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承章
承章 第四部 第一節
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薄暗がりで文字を追ううちに、喉奥から骨の髄まで浸透していた外界が遠ざかる。
火照っていた疲れだけは身体の芯に澱んでいるが、ひと眠りを終えて意識だけは透明だった。ただただ没頭して、部屋の端に立ち尽くしたまま、一心不乱に読破していく。
それを、いつの間にやら注視されていたと気付いたのが―――いわば、その時だったのだが。
ふとシゾーは振り向いて、声を上げた。隠れるでもなく、ひとり立っているだけのその人へ。
「あれ? いたの」
「いたよ」
「なんで?」
「そりゃ、あたしの屋敷だもの」
「いつから?」
「イカれた男が主人公の前で砕いた硝子像の破片を一掴み丸呑みして血反吐ぶちまけるあたりから」
「冒頭じゃねえかそれ。声くらい掛けてくれよ」
革製本を、ぱたんと閉じて。
妙なふうに水を差されたせいで、やや当たり散らす口調になってしまうのだが、返事してくる相手は気にも留めない。鋭い吐息だけで、一笑に付した。
「あーあ。この坊やは、読み終わるまで聞きゃしないくせに。まったく小僧ってのは、反抗だけしてりゃ大人になれた気でいるんだから」
「あーあ。年増ってのは、説教さえたれとけば年長ぶれたつもりでいるんだから」
「減らず口叩ける元気あるんなら、もう三人ばかし相手してやんな」
「馬鹿抜かせ。早晩腹上死さす気か」
「子種汁切れたって勃つモンは勃つだろ」
「一方的な練習台じゃ、これ以上は割りに合わないって」
シゾーは言い返しながら、棚に……陳列棚に、その本を戻した。隣に飾られている絵皿一枚でも割ってしまえば、生涯かけたところで弁償できそうにないため、そろそろと慎重な手つきで。この棚自体とて、例外ではない。引っ掻いても傷ひとつ付かないだろうが、そのハシバミ色に指紋を残すことさえぞっとしない特注品である。指先でなぞるまでもない……ひけらかされるようにはっきりとした―――誇り高く年輪という脈を刻んできたがゆえの―――千獣王の脈模様だった。どこかで誰かが香道にでも興じているのか、深呼吸を入念に味わえば、鮮毛羽模様の香樹の存在さえ感じられた。
調度を従え登場した、その女もまた美しかった。そしてそのことを、彼女自身が最も熟知していた。二十四・五とくれば巷の女は盛りを過ぎてしまうものだろうが、徹底的に衣食住を制御すれば、子どもを産んでいない女は何年たっても男を誘う姿態のなまめかしさを崩さない。結い上げた黒髪は豊かで艶めいている。肌はぴんと張り、透ける静脈の菫がかった青色に見とれそうになる。背も高い方で、乳房と腰も申し分ない。語る言葉は知性と教養を紡ぎ、歌う詩歌は星々より鮮やかに夜を彩る。ただし、やや仏頂面―――と思えたのは単純に、相手がシゾーだからだろう。ペルビエ・シャムジェイワとの付き合いは、それなりに長い。
だからというわけでもないが、この娼婦を目の前にすると、シゾーも口回しがじゃっかん甘ったるくなってしまう。親愛というより、女に食わせてもらっていた時期があったせいだろう。本能的に、そういう女に好まれる様を擬態してしまうのだ。だからと言って、ペルビエが甘くなってくれる経験があったわけでは無かったが。
その彼女が、やや期待外れそうに、言ってくる。千獣王の脈模様が見えたところで不思議とは思えない、澄んだハシバミ色の瞳に疑問符を浮かべて。
「おやまあ。あの子ら、イマイチだった?」
「いや、ピカイチだった。だからムカつく……奪われるのを許してるみたいで」
「端金を免罪符に気ままに強姦したいなら、遠くの薄汚い路傍で立ちんぼ娘でも買いな。うちはそんな店じゃないよ」
「分かってるって。腐るのも許しゃしないんだから。この姐さん」
「ははは! おっかしいねぇ、このペルビエに優しくされたいのかい?」
案の定、今日も軽やかに笑殺してくれた。
シゾーには、愚痴るしかない。これもまた、いつものことだ。
「いいや。本音でいい。高級娼婦の商売トークで、素寒貧にされちゃたまらない。あんたの茶の一杯にお相伴させていただくだけで、俺のひと財産水の泡だ」
「その高級娼婦としては、自分の閨で乱読に耽ってはおネンネする坊やの扱いは、雑用小僧させるくらいの名目がせいぜいさ」
「乱読たって……しょうがないだろ。ここ、しょっちゅう蔵書が変わるんだから、目移りくらいしても。読みかけなのが、次に来た時にもう無くなってた瞬間と言ったら―――」
「あ。そこ立ってるついでに、火が入ってない方の灯火輪に、あぶら足しとくれ」
「はいはい」
言われる通りにしながら、なんとなく部屋の外に耳を聳てる。
娼婦館は、まだ佳境とはいいがたい時間帯であっても、それなりに賑わっているようだった。とはいえ、泥酔して汚物まみれのダミ声を撒き散らす類の輩を受け入れる等級ではないので、嬌声さえ鈴の音のようにお上品なものである。ころころ。ころころ。本当に喫食を提供しているのかと疑うほど、グラスと食器の触れる硬質音さえ聞こえてこない。音など立てないのだ。つまりは……そういう客を、そういうなりにもてなす場所なのである。かけがえのない安寧ある品位を嗜むために大枚を払う連中が列挙してくる、人造の聖域。食の品格、知の品格、性の品格。全てにおいて洗練された、最上級の遊興場であり社交場。
本来であればシゾーがおいそれと立ち入れる縄張りではないのだが、それを免除しているのが、当の女城主である。彼女とは肉体的にも没交渉だし、過去の悪食や放蕩といった弱みを握り合う仲でもない。単に女城主になる前から顔見知りだったというだけの、狎れ合いである。なので、いつまでこの変な利害関係が一致したものか知れたものではないが、初対面の時から変わらず―――今日まで―――彼女の気まぐれなちょっかいは続いていた。大抵それは、シゾーを使うというかたちで発揮された。使われるのが、灯りに給油しやすい背丈なのか、発展途上の娼婦への試金石なのか、ちょいと怒り心頭に発してるからそのボディーブローしやすそうな腹筋を三十回ばかし貸しなという肉体的カツアゲなのかは、これもまた彼女の時折の気まぐれだ。ちなみにボディーブローなど論外である彼女の手指は、角材(どこにあったものか錆びた折れ釘まで刺さっていた)を代役にフルスイングをかましてきたが、白刃取りを十二分ほど拮抗させた成果を称賛ののち、突き一発に減らしてくれた。
(減らしてくれたのかアレ? 舌の根酸っぱかったろ俺。胃液だぞそれ)
ぴた、と冷静に馬脚を露す本心も、ないではないが……
(でもまあ、悪くない)
春夏秋冬一枚看板の旗司誓なんぞでは一生かけても着ることは無かろう正装にこうして着替えさせられはするものの、それとて雑用の一環として制服を着用するのだと割り切れば、悪くない……布地、断裁法、縫製、どれをとっても高級なひと品は、単に素肌を外気から守られる以上の幸福をくれる。数年かけて筺底で味をしめてしまった贅沢品は、通常、悔踏区域外輪までは届くことはない―――衣服どころか、精製された白砂糖にすら困窮することもある。こちらを単なる甘党扱いで済ませてくれる味蕾の死滅した貧乏舌連中には、腹を下すほど腐敗しているかどうかを値踏みする程度のことが味わうという行為なのだから、甘露を飢餓する憂き身の窶れなど分かるまいが。
(最近は、そこまででもなくなってきたけどな。それこそ昔は、沸かした湯に塩を溶いて、それで石みたいなパンをふやかしては齧ってたんだ。金回りはもとより……真面目に調理係も腕を上げたよ、本当。シチューまで作れるようになって。こまごまとピクルス漬けたりとかさ。しみじみありがたい話だ)
そこで、足首まで沈み込ませる絨毯を踏んで、ペルビエがやってきた。骨格の良さと鍛え方が分かる足取りに気品を履いて、風雅な色香を香水のように振りまきながら、シゾーのわきを通り過ぎる。そして、何食わぬ顔で寝台に悠然と腰掛け、火のない煙管を咥えようとした。
そのしれっとした態度に、尻すぼみながらも、ついつい恨み節になってしまう。
「ってか、本当にあの星図の絵本どこやったんだよ? あと三話は確実に残ってたのに」
「アンタあれまで読んでたのかい?」
驚いたというよりも、疑わしげに首を傾げた彼女に、シゾーは半ばむきになって噛みついた。
「読んでたよ。方位の目印にしかしてなかった星の配置に、ドロドロの背後関係物語がこじつけられてるなんて知らなかったから。あんなもんにまで人間界を投影する奴がいるなんて病的過ぎで、びびった」
「はー。しかも分析の角度がズレて四十八度。ヒネてるわー。ヒネるならとことんだわーこの子」
「ほっとけ」
千秋の恨事だと言うのに、うっとりと侮ってくるペルビエに、ふと伝え忘れていたことを思い出した。
「そういや、一応出入りする部屋全部の給油はしておいたけど」
「そうそう。そういう世間様を圧迫する図体してる奴は、迷惑かけてる分、そうやって役立つ時に素直に役立っときゃいいのさ」
「その図体まで成長したからシモの雑用も出来るんだろ」
「役立ってるじゃない?」
勝ち誇った笑みすら板についているペルビエに、ぐうの音も出なくなるが。
それでも雇い主に、骨子の報告はせざるをえず、シゾーは不機嫌ながらも、あとを続けた。
「三日会わざれば括目して見よってのは、娼婦もだな。急成長してる。特に最後の金髪」
「ああ、アドヴィカね。あの子は見込みあるよ。目端が利いて、勉強も物覚えがいいし、政治経済の話も呑み込みが早い。歌声も愛嬌ある。その分プライドが高いとこがあるけど、落ちぶれて卑屈になられるより向上心があるだけマシ。貴族受けするタイプ」
「あれ。髪、かつら?」
「そう。気になる?」
「そこくらいしか気になるところがない」
「伸ばそうか切らそうか悩みどころなんだよねえ、髪。アドヴィカ、うなじ回りから整ってるし、つるっとしたタマゴ顔だから、編み上げても栄えると思うんだけど。アンタどう思う?」
「えー? 根元、育て方どっち? お茶請け娼婦として上品に飾っとく用なら伸ばしても邪魔ないだろうし、品を剥いで犯らせる用なら伸ばすだけ邪魔だから切れば?」
「バランスとらなきゃならないから、この商売苦労すんじゃないか」
「じゃあそのアドヴィカ本人に任せれば? どうせ手入れすんの自分なんだから」
「本人は染めようかって言ってるんだよねぇ」
「ふーん。それ困んの?」
「染め粉の扱いが、ちょいと厄介でさ。裏の川で毎回丹念に落とさないと、かぶれる子もいる。無いものに執着するより、あるものを生かす方向に持ってってくれたら、経営者としちゃありがたいね―――ちょいと。なに笑ってんだい?」
「いやなに、どこも似たようなもんで頭が痛いんだなぁって」
ため息をついて、シゾーもペルビエと同じ寝台に腰掛けた。隣同士に並ぶでもないが、長いこと話すなら目線の高さは似通っていた方が話しやすい。それだけで、おおよそ彼女の対角あたりに座ったのだが。
その指に指を重ねるためならば金銀螺鈿で作り上げた花束を捧げようという客もいる―――ちなみにその男は成金趣味だと袖にしたらしいが―――ペルビエは、今この時ばかりはただただきょとんとして、顎下にその麗しい手先を丸めた。もう片手に、煙管をくるりと回して、
「……カウチソファー代わりにしたって、アンタがここを使うなんて初めてじゃない?」
「言われてみれば、そうかも」
「いっくら言っても強情に部屋の隅の床で寝るんだから。どうせシーツだろうがカバーだろうが、日に何回も変えちまうんだ。遠慮されちゃ寝覚めが悪いったらないよ。布団にまで体臭が染みつくほど居着いたこともないくせして」
「そうじゃなくて―――こんな上等なとこだと、ぐっすり眠り込みそうだから」
「はあ?」
「夢を……見たくなくて。寝るなら、うつらうつらか、真逆に気絶するくらい深くまでか。どっちかがいいから」
「妙なところで……妙だねえ。アンタ」
きょとんとする段階を、もうひとつ引き上げて、ペルビエ。
「寝入り端に枕元にやってくる死に神が、こわいっての? 葬送銀貨? それともデュアセラズロ? 首輪に繋いだ子鬼を無意味に踏みつけつつ、やたらトゲトゲした角と牙と翼を振りかざしながら、べっちょり粘液吐いてくる? あおみどりの。それとアレよ、舌なめずりしてヨダレだらりんこ?」
「それが神様だとしたら、まず間違いなく生死とはかけ離れて邪な別の何かを司ってると思うよ……」
「まあ生贄よこせ系だわね。なぁに? それが嫌だってのかい? あんなマイナス大明神が頭からバリバリ咀嚼すんのは処女百人単位からだろ。そちとら性別からして無関係だし、傍観してて良心が痛むほど現実的な光景でもあるまいに」
「……だから……俺は、夢を見たくないだけで……」
「にしたって、右に出る者がいないブッ殺し技能検定ナンバーワンの錬成魔士どもや、人食い大魔獣よりも、駄々を捏ねたくなるくらいに―――見たくないのかい?」
「………………」
「はー。頭が痛い要素増えたわ。身体は資本だよ。寝足りなくて出来る本業かね? 旗司誓ってのは」
実際に頭痛を感じたとでも言いたげに、片手を眉間に当てるペルビエだが。その指先に摘んだままでいた煙管を、ひょいと唇にやって、さも当然と話のよりを戻す。
「頭が痛いと言えば、最近はドレスの意匠も流行り廃りの周期が短くなってきてね。豊かになってきた証拠だけど。で、アンタのそいつも更新してみたってわけさ。どう? なんなら、そのまま王侯貴族の舞踏会にだって行っておいで。あそこでの付き人なら、あんたの容姿だって平均並みだ。へりくだってりゃ、つまみ食いも許されるだろうさ」
「それは御免。餌付けされるためだけに使用人に成り下がるより、ここで雑用しながら賄いもらう方がいい。ちなみに、女物の方はどんなデザインが最先端?」
「今は、そうさね……男装も幅を利かせ始めた。女性ってのを売りに出してるパターンは―――肩を大きくふんわり包んで、首にチョーカーやスカーフを使うやつが主流かな。モノによっちゃアンタでも着こなせそうな」
「はあ!?」
裏返った反駁をはりあげたのが、やぶ蛇だった。
矮小な鼠をいたぶる猫の眼差しに変転して、ペルビエが寝台の上を、すすすと寄ってくる。シゾーも怯んだ及び腰でじわじわと後退るのだが、見逃してくれる気配はない。なにやらくねくねと余計な動きをしながら、楽しげに、
「やってみる?」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
「よぅし決まり。フルコースだ。オプションで貞操帯も付けよう」
「やだやだやだやだやだやだ!」
「アンタ、陰のある女顔だからねえ。彫りが深いから化粧栄えはしなさそうだけど。カナピヤあたりの腕試しに、一丁させてみるか」
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!」
「うん。手始めにそのゴツいシックス・パックをコルセットで締め上げてから、腕まわりは服のタイプと質量でカモフラージュして、喉仏は厚めのチョーカーと大ぶりのネックレスを巻くだけで済むだろうし、髪は痛みすぎてるから練り香油をたっぷりめに……にしても、その身長じゃなに着てもミニスカになっちまわなぁ。切る? とりあえず長いとこからちょん切る?」
「やだっつってんだろ呪われた耳栓でも付けてんのかこのアマ! てぇか手管がどんどん具体的になってきた上に、ドライな審美眼で俺のそこかしこを鑑定するな! やらねーからな、ぜってぇしねーからその雑用!」
「まあ、いかに多趣味の業界とは言え、うちの男娼にゃあちょいと凶暴すぎるかね。それがいいってコアなジャンルまで新規開拓するのも。まあ、おいおい」
「するのか!?」
「このまま商売繁盛すればバッチこい」
「誰が!?」
「時給アップだ。ちゃりんちゃりん」
「俺が!? しかも音的に小銭!?」
「金貨かもよー?」
「この店で公用金券じゃないコイン使う田吾作なんかいるか! ざっけんなよ! そもそも雑用雑用ってコキ使うばっかで、給金なんてくれたことないくせして!」
「え? 欲しかったの?」
「欲しくない。ただの売り言葉に買い言葉。賄いついでに、本と食事と女にありつけるだけで充分」
「ははは! いいねえ。否が応でも払いたくなった。そのうち耳を揃えといてやるから覚悟しな」
「なんで身銭切る方が勝ち鬨なんだよ……」
呻くのだが。ペルビエは高笑いをしながら、ぽいっと投げ出すような仕草をする。聞き耳持たずの意であろう。
ごく当たり前のようにまくし立てた末に、執着するでもなくあっさりとそれを手放してみせる彼女は、おそらくどこまでも本心なのだろうが。それでも凝視を避けるため身を縮めつつ、戦々恐々とシゾーは冷や汗を垂らした。
(どこまでも容赦せず猶予なく本気で正気でしかないからなあ……このペルビエって人は、はじめっから。キレ具合が貫徹してるんだ。ジンジルデッデの同属だよ)
こわごわと窺っていると、当の彼女が、にっこりと笑いかけてくる。口許の煙管をぴこぴこ上下させて、満足そうに。
「あたしに諦める理由があってよかったじゃないさ?」
「ふざけるな。嫌がってるんだ。承知もしてない」
「そんなもん理由になりゃしないよ」
食い下がるのだが、彼女はにべもない。煙管を指に戻し、付いてしまった口紅をハンカチで拭き取りながら、さっきまでの鋭利さはどこへやらと不思議なほど目付きをおっとりさせていた。
「人はなんだって正当化できる。あたしからすりゃ、あたしの説き伏せようとする努力に応えないアンタが依怙地なあんぽんたんのコンコンチキってだけで、あたしがアンタを手に入れるのを泣き喚いて遅らせてることこそ不当なんだよ。止められるかい、そんなもん―――問題は、あたし自身が途中から、本当にそれが欲しかったのかを見失ってしまうことさ」
「泣いてないし喚いてない。しかも途中から、なんの話だ?」
「手に入れることと、手に入れるという手段で支配することの違いについてさ」
「支配?」
「他人事みたいな鉄面皮ひっさげてんじゃないよ。さっき、奪われるのを許してるみたいでムカつくってほざいた口のくせして。知らないうちにあたしに見られてたのだって、イラッときたんだろ?」
「ああ……」
くぐもってしまう。そのまま有耶無耶に、だんまりを決め込もうかとも思ったが。
シゾーは首肯した。嚥下した。
「―――そうだね」
「そのピアス。タグなんだろ?」
甘んじて、受け入れる。
「ああ。飼われてる。契約……した」
「家畜は飼われることで、狩り尽されることなく、安全に一定数の種族を保ててる。それって、いいだろう? 拗ねて、謗る卑下に使うだけじゃないってことでもあるのさ」
「俺は―――犯して殺して首を落とすために飼われている」
諦めて、認める。
ペルビエは、これまた完璧に、冗談に悪乗りするしたり顔となった。
「おやおや。旗司誓ってのは、ここしばらくで外道じゃなくなったって聞いてるけどね。それともピュアになり過ぎちまったせいで、武装犯罪者の薄ら馬鹿と司右翼の餓鬼大将に当てられたとか?」
シゾーもまた、彼女へと微笑み返した。惨めったらしく泣き喚くことはなくとも……ふと泣き笑いしてしまいそうになりながら。それでも、口走る。
「……だったら俺、向いてる?」
「いいや。血に飢えたエテ公どもがふんぞり返って、もぎたての生首を振りかざすこと九死に一生。そんなもん生き甲斐の範疇じゃあない。とっとと辞めちまいな。そうやってしょんぼりするだけ取り柄が損だ。ピアスくらいもっと洒落たの先払いで買ってやるから、うちで雑用がてら詩吟の塾長でもやっとくれ」
流暢に斬って捨てたペルビエは、煙草盆を取り出して煙管に火を入れた。
「あ。あと未来のコアジャンル草分け担当者だった。うっかり」
「ぜってえ断る。しとけ。うっかり」
とりあえずそれだけは譲らないでおくが。
彼女は煙種も一級品だ。紫煙の芳香は、熟れた花の蜜のように甘やかしい。それでも思い出すのは……しきりに煙草を吸っていた、ツァッシゾーギだった頃の記憶だった。やにの染みた自堕落な髪を切ってくれたシヴツェイアを思い出せば、霹靂の殺意を狂い猛らせた鬼気の狂奔までもが、眼窩の奥まったところから圧し上げてくる―――そんな重たい惝怳。それは染みだ。ただひとつ、ぽつんとあるだけの、……それだから見過ごされない、シヴツェイアとザーニーイにとっての―――たったそれだけだからこその―――汚点。
彼女には許せない。ザーニーイの楽園障害は治らない。彼には許せない。とうさんにはなれない。それはシザジアフと同質であり同一だ 楽園は失われた。
酷な仕打ちだ。もとより存在しなかったことより残酷な仕打ちだ。あったことを知っている なければよかったと希ってしまうまでに。
あれから三年経った。今では、四年目も五年目もこうしていなければと思えていた。ただただ姑息な時間稼ぎをし続けるという、自分に残された道を進んでいく。
(これしかないんだ―――俺は、もう、)
変わり果てた、今となっては。
(シヴツェイアを犯して殺して首を落とす日のために飼われているんだから)
火照っていた疲れだけは身体の芯に澱んでいるが、ひと眠りを終えて意識だけは透明だった。ただただ没頭して、部屋の端に立ち尽くしたまま、一心不乱に読破していく。
それを、いつの間にやら注視されていたと気付いたのが―――いわば、その時だったのだが。
ふとシゾーは振り向いて、声を上げた。隠れるでもなく、ひとり立っているだけのその人へ。
「あれ? いたの」
「いたよ」
「なんで?」
「そりゃ、あたしの屋敷だもの」
「いつから?」
「イカれた男が主人公の前で砕いた硝子像の破片を一掴み丸呑みして血反吐ぶちまけるあたりから」
「冒頭じゃねえかそれ。声くらい掛けてくれよ」
革製本を、ぱたんと閉じて。
妙なふうに水を差されたせいで、やや当たり散らす口調になってしまうのだが、返事してくる相手は気にも留めない。鋭い吐息だけで、一笑に付した。
「あーあ。この坊やは、読み終わるまで聞きゃしないくせに。まったく小僧ってのは、反抗だけしてりゃ大人になれた気でいるんだから」
「あーあ。年増ってのは、説教さえたれとけば年長ぶれたつもりでいるんだから」
「減らず口叩ける元気あるんなら、もう三人ばかし相手してやんな」
「馬鹿抜かせ。早晩腹上死さす気か」
「子種汁切れたって勃つモンは勃つだろ」
「一方的な練習台じゃ、これ以上は割りに合わないって」
シゾーは言い返しながら、棚に……陳列棚に、その本を戻した。隣に飾られている絵皿一枚でも割ってしまえば、生涯かけたところで弁償できそうにないため、そろそろと慎重な手つきで。この棚自体とて、例外ではない。引っ掻いても傷ひとつ付かないだろうが、そのハシバミ色に指紋を残すことさえぞっとしない特注品である。指先でなぞるまでもない……ひけらかされるようにはっきりとした―――誇り高く年輪という脈を刻んできたがゆえの―――千獣王の脈模様だった。どこかで誰かが香道にでも興じているのか、深呼吸を入念に味わえば、鮮毛羽模様の香樹の存在さえ感じられた。
調度を従え登場した、その女もまた美しかった。そしてそのことを、彼女自身が最も熟知していた。二十四・五とくれば巷の女は盛りを過ぎてしまうものだろうが、徹底的に衣食住を制御すれば、子どもを産んでいない女は何年たっても男を誘う姿態のなまめかしさを崩さない。結い上げた黒髪は豊かで艶めいている。肌はぴんと張り、透ける静脈の菫がかった青色に見とれそうになる。背も高い方で、乳房と腰も申し分ない。語る言葉は知性と教養を紡ぎ、歌う詩歌は星々より鮮やかに夜を彩る。ただし、やや仏頂面―――と思えたのは単純に、相手がシゾーだからだろう。ペルビエ・シャムジェイワとの付き合いは、それなりに長い。
だからというわけでもないが、この娼婦を目の前にすると、シゾーも口回しがじゃっかん甘ったるくなってしまう。親愛というより、女に食わせてもらっていた時期があったせいだろう。本能的に、そういう女に好まれる様を擬態してしまうのだ。だからと言って、ペルビエが甘くなってくれる経験があったわけでは無かったが。
その彼女が、やや期待外れそうに、言ってくる。千獣王の脈模様が見えたところで不思議とは思えない、澄んだハシバミ色の瞳に疑問符を浮かべて。
「おやまあ。あの子ら、イマイチだった?」
「いや、ピカイチだった。だからムカつく……奪われるのを許してるみたいで」
「端金を免罪符に気ままに強姦したいなら、遠くの薄汚い路傍で立ちんぼ娘でも買いな。うちはそんな店じゃないよ」
「分かってるって。腐るのも許しゃしないんだから。この姐さん」
「ははは! おっかしいねぇ、このペルビエに優しくされたいのかい?」
案の定、今日も軽やかに笑殺してくれた。
シゾーには、愚痴るしかない。これもまた、いつものことだ。
「いいや。本音でいい。高級娼婦の商売トークで、素寒貧にされちゃたまらない。あんたの茶の一杯にお相伴させていただくだけで、俺のひと財産水の泡だ」
「その高級娼婦としては、自分の閨で乱読に耽ってはおネンネする坊やの扱いは、雑用小僧させるくらいの名目がせいぜいさ」
「乱読たって……しょうがないだろ。ここ、しょっちゅう蔵書が変わるんだから、目移りくらいしても。読みかけなのが、次に来た時にもう無くなってた瞬間と言ったら―――」
「あ。そこ立ってるついでに、火が入ってない方の灯火輪に、あぶら足しとくれ」
「はいはい」
言われる通りにしながら、なんとなく部屋の外に耳を聳てる。
娼婦館は、まだ佳境とはいいがたい時間帯であっても、それなりに賑わっているようだった。とはいえ、泥酔して汚物まみれのダミ声を撒き散らす類の輩を受け入れる等級ではないので、嬌声さえ鈴の音のようにお上品なものである。ころころ。ころころ。本当に喫食を提供しているのかと疑うほど、グラスと食器の触れる硬質音さえ聞こえてこない。音など立てないのだ。つまりは……そういう客を、そういうなりにもてなす場所なのである。かけがえのない安寧ある品位を嗜むために大枚を払う連中が列挙してくる、人造の聖域。食の品格、知の品格、性の品格。全てにおいて洗練された、最上級の遊興場であり社交場。
本来であればシゾーがおいそれと立ち入れる縄張りではないのだが、それを免除しているのが、当の女城主である。彼女とは肉体的にも没交渉だし、過去の悪食や放蕩といった弱みを握り合う仲でもない。単に女城主になる前から顔見知りだったというだけの、狎れ合いである。なので、いつまでこの変な利害関係が一致したものか知れたものではないが、初対面の時から変わらず―――今日まで―――彼女の気まぐれなちょっかいは続いていた。大抵それは、シゾーを使うというかたちで発揮された。使われるのが、灯りに給油しやすい背丈なのか、発展途上の娼婦への試金石なのか、ちょいと怒り心頭に発してるからそのボディーブローしやすそうな腹筋を三十回ばかし貸しなという肉体的カツアゲなのかは、これもまた彼女の時折の気まぐれだ。ちなみにボディーブローなど論外である彼女の手指は、角材(どこにあったものか錆びた折れ釘まで刺さっていた)を代役にフルスイングをかましてきたが、白刃取りを十二分ほど拮抗させた成果を称賛ののち、突き一発に減らしてくれた。
(減らしてくれたのかアレ? 舌の根酸っぱかったろ俺。胃液だぞそれ)
ぴた、と冷静に馬脚を露す本心も、ないではないが……
(でもまあ、悪くない)
春夏秋冬一枚看板の旗司誓なんぞでは一生かけても着ることは無かろう正装にこうして着替えさせられはするものの、それとて雑用の一環として制服を着用するのだと割り切れば、悪くない……布地、断裁法、縫製、どれをとっても高級なひと品は、単に素肌を外気から守られる以上の幸福をくれる。数年かけて筺底で味をしめてしまった贅沢品は、通常、悔踏区域外輪までは届くことはない―――衣服どころか、精製された白砂糖にすら困窮することもある。こちらを単なる甘党扱いで済ませてくれる味蕾の死滅した貧乏舌連中には、腹を下すほど腐敗しているかどうかを値踏みする程度のことが味わうという行為なのだから、甘露を飢餓する憂き身の窶れなど分かるまいが。
(最近は、そこまででもなくなってきたけどな。それこそ昔は、沸かした湯に塩を溶いて、それで石みたいなパンをふやかしては齧ってたんだ。金回りはもとより……真面目に調理係も腕を上げたよ、本当。シチューまで作れるようになって。こまごまとピクルス漬けたりとかさ。しみじみありがたい話だ)
そこで、足首まで沈み込ませる絨毯を踏んで、ペルビエがやってきた。骨格の良さと鍛え方が分かる足取りに気品を履いて、風雅な色香を香水のように振りまきながら、シゾーのわきを通り過ぎる。そして、何食わぬ顔で寝台に悠然と腰掛け、火のない煙管を咥えようとした。
そのしれっとした態度に、尻すぼみながらも、ついつい恨み節になってしまう。
「ってか、本当にあの星図の絵本どこやったんだよ? あと三話は確実に残ってたのに」
「アンタあれまで読んでたのかい?」
驚いたというよりも、疑わしげに首を傾げた彼女に、シゾーは半ばむきになって噛みついた。
「読んでたよ。方位の目印にしかしてなかった星の配置に、ドロドロの背後関係物語がこじつけられてるなんて知らなかったから。あんなもんにまで人間界を投影する奴がいるなんて病的過ぎで、びびった」
「はー。しかも分析の角度がズレて四十八度。ヒネてるわー。ヒネるならとことんだわーこの子」
「ほっとけ」
千秋の恨事だと言うのに、うっとりと侮ってくるペルビエに、ふと伝え忘れていたことを思い出した。
「そういや、一応出入りする部屋全部の給油はしておいたけど」
「そうそう。そういう世間様を圧迫する図体してる奴は、迷惑かけてる分、そうやって役立つ時に素直に役立っときゃいいのさ」
「その図体まで成長したからシモの雑用も出来るんだろ」
「役立ってるじゃない?」
勝ち誇った笑みすら板についているペルビエに、ぐうの音も出なくなるが。
それでも雇い主に、骨子の報告はせざるをえず、シゾーは不機嫌ながらも、あとを続けた。
「三日会わざれば括目して見よってのは、娼婦もだな。急成長してる。特に最後の金髪」
「ああ、アドヴィカね。あの子は見込みあるよ。目端が利いて、勉強も物覚えがいいし、政治経済の話も呑み込みが早い。歌声も愛嬌ある。その分プライドが高いとこがあるけど、落ちぶれて卑屈になられるより向上心があるだけマシ。貴族受けするタイプ」
「あれ。髪、かつら?」
「そう。気になる?」
「そこくらいしか気になるところがない」
「伸ばそうか切らそうか悩みどころなんだよねえ、髪。アドヴィカ、うなじ回りから整ってるし、つるっとしたタマゴ顔だから、編み上げても栄えると思うんだけど。アンタどう思う?」
「えー? 根元、育て方どっち? お茶請け娼婦として上品に飾っとく用なら伸ばしても邪魔ないだろうし、品を剥いで犯らせる用なら伸ばすだけ邪魔だから切れば?」
「バランスとらなきゃならないから、この商売苦労すんじゃないか」
「じゃあそのアドヴィカ本人に任せれば? どうせ手入れすんの自分なんだから」
「本人は染めようかって言ってるんだよねぇ」
「ふーん。それ困んの?」
「染め粉の扱いが、ちょいと厄介でさ。裏の川で毎回丹念に落とさないと、かぶれる子もいる。無いものに執着するより、あるものを生かす方向に持ってってくれたら、経営者としちゃありがたいね―――ちょいと。なに笑ってんだい?」
「いやなに、どこも似たようなもんで頭が痛いんだなぁって」
ため息をついて、シゾーもペルビエと同じ寝台に腰掛けた。隣同士に並ぶでもないが、長いこと話すなら目線の高さは似通っていた方が話しやすい。それだけで、おおよそ彼女の対角あたりに座ったのだが。
その指に指を重ねるためならば金銀螺鈿で作り上げた花束を捧げようという客もいる―――ちなみにその男は成金趣味だと袖にしたらしいが―――ペルビエは、今この時ばかりはただただきょとんとして、顎下にその麗しい手先を丸めた。もう片手に、煙管をくるりと回して、
「……カウチソファー代わりにしたって、アンタがここを使うなんて初めてじゃない?」
「言われてみれば、そうかも」
「いっくら言っても強情に部屋の隅の床で寝るんだから。どうせシーツだろうがカバーだろうが、日に何回も変えちまうんだ。遠慮されちゃ寝覚めが悪いったらないよ。布団にまで体臭が染みつくほど居着いたこともないくせして」
「そうじゃなくて―――こんな上等なとこだと、ぐっすり眠り込みそうだから」
「はあ?」
「夢を……見たくなくて。寝るなら、うつらうつらか、真逆に気絶するくらい深くまでか。どっちかがいいから」
「妙なところで……妙だねえ。アンタ」
きょとんとする段階を、もうひとつ引き上げて、ペルビエ。
「寝入り端に枕元にやってくる死に神が、こわいっての? 葬送銀貨? それともデュアセラズロ? 首輪に繋いだ子鬼を無意味に踏みつけつつ、やたらトゲトゲした角と牙と翼を振りかざしながら、べっちょり粘液吐いてくる? あおみどりの。それとアレよ、舌なめずりしてヨダレだらりんこ?」
「それが神様だとしたら、まず間違いなく生死とはかけ離れて邪な別の何かを司ってると思うよ……」
「まあ生贄よこせ系だわね。なぁに? それが嫌だってのかい? あんなマイナス大明神が頭からバリバリ咀嚼すんのは処女百人単位からだろ。そちとら性別からして無関係だし、傍観してて良心が痛むほど現実的な光景でもあるまいに」
「……だから……俺は、夢を見たくないだけで……」
「にしたって、右に出る者がいないブッ殺し技能検定ナンバーワンの錬成魔士どもや、人食い大魔獣よりも、駄々を捏ねたくなるくらいに―――見たくないのかい?」
「………………」
「はー。頭が痛い要素増えたわ。身体は資本だよ。寝足りなくて出来る本業かね? 旗司誓ってのは」
実際に頭痛を感じたとでも言いたげに、片手を眉間に当てるペルビエだが。その指先に摘んだままでいた煙管を、ひょいと唇にやって、さも当然と話のよりを戻す。
「頭が痛いと言えば、最近はドレスの意匠も流行り廃りの周期が短くなってきてね。豊かになってきた証拠だけど。で、アンタのそいつも更新してみたってわけさ。どう? なんなら、そのまま王侯貴族の舞踏会にだって行っておいで。あそこでの付き人なら、あんたの容姿だって平均並みだ。へりくだってりゃ、つまみ食いも許されるだろうさ」
「それは御免。餌付けされるためだけに使用人に成り下がるより、ここで雑用しながら賄いもらう方がいい。ちなみに、女物の方はどんなデザインが最先端?」
「今は、そうさね……男装も幅を利かせ始めた。女性ってのを売りに出してるパターンは―――肩を大きくふんわり包んで、首にチョーカーやスカーフを使うやつが主流かな。モノによっちゃアンタでも着こなせそうな」
「はあ!?」
裏返った反駁をはりあげたのが、やぶ蛇だった。
矮小な鼠をいたぶる猫の眼差しに変転して、ペルビエが寝台の上を、すすすと寄ってくる。シゾーも怯んだ及び腰でじわじわと後退るのだが、見逃してくれる気配はない。なにやらくねくねと余計な動きをしながら、楽しげに、
「やってみる?」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
「よぅし決まり。フルコースだ。オプションで貞操帯も付けよう」
「やだやだやだやだやだやだ!」
「アンタ、陰のある女顔だからねえ。彫りが深いから化粧栄えはしなさそうだけど。カナピヤあたりの腕試しに、一丁させてみるか」
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!」
「うん。手始めにそのゴツいシックス・パックをコルセットで締め上げてから、腕まわりは服のタイプと質量でカモフラージュして、喉仏は厚めのチョーカーと大ぶりのネックレスを巻くだけで済むだろうし、髪は痛みすぎてるから練り香油をたっぷりめに……にしても、その身長じゃなに着てもミニスカになっちまわなぁ。切る? とりあえず長いとこからちょん切る?」
「やだっつってんだろ呪われた耳栓でも付けてんのかこのアマ! てぇか手管がどんどん具体的になってきた上に、ドライな審美眼で俺のそこかしこを鑑定するな! やらねーからな、ぜってぇしねーからその雑用!」
「まあ、いかに多趣味の業界とは言え、うちの男娼にゃあちょいと凶暴すぎるかね。それがいいってコアなジャンルまで新規開拓するのも。まあ、おいおい」
「するのか!?」
「このまま商売繁盛すればバッチこい」
「誰が!?」
「時給アップだ。ちゃりんちゃりん」
「俺が!? しかも音的に小銭!?」
「金貨かもよー?」
「この店で公用金券じゃないコイン使う田吾作なんかいるか! ざっけんなよ! そもそも雑用雑用ってコキ使うばっかで、給金なんてくれたことないくせして!」
「え? 欲しかったの?」
「欲しくない。ただの売り言葉に買い言葉。賄いついでに、本と食事と女にありつけるだけで充分」
「ははは! いいねえ。否が応でも払いたくなった。そのうち耳を揃えといてやるから覚悟しな」
「なんで身銭切る方が勝ち鬨なんだよ……」
呻くのだが。ペルビエは高笑いをしながら、ぽいっと投げ出すような仕草をする。聞き耳持たずの意であろう。
ごく当たり前のようにまくし立てた末に、執着するでもなくあっさりとそれを手放してみせる彼女は、おそらくどこまでも本心なのだろうが。それでも凝視を避けるため身を縮めつつ、戦々恐々とシゾーは冷や汗を垂らした。
(どこまでも容赦せず猶予なく本気で正気でしかないからなあ……このペルビエって人は、はじめっから。キレ具合が貫徹してるんだ。ジンジルデッデの同属だよ)
こわごわと窺っていると、当の彼女が、にっこりと笑いかけてくる。口許の煙管をぴこぴこ上下させて、満足そうに。
「あたしに諦める理由があってよかったじゃないさ?」
「ふざけるな。嫌がってるんだ。承知もしてない」
「そんなもん理由になりゃしないよ」
食い下がるのだが、彼女はにべもない。煙管を指に戻し、付いてしまった口紅をハンカチで拭き取りながら、さっきまでの鋭利さはどこへやらと不思議なほど目付きをおっとりさせていた。
「人はなんだって正当化できる。あたしからすりゃ、あたしの説き伏せようとする努力に応えないアンタが依怙地なあんぽんたんのコンコンチキってだけで、あたしがアンタを手に入れるのを泣き喚いて遅らせてることこそ不当なんだよ。止められるかい、そんなもん―――問題は、あたし自身が途中から、本当にそれが欲しかったのかを見失ってしまうことさ」
「泣いてないし喚いてない。しかも途中から、なんの話だ?」
「手に入れることと、手に入れるという手段で支配することの違いについてさ」
「支配?」
「他人事みたいな鉄面皮ひっさげてんじゃないよ。さっき、奪われるのを許してるみたいでムカつくってほざいた口のくせして。知らないうちにあたしに見られてたのだって、イラッときたんだろ?」
「ああ……」
くぐもってしまう。そのまま有耶無耶に、だんまりを決め込もうかとも思ったが。
シゾーは首肯した。嚥下した。
「―――そうだね」
「そのピアス。タグなんだろ?」
甘んじて、受け入れる。
「ああ。飼われてる。契約……した」
「家畜は飼われることで、狩り尽されることなく、安全に一定数の種族を保ててる。それって、いいだろう? 拗ねて、謗る卑下に使うだけじゃないってことでもあるのさ」
「俺は―――犯して殺して首を落とすために飼われている」
諦めて、認める。
ペルビエは、これまた完璧に、冗談に悪乗りするしたり顔となった。
「おやおや。旗司誓ってのは、ここしばらくで外道じゃなくなったって聞いてるけどね。それともピュアになり過ぎちまったせいで、武装犯罪者の薄ら馬鹿と司右翼の餓鬼大将に当てられたとか?」
シゾーもまた、彼女へと微笑み返した。惨めったらしく泣き喚くことはなくとも……ふと泣き笑いしてしまいそうになりながら。それでも、口走る。
「……だったら俺、向いてる?」
「いいや。血に飢えたエテ公どもがふんぞり返って、もぎたての生首を振りかざすこと九死に一生。そんなもん生き甲斐の範疇じゃあない。とっとと辞めちまいな。そうやってしょんぼりするだけ取り柄が損だ。ピアスくらいもっと洒落たの先払いで買ってやるから、うちで雑用がてら詩吟の塾長でもやっとくれ」
流暢に斬って捨てたペルビエは、煙草盆を取り出して煙管に火を入れた。
「あ。あと未来のコアジャンル草分け担当者だった。うっかり」
「ぜってえ断る。しとけ。うっかり」
とりあえずそれだけは譲らないでおくが。
彼女は煙種も一級品だ。紫煙の芳香は、熟れた花の蜜のように甘やかしい。それでも思い出すのは……しきりに煙草を吸っていた、ツァッシゾーギだった頃の記憶だった。やにの染みた自堕落な髪を切ってくれたシヴツェイアを思い出せば、霹靂の殺意を狂い猛らせた鬼気の狂奔までもが、眼窩の奥まったところから圧し上げてくる―――そんな重たい惝怳。それは染みだ。ただひとつ、ぽつんとあるだけの、……それだから見過ごされない、シヴツェイアとザーニーイにとっての―――たったそれだけだからこその―――汚点。
彼女には許せない。ザーニーイの楽園障害は治らない。彼には許せない。とうさんにはなれない。それはシザジアフと同質であり同一だ 楽園は失われた。
酷な仕打ちだ。もとより存在しなかったことより残酷な仕打ちだ。あったことを知っている なければよかったと希ってしまうまでに。
あれから三年経った。今では、四年目も五年目もこうしていなければと思えていた。ただただ姑息な時間稼ぎをし続けるという、自分に残された道を進んでいく。
(これしかないんだ―――俺は、もう、)
変わり果てた、今となっては。
(シヴツェイアを犯して殺して首を落とす日のために飼われているんだから)
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