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今日も雨は降らなさそうだ。今朝はよく晴れていて風が強い。
ルーファスは顰めっ面をしたままだ。
「寒いな。やっぱりやめる」
ナディアは可笑しくなり、苦笑いをする。
「何を言っているのですかお父様、騎士でしょう。寒くはありませんよ」
ナディアの言葉にアランとヒューイは苦笑している。ヒューイがナディアの顔を見た。
「ナディアは寒くはないか?」
「はい。ドレスを重ねて着ておりますゆえ大丈夫です。さぁ、参りましょう」
ルーファスはナディアに背中を押され、渋々歩き出した。
ハーン商会のアパートメントには馬車で15分もあれば到着する。まだぶつぶつと文句を言っているルーファスにヒューイが声をかけた。
「そうだ、叔父上、祖父から今回のお役目が済んだら屋敷の方に顔を出せと言付かっております。何か話があるようですよ」
ルーファスはますます気が重くなる。幽霊だけでも嫌なのに、苦手な舅からの呼び出しだ。どうせ、また何か叱られるのだろう。聞こえないふりをしておこうと知らん顔を決め込んだ。
「叔父上、聞こえていますか? 叔父上!」
ナディアはルーファスの態度に小さくため息をつく。
「お父様、ちゃんと返事をなさいませ。そんな子供のようなことをなさらないで下さい」
「旦那様、いい加減にしないとお嬢様から三行半を叩きつけられますよ」
従者のアランにまでたしなめられた。
「わかったよ。行くよ。行けば良いのだろ」
ルーファスはやけくそ気味に返事をした。
我が父はなんと子供っぽいのだろう。母はこの父のどこが良くて結婚したのだろう? 母が父を好きになって結婚したと聞いたが本当なのだろうか? ナディアは首を捻るばかりだった。
ルーファスがごねていたため、ハーン商会のアパートメントには予定よりも少し遅れて到着した。
「閣下、お待ちしておりました」
アパートメントの入り口で、首を長くしているハーンが走り寄ってきた。
「早く入って中の様子を見て下さい」
ルーファスの手を引き、アパートメントの中に引っ張って行く。おたおたしているルーファスに苦笑いしながら三人は後をついていった。
「ナディア、何か見えるか?」
声が少し震えているように思うのは気のせいだろうか。ナディアはルーファスの顔を見てニコリと微笑んだ。
「今は誰も見えませんわ」
「そうか、やっぱり幽霊などおらんのかもしれんな。では、私はこれで」
くるりと向きなおし、アパートメントから外に出ようとしたルーファスをヒューイが止めた。
「叔父上、まだ終わっておりませんよ。ハーンから詳しく話も聞いておりません」
「そ、それは、二人に任せる」
「お父様、お役目ですよ。もうしばらくこの場にいて下さい」
ナディアに睨まれ、ルーファスは大きな身体を小さく丸めた。
ナディアはハーンから、今まで住居者が見た幽霊の様子や、見たと言う時間などを細かく聞く。
「だいたい皆、15時くらいに見たと言うんです。幽霊は夜に出るものだとばかり思っておりましたが、昼下がりにも出るのですね」
確かに幽霊は夜中に出るイメージだ。
「例えば、亡くなった時刻がその頃かもしれません」
ナディアの言葉にヒューイが何か気がついたように「あっ」と声を上げた。
「あの時の大火の時刻がそれくらいではなかったですか? 確か、バイゼル伯爵家から火が出て、この辺りも火に包まれたはず」
ハーンは目を大きく見開く。
「では、この幽霊達はあの火事で亡くなった方々なのでしょうか?」
「そうやもしれませんね。あれからずいぶん経つのに、幽霊達は自分が亡くなっていることに気が付かず、ずっと逃げているのか--」
ヒューイがやるせないような顔をすると、話を聞いていたハーンがゆっくりと口を開く。
「私の娘もあの火事で亡くなりました。もし、娘が幽霊になり、このアパートメントにいるのなら会いたい。閣下、娘は、娘はおりませんか?」
目を潤ませているハーンは、ルーファスの手をぎゅっと握った。ルーファスは困ったような顔をしてナディアを見た。
「ナディア、どうだ?」
「今は誰も。お父様、ハーンさん、幽霊達が現れるという15時まで待ちましょう」
「そうだな。では、我々は一旦戻り、またそれくらいの時刻に来るとしよう」
ルーファスはハーンにそう言うとアパートメントを出た。ナディア達もそれに続く。馬車止めまでの道を歩きながらアランがポツリと呟いた。
「奥様がお亡くなりになった火事だな」
ナディアもルーファスも同じことを考えていた。
ナディアの母、フローラはあの大火で亡くなった。バイゼル伯爵家で出た火が北西の風に煽られ、王都を焼いた火事だ。百人以上が亡くなったと言われている。
あの日はフローラは友達の屋敷で祝い事があり、そちらに出向いていた。火元に近い屋敷だったため、あっという間に火が回り、逃げ遅れてしまったのだ。
その時、ルーファスはフローラの亡骸に縋りつき恥も外聞も気にせず声を上げて泣き叫んだ。ナディアはまだ小さかったが、その時の父の姿は目に焼き付いて忘れられずにいた。
ナディアもルーファスもアランも無言だった。ヒューイもあの時の娘に先立たれた祖父の悲しみや妹の亡骸に涙する父や母、ロンメル公爵家の家族の姿を思い出していた。
王都は火事が多い。陛下が消防団を作り、火は風に乗り遠くまでは広がらなくなったが、被害がなくなったわけではない。もう、叔母のような被害者を出してはならない、もっと見廻りを強化し、ファイヤーマン達と連携をしなくてはとヒューイは強く思っていた。
「では、私は一旦騎士団に戻ります。叔父上はどうされますか?」
「私はナディアを屋敷に送ってから町廻りでもするかな」
「そうですか、ではまた15時くらいに迎えに参ります。叔父上もそれくらいには屋敷でお待ち下さい。アラン頼んだぞ」
アランは「はい」と返事をし頭を下げた。ルーファスは遠い目をしてバイゼル伯爵家の方を見ている。
「あの火事の幽霊なら逃げはしない。ひょっとしたらフローラがいるかもしれんからな」
ルーファスの呟きを聞こえないふりをしたヒューイは「では、後ほど」と言い、騎士団に向かった。
ナディアはルーファスの顔を見た。
「お父様、私は一人で帰れます。お役目に戻っていただいて大丈夫ですよ」
ルーファスは首を左右に振る。
「道中何があるかわからん。侍女のマーサがいたならともかくひとりで帰すのは心配だ」
「大丈夫なのに……」
「さぁ、行くぞ」
ナディアは渋々ルーファスと馬車に乗り込んだ。
屋敷に戻り、ルーファス達が町廻りに出かけたあと、ナディアは祖母から譲り受けたクロスや鈴を祭壇から取り出した。そして祭壇の前に座り、香をたて、鈴を鳴らした。
「お祖母様、今日の幽霊方はお母様と同じ火事で亡くなった方々のようです。無事、天昇して天国に導けるように頑張ります。どうか力をお貸しくださいませ」
心のなかで祖母に話しかけた。
ナディアの霊感体質は祖母譲りだ。代々ゲイル侯爵家の者の中に霊感の強い者が生まれ、ずっと王都に現れる幽霊を天昇させる任務をになっていた。
ルーファスには全く遺伝しなかったのだが、孫のナディアに隔世遺伝した。ナディアは幼い頃から祖母に手ほどきをうけ、一緒に任務に当たっていたが、祖母が亡くなってからはひとりで幽霊と対している。
「私は幽霊を見たり、話したりできるのに、なぜお母様やお祖母様は姿を見せてくれないのかしら。幽霊でいいからお二人に会いたい。お母様、お祖母様、どうかナディアに会いに来て下さい。姿を見せて下さいませ」
ナディアはクロスを握りしめ、祭壇を見つめる。ランチの用意ができたとナディアを呼びに来た侍女のマーサはその姿を見て、涙が溢れてきた。部屋に入り、ナディアにそっと声をかけた。
「お嬢様、ランチにいたしましょうか。お役目前なのでしっかりお腹に入れておかないと幽霊に負けてしまいます。シェフがお嬢様の好きなビーフステーキを焼いてくれました。お嬢様の好きなビーツのパンもありますよ」
マーサはわざとおどけたような言い方をし、ナディアの心をほぐす。ナディアはそんなマーサの気持ちが嬉しかった。
「あらビーフステーキ。お父様が聞いたら悔しがるわね。しっかり食べて頑張らなきゃ」
「そうですよ。それに先程、公爵様の奥様がタルトタタンを届けてくださいました。お嬢様の大好物でしょ。ランチのあとで召し上がってくださいませね」
「伯母様が! うれしいわ。甘いものを食べると元気が出るものね」
ナディアは立ち上がり、部屋を出た。
ルーファス達は15時に屋敷に戻ってきた。ランチは屋台でチーズを挟んだパンを食べたと言う。
「まぁ、私もチーズパンをいただきたかったですわ」
「だめだ、だめだ。今からお役目なのにチーズパンなどでは身体がもたないであろう。マーサ、ランチは何にしたのだ?」
マーサはルーファスの顔を見てニカッと微笑んだ。
「今日はビーフステーキとビーツのパンですわ。お嬢様にはしっかりと精をつけてもらわないといけませんので」
「え~! 肉かよ。それならチーズパンなんかやめて早く戻れば良かった」
ルーファスは肉が大好物だ。悔しがる姿見て、ナディアとマーサは苦笑する。
「私はチーズパンの方が好きですよ。お役目の為にお肉を食べただけですわ。お父様はお役目が終わってから召し上がってくださいませ」
ナディアの言葉に「そうか。では、そうしよう」と顔を緩め、小さな声でルーファスはつぶやいた。
西からの日差しが強くなってきた。そろそろだなと思い、出かける用意をしていると玄関の方からアランの声が聞こえる。ヒューイが迎えに来たようだ。
「お父様、ヒューイ様が来られたようです。そろそろ参りましょうか」
今度ばかりはルーファスも引き締まった顔をしている。幽霊は怖いが亡き妻には会いたい。そんな気持ちなのかもしれないとナディアは思った。
アパートメントの入り口にはハーンとハーン夫人らしき女性がそわそわした様子で待っていた。
「閣下、お待ちしておりました。これは妻です。娘がいるかもしれないと話したら自分も行きたいと言い出しまして……」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「構わないが、娘御がいるとは限らんぞ」
「はい。承知しております」
ハーンの娘が幽霊の中にいて、ハーン夫婦と最後の別れができればいい、そして母もいてくれればどんなにうれしいかとナディアは思った。
一同は幽霊が出るという1階のいちばん奥の部屋に入った。
小さなテーブルの上に屋敷から持ってきたお香立てを置き、お香を立てる。火をつけると白い煙が舞い上がった。ほのかに良い香りもする。ナディアがクロスを手に掛け、鈴を鳴らしながら祈りの歌を歌い始めると部屋の空気が変わったようになった。
ーバタバタバタバタ
大勢が走っている足音のような音がナディアの耳に聞こえてきた。顔を上げるて目の前に逃げ惑う人達がいる。着の身着のままの姿で逃げている者、小さな子供を抱いて走っている若い母親や年配の夫婦、大八車に荷物を積んで引いている男もいる。
皆、煤けた顔で、必死の形相で走っているのだ。こんな幽霊を見たのは始めてだった。
まるで自分も火事の現場にいるようだとナディアは思った。
ルーファスは顰めっ面をしたままだ。
「寒いな。やっぱりやめる」
ナディアは可笑しくなり、苦笑いをする。
「何を言っているのですかお父様、騎士でしょう。寒くはありませんよ」
ナディアの言葉にアランとヒューイは苦笑している。ヒューイがナディアの顔を見た。
「ナディアは寒くはないか?」
「はい。ドレスを重ねて着ておりますゆえ大丈夫です。さぁ、参りましょう」
ルーファスはナディアに背中を押され、渋々歩き出した。
ハーン商会のアパートメントには馬車で15分もあれば到着する。まだぶつぶつと文句を言っているルーファスにヒューイが声をかけた。
「そうだ、叔父上、祖父から今回のお役目が済んだら屋敷の方に顔を出せと言付かっております。何か話があるようですよ」
ルーファスはますます気が重くなる。幽霊だけでも嫌なのに、苦手な舅からの呼び出しだ。どうせ、また何か叱られるのだろう。聞こえないふりをしておこうと知らん顔を決め込んだ。
「叔父上、聞こえていますか? 叔父上!」
ナディアはルーファスの態度に小さくため息をつく。
「お父様、ちゃんと返事をなさいませ。そんな子供のようなことをなさらないで下さい」
「旦那様、いい加減にしないとお嬢様から三行半を叩きつけられますよ」
従者のアランにまでたしなめられた。
「わかったよ。行くよ。行けば良いのだろ」
ルーファスはやけくそ気味に返事をした。
我が父はなんと子供っぽいのだろう。母はこの父のどこが良くて結婚したのだろう? 母が父を好きになって結婚したと聞いたが本当なのだろうか? ナディアは首を捻るばかりだった。
ルーファスがごねていたため、ハーン商会のアパートメントには予定よりも少し遅れて到着した。
「閣下、お待ちしておりました」
アパートメントの入り口で、首を長くしているハーンが走り寄ってきた。
「早く入って中の様子を見て下さい」
ルーファスの手を引き、アパートメントの中に引っ張って行く。おたおたしているルーファスに苦笑いしながら三人は後をついていった。
「ナディア、何か見えるか?」
声が少し震えているように思うのは気のせいだろうか。ナディアはルーファスの顔を見てニコリと微笑んだ。
「今は誰も見えませんわ」
「そうか、やっぱり幽霊などおらんのかもしれんな。では、私はこれで」
くるりと向きなおし、アパートメントから外に出ようとしたルーファスをヒューイが止めた。
「叔父上、まだ終わっておりませんよ。ハーンから詳しく話も聞いておりません」
「そ、それは、二人に任せる」
「お父様、お役目ですよ。もうしばらくこの場にいて下さい」
ナディアに睨まれ、ルーファスは大きな身体を小さく丸めた。
ナディアはハーンから、今まで住居者が見た幽霊の様子や、見たと言う時間などを細かく聞く。
「だいたい皆、15時くらいに見たと言うんです。幽霊は夜に出るものだとばかり思っておりましたが、昼下がりにも出るのですね」
確かに幽霊は夜中に出るイメージだ。
「例えば、亡くなった時刻がその頃かもしれません」
ナディアの言葉にヒューイが何か気がついたように「あっ」と声を上げた。
「あの時の大火の時刻がそれくらいではなかったですか? 確か、バイゼル伯爵家から火が出て、この辺りも火に包まれたはず」
ハーンは目を大きく見開く。
「では、この幽霊達はあの火事で亡くなった方々なのでしょうか?」
「そうやもしれませんね。あれからずいぶん経つのに、幽霊達は自分が亡くなっていることに気が付かず、ずっと逃げているのか--」
ヒューイがやるせないような顔をすると、話を聞いていたハーンがゆっくりと口を開く。
「私の娘もあの火事で亡くなりました。もし、娘が幽霊になり、このアパートメントにいるのなら会いたい。閣下、娘は、娘はおりませんか?」
目を潤ませているハーンは、ルーファスの手をぎゅっと握った。ルーファスは困ったような顔をしてナディアを見た。
「ナディア、どうだ?」
「今は誰も。お父様、ハーンさん、幽霊達が現れるという15時まで待ちましょう」
「そうだな。では、我々は一旦戻り、またそれくらいの時刻に来るとしよう」
ルーファスはハーンにそう言うとアパートメントを出た。ナディア達もそれに続く。馬車止めまでの道を歩きながらアランがポツリと呟いた。
「奥様がお亡くなりになった火事だな」
ナディアもルーファスも同じことを考えていた。
ナディアの母、フローラはあの大火で亡くなった。バイゼル伯爵家で出た火が北西の風に煽られ、王都を焼いた火事だ。百人以上が亡くなったと言われている。
あの日はフローラは友達の屋敷で祝い事があり、そちらに出向いていた。火元に近い屋敷だったため、あっという間に火が回り、逃げ遅れてしまったのだ。
その時、ルーファスはフローラの亡骸に縋りつき恥も外聞も気にせず声を上げて泣き叫んだ。ナディアはまだ小さかったが、その時の父の姿は目に焼き付いて忘れられずにいた。
ナディアもルーファスもアランも無言だった。ヒューイもあの時の娘に先立たれた祖父の悲しみや妹の亡骸に涙する父や母、ロンメル公爵家の家族の姿を思い出していた。
王都は火事が多い。陛下が消防団を作り、火は風に乗り遠くまでは広がらなくなったが、被害がなくなったわけではない。もう、叔母のような被害者を出してはならない、もっと見廻りを強化し、ファイヤーマン達と連携をしなくてはとヒューイは強く思っていた。
「では、私は一旦騎士団に戻ります。叔父上はどうされますか?」
「私はナディアを屋敷に送ってから町廻りでもするかな」
「そうですか、ではまた15時くらいに迎えに参ります。叔父上もそれくらいには屋敷でお待ち下さい。アラン頼んだぞ」
アランは「はい」と返事をし頭を下げた。ルーファスは遠い目をしてバイゼル伯爵家の方を見ている。
「あの火事の幽霊なら逃げはしない。ひょっとしたらフローラがいるかもしれんからな」
ルーファスの呟きを聞こえないふりをしたヒューイは「では、後ほど」と言い、騎士団に向かった。
ナディアはルーファスの顔を見た。
「お父様、私は一人で帰れます。お役目に戻っていただいて大丈夫ですよ」
ルーファスは首を左右に振る。
「道中何があるかわからん。侍女のマーサがいたならともかくひとりで帰すのは心配だ」
「大丈夫なのに……」
「さぁ、行くぞ」
ナディアは渋々ルーファスと馬車に乗り込んだ。
屋敷に戻り、ルーファス達が町廻りに出かけたあと、ナディアは祖母から譲り受けたクロスや鈴を祭壇から取り出した。そして祭壇の前に座り、香をたて、鈴を鳴らした。
「お祖母様、今日の幽霊方はお母様と同じ火事で亡くなった方々のようです。無事、天昇して天国に導けるように頑張ります。どうか力をお貸しくださいませ」
心のなかで祖母に話しかけた。
ナディアの霊感体質は祖母譲りだ。代々ゲイル侯爵家の者の中に霊感の強い者が生まれ、ずっと王都に現れる幽霊を天昇させる任務をになっていた。
ルーファスには全く遺伝しなかったのだが、孫のナディアに隔世遺伝した。ナディアは幼い頃から祖母に手ほどきをうけ、一緒に任務に当たっていたが、祖母が亡くなってからはひとりで幽霊と対している。
「私は幽霊を見たり、話したりできるのに、なぜお母様やお祖母様は姿を見せてくれないのかしら。幽霊でいいからお二人に会いたい。お母様、お祖母様、どうかナディアに会いに来て下さい。姿を見せて下さいませ」
ナディアはクロスを握りしめ、祭壇を見つめる。ランチの用意ができたとナディアを呼びに来た侍女のマーサはその姿を見て、涙が溢れてきた。部屋に入り、ナディアにそっと声をかけた。
「お嬢様、ランチにいたしましょうか。お役目前なのでしっかりお腹に入れておかないと幽霊に負けてしまいます。シェフがお嬢様の好きなビーフステーキを焼いてくれました。お嬢様の好きなビーツのパンもありますよ」
マーサはわざとおどけたような言い方をし、ナディアの心をほぐす。ナディアはそんなマーサの気持ちが嬉しかった。
「あらビーフステーキ。お父様が聞いたら悔しがるわね。しっかり食べて頑張らなきゃ」
「そうですよ。それに先程、公爵様の奥様がタルトタタンを届けてくださいました。お嬢様の大好物でしょ。ランチのあとで召し上がってくださいませね」
「伯母様が! うれしいわ。甘いものを食べると元気が出るものね」
ナディアは立ち上がり、部屋を出た。
ルーファス達は15時に屋敷に戻ってきた。ランチは屋台でチーズを挟んだパンを食べたと言う。
「まぁ、私もチーズパンをいただきたかったですわ」
「だめだ、だめだ。今からお役目なのにチーズパンなどでは身体がもたないであろう。マーサ、ランチは何にしたのだ?」
マーサはルーファスの顔を見てニカッと微笑んだ。
「今日はビーフステーキとビーツのパンですわ。お嬢様にはしっかりと精をつけてもらわないといけませんので」
「え~! 肉かよ。それならチーズパンなんかやめて早く戻れば良かった」
ルーファスは肉が大好物だ。悔しがる姿見て、ナディアとマーサは苦笑する。
「私はチーズパンの方が好きですよ。お役目の為にお肉を食べただけですわ。お父様はお役目が終わってから召し上がってくださいませ」
ナディアの言葉に「そうか。では、そうしよう」と顔を緩め、小さな声でルーファスはつぶやいた。
西からの日差しが強くなってきた。そろそろだなと思い、出かける用意をしていると玄関の方からアランの声が聞こえる。ヒューイが迎えに来たようだ。
「お父様、ヒューイ様が来られたようです。そろそろ参りましょうか」
今度ばかりはルーファスも引き締まった顔をしている。幽霊は怖いが亡き妻には会いたい。そんな気持ちなのかもしれないとナディアは思った。
アパートメントの入り口にはハーンとハーン夫人らしき女性がそわそわした様子で待っていた。
「閣下、お待ちしておりました。これは妻です。娘がいるかもしれないと話したら自分も行きたいと言い出しまして……」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「構わないが、娘御がいるとは限らんぞ」
「はい。承知しております」
ハーンの娘が幽霊の中にいて、ハーン夫婦と最後の別れができればいい、そして母もいてくれればどんなにうれしいかとナディアは思った。
一同は幽霊が出るという1階のいちばん奥の部屋に入った。
小さなテーブルの上に屋敷から持ってきたお香立てを置き、お香を立てる。火をつけると白い煙が舞い上がった。ほのかに良い香りもする。ナディアがクロスを手に掛け、鈴を鳴らしながら祈りの歌を歌い始めると部屋の空気が変わったようになった。
ーバタバタバタバタ
大勢が走っている足音のような音がナディアの耳に聞こえてきた。顔を上げるて目の前に逃げ惑う人達がいる。着の身着のままの姿で逃げている者、小さな子供を抱いて走っている若い母親や年配の夫婦、大八車に荷物を積んで引いている男もいる。
皆、煤けた顔で、必死の形相で走っているのだ。こんな幽霊を見たのは始めてだった。
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