満月の夜に君を迎えに行くから

桃園すず

文字の大きさ
19 / 96
幕間1.魔女と満月

しおりを挟む
 月がとびきり綺麗な夜だった。母さんと過ごした夜を思い出しながら、狭い路地の隙間から覗く満月に見惚れていると、足音もなくひとりの老婆が隣に立っていて飛び上がりそうになった。

「綺麗な月だねえ」

 ひとりごとなのか、それとも自分に向けられた言葉なのか。警戒しながら老婆の顔を盗み見ると、ぎょろりとした瞳がこちらを向いた。警戒して、全身の毛を逆立たせる。

「大丈夫さ。こんな婆にお前さんをどうこうすることはできないよ」

 老婆はゆったりと言い聞かせるように喋った。たしかに、この老婆からは敵意のようなものは感じない。少し離れた位置から老婆のことを観察する。瞳の色は黄金色で、夜空に浮かぶ月に似ている。老婆は月を見たまま寂しそうに微笑んでいた。

「悲しいことがあったのか」

 そう話しかけると、老婆は驚いた顔でこちらを見た。それからこちらの顔を覗き込んでくる。

「なんだ。お前さんも同じか」
「同じって何が」

 老婆は自分の瞳を静かに指さした。月の色をした瞳が一緒だということだろうか。近頃は自分の姿を見ないようにしていたけれど、やはり母さんと同じ色にはなれなかったのだと思い知り、胸がきゅうと締め付けられる。

「お前さん、人間の言葉がわかるだろう。それは、特別なんだよ。普通の猫は飼い主とか特定の人間の言葉しかわからないもんだよ」

 だから何だっていうんだ。正直、それがいいこととは思えなかった。外を歩けば縁起が悪いだの不吉だのと罵られる。そんな言葉はわからないほうがいいに決まっている。不満げな表情を読み取ったのか、老婆はにやりと笑う。

「特別ってのは、言葉がわかること自体じゃないさ。人間になることができる猫だってことなんだよ」
「人間に?」

 人間なんか嫌いだ。そんなものになって、何かいいことがあるのだろうか。黒猫の姿でいるよりは、もしかしたら生きやすいのかもしれないけれど。

「人間になるには条件もある。失敗したら、人間としてはもちろん、猫として生きることもできなくなる。お前さんの存在は、なかったことになるんだ」

 存在はなかったことになる。それはとても寂しいことだと思った。母さんに愛してもらったことも、あの頃の思い出もなくなってしまうのだろうか。そんなリスクを負うのなら、なおさら人間になりたいとは思えない。けれど、話だけは最後まで聞いてやろうと老婆を見つめ返す。

「条件っていうのはなんだ?」
「愛しい人にキスしてもらうこと。そして、その後に満月の光を浴びることだ。まあこれはそこまで難しくない」
「じゃあ何が難しいんだ?」
「人間の姿になって、二カ月以内に相手から必要だと、愛していると、伝えてもらう必要がある。それができなければ、消えてなくなるだけだ。ああ、もちろんその期限があることを相手に伝えるのはダメだ。その場合は残りの期間に関わらず、お前さんの存在は、この世から消えてなくなるだろう」
「そうか。でも、人間になりたいなんて思わない。どうしてこんな話をしたんだ? それに、あんたは一体何者だ?」
「私のことは『魔女』とでも呼んでくれたらいいさ。いつか、お前さんが大切な人に出会ったときに、今の話を思い出してくれたらいい」

 魔女はそう言って、こちらに左手を伸ばしてきた。咄嗟に飛びのくと、魔女は静かに手を引っ込める。その薬指で、きらりと何かが煌めいた気がした。

 その後、魔女の姿を見ることはなく、次第に聞いた話のことも忘れていった。人間なんか好きになるはずがない。だから、自分には関係のない話だと思っていた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―

コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー! 愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は? ―――――――― ※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される

水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。 行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。 「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた! 聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。 「君は俺の宝だ」 冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。 これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました

深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

処理中です...