私が撫でるほうだったのにね。でも、この感じ落ち着くなぁ…。
私はそのまま目を閉じて、今だけ甘えさせてもらうことにした。
「…人の気も知らないで」
「何か言った?」
「なんでも」
そうして、あっくんはしばらく私の頭をなで続けてくれた。
―――それから数か月。
「あっくん!」
弾んだ声で淑乃が僕の部屋に飛び込んできた。
「どうしたの?」
「あっくん! やったよ!受かったよ!」
言いながら淑乃はスマホの画面を見せてくれる。
そこには確かに『内定』の文字があった。しかも、第一志望の出版社!?
「マジ!? やったじゃん姉ちゃん!」
「うん!ありがとう!」
やった! こんなうれしそうな淑乃を見るのは本当に久しぶりだ。
はしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねる淑乃は本当にかわいい。
やがて淑乃は動きを止めて顔の前でスマホを持って来て画面を見上げる。
「…また荒島さんに会えるかも…」
「…え?」
淑乃の目は喜びでうるみ、頬もかすかに紅潮している。
え? …それって内定がうれしいから、だよね?
『アラシマサン』に会えるかもしれないから、じゃないよね?
淑乃って兄ちゃんの彼女じゃないの?
…考えてみれば、隆斗が亡くなってもう2年近い。
淑乃にずっと隆斗だけを好きでいてくれ、というのは酷だろう。
でもさ。だったら…
別に、僕…でもよくね?
わかってるよ。淑乃は大人の女性で、僕はただの小学生でしかないってことは。
それに、淑乃が僕のことを『弟』としてしか見ていないってことも。
でも…
あと数年。せめて淑乃から見ても僕が子どもに見えなくなるまで待ってて。
――どうか僕にチャンスを下さい。
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