されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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結章

結章 第二部 第三節

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 夜。夜半へと向かう……よいの途中。

 刻一刻と揮発きはつしていく太陽のぬくもりを夢見て、人は地表に明かりをともしたのか。火種のもとで暖を取りたいと のぞんだ瞬間から、そのほむらによりきたえ上げたはがねで他者の喉肉のどにく血飛沫ちしぶきまみれに えぐり出す罪深い日は訪れ始めてしまったとしても……原罪ある巨人は、はじめてしまったのだろうか。あたたかな―――ゆびきりを交わした小指の腹にはらんだ温味ぬくみを、自慰じいではまかなえないと悟ってしまった瞬間から。あるいは、母体として閉じていた十月十日とつきとおかの完璧な楽土から、母と子へと身体からだわかたれた時から。誰かをこいねがう指先を、自分がここにいるとい願う呼び声を、どこまでも伸ばし始めたのか―――

(この絵を見て、こんなことを思ったのは初めてだな)

 ふとシゾーは、それに気づいた。

 娼婦館しょうふかんにある小部屋のひとつ―――その壁に飾られた、ひと抱えに出来る大きさの絵画。せり出すほど真っ黒に厚く塗りつぶされたカンバスの中心がぽつんと欠けて、穴が開いている。穴の周囲から油彩が罅割ひびわれてがれ出し、まるで噴火口ふんかこうの開いた火山のミニチュア模型を壁に掛けたようにも見えたが、どうやら何重にも様々な絵を描いた最後に黒塗りに閉ざした作品のようだ。ぼろぼろと砕けた欠片かけらの層から、ありとあらゆる色相と描画がうかがえた。それもアートの一部と言うことか、カンバスの底辺沿いに作られた雨樋あまどいのような受け皿には具材のかすが溜まり続けている。画家のめいは見当たらず、下げられた金属製のプレートには題字のみがつづられていた。

 ―――終末を得る物語、と。

(どこまでいったら終末なんだろうな。この絵は)

 一層目の静物画が剥離はくりした時だろうか。三層目の裸婦らふ画が現れた時だろうか。覆い隠していたすべての色彩を失ったあとに残される布一枚、ただそれだけの姿となった時だろうか。あるいは、すべての絵が暗黒に閉ざされた時こそが終幕だったのか。どうしたところで分かりはしないし、どれであったところで大差もなかろうが―――はじまってしまっていたのだから、それは続く……

「お前に芸術をでる心があったとは意外だな、ツァッシ。ひげをり落としたついでに、人ならではの煩悩ぼんのうまで落ちたか?」

 言われ、隣を振り返る。なにくれとなく室内の内装を吟味ぎんみしていたはずのキアズマが、さ晴らしついでだとあけすけに吐露とろする面貌めんぼうからひとにらみをいで、両手を互いのひじえるポーズで立っていた。腕組みではない―――彼のまとった純白の正装は余分な構造を排されているので、余剰な動作は窮屈きゅうくつさを覚えるだけなのだろう。服装に合わせて、今ばかりは一纏ひとまとめにしていたうなじのくくひもを外し、背中を一面におお真紅しんくの直毛をひけらかしていた。その貴族然としたたたずまいにあって筋骨きんこつの肉付きの良さは不自然にも思えたか、長髪の赤味の方が際立っているので、あまり目立たない。

 厭味いやみを言われたことは理解していたが、直前までの物思いを取りこぼしてしまったはずみで、なんとはなしに丸め込まれた心地が勝り、ぼんやりとシゾーは気圧けおされるに任せた。

「そう見えたのか」

「違うとでも?」

「どうかな。そう見えたんなら、その通りなんじゃないか。お前はこの絵をどう見る?」

「ふん。聞きたい返事をせびるなら、もう少し効果的な誘い水をくがよい。絵と出った場所、絵を買った金額、絵を飾る意味合いと、絵を飾るに至った経緯けいい。出逢った場所によっては運命的な、購入金額によっては高貴な、意味合いと経緯によっては意味深いみしんな文句をってめてしんぜよう」

「だったら、水子みずこの生き血と処女しょじょ背膏せあぶらを込めた絵の具で描き終えたあと絵筆で目玉から脳までき混ぜて自死したなんて画家の顛末てんまつはどうだ?」

「……本当か?」

 いっそ信じてしまった方が楽になれるような苦悶くもんで、キアズマが渋面を更にえぐった。そのタイミングで。

「おお、やだやだ。どんちゃん騒ぎの片棒かたぼうかついだ立役者たてやくしゃサマ御一行ごいっこうのお出ましだってのに、手土産てみやげのひとつもないんだからシケてるよ」

皮肉ひにくらないでほしいな。ペルビエ」

 ノックがてらドアを開けるなり、ドレス姿に相応ふさわしいしゃなりしゃなりとした身のこなしとは裏腹な辛辣しんらつさで茶化してきた彼女―――ペルビエ・シャムジェイワに、シゾーは愛想笑いを崩れさせた。

 中に入ってきて二歩ほどで足を止めるなり、火のない煙管きせるを指揮棒のように振ってみせた彼女は、特に己の口にした冗談にこだわるでもなさそうだったが。それでも、なんとはなしに、言ってみる。

「にしても。手土産なんて。なにか欲しかった?」

「まずは、」

「やめときなよ。死人出るだけじゃ済まないって、そういうの」

「どうして分かるんだろうねこの子ときたら。腹立つったらありゃしない」

 ぶーたれ顔―――とシゾーが勝手に名付けた―――を、ぶちぶち毒つかせてから、ペルビエは更に視線をほうった。シゾーを越えて、その肩向こう……つまりは、奥で佇立ちょりつしたキアズマへと。

「久しいね。キアズマ」

「ああ」

 彼を見ても……彼の扮装ふんそうを見ても、彼女は特に目の色を変えるでもなく、声色もまた顔見知りにおく挨拶あいさつ以上の親愛を込めたものでもなかったが。そのせいで余計に、むっつりとしたキアズマかられ出る殺気ばんだ空気との差が浮き彫りになる。

 だとしても。なんの惰性だせいなのか、ひるむでもなくペルビエは続けた。

奥方おくがたは元気かい?」

息災そくさいだ」

「なんだ。後妻ごさいあさりにきたのかと」

「不吉なことを申されるでない」

「だって、神様に愛の誓いでも立てそうな格好をしてるじゃないのさ」

「神なぞおらずとも、人は愛さえあればいわしの頭にさえ信心をあかすものだ」

「そりゃおかしい風景だわな。わらっていいかい?」

「好きにはからいたまえ。愚かな者ほど、軽侮けいぶすることで理解したと信じ込む」

「いやまあ愛だろーが信じる心だろーが、さすがに鰯の頭にちかわれたらアシューテティさん泣くだろ多分」

 半眼はんがんを冷まして、思わず割り込むシゾーだったが。これから先を見越して過緊張を煮込む一方のキアズマは、い出るような声音こわねにシニカルなけわしさをして、真顔で切り返してくるだけだ。

「そういうお前の刀自とじは?」

「あいつの誓いは双頭三肢そうとうさんし青鴉あおからすを司る旗幟きしにあるし、だからこそ泣かせてたまるか。夢に見るだけでうんざりなんだ」

「お前自身はどうなんだ?」

「俺は誓ってヤケクソなだけだ。だから泣くのだって俺でいい。そう決めた」

 断言でキアズマを振り切って、ペルビエへと向き直る。

 彼女と言えば、見慣れない二人連れ―――今となっては―――のかもし出す秘密めいた雰囲気に、ひとまずは静観を決め込むつもりらしい。関心をひそめた瞳のハシバミ色は揺らぎもせず、灯火輪シャンデリア燈明とうみょうばかり無垢むくに宿している。

 その虹彩こうさいに映り込んだ己の双眸もまた揺らぐようなものではなかったが、改めてそれを見据えると腹の据わり方も変わる。シゾーは口を開いた。

「俺の服。ここでの。あるだろ?」

「そりゃあるよ」

「欲しいんだ」

「おう。持ってお行き」

「ごめん」

「なにをびる?」

「―――きっと返せない」

「それがどうした。アンタに合わせて仕立てたんだ。アンタ以外にゃつんつるてんだ。着倒すのが道理だし、あたしへの義理ってものさね。違うかい?」

「……かなわないな。ペルビエには」

「キアズマもこんな風体ふうていをしてるってことは、すぐ着てくのかい?」

「ああ。俺の今の服は、ここに置かせて」

「なんだか遺品みたいで気味が悪いね」

「そうだね。そうなったら処分費用は俺のズボンの財布からか給料未払い分からか、適当に差っ引いといて」

「はあ?」

 怪訝けげんさもあらわに口を半開きにしたペルビエだったが、そのくちびる煙管きせるくわえることで内心をたしなめると、こちらを手招きした。ついで、立ち尽くしたままのキアズマに、声を掛ける。

「まあ着替えるってんなら、部屋までおいで。キアズマはどうする?」

生憎あいにく、同性のストリップ・ショーを見る嗜癖しへきなぞ持ち合わせておらぬ。このまま待たせてもらおうぞ」

「あらそ」

 つれない態度に目をしばたいたにせよ、ペルビエはさじを投げなかった。別口から提案する。

「なら、お茶くみでも誰か呼ぼうか? サービスするよ」

「結構だ。妻のせんじぬ茶なぞたしなめたものでない」

「はいハイ」

「とかエエかっこしいしてる割にしょっちゅう手料理でヘロヘロにされてんだよコイツ」

「なに告げ口しとるかツァッシ!?」

「あーらら、御愁傷ごしゅうしょうさま。まあ舌が肥えてるんだから、庶民料理のパンチにノックアウトされたところで不思議じゃないわ」

「レディ・ペルビエに至っては同情からなぐさめまで! コンプリート! 不覚!」

 ショックを壁への頭突きでまぎらわせ出したキアズマを残して、シゾーとペルビエは退室した。

 娼婦館しょうふかんは、相変わらず洗練されていた。唯夜ゆいや九十九つくも詩篇しへんに根差す貴族でありながら零落れいらくまぬかれなかった者など数えても切りがないし、そういった者が土地屋敷を売り払って移住するのもご多聞にれずといったところだが、その土地屋敷を土地屋敷のまま買い上げて保存し、価値を伝統と格式もろとも受け継いだのは、ひとえにペルビエ・シャムジェイワの慧眼けいがんが成した賜物たまものと言える。しかも、り固まり古びていた風紀を刷新し、流行を加えた。彼女には、難無なんないことだった。貯め込まれていただけの古美術を美術品として開放し、品相応そうおうに飾り、品良く画廊がろうしつらえた……なんなら使用することすら、彼女には造作もないことだった。廊下は燭台しょくだいからの明かりに満たされているどころか、くまなく香道こうどうの残り香が満ちている。この残り香を目当てに身銭みぜにを切り、入場してくるだけの者もいるくらいだ。

 まあ、そういった純粋な求道者は開館時に集中するものだから、こうしてよい時に廊下を行くとなると、行き交うのは娼婦ばかりだった。ペルビエと並んだシゾーを見つけると、通りすがりざまに、商売用とは違う笑顔を咲かせてくる。もれなく全員、シゾーの守備範囲だ。そうなると―――

「ねえねえ、今ほどお連れになった素敵な殿方とのがたはどうなさったの?」

「今夜は、どちらのお相手をおつとめに?」

「わたしはいつでもいいわ。詩吟しぎんをみてやってくださらない? 手習いを終えたのよ」

 とまあ三名くらいは、そそくさと近寄りがてら、意気込んでまとわりついてきもする。

 こういったせめぎ合いは本心からシゾー自身を取り合ってのことではなく、娼婦ら自身のプライドに根差した自己主張といった側面が強い―――少なくとも前者だと自惚うぬぼれていられるほど初心うぶではいない―――のだが、巻き込まれてしまうと無視も出来ない。立ち往生おうじょうしたシゾーを横目に、歩を止めてくれたペルビエが、軽快に両手を打ち鳴らしがてらなだめすかした。

「はいはいみなの衆。今日は、そういった日じゃないんだよ。手が空いているなら、自習にお戻り。エフリアラは古典の読み進めが遅れていたし、テティーナは楽器の暗譜あんぷがいまいちだったじゃないか」

「はあい」

「はい」

 素直に聞き入れたようでいて、めいめいぎわに合図をくれてくる彼女らに、シゾーもまた反射的に目やら指やらの仕草を送り返した。その最後に―――

 最後のひとりだけ、立ち去る様子がない。そのいぶかしさに、改めて彼女を見やる。無論のこと、娼婦だ。十代なかばほどといったところか。かどのない輪郭りんかくと つるりとした白磁はくじの肌は万人受けする美貌びぼうだろうが、露骨に勝気そうなつり目をチャームポイントと捉えるかどうかで好みが分かれそうではある。金の髪は、かつらのままと見えた……ただし、それを不満に思っての仏頂面ではないようだった。知った相手であるから、それくらいは察せる。名を―――

「アドヴィカ。なぜ行かないんだい?」

 ペルビエの方が目敏めざとかった。問いかけた女城主じょうしゅならってシゾーも状況を見守っていると、彼女―――アドヴィカが、床へと逃がしていた目線を目蓋まぶたごと さっと引き上げて、物怖ものおじせず言ってくる。

「どうしても詩吟をお披露目ひろめしたくて」

「アンタはいつでもいいんだろ? こっちは急ぎだ。あとにおし」

「コツを教えてもらって上達したのだから、聴いていただきたいの。恩返しよ」

「あとで好きにおし」

 そして両者同時に、迂遠うえんな期待を物語る眼差しをシゾーへと回してきた。アドヴィカのそれは控え目ながらアドヴィカ自身の擁護ようごを乞うていたが、ペルビエのそれはペルビエ自身の肯定を当然としている―――その時点で勝敗は決していた。もとよりペルビエの口上こうじょう的外まとはずれではないので、シゾーもさほど悪びれることなく、せりふを口にする。いつもの癖で、腰の高さを下げるようにして目線を合わせてから、

「ありがとうアドヴィカじょう。今は、気持ちを聞けただけで嬉しかった」

 今は・・と口にしたことでニュアンスは伝わったようで、アドヴィカの失望はその眼光の熱っぽさを冷ます程度で済んだ。またペルビエについて廊下を進み出す前に、彼女の目配せと黙契もっけいを交わしておくことも忘れない。

 ともあれ、悪い気はしない。歩きながら、シゾーは独ひとりごちた。

「上達した恩返し、ね」

「シモの方期待きたいしてんじゃないだろうね?」

「うん?」

 苦言をちくりと毛羽立けばだたせたペルビエに並んで、小首をかしげる。

「言われてみれば。それもいいか」

「個人的に楽しむならかね取るよ」

「俺から? アドヴィカ嬢から?」

「楽しんだ方に決まってる」

「となると折半せっぱんかな。でも、楽しさに気付くのは勉強の第一歩だと思うけど」

「そして楽しみが売り買いされることも経済の第一歩だ。売買春は、天地開闢てんちかいびゃく以来の商売だろ?」

若気わかげの至りだとか愛だとか、建前たてまえ次第で永代無料えいだいむりょうなのに」

「じゃあ若気の至りでも愛でも、なりから入ってみるかい?」

「やだよ。結局のところ無料ただより高いものなんて無いんだから」

「ならアドヴィカとも大人しく下働きの一環として関わるだけにしとくんだね」

「しといてるじゃないか。俺がここで誰かに入れ込んでるなんてうわさ、一回だって立てたことないだろ? 意地悪だなあ。こんなドくさ性分しょうぶん分かり切ってるから、俺のこと使ってるくせに」

「こーんなけ込んだマセガキ、老けてマセてるとこ使わにゃ単なるガキだ。このやかたと同じだよ。宝の持ち腐れにしたって勿体無もったいない」

 一拍。

 十中八九じゅっちゅうはっくペルビエは、まだ掛け合いが間断なく続くと思っていたのだろう。ふと やってきた沈黙に、不審げに頬をよじらせると、目角をこちらへ寄越して―――ぎょっと目を見張ると、首から上を振り向かせてくる。くわ煙管きせるが、回り遅れて派手に揺れた。

「なにニヤニヤしてんのさ。気持ち悪い」

「いや。ここでそう思ってくれるのがペルビエでよかったなって」

「気持ち悪うぅウ」

 うめき声を震わせて、背筋をそびやかしながら両腕ごと上半身を抱きしめてみせる彼女は、心底てらいない―――この館内にペルビエの関与しないスペースなどありはしないが、私的に使用するレベルが上がるにつれて客向けの区画から外れてしまうので、外面そとづらを取りつくろう意味もないのだ。実際ここまで入り込むと、急に人影はまばらとなった。ちらほらと見かけないではなかったが、大体は手前のかどを曲がって消えるか、ドアを開けて部屋に入ってしまう。く言うシゾーたちもまた、その頃には上階へ向けて階段を上り始めた。目的の場所は二階にある。

 手持ち無沙汰ぶさたに、シゾーは隣を行く彼女へと問いかけた。

「ペルビエこそ、俺の相手なんかしてていいの? かき入れ時はこれからでしょ」

「かなりの予定客が、王冠城おうかんじょう服喪ふくも会に行っちゃってね。すこんと肩すかしにスケジュールが開いたのさ」

「ペルビエは、その予定客の誰かに同伴して行かなかったんだ」

「あえて首突っ込むほど面白かなさそうだしね、見ず知らずの他人の通夜なんて。誘われて断れないほどの上客は、隠居も隠居のご老体ろうたいばかりだから、茶飲み友達するのも午後ルビわくしまいだし。突然の余暇よかってわけ」

「貴族の社交界ならではの情報は欲しいとこなんじゃない?」

「高級娼婦のネットワークをあなどるでないよ。坊や」

 揺るぎない笑みを煙管きせるごしに鋭くぶつけられて、シゾーは両手を軽く上げることで不戦敗を示した。

 その頃には、いつもの部屋に辿たどり着いた。中から持ってきた提灯ランプに、廊下の燭台から火をもらい、それをたずさえて室内に入る。

 いつもながらの、最低クラス―――つまりはペルビエ・シャムジェイワとの逢瀬おうせに使うにはと言う意味で―――の応接室である。毛足の長い絨毯じゅうたん。それ以上に厚みのある寝床は清潔で、シーツには染みどころかしわひとつない。千獣王せんじゅうおうみゃく模様を浮かせた陳列棚ちんれつだなには、小瓶こびんに詰められた酒や絵皿……そこに立てかけられた本が定期的に入れ替わるのは、純然たる彼女の趣味だ。要は、女城主として別格のペルビエは、高級娼婦として同衾どうきんする会場も最上階を指定する客しかいないので、客に披露ひろうする必要がないにしても遺棄いきするには気が引けるものが集まりがちになっている部屋があると言うことだ。そういう意味では、シゾーを子飼いにしていることも彼女の純然たる悪趣味でしかないので、ここに自分が居着くのも自然な流れと言える。彼の制服が、ここに仕舞われていることも含めて。

(いやまあ、仕舞われているのとも違うか)

 陳列棚の横で衣桁いこうに飾られた衣装は、まるで美術品のひとつのようだ。実際、自分が不在の時に展示されていたところでおかしくはない。キアズマが袖を通している絶品の足元にも及ばないにせよ、それでもこれ一着を質屋に持ち込むなら大棚おおだなを選ばないと換金を断られるだろう。それくらいの品には違いないのだ。

 着替えるだけなので、照明もこの提灯ランプで足りる。適当な応接机にそれを置き、衣桁いこうへ歩み寄ったシゾーは正装へと手を掛けた。念のために上着の内側を探ると、懐剣かいけんもポケットチーフもろとも、そのままポケットに収められている。

 ズボンから抜き取った研磨石けんませきを内ポケットに滑り込ませた入れ違いに、シゾーは懐剣を取り出した。そして、しげしげと観察する。一見すると大ぶりの万年筆のようだが、さやから抜くと、刃幅ははば横指おうし足らずの細身の直刃すぐはとなった。旗司誓きしせいからすれば、玩具おもちゃのようなものだ―――それもそのはず、これは由緒ゆいしょ正しい装いに付き物のポケットチーフと同じオプションであり、それらしくこしらえに銀を盛るなり螺鈿らでんほどこすなりしてある美術品のたぐいである。その美的感覚がグリップの邪魔となる上、つばもない。武器として頼るには頼りない。

(それでも。手札だ)

 さやを戻して、それもまた上着の中に戻すと、かなり胸ポケットは膨らんだが、背の高さがある分体格たいかくの一部としてまぎらわされてくれるだろう。背に腹は代えられないとくれば、楽観視らっかんしする程度しか打つ手はない。

 シゾーは着ている自分自身のシャツに手を掛けた。腹部の縫合痕ほうごうこんを布地がこすり上げないよう慎重に脱いでから、包帯に指を掛けてみる。目が細かいその生地きじは、伸縮性と弾性があるので―――包帯の中でも高価なものを奮発してくれたのか―――、多少の動きでは解けないと踏んで良い。

 その上から、そっと三本指の腹で創傷に圧を掛けてみる。当てられた厚布が、ぱりぱりときしむ感触は無かった。どうやら、浸出液しんしゅつえきも最小で済んでいるらしい。もう体温も平熱に近い。このまま痂皮かひ化できるなら、喜ばしいことこの上ないのだが―――

(どうしたって傷口が開かずに済む見込みもないとくるんだから、わらえるよな。ったく)

 と。

「なんだいそれ? へその横っちょ」

 振り向く。いつものように寝台に端座位たんざいを取ったペルビエが、疑問符を跳ね上げたはずみで煙管きせるを口のはしから落っことしかけていた。自覚はあったのか煙管きせるを左手に移して、その先っぽを つんつんさせてくる―――彼女のげんを借りるなら、シゾーの臍の横っちょへ。

 言いわけすることでもないし、言いのがれ出来るようなことでもない。もとより、どちらであれペルビエ相手に成功する気もしない。ありのまま、こたえる。

「刺された」

「女に?」

「今度は男」

「女がらみで?」

「だったらまだ楽が出来たかな」

「出来ないみたいな言い方だね」

「思い返してみたら、あいつ絡みで楽が出来たことなんて一回たりと無い気がする」

「じゃあ、なんのためにンなこと続けてんのさ?」

「だって。こっちの方が楽しい」

「遊びにしたって火遊びかい。見境みさかいのないお子様だこと。困ったもんだ」

「おそろいだね。俺も困ってるんだ」

「いわんこっちゃない」

 いている右手で目許めもとを押さえ、やれやれと首を振って見せるペルビエ。

 彼女の視線がさえぎられたのをこれ幸いと、シゾーはズボンを着替えた。本来は下穿したばきも専用のものに着替えなければならないのだが、それくらいは分からないだろう。キアズマとは違って、使用人の仕立てをしたシゾーの衣服には余裕がある。

 そして上着からくつ手袋てぶくろまで整えて、衣桁いこうに引っ掛けていた私服を畳もうかとした時だった。

「よし、一丁あがりだね。ほれ。ここにお座りよ」

 と、言いながらペルビエが、すぐそこの自分の対角―――寝台のかどを指した。

 目をぱちくりさせて突っ立ったままでいると、ペルビエがわきの床頭台に手をやった。そこの天板にある煙草盆たばこぼん煙管きせるを置くついで、なにやら引き出しの中を物色し出す。まず取り出したのは、てのひらサイズの小箱。続いて、かざひも。最後に、くし

鈍感どんかんにしたってほうけることかい。そのバッサバサな ざんばら頭を、おべべに釣り合う風にしてやるよ。だから座りな」

「……ペルビエが? 俺に? 出来るの?」

「おうとも。これでも昔はよくやって泣かした泣かした」

「なんでヘアスタイルをキメるだけでヒト様の涙をちょちょ切れさせることが出来るのか分からないんだけど……」

「そりゃま、赤の他人ならね。無理よ。見放せばあきらめもつくから涙も出ないわ」

「え?」

「いやなに、こっちの話さ。そら、お座りよ」

 逆らうべくもないのだが。

 示された寝台の隅っこへ腰掛けて、それでも落ち着かず、シゾーはぎくしゃくと猫背を真っ直ぐに伸ばした。膝小僧ひざこぞうを撫でさすって息苦しさを誤魔化ごまかそうとするのだが、やはりうまくいかず目をうろつかせる。いつもは正装に着替えたところで、髪型まで入念に支度することは無い―――しょせんは表舞台に出もしない下働きであるし、しもらしく働くとなればなおのことひと仕事済ませるごとに身繕みづくろいしなければならないので、頭まで逐一ちくいちかかずらうことなどしなかった。

「ま。アンタくらいの長さで、素のまま流してるキアズマを引き立てるなら、オールバックにして襟足えりあしでひとくくりってのが正統派スタンダードってとこか。しっかりと香油こうゆまとめとこう。なんのにおいにしようかねえ? 花? 茶? 果物?」

 背後から聞こえてくるペルビエの声は、なにやらうきうきとトーンを上げていたが。なおのこと、そらおそろしくはある。

えりを汚しちゃいけないから、後ろにハンカチ当てるよ」

 言うが早いか、後ろ首から回された手がつまんだハンカチのはし同士を、喉仏のどほとけの上あたりで締められた。まさかそのまま絞め殺されると思ったわけではないが―――横暴おうぼう極まる茶目ちゃめっ気けとしてなら大いにあり得るとしても―――、それでも俎板まないたの上のこいなりにじりじりと悲鳴を喉にめながら、警戒しつつ背後の動向を探る。

 シゾーの背後に立ったペルビエは、ハンカチ越しにうなじへ片手の指の腹を触れさせると、そのまま彼の黒髪をひとふさ持ち上げた。そして意外に優しい手つき―――意外だとも―――で、毛先からくしかしていく。その都度つど、不遠慮な奇声がれた。

「うへえ。ぷつぷつ切れちゃってまあ、ひっどい枝毛だこと。サラッサラのストレートロングだったのが見る影もない」

「ずっと悔踏区域外輪かいとうくいきがいりんにいるんだから、これで普通だって」

「だからって、いっつもバンダナ巻いて押さえつけてるだけで。安いやつで構いやしないから、普段から整髪油せいはつゆくらい付けときゃ良いものを。旗司誓きしせいだってある意味客商売きゃくしょうばいみたいなもんなんだから、見目うるわしくしとくだけ損は無いだろ?」

「でも。そういうの嫌いな奴もいたし」

「いたからって、アンタの損得勘定そんとくかんじょうまで右ならえする意味ある?」

「あるよ。そうした方が波風立たないし、波風立ててまで執着することでもなかったし。毛なんて、いざって時に目に入らないならいいんだって」

「じゃあこっちにいた間、なんであんなに伸ばしてたのさ?」

「伸ばしてたんじゃなくて。切ってくれるような奴とつるんでなかっただけ」

「はー。やっぱヒネてるわーこの子。物事を分析する角度どころか素地からして、合計三百六十度はヒネてるわー」

「……それって一回転してるから、ヒネてない状態と、結局まったく同じじゃない?」

「なに言ってんのさ。結果が出れば過程はどうでもいいっての? 過程を踏まずして結果は出ないんだから、結果ばっかり偏重へんちょうするのは馬鹿ってなもんでしょ」

「そりゃそうだけど。どうせ最後が同じなら、途中ぐるぐるするだけ損な気も」

「それを言っちゃあお終いよ。アンタね、どうせ死ぬなら今ここで首る?」

「―――それが賢いって疑わずにいられるほど純然さながらとしていられたなら、きっと俺はアークレンスタルジャット・アーギルシャイアだよ」

「はは! 言うに事欠くにしたって愚かしいねえ。アタシに言わせりゃ、アンタはツァッシゾーギなんて呼ばれてただけの、シゾー・イェスカザっていうジジむさい性根した坊やさ」

「だよね。世の中なんて大概、誰だってそんなもんだよね。俺からしたら、ペルビエだって―――」

「ほう」

 すうっ―――と、と手がストップした。

 そのまま、シゾーとペルビエも止まる。

「…………」

「………………」

「………………ええと」

「どうした? 続けな。俺からしたら、あたしが何だい?」

「いちりゅうノれでぃナしゃちょうさまデス」

「がきんちょの口説くど文句もんくにしては、カタコトなだけにガタゴト抜かしてくれそうな裏があるように勘繰かんぐれるねえ。まあ、長ったらしい貴族かぶれの詩作されるよりマシか。例の成金花束はなたば野郎なんざ、こないだ あたしの空き時間ねらってオペラばりに小一時間うたってったよ。寝室のベランダめがけて、登った庭の木から」

「別にどうでもいいけど。え? ペルビエそれ見てたの? それとも聞いてただけ?」

「見て飽きた上に聞いて流せる出来だったから寝た」

「うーあー」

「そーだわねえ。今にしてみれば、あんたのその間投詞かんとうしの言いたいことも分かるわよ。もしかしたら、絶好の曲芸を見逃みのがしたかもね。おだてる前のぶたが木に登ったんだから、あそこでちょいとおだててやれば空までバヒューンと飛んでくれたんじゃないのって」

「ああ確かに命綱いのちづななくたってベランダに飛び移ってきそう。いや違う言いたいことそうじゃなかったろ俺。俺のうーあーそんなななうえ行くサディスト路線じゃなかったはずだ俺。こら俺」

 すんでのところでシゾーが自我を取り戻す頃には、ペルビエの手元は次の工程に移っていた。それが分かったのは、茶葉の香り―――に決めたらしい―――が鼻先までただよってきたからだ。どうやら小箱から取り出したらしい練り香油をみ込んだ両手で、シゾーの後ろ首から頭頂まで手櫛てくしを入れてから、前髪を後ろへ持っていく。ほおにかかるびんも、側頭へと撫でつけた。まずは右から……そして、左側も。

 その時になって気付いたらしく、ペルビエが口をいた。

「あらま。左耳のピアスはどうしたんだい?」

「もうらない」

「甘っちょろいねえ。タグを失くした家畜なんて、さくから出たが最後、狩り出されて食われるのがオチだよ。かわりのあげようか?」

「要らない。もうある」

「そう」

 指摘してきたわりにそれだけで終えて、ペルビエは指先でくしけずるのを終えた。そして本物のくしでオールバックを仕上げると、悪ふざけもなく後ろ髪をかざひもわえてくれる。

 シゾーの首から外したハンカチで手をあらかたぬぐうと、それを適当にほうり出したらしいペルビエが、こちらの正面まで回り込んできた。やや中腰となって顔を近付けてくると、け反って間合いを稼ごうとするシゾーにお構いなしに、しげしげと横面から鼻面から値踏ねぶみしてくる。

「本当はまゆを整えて、うなじらへんの産毛うぶげりたいとこなんだけど、肌の色のおかげで目立たないから省略していいだろ。さてと。どうだい。なかなかの出来栄えじゃないか」

 と、自画自賛に満悦すると身を起こし、背後に回していた片手を差し出してきた。その手を取れという意味かと思ったが、違う。彼女は、手鏡を持っていた。仔猫こねこの首根っこでも摘まむようにして、ぷらんとぶら下げている。あごをしゃくるペルビエに促されるまま、シゾーはそれをのぞき込んだ。

 当然、映り込んでいるのは自分自身だ。見慣れていたはずの姿かたちを化かして、見たこともない姿見をしている……馬鹿らしいにも、見果てぬ先を夢見て。その姿は―――

 数日前の朝に見送った。それを思い出す。オールバックに髪をまとめた正装。

(……―――義父とうさん。シザジアフの言う通り、似た者おやこみたいです。こうまで。僕らは。正反対なことに)

 洒落しゃれにもならないし、ならないなりに歯痒はがゆさも浮かばない。寝台に尻を落としたまま、かぶりを振って項垂うなだれる。

 そのまましばらく、じっとしていた。

 ―――口火を切ったのは、ペルビエだった。

「泣きそうだね」

 どうやら、そう見えたらしい。それならそれで構わなかったが、シゾーは顔を上げた。眼前に立ち尽くしたままだった彼女が、手鏡でとんとんと己の肩口を叩きながら―――まるきり釘バッドを手にしたチンピラがメンチを切る構図で、尊大そんだい睥睨へいげいしてくる。針のように細めた両目に、毒針じみた輝きをちらつかせながら、

「うざったい。ぐずぐず悪わる足掻あがきするくらいなら、いさぎよく泣いちまいな。みっともなくて見ちゃいらんないよ。今ならもれなく、あたしのせいさ。前科があるんだ。乗っかりな」

「……どうかした? いきなり妙な深入りして」

「あたしゃ、アンタが突っ張ったつらの皮の千枚張りの下で落ち込んでるのくらい、お見通しだよ。そのまま死相に固まられちゃ、せっかく手塩にかけて上げてやった男振おとこぶりが台無しだ。だから泣いちまいな。き物ものを落とすにゃ、カタチにするのが一番だからね……星を星座としてつないで人型らしく名付けた途端、俗世っぽい逸話をかぶせても屁とも思わなくなったみたいに。なんならつねってやろうかい?」

「……らしいと言うか。甘やかす時でさえ甘くないんだから。ペルビエは」

「そりゃそうさ。一文いちもんの得にもなりゃしない。大体にして、こんなもんまで見抜ける百戦錬磨ひゃくせんれんまが、ちょうよ花よのノリで人間までヨシヨシするようなハートの原型をピュアに保ってるはずもないだろ。ほぅれ、ぽろぽろこぼしちまいな。鬱陶うっとうしい」

 ついに わきわきと指を曲げ伸ばしさせ始めた彼女の片手が、こちらの頬まで伸びてくる前に。シゾーは白状した。

「……俺がペルビエにこぼせるとしたら、涙じゃなくて、わる餓鬼がきくそ餓鬼がきが結託しての悪巧わるだくみくらいかな」

「いいとも。聞こう」

「これからキアズマと、デューバンザンガイツに乗り込む。俺は付き人として。服喪ふくもつどいに出席する」

 丁々発止ちょうちょうはっしとしていた流れが途絶し、じゃっかんの間が空いた。その合間に、掛けていた寝台から立ち上がる。

 私服を引っ掛けたままの衣桁いこうが気になったが、気に食わなければペルビエが何とでもしてくれるだろう。当の彼女と言えば、こちらを見上げて―――急に逆転された高低差にか、驚きにか、ぽかんとさせた口の中から質問をぶつけてくるだけだが。

「なんのために?」

 シゾーは―――

 今度は違う口ごたえをすることにした。

「ペルビエの言うところの、面白おもしろいことをする……その手始めだから、そうするだけ」

 そして片頬で、上唇うわくちびるを吊り上げてみせる―――にやりと。大見栄おおみえだったが、見栄みえを切ることでけじめがつくならそうしておくに越したことは無いし、もしもこれが彼女との今生の別れとなるとしたら格好つけておくだけ無駄骨ではなかろう。ペルビエ・シャムジェイワはい女だ。彼女の記憶に男前として残るのなら悪くない。

 と、思えていたのだが。そのペルビエは―――

「へーえ?」

 つぶやきがてら、笑った。にやりとではなく―――にんまりと。

 問答無用に後ずさりしかけたものの、どうにか半歩ほどで踏みとどまったシゾーを尻目に、彼女は上機嫌で手鏡やくしなどを寝台から床頭台へと戻し始めた。なにやらいつの間にか鼻歌まで混じり始めていたが、直感的に悪魔召喚の祝詞のりとであるかのように聞こえてしまい、ただただ逃げ腰でペルビエに構えておく。

 その様子に、勘違いしたらしい。再び手にした煙管きせるで、ぱしんともう片手を打つと、ペルビエはシゾーへとひとにらみを食らわせてきた。

「ナニびびってんだい? まさかヘタレづいたってんじゃないだろうね。啖呵たんか切っときながら」

「啖呵を切ったのは確かだし、それについてはびびってもヘタレてもないんだけどね……」

 ごにょごにょと聞き取れない音量で会話の帳尻ちょうじり合わせなど試みつつ、シゾーは廊下へのドアを開けて提灯ランプの火を始末した。そして、ペルビエと共に部屋を出ると、もと来た道のりをさかのぼって、キアズマと合流する。

 彼はと言えば、待ちかねたらしく室外に出ていた。そして、つっけんどんな一瞥いちべつでシゾーの外見を一巡いちじゅんすると、不本意ながら及第点をくれてやると言わんばかりの斜視しゃし寄越よこしてくる。

綺羅きらかざったようだな。なれば、いざ行かん」

「おうともよ。行こうかい」

 きっぱりと断じて、ぴんと片手の煙管きせるで天を指してみせたペルビエに。

「なぬ?」

「あ。なんかそんな予感はしてた」

 まずはキアズマが頓狂とんきょう瞠目どうもくし、シゾーは嘆声たんせいをコケさせたのだが。いつも通りペルビエは、聞き耳など持たなかった。

「あたしの馬車を出そう。なんだい? キアズマのが外に控えてる? あたしのと入れ違いにしまっておしまい。御者ぎょしゃ連中は、そうだねえ……娼婦館で、おもてなしの刑に処しとき。ネモ・ンルジアッハの使用人なら、そいつも古式こしきゆかしき名門だろ。なかなかの上客になってくれそうだ。くせになるまで愛してあげな。つどいへの招聘状しょうへいじょうだけもらい受ける。賓客ひんきゃくキアズマ・ネモ・ンルジアッハ、その花ペルビエ・シャムジェイワ、従者に名乗らずの色男。これっぽっちの違和感もありゃしない構図じゃないかい」

 とまあ、どこからともなく現れては立ち去っていく御用ごよう聞き―――世話役のみならず諜報ちょうほうや護衛も兼ねた御庭番おにわばんのような連中らしいが―――に、ちゃきちゃきと指令を飛ばし終えると、つかつかと通路を歩き出す。無論、出入り口の方へだ。奇天烈きてれつ翻意ほんいに置いてきぼりにされた男ふたりだけその場に残されそうになって、まずは動揺に背を押されたらしいキアズマが、彼女の後ろ姿と追いすがる……さらさらとそよぐ赤い髪の優美さと裏腹な、変に裏返った声色で、よそよそしく。

「あの。し? レディ・ペルビエ?」

「ちょいとアンタら、なにぐずぐずしてんだい。便所なら我慢しな」

「それはさせてくれても良いのではなかろうかと……」

「さっさと行くよ。ああ楽しみだ。ああ楽しい。楽しみがあるって楽しい。人生サイコー。イの一番にゴーよゴーう」

 豊かな胸を一段と魅力的に膨らませて先を急ぐペルビエに、やっとこさシゾーも追いついた。わくわくと小鼻をひくつかせた彼女相手に無駄だと悟りつつも、横から口を挟む。

「あのさ。オモシロ半分に参加すると後悔するんじゃないかな」

「のぞむところさ。後悔なんて人生で一回もしたことなかったんだ。いや、どっちみちしないわ。オモシロ全部だから」

「娼婦館まで巻き込むかも」

「イーイ客寄せだぁ。れ手にあわといこう」

「とんでもない損失が出る方の招かれざる客に押しかけられたりしたら」

「そいつは腹ごなしにしたって上等だね。こちとら、服喪ふくも期間に発生するキャンセル料の予想額だけで、満腹すぎてよだれも引っ込んだところだったのさ」

「ええと。ぶっちゃけ命懸けな俺たちです」

「最っ高だ。平和ボケした腑抜ふぬけがはばを利かせだした昨今じゃ、生きてりゃ勝ちなんて醍醐味だいごみある見世物、とんと拝めなくなってきてたからね。神様から死に神サマまで出し抜く特上の外連味けれんみ、とくと見せとくれ」

 そっちのけの応酬に、ついにシゾーは降伏した。彼女の五歩ほど後を付いて行きつつ、眉間みけんから眉まで両手でほぐして頭痛を和らげようとしているキアズマに並んで、ひそひそ声で吹聴ふいちょうする。

根負こんまけするしかないだろ。こうなったら。ペルビエのやりたいようにさせるのが、一番被害を減らせるんだし……俺たちへの」

「ゆるしておくれ、アシューテティ―――建前であれレディ・ペルビエを情婦としてお連れする罪を、ゆるしておくれ。このしん臓腑ぞうふは、一拍いっぱくまでも嘘偽うそいつわりなく君に捧げている。いわしの頭にすら、それを誓おう。許しておくれ……」

「こっちはこっちで、ほっとくっきゃなさそーだな」

 ぶつぶつと懺悔ざんげを口走っているキアズマから目をらして、シゾーは前方へと上体を正した。喜び勇んでつま先をはやらせるペルビエを見るようでいて、思い描いていたのは別のことだ。胸に手を当て、そこにある研磨石けんませき懐剣かいけんを確かめる。石と刃、ふたつが触れ合う硬い感触と……やいばの扱いから、白刃はくじんもたらしてくれる痛みの種類まで満遍まんべんなく教えてくれたゼラ・イェスカザの姿を、網膜に素描そびょうする。

 こんな時に脳裏へと現れる養父は、いつだって机を前に席に着いた姿でシゾーと向き合っていた。机上で遊戯盤ゆうぎばんを挟んでいたこともあれば、書籍を開いていたこともあったが、常に丸めた両手をあごの前に当てて両肘りょうひじをつき、しっとりと落ち着いた黒瞳こくどうでシゾーを正視していた。そのくちびるの上下が隙間すきまを広げて、やってくる言葉を……シゾーだから、もう知っていた。

 つぶやく―――代弁する。彼の、教えを。

「ひとつ。強者と勝者を同一視するな」

 強ければ負けないということではない―――勝利とは、強弱と別次元のものだ。

「ふたつ。弱者を見ることで、己を強者だと思うな」

 強さは、それを上回る強さには敵わない―――だからこそ、弱点を見つけろ。超人はいない。弱点がない者もまた存在しない。

「みっつ。弱点を見つけたなら、切り札を惜しむな」

 強弱とは別次元から、支配権を握る―――イカサマをする。

「総括―――こころせよ。支配する者であると」

 そうして、そこまで回想を網羅もうらした時だった。

(ゼラの言うことばかり真に受けるな。だってあいつ変だろ―――これは、シザジアフの課外授業の心得こころえだったな)

 つい笑いそうになり―――ついでとばかり、そのままおおっぴらに破顔はがんする。

 その頃には、外に出ていたからだ。キャンセルが立て続いたという話は本当のようで、貴族らしさを保存された広大な庭は清閑せいかんとして、屋敷内よりも閑古鳥かんこどりが鳴いている。なので、王襟街おうきんがいの頂点で篝火かがりびともし、夜天やてんとばりを押しのけるように白く輝いた王冠城おうかんじょうの姿は、嫌でも目を引いた。

 キアズマとペルビエの馬車の入れ替えに手間を取られたせいか、まだ車は正面まで回されて来ていない。横並びした当の馬車主たちも、目前にした座興への期待やら愛妻への懺悔ざんげやら―――どっちが誰だかは言うまでもない―――に、めいめいで気を取られているらしく、数歩後ろに立つ彼を振り向きもしなかった。

 独りごちる。

「……巨人、ね」

 シゾーは笑みをきつくねじり上げたまま片腕を上げると、再びデューバンザンガイツへ手を伸ばした。そのまま、広げていた五指を、ぎりっとにぎり締める。胸倉むなぐらを締め上げるかのように。

「あんなとこまで手を届かせるついでだ。親父おやじの背中ふたつくらい超えてやる」
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