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第一章
5 学園
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フィオナが思うより、自分たちの家は裕福だ。彼女はこの家をそこそこの身分としか認識していないようだが、実際は違う。
いや、身分の認識はあっている。このアイオライト家が伯爵であるのは長い間変わっていない。ただ、伯爵のくせに流れる金の量がおかしいという話だ。
まず、父も母も王族の側近だ。これは彼等が自らの親たちから受け継いだものではなく、富への執心からもぎ取ってきたものだ。他者を蹴落とし、汚い金を使いと、ろくでもない過程を踏んでのし上った。そしてその地位を維持し、あわよくばより上に昇るために、彼等は多額の金を落とし、賄賂を受け取り、悪事に手を染める。
もともとこの一族は純粋潔癖を評価されるような家だったと聞いている。どこで狂ったのかは一目瞭然だが、セシルはそんな自分の一族を恥と思ったことはなかった。
いずれ父の立場は自分に引き継がれる。多額の金が自分の手元に入ってくるのは確実だ。そうなればフィオナにより多くのものを与えることができるし、上手に立ち回れば自由にしてやることもできる。自分の望みを叶える手段が目の前に転がっているのだ。決して褒められた方法ではないが、それを手離してもいいと思うほど、自分は美しい生き方をしていない。
他者を蹴落とすのを厭わない両親から生まれ、その血を濃く継いだ。目的のためなら人を殺める。もう何度も殺めた。今更綺麗に取り繕おうなんて思いはしない。ただ、フィオナの前でだけは、優しくにこやかな人でいたいと思う。この家の汚い話も、彼女は知らない。フィオナの周りだけは、美しく優しい世界が広がっていてほしいのだ。その世界を守ることは、彼女に生かされている自分にできる、数少ない返礼なのだと思う。
学園の生活も、父から頼まれる「仕事」も面白いことなんかない。だけどその両方をこなし、今だって生真面目に教室の机に座っているのは、フィオナに優秀だと思われたいが故だ。
「セシルは夏休み、どう過ごすの?」
フィオナ以外の人間のほとんどはどうでもいい。だから学友には大した興味もないけれど、フィオナには「学友と楽しく過ごしている弟の話」を聞かせてあげたい。年頃の子どもがどこでどのようにして遊ぶのかを教えたい。だからクラスメイトに好かれるように愛想良く振る舞い、「年頃の子どもらしい付き合い」をする。
「課題をさっさと終わらせて、あとは鍛錬かな。レイは?」
「ん、さすがセシル。僕はまず遊ぶかな」
遊びに出かける学友はこの学園には何人かいる。この学園には貴族しかいないため、皆それなりの身分だったり金持ちだったりするのだが、目の前で微笑んでいる彼は特別だ。
「王子様なんだからもっと見本になりそうなことしなよ」
「終わればいいんだよ、課題なんて」
レイが笑って、その目が細くなった。王家の証の、緑と金のオッドアイが隠される。
普通、一国の王子相手にこんな軽口は叩けないだろう。勿論元からこのような関係だったわけではなく、セシルも最初のうちは恭しく接していた。しかしそれを嫌がったのはレイだ。きっかけはセシルの両親が彼の家に仕えているおかげで親近感が湧いたことだろうが、軽口まで許されているのは気が合ったが故である。彼はセシルが内側に入れる数少ない人間の一人だ。
「そうだ、僕の家の別荘で泊って遊ぼうよ。皆でさ」
「何だっけ、湖のすぐ近くって言ってた」
「そう、それのこと」
「あんた、王子様なのに危機感ないよな」
「だって僕強いから。自分のことも皆のことも守れるよ」
一見すると自信家としか思えない台詞だが、実際彼にはその実力が伴っている。実技試験でどうしてもセシルが勝てない相手の一人が彼だ。反論はできない。
「あとセシルが来てくれたら百人力」
「そうやってにこにこしてるから、レイは女子受けがいいんだよな」
「セシルも女子受け良いよ?」
「知らないよ」
とにかく別荘での泊りには来てくれるよね、と彼に念押しされてセシルは頷いた。決して乗り気というわけではないが、嫌々参加するわけではない。
友人と泊りにいくなんて言ったら、フィオナはきっと顔を歪ませる。羨ましいという表情を浮かべて、それを隠すように「いってらっしゃい」なんて言うのが想像がついて、レイに見つからないように唾を飲んだ。そんな可愛らしい様子、見ないなんて損だ。
フィオナは可愛い。可愛いなんて言葉では足りない。美しくて愛らしくて、いつもいつもその全てを喰らいたくなるような衝動に襲われる。
月光を溶かし込んだ金髪に、夜空の色を一滴混ぜ込んだ菫色の瞳。セシルと似ているようで、ずっと柔らかい顔出ち。痩せた身体は抱きしめると折れそうなほどに細いけれど、触れた場所は溶けそうなほどに柔らかい。ただ、セシルから笑いかけることは何度もあっても、彼女から笑いかけてくれることはない。セシルが微笑み、彼女が喜ぶような言葉を紡げども、彼女の瞳に浮かぶものは困惑からくる何かだ。そういう時彼女は、元から明るいとは言えない表情を曇らせ、そっと目を伏せる。そしてセシルから静かに目を逸らし、小さく小さく息を吐くのだ。
セシルは自由の身の上であることをフィオナが恨めしく思っているのには、とっくに気が付いている。憎しみや苛立ちを覚えているのだって知っている。フィオナが劣等感にまみれて生きているのも、そうだ。こんな彼女の様子を可愛いと感じるのはおかしいのだろうけれど、彼女のそういった感情に触れていると、「愛されている」と錯覚できるのだ。
もっと、可愛い表情をさせたい。愛されていると思わせてほしい。だから貪欲に、「学園生活が充実している弟」の皮を被る。
「楽しみだね。夏休み」
「うん。その前に試験乗り切らないとね」
「セシルは成績良いから心配ないね」
「あんたもな」
あと一週間もすれば座学の試験が始まって、成績の返却まで終われば夏休みだ。休暇の間は適度に遊んで、課題をやりながらフィオナに勉強を教えたい。それから薬草作りに励んで、あとは二人でだらだらと過ごすのが理想だ。
これからしばらくの空想に想いを馳せていたその日。クラスに転校生がやってきた。
いや、身分の認識はあっている。このアイオライト家が伯爵であるのは長い間変わっていない。ただ、伯爵のくせに流れる金の量がおかしいという話だ。
まず、父も母も王族の側近だ。これは彼等が自らの親たちから受け継いだものではなく、富への執心からもぎ取ってきたものだ。他者を蹴落とし、汚い金を使いと、ろくでもない過程を踏んでのし上った。そしてその地位を維持し、あわよくばより上に昇るために、彼等は多額の金を落とし、賄賂を受け取り、悪事に手を染める。
もともとこの一族は純粋潔癖を評価されるような家だったと聞いている。どこで狂ったのかは一目瞭然だが、セシルはそんな自分の一族を恥と思ったことはなかった。
いずれ父の立場は自分に引き継がれる。多額の金が自分の手元に入ってくるのは確実だ。そうなればフィオナにより多くのものを与えることができるし、上手に立ち回れば自由にしてやることもできる。自分の望みを叶える手段が目の前に転がっているのだ。決して褒められた方法ではないが、それを手離してもいいと思うほど、自分は美しい生き方をしていない。
他者を蹴落とすのを厭わない両親から生まれ、その血を濃く継いだ。目的のためなら人を殺める。もう何度も殺めた。今更綺麗に取り繕おうなんて思いはしない。ただ、フィオナの前でだけは、優しくにこやかな人でいたいと思う。この家の汚い話も、彼女は知らない。フィオナの周りだけは、美しく優しい世界が広がっていてほしいのだ。その世界を守ることは、彼女に生かされている自分にできる、数少ない返礼なのだと思う。
学園の生活も、父から頼まれる「仕事」も面白いことなんかない。だけどその両方をこなし、今だって生真面目に教室の机に座っているのは、フィオナに優秀だと思われたいが故だ。
「セシルは夏休み、どう過ごすの?」
フィオナ以外の人間のほとんどはどうでもいい。だから学友には大した興味もないけれど、フィオナには「学友と楽しく過ごしている弟の話」を聞かせてあげたい。年頃の子どもがどこでどのようにして遊ぶのかを教えたい。だからクラスメイトに好かれるように愛想良く振る舞い、「年頃の子どもらしい付き合い」をする。
「課題をさっさと終わらせて、あとは鍛錬かな。レイは?」
「ん、さすがセシル。僕はまず遊ぶかな」
遊びに出かける学友はこの学園には何人かいる。この学園には貴族しかいないため、皆それなりの身分だったり金持ちだったりするのだが、目の前で微笑んでいる彼は特別だ。
「王子様なんだからもっと見本になりそうなことしなよ」
「終わればいいんだよ、課題なんて」
レイが笑って、その目が細くなった。王家の証の、緑と金のオッドアイが隠される。
普通、一国の王子相手にこんな軽口は叩けないだろう。勿論元からこのような関係だったわけではなく、セシルも最初のうちは恭しく接していた。しかしそれを嫌がったのはレイだ。きっかけはセシルの両親が彼の家に仕えているおかげで親近感が湧いたことだろうが、軽口まで許されているのは気が合ったが故である。彼はセシルが内側に入れる数少ない人間の一人だ。
「そうだ、僕の家の別荘で泊って遊ぼうよ。皆でさ」
「何だっけ、湖のすぐ近くって言ってた」
「そう、それのこと」
「あんた、王子様なのに危機感ないよな」
「だって僕強いから。自分のことも皆のことも守れるよ」
一見すると自信家としか思えない台詞だが、実際彼にはその実力が伴っている。実技試験でどうしてもセシルが勝てない相手の一人が彼だ。反論はできない。
「あとセシルが来てくれたら百人力」
「そうやってにこにこしてるから、レイは女子受けがいいんだよな」
「セシルも女子受け良いよ?」
「知らないよ」
とにかく別荘での泊りには来てくれるよね、と彼に念押しされてセシルは頷いた。決して乗り気というわけではないが、嫌々参加するわけではない。
友人と泊りにいくなんて言ったら、フィオナはきっと顔を歪ませる。羨ましいという表情を浮かべて、それを隠すように「いってらっしゃい」なんて言うのが想像がついて、レイに見つからないように唾を飲んだ。そんな可愛らしい様子、見ないなんて損だ。
フィオナは可愛い。可愛いなんて言葉では足りない。美しくて愛らしくて、いつもいつもその全てを喰らいたくなるような衝動に襲われる。
月光を溶かし込んだ金髪に、夜空の色を一滴混ぜ込んだ菫色の瞳。セシルと似ているようで、ずっと柔らかい顔出ち。痩せた身体は抱きしめると折れそうなほどに細いけれど、触れた場所は溶けそうなほどに柔らかい。ただ、セシルから笑いかけることは何度もあっても、彼女から笑いかけてくれることはない。セシルが微笑み、彼女が喜ぶような言葉を紡げども、彼女の瞳に浮かぶものは困惑からくる何かだ。そういう時彼女は、元から明るいとは言えない表情を曇らせ、そっと目を伏せる。そしてセシルから静かに目を逸らし、小さく小さく息を吐くのだ。
セシルは自由の身の上であることをフィオナが恨めしく思っているのには、とっくに気が付いている。憎しみや苛立ちを覚えているのだって知っている。フィオナが劣等感にまみれて生きているのも、そうだ。こんな彼女の様子を可愛いと感じるのはおかしいのだろうけれど、彼女のそういった感情に触れていると、「愛されている」と錯覚できるのだ。
もっと、可愛い表情をさせたい。愛されていると思わせてほしい。だから貪欲に、「学園生活が充実している弟」の皮を被る。
「楽しみだね。夏休み」
「うん。その前に試験乗り切らないとね」
「セシルは成績良いから心配ないね」
「あんたもな」
あと一週間もすれば座学の試験が始まって、成績の返却まで終われば夏休みだ。休暇の間は適度に遊んで、課題をやりながらフィオナに勉強を教えたい。それから薬草作りに励んで、あとは二人でだらだらと過ごすのが理想だ。
これからしばらくの空想に想いを馳せていたその日。クラスに転校生がやってきた。
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