侯爵令嬢ナディア、幽霊を天昇させていただきます

金峯蓮華

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1 前編

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 近頃は雨が全く降らない。そのうえ、北東の地方からやってきた冬特有の乾燥した北寄りの強い風が南の方に降りてきているようだ。

 王都はすっかり干上がり砂が舞い踊っている。火が出なければいいがと思いながらナディアは空を見た。

 王都は火事が多い。火が出ると半鐘の音とともに消防団のファイヤーマン達がわぁっと現れ、さっと消してしまうが、それでもそれなりに被害はある。ファイヤーマン達がいなかった昔は今よりもずっと酷かったと騎士団の団長をしている父親のルーファスはよく言うが、今の火事も酷いのに、それより酷かったという昔の火事に思いを馳せると胸がきゅうと痛くなる。

 火事は嫌だ。

 表が騒がしい。父が戻って来たようだ。ナディアは玄関の方を見た。父の従者のアランが馬車から荷物をおろしている。アランは父より少し年上で、アランの祖父、父、アランと代々ゲイル侯爵家に仕えている。

 父のルーファスとはナディアが生まれるずっと前からの長い付き合いだという。アランはナディアにとっては頼りになる叔父のような存在だった。

 ナディアは刺繍をしていた手を止め、父を出迎えるため玄関に向かった。

「お父様、おかえりなさいませ。お勤めご苦労様です」

「ただいま帰った。変わりはなかったか」

 いつもの出迎えの挨拶である。ナディアの母は大火に巻き込まれ、ナディアが7歳の時に亡くなった。それからは父親とふたりで暮らしている。父は周りから再婚を勧められているが首を縦に振らない。それゆえに家政はナディアが取り仕切っていた。

 夕飯を食べながら、ルーファスはナディアの顔をチラッと見た。

「ナディアは今日も美しいなぁ。本当に自慢の娘だ」

 またか。父がこんな歯の浮いたようなことを言う時はあれを依頼される時だ。ここのところ多すぎる。ナディアは眉を顰めた。

 食事が終わり、ルーファスが茶を飲みながら横目でナディアの顔を見る。

「ナディア、あとで頼みがある」

 きたな。国王陛下から来た話か、それとも噂を聞いて直接来た話だろうか? ナディアは小さくため息をつく。

「また、幽霊ですか?」

「あぁ、頼む」

 ナディアはニ杯目の茶をメイドに注いでもらいながら、父の顔を見た。

「今度はどちらですか?」

「ハーン商会の新しいアパートメントなんだが、そこに出るらしいのだ。しかも大勢で夜中にバタバタ逃げ惑うらしい。ハーンはまだ見たことがないそうだが、幽霊と鉢合わせした住居者が怖がって出ていってしまったのだとかで、なんとかしてほしいと泣きつかれたんだよ」

 どうやら直接頼まれたようだ。

「陛下はご存知なのですか?」

「あぁ、陛下に呼ばれてハーン氏に会うように言われてなぁ。会ってきた」

 ゲイル侯爵家は霊感の強い子供が生まれるため、代々王都に出る幽霊退治の任務を国王陛下の命令で秘密裏に請け負っている。ただ父のルーファスは全く霊感が無い。その上幽霊が怖い。ルーファスの母からナディアに受け継がれ、今はナディアが幽霊退治をしている。

 秘密裏のはずなのに、最近、騎士団長のルーファス・ゲイルは幽霊退治をしてくれるらしいと密かに噂になっているようで、町廻りをしている時に直接声をかけられることもちょくちょくあるらしい。

 その時はしらばっくれて逃げているらしいが、どうしても断れなくて陛下には内緒でこっそり退治に赴く時もある。

 ナディアは退治というより、幽霊に天昇してくれるよう説得をしている。幽霊によっては、無念で出てきている場合もある。幽霊と話すことで犯人が捕らえられなかった事件や亡骸が見つからなかった事件が解決することもあるのだ。

 ナディアは面倒な事にならなければいいがと腕を組み、目を閉じて天を仰いだ。これは何かを考える時の癖だ。さて、どうしたものか。

「今度は大勢で逃げ惑う幽霊ですか。戦で逃げているのかしら、それとも火事かしらね。ハーン商会のアパートメントのあたりは昔は何だったのですか?」

「何だったかな? 前もアパートメントだったんじゃないか? 確か、火事で焼けてからしばらく空地にしていたような気がするが……」

「火事ですか……。それなら火や煙から逃げている幽霊ですね。事件性はないような気がします。皆、亡くなったこともわからず逃げているのかしら」

 ナディアは胸が締め付けられるようだった。ルーファスも眉根を寄せる。

「そうだな。なんだか哀しいな」

「まぁ、とりあえず、夜中にでも現場の長屋に行ってみましょう。お父様も一緒に来てくださいね」

 ナディアの言葉にルーファスの顔色が白くなる。

「い、いや、俺はいい。今日は仕事で疲れた。市中見廻りは大事だからな」

 ルーファスは大きな手を顔の前で振る。

「何を言っているのですか。話を持ち込んできたのはお父様ですよ。市中見廻りはいつものことではありませんか。一緒に行ってもらいますよ。これも騎士団長としての仕事です」
 
 ナディアのドスの効いた声にルーファスは脂汗が落ちてきた。

「仕事と言われてもなぁ~」

 ハンカチで汗を拭きながら次の言い訳を考えている。

 ルーファスは見た目は大柄でいかつい顔をしている。腕っぷしも強く、頼りになると皆から一目置かれているのだが、とにかく幽霊が怖い。できれば幽霊が出るところには行きたくない。

「退治するのは私ではなくナディアだ。私なんかいても仕方ないだろう。私は幽霊など見えやしないしな」

「大丈夫です。見えるようにいたしますわ」

 ナディアの言葉にルーファスは頭を左右に振る。

「幽霊などひとりでも怖いのに、団体だぞ。怖すぎるだろ。私は嫌だ。勘弁してくれ」

 フランシーヌは逃げようとするルーファスの腕をぐっと掴んだ。

「ダメです。幽霊など怖くはありません。騎士のくせに何を言っているのですか!」

「怖いものは怖い。騎士だって怖い!」

 ルーファスは頭を抱えてぶるぶる震えている。

「それならロンメルのおじい様に父は幽霊が怖くて職務を全うしないと告げ口しますよ」

「ま、待て、それはいかん。ロンメルの隠居様はいかん。お前は父を脅すのか?」

 青い顔をしたルーファスはふるふると顔を振り、傍にいた飼い猫のミミを抱き上げた。

「明日の朝、ヒューイが迎えに来る。アランも供をするからあとはよしなに。隠居様に私が幽霊が怖いなどと言ってはダメだぞ。絶対ダメだからな。ミミ、ナディアは幽霊より怖いのぉ~。怖い怖い」

 すっと立ち上がり自分の部屋に逃げ込んだ。

 ロンメルの隠居様とはナディアの亡くなった母の父親で、ナディアの祖父、前ロンメル公爵だ。ルーファスの舅であり、元は上役の騎士であった。今は家督を嫡男に譲り隠居している。娘が惚れ込み、仕方なく格下の侯爵家の嫡男であるルーファスに嫁がせたのだが、おっちょこちょいで血の気の多いルーファスは昔からいつもロンメルの隠居様に叱られている。

 ルーファスはこの舅がことのほか苦手なのだ。幽霊が怖いなどとバレたらまた何を言われるかわからない。ナディアに口止めをしミミと部屋に逃げ込んだわけだ。

 ロンメル公爵家とは屋敷も近い。公爵家の者達はナディアをとても可愛がっており、ナディアもとても懐いている。ルーファスが苦手に思っているのを知っているナディアは、ルーファスが逃げようとするとすぐに「ロンメルのおじい様に告げ口するわ」に言うのだ。

 幽霊が怖いなどとバレるのは恥ずかしいが、幽霊は怖い。もし、ナディアが舅にバラした時はしらばっくれておこう。ルーファスはナディアに黙ってこっそり持って来たバーボンをグラスに注いだ。

「もう幽霊退治はごめんだな」

 ひとりで頷き、ごくりと飲んだ。


 ゲイル侯爵家の朝は早い。鍛錬を終え、ルーファスは朝食を食べている。ナディアはルーファスの顔を見る。

「お父様、必ず同行して下さいませね」

「無理だ」

「無理ではありません」

「嫌だ」

「子供ですか! 駄々をこねないで下さいませ。ご自分で請け負ったのでしょう? もうすぐヒューイ様が来られます」

「お前! 公爵に告げ口してないだろうな?」

「しておりませんが、ヒューイ様も毎回のお役目の時の父上の様子をご覧になっていらっしゃいます。私が告げ口しなくともヒューイ様が仰っているやもしれませんね」

 ニヤリと口角を上げるナディアを見て、ルーファスは冷や汗が吹きでてきた。ヒューイが来る前になんとか逃げなければと席を立とうとしていると玄関から声が聞こえてきた。

ヒューイが来たようだ。アランがルーファスの側に来た。

「旦那様、ヒューイぼっちゃまがお見えになりました」

 ヒューイはナディアの亡くなった母の兄の息子で今は騎士見習いをしていて、幽霊退治の時にはいつも同行している。

 ナディアとは従兄弟で3歳年上。生まれた時からの仲で気心が知れている。

 ヒューイはルーファスより身体が大きく力も強いので、ルーファスが何かやらかした時は祖父や父から出動命令が下るのだ。今日も嫌がるルーファスを無理矢理引きずってでも幽霊退治の現場に参加させろと陛下から使命を帯びてやってきたのである。

「叔父上、往生際が悪いですよ。腹を括って下さい」

「ヒューイ、勘弁してくれ、私は他の仕事が……」

「ダメです。陛下からルーファスと共に参れと命をうけております。それに今日は下見で、幽霊退治はいたしません。とにかく参りましょう。ナディア用意はいいかな?」

「はい。参りましょうか」

 ナディアは買い物にでも行くように軽く返事をすると、いよいよルーファスは顔色は青を通り越して白くなる。

 ナディア、ヒューイ、アラン、そしてへっぴり腰のルーファスの4人で馬車に乗り込み、ハーン商会のアパートメントに向けて出発した。






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