恋が始まらない話

古森日生

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第四話 恋が始まるかもしれない話(1)

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1.

「…あれ?」

ここは…
カーテン越しにまだ弱い朝の日差しを感じつつ、靄がかかったような頭でぼんやりとあたりを見渡す。
見慣れた壁紙や机、クローゼット。お気に入りのぬいぐるみ達。
「…私の部屋?」
そう。ここは見慣れた私の部屋だった。

…昨日、どうやって帰ってきたんだっけ。

昨日は新入社員の歓迎会で会社の近くのホテルに行った。
立食パーティ方式で、ごはんは美味しかった。
いろんな方に声をかけていただいて、他部署の方とゆっくり話すのも初めてでとても楽しかった。
うん、そこまではハッキリ覚えている。
それから…。

途中、狛江さんに渡されたジュースを飲んで…。
パインジュースみたいな味だったんだけどそれがお酒で…。
お水飲んでって渡されたのも、お水みたいに透明なもっと強いお酒で…。
あっという間に動けなくなって…。
物置スペースで休ませて貰うことになって…。

そして今、だ。

え? 何があったの昨日?

慌てて自分の格好を見てみると、昨日と同じ服だ。
胸元のボタンだけはいつもより一つ多く開いていたけれどもこれはたぶん楽にしようとして自分で開けたのだろう。
体にも変な違和感はない。
強いて言えば、飲みなれないお酒を飲まされたせいで頭がぼーっとするくらいだ。

「姉ちゃん、起きた?」
部屋のドアを控えめにノックしてあっくんの声がした。
「あ、うん」
「入っていい?」
「いいよ」
私が許可するとがちゃりと扉を開けて、水を持ったあっくんが入ってきた。

「気分はどう…?」
あっくんは持ってきてくれた冷たいお水を私に渡すと心配そうにベッドわきのラグに座った。
「飲みすぎたみたいで頭痛いけど、平気」
そう言って持ってきてくれたお水を一口。よく冷えてておいしい。
「ねえ、昨日私どうやって帰ってきたの?」
「え?」
私の言葉にビックリした顔をするあっくん。
「覚えてないの?」

ぴろりん♪

その時、枕もとのスマホが通知音を鳴らした。
何の気なしに手に取って通知を見ると…

『荒島航太郎』

――思わぬ文字が目に飛び込んできた。

「え?ちょっと待って?」
荒島さん!?
なんで? 昨日連絡先交換したの!?
私はあわててメッセージアプリを開く。

『朝に済まない。調子はどうだろうか。
 昨日はかなり飲まされた様子だったので体調が悪いようなら病院に行くように。』

文面はそれだけだった。その簡潔さが荒島さんらしい。
これって… 荒島さんが私を気遣って?
わー、ちょっと待って。いつどうやって連絡先交換したの?
もしかして酔いつぶれたところ荒島さんに見られたの?
わー、恥ずかしい…
けど、嬉しいな連絡先。
すぐにお返事返さないと…

「姉ちゃん?」
「ちょっと待って!メッセージ返すから」

私はその時あっくんが寂しそうな顔をしたことに気づかなかった。

えーと…
『体調は大丈夫です。お気遣いいただきましてありがとうございます。』
と、それから――

「ね、あっくん? 昨日ってひょっとして荒島さんが家まで送ってくれたり…」
「そうだよ。聞いてたまんまの人だったからすぐわかった」

やっぱりそうだったんだ。
わー、なんで覚えてないの私…。
『送っていただいてありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。』

うーん…固いかな。
『ご迷惑をおかけしましたけど、送っていただいたことはとても嬉しかったです。』

気安すぎるかなー…
『昨日は送っていただいてありがとうございました。ご迷惑をおかけしませんでしたでしょうか…』

これだ。これならもうひとラリーできる。
メッセージを送信するとすぐに既読が付いた。

ぴろりん♪

『迷惑などかかっていない。飲みすぎたのは君のせいではないからな。今日はゆっくり休むといい。以上。』

以上!
最後の一言があまりに荒島さんらしくて笑ってしまう。
以上と言われてさすがにメッセージで返すのもアレだったので『ありがとうございます』とお気に入りの可愛いスタンプを送る。
それもすぐ既読になる。
短いやりとりだったけど、荒島さんとの初メッセージだ。思わず頬が緩んでスマホを抱きしめる。

「姉ちゃんはさ…」
そんな私に、あっくんが横から声をかけてくる。
ごめん。一瞬あっくんがいること忘れてた。
「あの人のこと、好きなの?」

…え?
思わぬ質問にあっくんのほうを振り向くと、あっくんは泣きそうな顔で私を見上げていた。


「うん、好き…だよ」
私の言葉にあっくんは泣きそうな顔のまま言葉を続ける。
「それは…、兄ちゃんの時とおんなじ気持ちで?」

…そうか。あっくんにとって私は「隆斗の彼女」だったはずなんだ。
それなのにあっくんの前でほかの男の人を恋する様子なんて見せてはいけなかった。
でも。
「…そうだよ」
想いは否定できない。

「姉ちゃんはもう、兄ちゃんのこといらなくなったの?」
「ううん。隆斗のことはずっと大事。私のここにいつも一緒にいるから」
そう言って胸元を抑える。
返ってくるのは自分の鼓動だけど、今も隆斗が寄り添ってくれているのを確かに感じる。
「それなのに?」
「うん。 私は…荒島さんが欲しい」
「それを言うなら僕だって姉ちゃんが欲しい!兄ちゃんの彼女だって思ってたからずっと我慢してた。
 だけど、兄ちゃんじゃなくてもいいなら僕でもいいじゃん!」

…あっくんの言葉に私は目を見開く。
あっくんから男女の好意を向けられていると思ったことは今まで一度もなかった。
6歳からずっと見守ってきたあっくん。
私にとってあっくんは隆斗がいなくなってしまってもずっと、たったひとりの弟だと思っている。
「…ごめんね」
私の言葉に、あっくんの目から涙がこぼれる。
「僕じゃ…駄目なの?」
「あっくんは、隆斗や荒島さんとは違うから。もう私にとって、もっと近いからそんな相手としては考えられないの」
「近いってなんだよ…。僕が子どもだからごまかそうとしてるんだろ…」
「あっくんは私の弟だから。これからもずっと」



***
正直、淑乃がそう答えることはわかっていた。

だって、あんな顔僕には見せたことない。
スマホのメッセージを返すだけであれだけ嬉しそうに、悩んで、最後は幸せそうに笑った。
あんな顔を見たのは兄ちゃんといた時以来だ。

でも、逆に。
淑乃が今僕に見せている態度も、多分僕以外が見ることはできないものなんだろう。

淑乃の中の明確な「区別」を自覚してしまった今、淑乃の言いたいことがわかる。わかってしまう。
僕はもうきっと、淑乃から恋愛相手として見られることはないのだろう。

…でも、せめてこのくらいは許してほしい。

姉ちゃんの好きな人あらしまさんって、別に姉ちゃんを好きなわけじゃないよね」
「うっ…。そうだけど」
「じゃあ、ちゃんと諦めさせて。 僕が大人になって、まだ姉ちゃんがひとりでいたらもう一度伝えるよ」

――そんな日は来ないだろうけど。

「その時はきっと僕のことを意識させてみせるから」

ね。 姉ちゃん…。
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