『ひとり、異世界の郵便小屋で』-名前を捨てた村で、心の手紙を届けています-

白井界晶

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第6話「この村では、忘れることが贈り物になる」

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 今日は、風が少し強かった。
 朝の空は澄んでいたのに、昼になる頃には、木々がざわつき始めていた。

 

 ポストには、一通の小さな手紙。
 まるで誰かの“つぶやき”を拾って形にしたような、大人の手には少し小さな封筒。

 

 中には、折り目のついた便箋が一枚。

 

 ――「わすれました」

 

 それだけだった。名前もなく、日付もない。
 ただの、白い文字。だけど、それがこの上なく、重たく感じられた。

 

 忘れるというのは、とても大きな“行為”だ。

 誰かを忘れる。
 なにかを忘れる。
 自分自身を――忘れてしまう。

 

 

「……思い出すほうが、ラクな時もあるけど」
 私は、ポツリと声に出して言ってみた。

 

「忘れることで、前に進めることもあるのかもしれない」

 

 

 そのとき、小屋の扉がノックされた。

 

 現れたのは、見知らぬ中年の男。
 長いコートに、少しボサボサの髪。右目だけ、何かを探しているような眼差し。

 

「……ここ、“郵便小屋”ですか」

 

「はい。ようこそ」

 

「何かを……預けたいんです。でも、名前も、言葉も、どうにも出てこなくて」

 

 彼は、空の封筒を差し出してきた。
 私はそっと、それを受け取った。

 

「ここに預けてくだされば、きっとどこかに届きます。……忘れたい思いも、きっと」

 

 彼は微笑んで、小さく頭を下げた。

 

「そうですか……それなら、安心です。私は、何を忘れたかったのかも、もう忘れてしまっていたので」

 

 言葉が終わると同時に、彼の姿がふっとかすんだ。

 そして――まるで霧が晴れるように、彼はいなくなっていた。

 

 まるで最初からいなかったように。

 

 私はその場にしばらく立ち尽くしていた。
 風が強く、小屋の屋根が、ギシギシと小さく鳴っていた。

 

 ポストの中で、彼の封筒がカサリと揺れる音だけが、現実に残っていた。

 

 

 この村では、「忘れる」こともまた、誰かへの贈り物になる。

 私もいつか、誰かに“忘れられる”日が来るのかもしれない。

 

(つづく)
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