恋が始まらない話

古森日生

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第四話 恋が始まるかもしれない話(4)

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4.

「ふわぁああぁ~あ…」
7月の終わりの強い日差しの中を滝のように汗をかいて歩きながら僕は早くもキャンプに来たことを後悔していた。
…来るんじゃなかった。

暑いからではない。普段サッカーをやっているともっと暑いこともざらだ。
それなのになぜこんな気分になっているかというと…。

僕はちらりと視線を前に向ける。

視線の先では淑乃が楽しそうに荒島さんと山道を歩いていた。
あーあ、なんで淑乃がよその男と楽しそうにしてるのを見てないといけないんだ…。

「いい天気ですし、日陰だと眠たくなっちゃいますね?」
僕と歩調を合わせて隣を歩いていた皐月さんが笑顔で問いかけてくる。
「あー、そうですね」
僕は無難に話を合わせる。
「お二人とも楽しそうですね」
皐月さんはにこにこしながらふたりを眺めている。
「あー、そうですね…」
だから腹立つんだよね。なんで淑乃あんなに楽しそうなんだか。
「ふふ…。妬いてる」
ん?
「何か言いました?」
「いーえ、何にも。あ、晶斗くん。squirrelですよ」
「スクイズ?」
って、何?

走っていく皐月さんを横目に僕は小さく溜息をついた。


***


リスを追いかけるふりして晶斗くんから離れた私はおじさまと桜井さんの近くでスピードを落とすと声が聞こえる程度に離れてついて行った。
桜井さんが話して、おじさまがひと言ふた言返す。
それに対して桜井さんが楽しそうに笑う。

ま、そんなものでしょ。
おじさまが自分から話題を振ることなんてそうそうは――
「…君はスポーツとかやっていたんだったか?」

え?

「え…? 今は全く…ですね」
「そうか。今日は暑いだろう。思ったより余裕がありそうだと思ってな」
「そうですか? 実は昔高校サッカーのマネージャーをやっていまして。暑さには強いのかも知れません」

おじさまが話題を振った?

「そうか。面接でも言っていたな。島江永の妖精…とか」
「自分では妖精なんて言ってないです…」

島柄長シマエナガ…?
あのまるっこくて可愛い鳥?
言われてみれば桜井さんのイメージに近いかも。ふわふわしてて。

「そうだったか。面接の後太田部長から特集の載った雑誌を見せられてな」

…特集?

その特集それ、たまに聞くんですよね。そういうのって本人の許可とかいらないんでしょうか?」
「…あの内容では、許可は出さないだろうからな」

何ですかそれ。俄然興味が出て来たんですけど。

「見る機会がないのなら君は見ないほうがいい」
隆斗りゅうと… あっくんのお兄さんにもそれ言われてたんですよね…」
「? …晶斗君は君の弟ではないのか?」
「弟です。血はつながっていませんけど」

…情報量の多い話してますね。
いかがわしい雑誌の話から、桜井家の隠れた事情まで。
おじさまが誰かの事情に踏み込むなんて初めてです。

…それに、いつの間にか桜井さんの緊張がとけてますね。
思ってたよりもおじさまと桜井さんって気が合ってるのかも…。

エロ写真の話も気になりますが今はいったん…

「おじさま! もうすぐキャンプ場ですよ!」

――私は助走をつけておじさまの背中に飛びついた。


***


キャンプ場に着いたら小休憩をはさんで飯盒炊爨。
そのあとは自由時間で、日が落ちる前に下山。
キャンプといっても泊りではないのでキャンプファイヤーなどは行わない。
さすが中学校主催のキャンプ教室である。

そして、小休止をはさんだ今は飯盒炊爨の時間だ。
材料は段ボールの中に入っている野菜から必要なものを好きにとっていく形式だ。
肉類はクーラーボックスに豚と鶏がある。
他に近くの川が一部生簀のように仕切られ、そこで魚のつかみ取りができるようになっており皐月と晶斗君が今行っている。
さすがの皐月も自分の料理が壊滅的なことは自覚しているのだろう。

そうして、俺と桜井くんは並んで炊事場に立っていた。
「俺はかまどの火をおこしておく。桜井くんは飯盒を頼めるか」
「おれ…」
「ああ、プライベートでは『俺』なんだ。違和感があるなら改めるが」
「いっ、いえ!『俺』かっこいいです!」
桜井くんはたまによくわからないことを言う。
顔が赤いのはまだ汗が引いていないのだろうから、もう少し休ませたほうがいいだろうか。

「…あの」
桜井くんが飯盒を両手で持ったままこちらを見上げる。
「私…飯盒使ったことなくて、お水とかどうやって量ればいいんでしょうか」
ああ、そうか。計量カップがないとわからないのも無理はない。
「飯盒には水の計量のために内側に線がある。下の線が2合、上の線が4合だ。今回は4人いるし上の線でいいだろう」
俺の言葉に桜井くんが感心したように目を瞬かせた。
「そうなんですね。ありがとうございます!」

桜井くんが米とザルと飯盒を持って水場に向かうのを見届けると俺は火おこしにかかる。
このキャンプ場はかまどが数基用意してあって希望すれば使用することができる。
もちろん火をおこせない人のためにガス窯も用意してあるようだが俺たちはせっかくなのでかまどを使うことにした。
火おこし用の道具もいろいろ借りられるのでおそらく20分もあれば火はおこせるだろう。

しばらくして火おこしを終えた俺はカレーの下拵えをしようと炊事場に戻ったが、そこにはすでに飯盒の準備を終えた桜井くんが野菜の皮むきをしていた。
桜井くんは戻って来た俺に気づくと微笑んで走り寄ってくる。
「お疲れ様でした。これ、どうぞ」
そう言って水筒から冷えた麦茶を注ぐと俺に差し出してくる。
「ああ。ありがとう」
冷たい麦茶がかまどの火にあぶられて火照った体に染み込んでいく。
「美味い」
「よかったです。それからご報告ですけど、お米の準備は終わって今はお水を吸わせています。カレーの野菜も大体下拵えが終わっています」
桜井くんは会社にいるときと同じで手回しがいい。が…
「桜井くん、ここは会社ではないぞ」
「あ…」
プライベートなのに会社のように『報告』してしまったことに気づいて桜井くんは頬を赤らめる。
「つい癖で…恥ずかしい」
こうしてみると桜井くんも結構表情が変わるな。皐月みたいに『表情が忙しい』というほどではないが。
「いや、報告ありがとう。そのまま最後まで下拵えを頼んでいいか」
「はい!」

それからしばらくして皐月と晶斗くんが魚を持って戻ってくる。
時間はかかったようだが何とか4匹確保できたようだ。
俺は魚を水場に持って行ってシメると腹を裂いて内臓を取り出し串を打つ。
「おじさまは内臓抜く派なんですね?」
近くに寄ってきた皐月が魚を見ながら問いかけてくる。
「いや、もとは養殖だろうが川に放たれてから何を食ってるか分からんからな。抜いておいたほうが無難だ」
「ちなみにおじさまは釣った魚には餌をやらないタイプですか?」
…こいつは。
「好きなように思っとけ」
こつんと痛くないように皐月の頭を小突いてやる。
「痛いです。おじさま」
いつものように皐月と掛け合いをしていると、桜井くんが面白そうに見ている。
「どうした?」
「荒島さんって、プライベートだとそんな感じなんですね」
「普段と違うか?」
「眼福!って感じです」
…桜井くんはたまによくわからないことを言う。いや、たまにではないのかも知れない。
桜井くんはいつもマイペースだ。

会社でも、部署も違うのに毎日のように俺のところに来るのは桜井くんくらいだ。
狛江くんを処分してから毎日来る必要はなくなったというのに、書類を元に自分のアイディアを添えて質問に来る。
それがまた的を射ている。
見た目と性格でやっかまれることも多いようだが俺は桜井くんを高く評価している。
見込みのある、可愛い部下だ。

――だからこそ、こんなことを聞いてしまったのかも知れない。

「桜井くんは、俺が恐ろしくはないのか?」

俺は見た目が悪い。
姉の言葉を借りれば『堅気カタギには見えない』のだそうだ。
人より体格がよく、顔には昔の事故でついた傷がある。
今日は周りを怯えさせないように傷隠しにティアドロップ型(いわゆるマッカーサータイプだ)のサングラスをかけているがあまり効果はなく周りからは遠巻きにされている。
街を歩いていても周りは俺を避けて歩くし、歩きスマホでぶつかってくる奴も俺の顔を見ると必死で詫びながら逃げていく。
桜井くんも俺のもとに来始めた頃はいつも震えていた。

「え? 怖いと思ったことなんて…。 あ、初めて駅でお会いした時の最初の一瞬だけちょっと怖いって思いました。すみません」

桜井くんは急な質問に軽く目を瞠った後、気まずげに目をそらした。

「でも、駅でも転ばないように支えていただきましたし、入社してからも荒島さんはずっと優しくしてくださっています。
 入社してからは怖いなんて思ったこと一度もありません」
「だが、君は最初ずっと震えていたじゃないか?」
「それは…その…」
桜井くんはうつむいて、また頬を赤くする。
「恥ずかしくて」
「恥ずかしい?」
桜井くんは顔を上げてまっすぐ俺の目を見る。顔も赤く、心なしか瞳も潤んでいるようだ。

「…はい。荒島さんがかっこよすぎて。あの、実は声もすごく好みで、聞いてるだけでふわーっとしてきて…」
思わぬ言葉に、俺はサングラス越しに桜井くんに間抜けな顔を晒していた。

――桜井くんはよくわからないことを言う。多分、これからもずっとそうなのだろう。


===
あとはエピローグです!
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