恋が始まらない話

古森日生

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第四話 恋が始まるかもしれない話(3)

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3.

「しょ、承知いたしました!それではそのように進めさせていただきますっ!」
「頼んだ。 あ、桜井くんちょっと待て」
今日も今日とて荒島さんの前で挙動不審になっていた私は打ち合わせを終えたタイミングで荒島さんに呼び止められた。
「はっ、はい!」
返事をして荒島さんの正面に戻った私に、荒島さんはスーツの胸ポケットからチケットを2枚取り出した。
「君のところには小学生の男の子がいたな」
荒島さんの言葉にまわりがざわつく。

(え?桜井ちゃん子供いるの?)
(結婚してたん?マジかー)
(新卒で小学生がいるなら高校時代に産んでる…?)

違います!
なんで皆さん私の子どもだと思うの…?

「今週末に地域のキャンプ教室があるんだがよかったらどうだ?」
「え…? 荒島副部長と二人で…ですか?」

え? え? え? どういうこと? デートのお誘い?
仕事中に? でも嬉しい…!

「いや、晶斗くんと」
「あっ、はい」

「…」
「…」

そりゃそうだよ! どうして荒島さんがらみだとこんなにポンコツになるの私…!
「桜井くん?」
「あ、すみません! 行けるかはあっく…弟に確認してみないとわかりませんけど多分大丈夫だと思います!」
あえて「弟」という単語を使ってみると、皆さんの好奇の視線がやわらぐ。
「そうか。ではこれがチケットだ」
荒島さんはわずかに目を細めるとチケットを私に渡して立ち上がる。
そして、
「また連絡する」
そう言って私の横を通り出かけて行った。

(耳元であのささやきは反則…! あ、チケット荒島さんの匂いする…)
荒島さんに見られないでよかった。
今の私はきっと、荒島さんには見せられない顔をしているから。

そうして私は顔のほてりが収まるのを待って仕事に戻った。


***
お昼休みにスマホを確認するとおじさまからメッセージが届いていた。
『渡したぞ』
『さすがおじさま! お仕事が早いですね! ありがとうございます』
(ぺこり)

私はメッセージとスタンプを返すと、ふふふと笑顔をかみ殺す。
これで『桜井 淑乃さん』を近くで観察できる…!

私が最初に桜井さんの存在を認識したのはゴールデンウィーク前のことだった。
あの日はおじさまの会社の新入社員の歓迎会で、おじさまはお酒でつぶれた女性社員を家まで送ったという。
その日おじさまのジャケットには女性のものと思しき香水の匂いが移っていた。
正直それだけならすぐに忘れてしまったでしょうけど、驚いたことにおじさまは翌朝昨夜送った女性社員に、メッセージを送っていた。
信じられますか? あのおじさまですよ?
とはいえ、私はまだこの時には桜井さんの名前も知らなかった。

そして先日。
おじさまとデートのつもりで出かけた夏祭りで私は桜井さんを初めて見た。

正直、打ちのめされた。
おじさまがお外で女性に笑いかけるのなんて初めて見た。
それに桜井さんのあの目。夏祭りに上司に会った顔ではなかった。
もちろん失礼がないように少し緊張していたみたいだけど嬉しさみたいなものを隠しきれていなかった。

その時ピンときた。
この女性ひとが前にメッセージしてた人なんだと。
そのあとメッセージをやり取りしていたのかは知らない。
少なくとも私の前ではやり取りを見たことは無いけれど。

浴衣を着て夏祭りを楽しんでいた桜井さんは私から見てもとても魅力的な人に見えた。
おじさまの隣に立っていても遜色はない。

…少なくとも、父娘おやこと思われることは無いひと。
今の私よりは間違いなくお似合いなひと。
――救いは、おじさまからは桜井さんほどの好意は見られなかったこと。

再会してから今まで全く女っけがなかったおじさまだから、私はおじさまはどんな女性がタイプなのかは知らない。
でも、あんなに女性と距離が近いのは初めて見た。
距離だけ見れば私のほうが近いけれど私に対するおじさまは何というか、雑だ。
どれだけモーションをかけても効いている気が全くしない。

でも! 伊達に私もずっとおじさま…航太郎さんのことが好きなわけではない。
いきなり横から出てきてかっさらわれるのはごめんだ。

私が桜井さんに対抗するにはまず桜井さんのことをよく知らなければならない。
そのためにうちの学校協賛のキャンプ教室のチケットを渡したのだ。

桜井さん! あなたのやり口はじっくり見させてもらいますよ!
それで、おじさまの反応がいいところは取り入れて最後には私が勝つ!

そうして私はトイレの天井を見上げてこぶしを突き上げた。


***
「…姉ちゃん? どうしたの」
「ん? 何でもないけど…?」

淑乃が変だ。
今日は帰ってきてから妙にソワソワしている。
何でもないとは言ったけれど、うわの空でテレビを見ていたかと思えばスマホを見てはため息をついている。

理由はたぶん夕飯の時に淑乃が話してくれた「キャンプ教室」だろう。
淑乃が荒島さんからもらったというチケットを見せてもらうと「小学校高学年~中学生の子ども限定」と記載されていた。
週末は特に用事もなかったから行くことにしたけれど、それを伝えると淑乃はすぐにスマホを手にしてメッセージを送っていた。

僕としても淑乃とキャンプは初めてだ。楽しみでないといえばうそになる。
問題は「僕たちふたりなのかどうか」だ。

とはいえ荒島さんからしたら僕と淑乃に子ども限定の余っていたチケットをくれただけだろうと思う。
だって、僕と淑乃のキャンプに荒島さんが参加する理由はないから。

でも淑乃の様子を見ると荒島さんもいるような気がするんだよなぁ…。

そう思っていた時、淑乃が手にしていたスマホがぴろりん♪と音を立てた。
途端、淑乃は跳ね起きてスマホの画面を見ると嬉しそうに笑った。

「あっくん、私ちょっとお部屋に行ってるね」

言うが早いか淑乃は嬉しそうにリビングを出ていく。
淑乃が嬉しそうなのは僕も嬉しい…はずなのにやっぱり痛む胸は抑えられない。

でも、僕は「弟」なんだから。

僕は淑乃が抱いていたクッションに顔を押し付けて、少しだけ泣いた。


***
荒島さんから着信だ!
そう思った私はスマホを抱えて部屋に飛び込んでいた。
画面を見ると『荒島 航太郎』の文字。

わー!わー!わー!
今日のは来ると思っていた連絡なんだけど、思わずベッドの上で跳ねてしまう。
だって今日「キャンプですが晶斗も参加できるとのことでした。喜んでチケット使わせていただきます!」
って、送ったひとつ前のが送ってもらった時の「ありがとうございます」スタンプだったから。

だって荒島さんに連絡してもいいような用事なんてなかったし…
荒島さんの連絡先は完全に「眺めて楽しむ用」になっていたのだ。
その連絡先が久しぶりに仕事をしている! それだけでテンションが上がってしまう。

私はわくわくしながらメッセージをひらく。

『了解。』

…え? それだけ?
いや、荒島さんらしいといえばらしいんだけど…。
さすがにこれはちょっと…。

ぴろりん♪

と思っていたらもう一通メッセージが送られてくる。
『連絡事項。当日の持ち物は~』から始まる長いメッセージだ。

基本的にキャンプ用品は不要、念のため着替えや救急用品を持ってくるように。
集合場所はここ、集合時間はいつ、チケットを忘れないように。
スポンサーがついているので参加費は無料、山登りと飯盒炊爨はんごうすいさんがあるので汚れてもいい服で来るように。
スカートやショートパンツは危ないので禁止、日中暑くなるので水分は十分に持ってくるように、など。

…本当に連絡事項だ。
ゆっくりスクロールしながら文面を流し読みしつつこれ荒島さんがプリント見ながら打ってくれたのかなー、とかどうでもいいことを考えていると、
『なお当日は俺と姪の皐月も参加するが、特に挨拶は不要。』
と、記載があった。
皐月さん…って、夏祭りで荒島さんと一緒にいた女の子だよね。
すごく大人しそうな感じだったけどキャンプとかするんだ。

そのまま最後までスクロールすると
『晶斗君とゆっくりキャンプを楽しんでくれ。以上』
と結んであった。

ん…?

わずかな違和感を感じてもう一度最初から最後まで通して読んでみる。

…やっぱり。
普段の荒島さんなら最後の2行は無い気がする。

社内のメールやチャットを見ていても荒島さんの文章は簡潔で無駄がない。
必要な情報が過不足なく書き込まれていて仕事をするうえで改めて情報の整理をする必要が一切ない。
だから、文面を読んだ後はそのまま仕事に戻れる。

そこが違和感だった。

つまりこれは…
「荒島さんの…気遣い?」

きっとそうだ。
荒島さんは私のことをただの部下だと思っているはず。
しかも、相談に行っては挙動不審な行動をとる扱いにくい部下だ。
だからもし当日荒島さんを見かけても気にせずに家族でレジャーを楽しんでくれていい。
そういうことなんだろう。

「うん。たぶん、…きっと」

私は(ちょっと残念だったけど)荒島さんのお気遣いに甘えてあっくんとキャンプを楽しむように気持ちを切り替えた。

なのに――

「桜井さん、こないだぶりです。荒島航太郎の姪の城戸皐月です」

当日、私の目の前には珍しく困惑した表情の荒島さんと満面の笑顔の皐月さんがいた――。
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