並行世界弾丸新婚旅行 -Endless Honeymoon-

ガエイ

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閑話 はたらく黒江ちゃん

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「うーん、全然ダメだな」

 私、北山黒江きたやまくろえにとって職場というものは辛い場所という印象しかなかった。

 資料を作るのも下手だし、人に説明するのも下手だし、私は何が得意なんだろ……。

「やっぱり、その資料ダメでしたか……」

 今日もまた土曜日だというのに朝から休日出勤をして、既に午後四時を過ぎている。

 オフィスの中には斜向はすむかいの席にいる係長の葛谷くずやさんと私の二人しかいない。

「ん? あぁ、違う違う、競馬の話。今日の分を最終レースで取り返そうと思ったけどダメだった」

「あぁ……。そういうことでしたか……」

 葛谷係長の耳を見ると、右耳にイヤホンをつけていることに今気がついた。

 あと、あまり顔を見て話せないから気が付かなかったけど、今日の葛谷係長は休日出勤だからか無精髭ぶしょうひげだった。

「まぁ、明日の菊花賞きっかしょうで取り返すかなぁ……」

 葛谷係長がボールペンで頭をきながら見ていたのは、私の資料ではなくて競馬新聞だった。私の資料は見てくれたのだろうか……。

「あの……。資料って……」

「ん? あぁ、見とく見とく。後でな」

「はぁ……」

 思わず溜め息をついてしまい、目線も気分も下がってしまっていた。

 俯いていてはダメだと少しだけ気合を入れ直して再び顔を上げると、葛谷係長がタバコをくわえて火をける瞬間だった。

「だ! だめですよ!! ここ禁煙ですよ!?」

「誰もいないからいいじゃねぇか」

「デ、デスクのうえ! 紙の資料ばっかりじゃないですか! 万が一燃えたりしたら、い、一大事ですよ!!」

「うるせぇなぁ、わかったよ。真面目だな、お前」

 葛谷係長のデスクは私が所属する営業部の中で最も書類が積まれていて、いつ雪崩が起こるのかヒヤヒヤしている……。

 時々そのデスクの中からやり残していた仕事が発掘されたりもするし。

 あそこに火が点いたら始末書どころの騒ぎではないだろう……。

「北山ぁ、お前この資料の内容大体覚えたか?」

 一瞬だけ目を離した隙に、火の点いていないタバコを咥えたまま葛谷係長が私の作った資料に目を通していた。

「えっと、一応作った本人ですし、内容は覚えてます。上手く説明できるかどうかは……自信ないですけど……」

「じゃあ、月曜までに自信つけておけ」

 そういうと資料をデスクに放り投げて再び競馬新聞を開き始めた。

 葛谷係長に資料を見てもらうまでの間、気まずかったから自分用の補足資料まで完成してしまった。

「あ、あの、係長……。資料の出来はどう……でしょう?」

 しつこいとは思うけど、改めて資料の出来を尋ねてみた。

 こういう時、どれくらい間をおいて聞けばいいのかわからない。

 しばらくの沈黙が流れた後に、葛谷係長の口が開いた。

「北山ぁ、お前下の名前ってなんだっけ?」

「えっと、黒江ですけど……」

「北山黒江か……。菊花賞の六番人気がキタサンブラック……。母父が短距離のサクラバクシンオーだがセントライト記念が一着で長距離適性もありそうだし、うーん、有りだな」

「競馬の話ですか……?」

「喜べ、お前の名前に似た将来有望な馬がいるぞ。日曜はこいつを軸に買うからハズれたらお前のせいな、金払えよ。代わりに当たったら缶コーヒーでもおごってやるよ」

 葛谷係長が物凄く真剣な顔つきで競馬新聞と職場のパソコンを交互に睨んでいる。

 パソコンで何を見ているのかはわからないけど、私が想像しているサイトなら業務に関係ないはずだから、本来ならセキュリティでブロックされているはずなんだけど。

 そういえば、葛谷係長は営業部に来る前はセキュリティ管理している総務部にいたから……。いや、まさか……。

 ……で、結局資料はどうなんだろうか。

「ん? まだ何かあるか? お前があとできるのは自信つけるくらいなんだから、さっさと帰れよ。俺は競馬で負けた分だけ仕事したふりしてからタイムカード切って帰るからよ」

 資料の出来がわからないのにどうやって自信をつければいいんだろうか……。


◇ ◇ ◇


 気が重く、自信をあまり持てないまま月曜日が来てしまった。

 会社へ向かう足取りも必然的に重くなってしまう。

「北山ぁ! この前の資料の件、この後すぐ課長にレクして、オッケーが出たらすぐにでもクライアントのところに向かうからな!」

 出社してすぐに葛谷係長の大声が聞こえてきた。

「は、はい!」

「ほれ、資料も少しだけ手直ししておいてやったから確認しておけ」

 投げるように渡された資料は、確かに私が作ったものに間違いなかったけど、所々の言い回しが変わっていたり、文章で長々と説明していた部分が表やグラフで視覚的にわかりやすく変更されたりしていた。

 文章の体裁も半角全角、漢数字とアラビア数字、書き出しの位置や改行位置まで、全て気持ち悪いくらい揃っている。

 しかし、大幅な変更は殆どなく、全て私が作った資料を単純でわかりやすく、そして美しくした資料だった。

「か、係長! これって!」

「ザッと目を通したらすぐレクいくぞ、いいか」

「は、はい!」

◇ ◇ ◇

 デスクに座る課長に対して、私と葛谷係長が正面に立って資料に目を通すのを待っている。

 もう何度も経験しているけど、上司に資料を見てもらうというのはいつも緊張してしまう。

「うむ……。資料としての出来はまぁまぁだな。葛谷、ここの部分はエビデンス取れてるのか?」

 課長が資料を一通り目を通し、輸入に関する部分で引っかかりがあったようだった。

 この資料の中でも一番作るのに頭を抱えた箇所だったのだけど、今日貰った資料では葛谷係長が何故か全部消してしまっていた。

「ん? どこです?」

「ここだよ、ここ、輸入の部分。資料で全体の説明はついてるが、これではまだ説明不足だ」

 課長は私に目もくれず、葛谷係長の目を見て説明を求めていた。

「おい、北山。お前が作った資料だろ、俺はわからん。お前が説明しろ」

「えっ!? はい! えっと、輸入に対して商品加工後のおろしの利益割合についてですが――」

◇ ◇ ◇

「――という感じです」

「うむ。なるほど、そういうことか。確かに文字に落とすより、口頭で聞いた方がわかりやすいか。先方もこちらの業界の知識には馴染みがないだろうしな」

 資料を作った私だったから説明はできたけど、文章としては上手く作れなかった部分だった。

 専門用語の解説だけでページの三十パーセント近く取られてしまっていたため、実際に説明してわかった事だけど、いっそ全て削って口頭で説明するというのは非常に効率的な方法だった。

 実際には資料を見てもらうだけではなく、資料を見ながら説明するのだからそういうアプローチの仕方も当然ありだろう。

「まぁ、これなら及第点か。この資料で構わん、クライアントに説明してこい。ただ、説明は北山がしろ。まったく……葛谷は係長としてもっとしっかりしろ」

「へへへ、すいやせん」

 葛谷係長が頭を掻きながらヘラヘラと笑っている。

「ま、ぱぱっと行ってきますわ。行くぞ、北山ぁ」

「は、はい!」

「あ、そうだ。その前に食堂に寄るぞ」

「え?」

「缶コーヒーおごってやるよ」
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