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第二章 毒
七
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翌朝。雪月が二日酔いに効く薬を貰うために天佑の元を訪れると、彼は甕の蓋を開けようと悪戦苦闘していた。甕は片腕で抱えられるほどの大きさしかないのだが、きつく蓋がされているらしく、天佑がいくら蓋を引っ張れども開かない。
「手伝いましょうか」
「酔っぱらいのお前が触るもんではない。これは昔の儂が手に入れた毒が入っている。くそ、儂めこんなに頑丈に蓋しおって」
「毒物なら厳重に蓋をするものなのでは」
「当たり前のことをぬかすな」
雪月の呟きに、天佑は大真面目に怒るのであった。理不尽である。
「しかしその中にはどんな毒が入っているのです」
「これは蠍の毒だ。坊は触るな、手伝わなくて良い」
天佑は一旦蓋を開けるのを諦め、雪月の様子をじっと見つめた。「お前に酒は向いとらんと何度言えば分かるんだ」
昨晩珂雪たちのやりとりを聞いてから、また酒を飲んだのだ。眠くなる程度の量に済ませるつもりだったのに、いつの間にか飲みすぎていた。床に入った記憶もないが、目が醒めたときには褥の上で寝ころんでいて、床には空になった酒の容器がいくつも散らかっていた。起き上がろうとすればひどい頭痛がして、仕方なく天佑の元を訪れたというわけだ。彼はあれほど酒はほどほどにしておけと言っただろう、と怒りはしたが、雪月の体調をよく確かめてから薬を調合してくれた。
「お前の父さんは飲みすぎてないか」
「いえ、もう起きて出かけたそうです。大丈夫かと」
「酒豪は違うな。で、何があればそんなに飲むんだ」
天佑は再び蓋を開けるべく甕に向き合っている。部屋の隅に雪月は座り、彼の後姿を眺めていた。子どもの頃から、何かに向き合っている彼の背中ばかり見ている気がする。
「姉様を嫁に欲しいという者がいるのですが」
「聞き飽きた話だな」
「それが朱家なのです」
「うむ、厄介だな」
すぽん、と音がして、甕の蓋が開いた。天佑はすぐに中身の検分を始める。
「儂を都から追い出したのは朱家の輩だ。あれを敵に回したら最後は取り潰されるぞ」
「もう敵に回してしまいました」
彼が勢いよく振り返る。普段はふてぶてしいほど堂々としている彼が狼狽えて、「平気か」と尋ねてくる。
「今のところは。父と策を練ります」
「違う、そうじゃない。お前がだ」
「私はこの家を守れれば。昨日酷い目に遭ったのは私でなくて姉様です」
「朱家に女絡みの話でろくなもんはない。阿片漬けにして女を壊すのを快楽とするのが奴等だ」
「それは初めて知りました」
「儂しか知らん話だ。口外はするなよ、下手をすれば殺されるぞ」
天佑は苦い顔をしながら、都にいた頃の出来事を話してくれた。都に住む貴族を相手取って医療を施すのが当時の彼の生活だった。得た金を解毒の研究に費やしながら日々を過ごしていたとき、朱家から声をかけられたという。
「当時の領主が肺の病にかかってなあ。それで一時期出入りしていたのさ」
彼はこの土地に流れ着くまでの出来事を話すのを、常に嫌がっていた。幼い雪月がねだれども、都は雲の上にあるんだ、なんて子供だましの嘘をつく人だった。だから彼の言葉を聞き逃してはいけないと、雪月はその話に耳を傾けた。
「朱家はひどいもんだったさ。女を替えがきく道具だと思ってやがる」
香月を渡すな。彼はそう結んで、昔話を終えた。そうして毒物の検分に戻った。
「話は変わるが、儂の命はそう長くはない」
彼が最近慌ててかつて取り上げられた毒を集めているのは、責任を持って管理をしてくれる人に預けたいと考えているかららしかった。集めた毒が誰かに悪用されているかもしれないと思うと死んでも死にきれないのだ、と彼はようやく笑った。
「儂はお前に預けたいと思っている。保管の方法は書き記しておく」
「ですが、しかし」
「お前の父さんよりお前の方が先が長い。なら坊に預けるのが良いだろう」
「私が悪用するとは、思わないのですか」
雪月の問いに、彼は目を瞬かせる。ほんの一瞬、目が伏せられたような気がしたが、彼らしからぬ動作の指し示す意味は、曖昧にすら掴めなかった。
「儂は坊を信用している。お前なら間違った使い方をしない。そうだろう」
やがて彼はいつものふてぶてしい態度に戻って、雪月にいくつもの毒の保管場所を教えてくれた。この毒は飲まなければ平気だ、これは触るだけで身体がおかしくなる。そんな彼の話を聞いている最中、これがあれば朱家を殺せるのではないかと考えてしまう。
彼の話が本当であれば、朱家は雪月が知るよりもずっとろくでもない輩だということになる。朱家がどんな手を使ってこようとも、香月を渡すわけにはいかない。彼女のためにも、自分のためにも、香月を守らなければならないのだ。この毒があれば、それが簡単になる。天佑が向けてくれた信頼を裏切ることになるが、大切なものは明らかだった。
雪月の様子がおかしいことに天佑が気が付いていなさそうなのが、せめてもの救いだった。
その日。朱家から香月を差し出せという趣旨の文言が書き連ねてある書簡が届いた。逆らえば楊家を取り潰してやるという脅しが書かれているものだった。
雪月の心は決まっていた。酒を扱う商人を金で買い、天佑の屋敷から盗んだ毒を混ぜた酒を朱家に贈りつけたのだ。数日しないうちに朱家の要人が皆死んだことと、香月との婚約を白紙に戻すという知らせが届いて、楊家の屋敷も静かになった。
「手伝いましょうか」
「酔っぱらいのお前が触るもんではない。これは昔の儂が手に入れた毒が入っている。くそ、儂めこんなに頑丈に蓋しおって」
「毒物なら厳重に蓋をするものなのでは」
「当たり前のことをぬかすな」
雪月の呟きに、天佑は大真面目に怒るのであった。理不尽である。
「しかしその中にはどんな毒が入っているのです」
「これは蠍の毒だ。坊は触るな、手伝わなくて良い」
天佑は一旦蓋を開けるのを諦め、雪月の様子をじっと見つめた。「お前に酒は向いとらんと何度言えば分かるんだ」
昨晩珂雪たちのやりとりを聞いてから、また酒を飲んだのだ。眠くなる程度の量に済ませるつもりだったのに、いつの間にか飲みすぎていた。床に入った記憶もないが、目が醒めたときには褥の上で寝ころんでいて、床には空になった酒の容器がいくつも散らかっていた。起き上がろうとすればひどい頭痛がして、仕方なく天佑の元を訪れたというわけだ。彼はあれほど酒はほどほどにしておけと言っただろう、と怒りはしたが、雪月の体調をよく確かめてから薬を調合してくれた。
「お前の父さんは飲みすぎてないか」
「いえ、もう起きて出かけたそうです。大丈夫かと」
「酒豪は違うな。で、何があればそんなに飲むんだ」
天佑は再び蓋を開けるべく甕に向き合っている。部屋の隅に雪月は座り、彼の後姿を眺めていた。子どもの頃から、何かに向き合っている彼の背中ばかり見ている気がする。
「姉様を嫁に欲しいという者がいるのですが」
「聞き飽きた話だな」
「それが朱家なのです」
「うむ、厄介だな」
すぽん、と音がして、甕の蓋が開いた。天佑はすぐに中身の検分を始める。
「儂を都から追い出したのは朱家の輩だ。あれを敵に回したら最後は取り潰されるぞ」
「もう敵に回してしまいました」
彼が勢いよく振り返る。普段はふてぶてしいほど堂々としている彼が狼狽えて、「平気か」と尋ねてくる。
「今のところは。父と策を練ります」
「違う、そうじゃない。お前がだ」
「私はこの家を守れれば。昨日酷い目に遭ったのは私でなくて姉様です」
「朱家に女絡みの話でろくなもんはない。阿片漬けにして女を壊すのを快楽とするのが奴等だ」
「それは初めて知りました」
「儂しか知らん話だ。口外はするなよ、下手をすれば殺されるぞ」
天佑は苦い顔をしながら、都にいた頃の出来事を話してくれた。都に住む貴族を相手取って医療を施すのが当時の彼の生活だった。得た金を解毒の研究に費やしながら日々を過ごしていたとき、朱家から声をかけられたという。
「当時の領主が肺の病にかかってなあ。それで一時期出入りしていたのさ」
彼はこの土地に流れ着くまでの出来事を話すのを、常に嫌がっていた。幼い雪月がねだれども、都は雲の上にあるんだ、なんて子供だましの嘘をつく人だった。だから彼の言葉を聞き逃してはいけないと、雪月はその話に耳を傾けた。
「朱家はひどいもんだったさ。女を替えがきく道具だと思ってやがる」
香月を渡すな。彼はそう結んで、昔話を終えた。そうして毒物の検分に戻った。
「話は変わるが、儂の命はそう長くはない」
彼が最近慌ててかつて取り上げられた毒を集めているのは、責任を持って管理をしてくれる人に預けたいと考えているかららしかった。集めた毒が誰かに悪用されているかもしれないと思うと死んでも死にきれないのだ、と彼はようやく笑った。
「儂はお前に預けたいと思っている。保管の方法は書き記しておく」
「ですが、しかし」
「お前の父さんよりお前の方が先が長い。なら坊に預けるのが良いだろう」
「私が悪用するとは、思わないのですか」
雪月の問いに、彼は目を瞬かせる。ほんの一瞬、目が伏せられたような気がしたが、彼らしからぬ動作の指し示す意味は、曖昧にすら掴めなかった。
「儂は坊を信用している。お前なら間違った使い方をしない。そうだろう」
やがて彼はいつものふてぶてしい態度に戻って、雪月にいくつもの毒の保管場所を教えてくれた。この毒は飲まなければ平気だ、これは触るだけで身体がおかしくなる。そんな彼の話を聞いている最中、これがあれば朱家を殺せるのではないかと考えてしまう。
彼の話が本当であれば、朱家は雪月が知るよりもずっとろくでもない輩だということになる。朱家がどんな手を使ってこようとも、香月を渡すわけにはいかない。彼女のためにも、自分のためにも、香月を守らなければならないのだ。この毒があれば、それが簡単になる。天佑が向けてくれた信頼を裏切ることになるが、大切なものは明らかだった。
雪月の様子がおかしいことに天佑が気が付いていなさそうなのが、せめてもの救いだった。
その日。朱家から香月を差し出せという趣旨の文言が書き連ねてある書簡が届いた。逆らえば楊家を取り潰してやるという脅しが書かれているものだった。
雪月の心は決まっていた。酒を扱う商人を金で買い、天佑の屋敷から盗んだ毒を混ぜた酒を朱家に贈りつけたのだ。数日しないうちに朱家の要人が皆死んだことと、香月との婚約を白紙に戻すという知らせが届いて、楊家の屋敷も静かになった。
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