されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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結章

結章 第四部 第七節

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「うっす。ただいま」

 言うべき言葉は―――

 無いと、そう思えていたのだが。まるでくっちゃべる駄賃だとでも言いたげに、肩の上にかざした右の五指をひらつかせながら歩み寄ってくる、見慣れたすっとぼけ面に、シゾーは……これもまた、うめくしかなくなった。ゆるりと床から立ち上がりつつ、ぶすっと目をらす。さすがにその前に、片手の親指で目頭と小鼻の水分は払っておいた。

「……おかえりなさい」

「あっちは済んだぜ。シゾーは?」

 正面。手前でたたずむなり、立て続けにいてくる。

 こちらはと言うと、常ながらの飄々ひょうひょうさでしゃあしゃあとまくし立てられるほど、事態が馬鹿らしく思えてきていた―――それこそ、馬だ鹿だとぎゃあぎゃあ騒ぎ立てることそのものが馬鹿騒ぎだと切って捨てることが出来る程度に、至極当然に。シゾーは、あけすけにねた調子で舌打ちした。そして、ぐったりと石の台座によしかかったままうずくまっているイヅェンを横目に、鼻を鳴らす。

「半分あんたの弟とはいえ、別にこんな奴、別れの挨拶あいさつをする仲でもないし」

「ンだよ。ませ犬みてぇな足留め役、泣くほど嫌だったのか? それか、どっか痛いのか?」

「そうじゃないし。どれにだって泣いてない」

「はあ? 手遅れにしたって、俺に張れた意地かよ。シゾーの分際でナマ抜かすな」

「違うったら違う。けど。もういい。それでいいから。だからとにかく、ずらかろう」

「待て」

 と。示していた右手を、制止のモーションでこちらへ突き出して、

「俺の挨拶が済んじゃいない」

 ついで、そのままその手をこちらに伸ばすと、てのひらを上向かせ、くいくいと二本指の先を曲げてみせた。完全にカツアゲする構図で―――やはり、カツアゲに相応ふさわしい物言いをくれてくる。

「ナイフの一本くれぇあんだろ」

「あるけど」

「貸せ」

 言われるまま、胸ポケットから取り出した懐剣かいけんを手渡す。

 となると、旗司誓きしせいらしい鑑定眼のまにまに顔をしかめ、つかのグリップ感覚から宝飾の無駄具合までもれなくケチをつけようとした―――少なくとも、そういうくらい目付きをけむたそうにした、そのタイミングだった。

姉君あねぎみ、御無事で―――お戻りに……なられたのですね」

 見下ろすと、イヅェンが薄目を開けている。目蓋まぶたで眼界がさえぎられているせいか、朦朧もうろうとしているからなのかは判然としないが、異母姉いぼししか視認していないようだ。当の彼女が、目前―――大股おおまたを開いて投げ出していた両足の間に屈み込んできたのを目で追うと、晏如あんじょの息をいて、項垂うなだれる。矢先、

「ああ。もう行くけどな」

 なく言われ、イヅェンがその吐息をんだのが分かった。

 一層に蒼然となった輪郭りんかくを、上向うわむかせて―――まるで膝行しっこうする騎士のように片膝をついた彼女の顔つきがまったく揺らいでいないことに、なおショックを受けたように目鼻を引き攣らせる。

 彼女にとっては、それこそどうということもないことなのだろうが―――そのようにイヅェンが言葉を失くしたすきに、あっけらかんと提案してみせた。

「お前も、そうしたらどうだ? いっそのこと」

「―――え?」

「とっくに母親はいない。もう父親もいない。キルルがいる。だったら、お前だって出て行けるだろ」

 阿呆あほうのように自失していたイヅェンが、目を見開いた。そしてみるみる眼球の輻輳ふくそうを増やすと、あとずさりするように背後の石壁へ肩をそびやかして、太腿だいたいを胴まで引き付け―――いやいやと、首を左右に振りさえする。ぞっとする死出の旅路の予感までぶり返したように、己のチョーカーへと両手の指を掛けて……そこを守るとも絞めるとも取れる手つきで、でさすった。

「出て行っていいんだぞ?」

 真っ向から、問いかけが続く。

 その間も、腰裏へと下げた右手に懐剣を遊ばせているのが気がかりだったが、それこそシゾーのことなど知ったことではなく、幼馴染おさななじみはペンのようにくるりとそれを回しがてら掌底しょうてい側にさやの方を持ち替えるなり、親指の腹をつか螺鈿らでんに押し付けて抜剣した。器用なことにてのひらの中で、柄は拇指ぼし示指ししで保持したまま、鞘は小指と薬指に挟んで固定してみせる。

 そうしながら、もう一度、尋ねた。

「どうして?」

「外は、こわい」

 イヅェンが、震撼しんかんする。心底から恐怖し、歯の根の合わない口ぶりで。

 それを皮切りに、口早くちばやに言いすがってきた。わなわなと戦慄せんりつした手足を丸めながら、嗚咽おえつする瀬戸際で青息吐息をしゃがれさせて、ただただ懇願こんがんを重ねる。

「ここにいましょう姉君。ここはイヤなところだけれど、それさえ受け入れれば、なによりの楽園です。紅蓮ぐれんごとつばさ頭衣とういは、すべてから守られ、すべてから与えられる!」

「……それが、システムだったんだな。イヅェン。お前の。―――けれどな、」

 と、しゃがんだまま嘆息たんそくしつつ、そこで首を左右に振った。動作で、しゃきり―――しゃきりと、かなでられた羽が、あでやかなまでに美しい絢爛けんらん色彩しきさいと音響を、みだりに振りまく。そしてイヅェンに合わせてうつむかせていた鼻梁びりょうを上に向けると、天をあおぐように喉をらし、まるで託宣たくせんを待ち望むように遠い目をさせて……

 その双眸そうぼう翡翠かわせみのようにイヅェンへ跳ねさせた刹那せつな、左手で鷲掴わしづかみにした後ろ髪の羽を、右手の懐剣で、ざっくりと横薙よこなぎにした。

 告げる。

「こんなもん無くったって。人はな、人の間にいるだけで、それなりに守ったり与えたり出来るんだよ」

 しゃきり。しゃきり。しゃきり。

 至高の音色もろとも舞い落ちるつばさ頭衣とうい紅蓮ぐれん色が、彼女が前に持ってきた左手から血飛沫ちしぶきのように舞い散ってイヅェンへと降りそそぐ……

「そりゃ、この世は楽園じゃない。全部が全部、万全に万端とはいかないさ。でも、だからどうした。足掻あがいてみろ。あたふたしてるさまを見て、たすけに来てくれるお人好しのお節介せっかいくらい、どんだけだっていてくれる世界だ。頼っていい。手を伸ばせばいい。届かない時もあるだろうさ―――祈りのように。なら、泣いたっていいんだ。誰か見てるだろ。神様じゃなくとも、誰か……誰かさ」

 せりふをしまいながら、彼女は立ち上がった。

「じゃあな。こわいかもだけど、もう行くよ。こわがるだけのお前とは―――ヨウならナラ、だ」

 そして、きびすをシゾーの方へ返す頃には、イヅェンが失神していることに―――シゾーは気付いていた。ぐらりとかしいだ上体が、そのまま横倒れになり……その微風に舞い上げられ、しゃきしゃきと立て続けに鳴きわめく羽と裏腹に、うめき声ひとつ失っている。まさか死んではいないだろうが……後継第三階梯には、死んだ方がマシなほどの羅刹らせつ狼藉ろうぜきだったはずだ。キアズマの般若はんにゃ修羅しゅらなど足元にも及ぶまい。

 と。

「ほらよ。返すぜ」

 眼前。せいせいしたと言わんばかりに肩を払って首を回しながら、懐剣を突き返してくるのだが。

「…………」

 無言で、納剣のうけん済みのそれを受け取って―――胸ポケットにし直しても、言わずにおれない心地は晴れなかった。さっぱりと、えりにつかないまで短くなった羽をジト目で見やり、声を低める。

「おい」

「あん?」

「それ。なんで切った?」

「ふわふわ邪魔だ。うざってえ。飛べるもんでもねぇくせして。先に行こうにも、俺は二本足っきゃねえっつーのに」

「あっそ」

「ンだよ。機嫌わりぃな。どうかしたか?」

「別に。ちょっと触ってみたかった。だけ」

「あとで好きにしろよ」

「もう無理だから言ってんだろ」

「はあ?」

「るっさい。もういい。黙れ鈍感どんかん。先行くぞ鈍足どんそく

「あ! テメこらクソたれ目、ちょっと待ちやが―――そーやってこまごまと俺をコケにしくさるか! この!」

 前触れなく廊下を駆け出したシゾーを追いかけ始めたさくの気配がささくれ立つのを背後に感じながら、ぶつぶつと不貞腐ふてくされる。愚痴ぐちるしかないのは、いつものことだ。それ自体は、まったくもって、そうなのだが―――

(きらいだ。どいつもこいつも。とうさんだからって。そんな特別かよ)

 その時だった。

 どんっ! という轟音ごうおんと同時に、足元から突き上げられるような揺れが、城内を襲う。冗談抜きに、数センチは床から跳ね上げられた。走るリズムを折られるどころか、立っていることすら覚束おぼつかなくなる。腰を落としてバランスを保ち、ぐるりと観察を一巡させて―――倒れてきそうな調度が間近に無いことに、ひとまず心を落ち着かせる。

「うっわ。地鳴り……地震か? これ」

 背後。つぶやきに続いて、そう呟いてきた当人も、とうとうシゾーに追い付いた。その、即座そくざ

 じゃんっ! とでも言い表せばいいものか―――とにかく、み切った冷たい凄烈せいれつ超重奏ちょうじゅうそうをぶちまけて、硝子がらすの壁がもれなく崩落した。

 全面だ。上から、下へ―――まるで滝が落ちるように、一瞬にして雪崩なだれ落ちる。乱反射させた眩輝げんきをこれでもかと振り撒いて、その輝きを投げつけ合う都度つどお互いに陪乗ばいじょうきらめきながら、純白の光の瀑布ばくふが弾けた。太陽光ではありえない、まっさらな白の輝きに、雁首揃がんくびそろえて息を呑む。

 眩暈めまいが―――した。

「すっげえ―――俺ら、流れ星の中にいる……」

 唖然あぜんと、後ろから独りごちるのが聞えて―――シゾーが忘我ぼうがのままうなずき返す頃には、独り言でもなくなって。揺れも収まりを見せ始め、どうにか直立しても支障ないまでに、内心も落着した頃合いに。

 口火を切ったのは、相手の方だった。足元までこぼれてきた硝子の破片はへんからつま先を退きがてら、眉根まゆねを寄せて口を曲げる。

「うっ……えー? マジかよ。どこもかしこも割れちまったぞ。窓。っつーか壁。どーなってんだ?」

 残骸ざんがいはぱらぱらと廊下に撒かれていたが、大半は流れ任せに外へ行ってしまったようだ。ぱき、とシゾーも透明な欠片かけらを踏みながら、そっと採光細工があった壁面へ近寄る。

(あった―――ペルビエの、馬車!)

 停車場だ。階下……地上に、それが見える。待ってくれている!

(付近の地表を動く光は無い……な)

 となると、光源をたずさえた者たちも巡回していないと打算できる。更には、これだけ篝火かがりびの光量があるなら必ずしも燈明とうみょうを携帯する必要もないと、穿うがって斟酌しんしゃくすることも可能だ。どちらにせよ行くしかないのだから、立ち止まっていられる名目にかまけて、のんべんたらりんと現実逃避を続けるわけにもいかない。

 びゅうびゅうと吹き込みだした気流にオールバックから崩れた髪がかき乱されるのを感じながら、シゾーは後ろからにゅうと首を伸ばしてジロジロと下界をのぞき込んでいた腐れ縁をかえりみた。ふたりとも悔踏区域外輪かいとうくいきがいりんで強風には慣れっこなので、目を細めるくらいで風圧はやり過ごせる。吹き上げられた羽が音を立てるが、颶風ぐふうとどろきがそれを圧殺していた―――それはいいのだが、だいだい色と派手な羽は、やはり目に付く。

 取り出したポケットチーフを手渡して、仕草で頭に巻くよう促しがてら、シゾーは推知すいちを口にした。

「多分、この振動で城のどこかがかたむいたかどうかして、壁全体がひしがれたんだと思います―――この建築、壁が柱として支えてるっぽいから。それで、圧力負けした硝子がらすから砕けた。きっと次に自壊するのは、硝子板に隣接したこの石の網戸……壊れてくれたのは好都合ですけど、これ以上足場が悪くならないうちに、ここから降りよう」

「だな。こーやって見ると、サイズ違いの石の箱の寄せ集めだ。たかだか奇天烈きてれつな階段くらい、降りてくなんざ楽勝だろ。念のため、ロープでもありゃあ胴同士を結んどきてぇとこだが、時間が惜しい」

「行くアテあるんで、ついてきてください」

「女か」

「性別っちゃあ、まあそーなんですけど―――ってか、当てずっぽうにしても何で分かってくれちゃってんですかアンタ。断言だったし。ズバリ賞としてこのムカつきをプレゼントですかってんだチクショウ」

「キルルのスネのかたきだ。確認しちゃいねぇけど」

「じゃあフッサフサかも知れないのにぃ~」

正誤せいごの議論じゃなく、そもそも仇討かたきうちってのは屁理屈へりくつだ。真っ当な理屈が通るか。水掛け論にしたってれるだけ損だろ。あんぽんたんにしたってクルクルぱぁか」

 とまあ、ごねるシゾーを切って捨てる頃には、三角巾さんかくきんの装着も済んでいる。準備は整った。

(なるべく光源からかげにあって、足場として頼りがいのある平地を伝っていく道程で行かないと……)

 通夜パーティー以外ほぼ丸腰とキルルは言っていたが、さすがにこの騒動で人が集まっていないわけもない。この迎賓げいひん区画は三階だ―――沙汰中さたなかで夜空に天体観測を決め込んでいるような物好きもいなかろうが、それでも城の屋根から壁からぎゃく登攀とはんしていくとなると、これ以降は見咎みとがめられれば言い逃れできる状況ではなかろう。

 靴で足元の瓦礫がれきを払いのけると、慎重にシゾーはそこへ―――窓際だったへりに、一歩を置いた。そのまま、石の網戸の外側へ、横ずりに進んでいく。片足は乗せられるが、両足をそろえることは出来ない幅しかないので、そうするしかない。石の格子こうしへ指を突っ込んでいられるので、風にあおられても不安なく進んでいける。

 そして、そのふちから丁字ていじに伸びた二階層目の屋根へと到達した。そろそろと背中を石の網戸の方へ反転させてかがみ、そのまま伏せて匍匐ほふく姿勢を取る。ここから先は、平面だ。大通りほども面積があるし、歩いて渡ってもいいのだろうが、人目を忍んでおくに越したことはない。

 腹の縫い傷にさわらないように注意して、ずりずりと三メートルほど進んでから、後ろを振り返る。シゾーよりよほど身軽そうに、幼馴染おさななじみが匍匐ほふく前進を開始していた。数秒かからず小脇に並ぶと、半眼を巡らせてがてら、毒ついてくる。

「やっぱこーして蜥蜴とかげゴッコしてくのが一等に無難だろうな。この高さじゃ、バランスわりぃ時に、さっきみたく下からドッスンと持ち上げられたが最後、地上すっ飛ばして天国までの片道切符だ。落っこちちまうにしたって、冗談でもねえ」

「天国? 楽園カオロワイズだったら、とっくに落っこちてんでしょ。<楽園崩壊ロワイエゲシア>と<楽園崩落ロワイエゲゾス>で」

「そういやそうだな。あれ? じゃあ、あの世ってどこにあんだ?」

 やや余裕を取り戻した惰性で、ぐだぐだとふたりして無駄口を増やしてしまう。前進するのだけは再開して、シゾーはくちびるとがらせた。

「少なくとも、この世にゃ無いでしょうよ。だから、あの世ってんでしょうし」

「でも、死んだら星になるってデデじいは言ってたぞ。じゃあ、あるじゃねえか、この世に。しかも、落っこちてきたはずの、上に。お星さんなら、ここから見えっしよ」

「星があるとこまでって、この世の範疇はんちゅうでいいのかなあ? まあ義父とうさんは、人間なんだからいつかそこに到達するなんて言ってたけど」

「はあ? ただの人間が、双頭三肢そうとうさんし青鴉あおからすみてーに雲も空も超える高みまでブッ飛ぶってか? <終末を得る物語>が現実に化けるって? また法螺ほらかよ。おじさんも好きだよなぁ」

「まだ法螺なうちが真面まともじゃないですか……第五部隊のアレルケンなんて、本当に青カビたらふく食わされた挙句に破傷風はしょうふう治されちゃったんですから」

「俺はそれより『シザジアフおうも通った道なので問題ありません』って保障された途端にざくざくとスプーンを口へ運び出したアレルケンの心のうちの方が、そらおそろしいものを覚えたがな……キアズマといい、どんだけあこがれられてんだよウチの親父おやじ。んっとに、親父は親父だってのに。太ったんじゃねぇのって俺に言われたくらいでキレて、俺が逆ギレ起こしてヘソ曲げたことに落ち込んで、飴玉あめだま片手に機嫌取りに来るしかねえ親父だぜ。どんだけ美辞麗句びじれいくで厚着させりゃ気が済むんだ? 伝説ってやつは」

「かと思えば、がくってやつは、奇跡ってベールを神様から一枚一枚いでますからねえ。正気で考えたらカビ食って病気が治るなんて奇跡なのに、異国じゃちゃんとした治療だなんて」

「まあ、心ひとつってこったろ。いわしの頭だって、信心さえありゃ神様ってな浮世うきよだ。シザジアフさんも、物語ものがたられる字に化けちまったが運の尽きさ。尽きた運が、幸運なのか―――不運なのかは、いざ知らずな」

「あー。だったら悪運でしょ。霹靂へきれきと同じで」

「ああ?」

「だって。あんたが霹靂とか。稲妻いなずま、カミナリ、いかづち―――かみ振りらす怒りのつちとか。無いでしょそりゃ。あんたですもん」

筺底きょうていのツァッシゾーギにだきゃあ言われたかねーよ。霹靂は現実の空模様そらもようにしたって、蒼炎そうえんなんざ蒼焔ツァッスァローニ゛ばりの神話じゃねーか。てめえが神話だと? へそで茶ぁかせてくれるにしたって、熱湯すぎて飲めたもんじゃねえ」

「……そうですね。事実は小説より奇なりとはいえ―――実話より伝説より神話なんて眉唾まゆつばですよね。地面の上だって、紙面の上だって」

 そのあたりで、二階層の屋根のすみに着いた。

 見積もるに、三メートル強ほど下―――隣接する一階層の屋根に足を下ろすべく、二階層のへりに両手を掛けて、鉄棒にでもぶらさがるようにつま先を垂らす。通風孔か採光穴か、ちょうどよく出っ張ってくれていた暖炉ほどの大きさのスペースに、ぽとりと落ちて―――自分と同じ要領で、上階から脚線を垂らしてくる連れを見上げた。見上げるついでに、空を見ていた。夜天やてんを……雲にへだてられ、視認することが難しくとも、そこに星辰せいしんを。

(それでも。眉唾まゆつばでも。字が―――いつか、神を語る聖書を上回るまで数字と文字が世界を埋め尽くしたら、人の身でありながら星の輝きを盗む日が到来とうらいするのかもしれない。星の向こうまで、生者せいじゃ土足どそくを踏み入れる日が……―――奇跡が無くとも、奇跡と同質にして同一でありながら正逆せいぎゃくのそれを、現出げんしゅつしてしまう時が)

 と。

 気付いて、シゾーはひくりと上唇うわくちびるゆがめた。ながめやった先を見詰めて、その場に立ち尽くしながら、―――どうしようもなく、すたっと間際に降りてきた幼馴染おさななじみに、うめき声をらす。

「あのー……」

「あん?」

 そして、許容するしかない風景を―――右手に立てた一本指で、指し示した。大雑把おおざっぱに……通夜パーティーの会場の、向こう側あたりを。大雑把で―――済んでしまうのだ。

「……なんか王冠のあのへん、ぽっきり欠けてくれちゃってません?」

「……欠けて、んなー」

「星になってまで……やらかすなんて……あははハー」

「はははハハ。ガチでマジモンにデデ爺かぁ……? ははー」

 まんじりと同種の痛みを棒読みで共有し合ってから、点になった目を合わせると、ふたりは肩を落とした。

 それでも、いつまでも落胆していられたものでもない。一段高みにあったスペースから降りて、今度はい這いで一階屋上部の平面を進んでいく―――ここまで下って来たのだから、匍匐による安全策よりもスピードを取った。

 屋根のはしまで来ると、なめらかな曲線で造られた台形の壁が、滑り台のように地表へ突き立っているのが分かる。距離にして五メートルあるかないか……窓や、彫琢ちょうたく細工のような凹凸おうとつもなさそうだ。より入念に地上の広範囲へ注意を撒いてみても、近辺に翼司よくしたちの姿は無い。

(貴族相手は司右翼しうよくが相場だし、司右翼は身内に甘いのだって相場。キアズマの確保と確保してからの措置待遇は前代未聞だから、どう勾留こうりゅうするかからしてひと悶着もんちゃく。その裏で、キアズマのしっちゃかめっちゃか関係の収拾にも人員は必須。そんなの知ったことかって無傷の高慢ちきどもは、いつも通り司法を尻目しりめにトンズラするだろう―――そこらへんのいざこざを波風立てずまるく収めるためには、後追あとおい捜査に用立てる頭数あたまかずならびにその数を統制する頭だって要る。真逆に、頭無しに、物量作戦で頭ごなしに囲って脱出者を抑え込むなら、それこそ相応の人員を集めなきゃならないし、呼集こしゅうするためにだって警笛じゃ足りない分は派遣する人手が要る。どうであれ、手一杯だ。だからこそ、後追いするほうはひとまず埒外らちがいにして、帰してしまうのをはばまない。よって、誰もいない。そんなところか)

 欠損していた王冠城のことは捨て置きに、キルルのげんからの当て推量を反芻はんすうしてみても、好機だった。

 片手で腹部をかばいつつ、そろそろとシゾーは壁面の滑降部に手を付けた。屋根の尖端せんたんから、限界まで身体からだ懸垂けんすい姿勢にして、あとは下半身に重心を置いたまま斜面を―――滑る!

てよ……縫い目っ!)

 予期した痛痒つうように歯を食い締める、瞬間。

 がん! と、靴底を破れさせるような勢いを、膝で殺すべく上体を沈み込ませてから……どうにか無事だと踏んで、シゾーは立ち上がった。過緊張と運動に動悸どうきしていた胸が、また違う強さで内側から一拍を打つ。

(着いた。着いたぞ―――駐車場ちゅうしゃば!)

 その、外回廊がいかいろうだった。

 飛脚ひきゃくはもとより、馬車を持つ貴族も総員あわを食って逃げ出したらしく、ぽつねんと取り残された馬車はペルビエのものだけだ。そちらへ駆け寄りながら―――道なかばで、シゾーに気付いた御者ぎょしゃが御者席から下りて昇降段を取り出している隙に、馬車の横腹にあるドアへ飛び付いた。そして、外開きのそれを開くなり、掴んでいるドアノブを支点に身体を引き上げて、内側へ飛び込む。

「ペルビエ!」

 たん! と、勢いよく踏み込んだなりに片手と片膝を床へついてしまうが、立つ時間も惜しい。シゾーは顔を上げて、長椅子ながいすを見上げた。彼女―――ペルビエと言えば、やはり傲慢ごうまんおもむくまま、優雅にクッションへしなだれながら……ただし、片手をおうぎに、あどけなく紅潮こうちょうした頬と涙目へ風を送っている。そして、ひくひくとしゃくり上げるように笑いを噛み殺しながら、断ってきた。

「あーあー。いい、いい。れいを言われるこっちゃない。こちとら、息できなくて身動きが取れなかっただけさね。いやー、笑った笑った。間違いなく今までの人生の中でナンバーワンの横隔膜おうかくまく稼働率だったわ。コゲ穴からぼよんぼよんの三段腹を波立たせたハゲと坊主による火の玉になったヅラの投げ合いっこ大会」

「うわあご多聞たぶんれず」

 シゾーがドン引きする頃には、幼馴染おさななじみも到着した。昇降段を踏んで―――シャムジェイワ館にかしずくを許された者の中に無能はいない―――、身体の上半分をドアから突っ込むと、ぎょろぎょろと不躾ぶしつけに内装をながめやる。中央にげられた燈心とうしんに、それを挟んだ二脚の長椅子と、カーテンが掛けられたドア対面の壁面……そうやってぐりんぐりんと首を回していては、隠すべくもなく羽が後ろ頭からモロ見えになってしまっているのだが、こんなてんてこ舞いの只中ただなかで取り繕ったところでどうしようもないことだ。とどのつまり―――同じ穴のむじなとしてはという意味で。

 女をりにかけた女を毛嫌いするのはこの幼馴染おさななじみの悪癖あくへきのひとつだが、それでも難癖なんくせをつける調子で音程を低めて、食ってかかってくる。

「おいシゾー。誰でい? このケバいズベこう

「箱庭での上司」

 と。

「ちょいと。上から目線バリバリの、このキツいじょうちゃんこそ何様だい? 赤毛どころか、羽までかぶっちまって。ボロックソに切ってあるし……かつらじゃないだろ。こんなもん」

「旗司誓での上司」

 かれるまま、はぐらかすでもなく、両者へと交互に振り向いて―――答え終えて。

 ぽつりと言ってきたのは、やはり皮肉が板についている方だった。旗司誓での上司が、完全に馬車の中に踏み込むなり、ぶっきらぼうに半眼と舌打ちをくれてくる。

「どこだろーがオメーがしたってことだきゃあ分かった」

「あーそーですか。確かにそーですねえコノヤロー」

 とりあえず、吐き捨てる文句は吐き捨ててから、立ち上がる。

 そして車体横腹のドアを閉めると、ペルビエの反対側にある長椅子へ、幼馴染みを押しやった。相手は嫌そうな渋り顔を見せつつも、それ以上に反抗することでもないようで、眉をひねりながらも席に着く。その隣にシゾーも陣取るのだが、ほっと人心地つく間もなくペルビエの独語に―――というか、ちらとも へどもどしていないずけずけとした言い差しに、意識を持っていかれた。

「手始めがアレなら、面白いことの集大成とは何じゃいなと期待してたんだけどねえ。これかい。くその方の餓鬼がきはクソッタレな逮捕劇の主役、わるの方の餓鬼がきは悪びれることもなく人攫ひとさらいがてら脱出劇―――はてさて、これからの配役と演目は……?」

「これからって。集大成って。勘弁してくれないかなあ……これ以上のてんやわんやは」

「するわけないだろ。勘弁なんて。なに言ってんだいアンタのくせに」

「んっとに、きもわり方が尋常じゃないよ―――ペルビエは」

「それこそ、このおよんで何の復習だい?」

「きっと肝臓ふたつあるんだ……五臓六腑がダブルで大蛇だいじゃ顔負けにトグロ巻いてるんだ間違いない。あの乳にだまされるな。皮一枚下に詰まってるのは、毛をやした石の心臓……」

「石に毛が生えるかいな」

「ツッコミそこ!?」

 げんなりとため息がてら上背うわぜいを折り、片手でひたいを押さえるのだが、やはりペルビエに遠慮の二文字はない。彼女は組んだ膝の皿の上にひじを突くと、重ね合わせた両手に顎先あごさきを乗せて、こちらを覗き込んできた。

 そして片手を伸ばしてくるなり、眉根まゆねを隠していたシゾーの手指しゅしを払って、とん―――と、二本指で彼の眉間みけんを突いてくる。軽く……そこにりあがったしわの隆起を、ほぐすように。

「そんな風に、ここばっからすもんじゃないよ。肩と違って、不幸を招く」

「なんで?」

「笑うかどには福きたる、さ」

「またとってつけたようなテキトー抜かして年上ぶるんだから……」

「そう馬鹿にしておくれなさるな。ときの洗礼を重ねながらも世の中に残り続ける文字は、名誉ある不死者イモータル―――この世に生まれてたかだか二十年足らずの新参者が虚仮こけにしちゃ、バチ当たりってものさね。ま、ひとまずは馬車を出そう。お次の観劇に向かおうじゃないか。おだいは、」

 と、せりふを切って、んでくる―――それはもう、にんまりと。

 シゾーが哀訴あいそうより、背を伸ばした彼女が御者背面にある小窓をノックする方が早かった。こん、こん、と。その音が、まるで裁判長の手にした木槌きづちが立てる裁定のいんであるかのように聞こえる。コン・コン、静粛せいしゅくに―――諸君。静かに、粛々しゅくしゅくと……受け入れよ―――

 とうに、車輪は動き出し始めている……

「お代は、見ての―――おかえりさ」
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