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起章
起章 第一部 第三節
しおりを挟む王家に在る者は、その翼の頭衣を最大限に誇示できるよう、品位ある華美を尊ばねばならない。その羽毛の頭髪の火炎の色を愛しみ、それに忠実に衣食住を整え、全身全霊をかけて生活を選択する。王家である代価には、当事者一人の人生の切り売り程度では、足りやしないのだ―――後継階梯保持者の生涯を費やした上で更に、幾人もの一生を養ってなお余りある財とセンスで贖われねばならない。
そのことを熟知しているイヅェン・ア・ルーゼ後継第三階梯を多少なりと知る者が、彼のこの執務室に立ち入ったならば、その殺風景さに驚愕を禁じえないだろう―――あるものと言えば、窓際に張り付くように並べた書棚と、中央の書斎道具一式程度であり、壁も床も一切の装飾を排してあるのだから。だが、彼を多少以上に理解している者であれば、その部屋に彼がいる事を、なんら違和感なく受け入れるに違いない。つまり、彼は誰よりも己の身分を弁ているということを、この部屋は如実に表現しているのである。紅蓮の如き翼の頭衣を愛するべきは他者の視線の先においてであり、そこではない執務室で必要とされるのは、効率と利便性―――さらに、華美の陰に隠れるを得意とする陰謀事を、探して排除する手間を省略する知恵。
つまりこれはそういうことであり、だからこそ彼は執務室に入ってすぐに、ヴァシャージャーと本題に入ることも可能だった。執務室で、まず改めて相手が騎士として膝行しようとするのを、五指の仕草で『省け』を意味して止めさせる。そして、簡捷に問いかけた。
「護衛官は、わたしの伝えたとおりに?」
「は。ウィビン・ラマシヲ唯任右総騎士が、断固としてまかりならぬと血を沸騰させておりましたが、わたしの独断で押し切らせていただきました」
「―――貴公に感謝を。甘受するがいい」
言うと、相手は無言で目礼した。
イヅェンはそれを受諾した意で頷きながら、大して変わらない高さにある黒い双眸を見つめた。
極めて些細とはいえ、それは予想外の朗報だった。ウィビンの族名を綴る唯任右総騎士の反応は予想の通りであったし、だとするならヴァシャージャーがそれを退る為に、イヅェンの名を使うだろうとも予想していたのだから―――王家たるア族ルーゼ家に表立って反抗できる貴族など、どの綴りの一族であれ存在しない。「殿下の仰せだ」と鶴の一声を挙げれば、後の波風はどうあれ、命令の遂行は滞りなかっただろう。
だがヴァシャージャーはわたしの独断でと言った。つまり家名のみであるにもかかわらず、ア・ルーゼという虎の衣を借りずに、こちらの命を遂行したということになる。舐めたはずの辛酸を主張するでもなく、あっさりと結果を報告するだけのヴァシャージャーは、通常の半分近い歳で国の重任に着いたという履歴に違わず、有能で間違いないようだった。
ならば、どのような問いかけにも正答するだろう。イヅェンは短く、次を問うた。
「例の侍女は?」
「遺体の引き取りそのものは、近日中にも済むかと思われます。しかしゲインニャ家は末端といえど、ルブの綴りに座す者―――唯夜九十九詩篇に記されるルブの嚇怒が再来する可能性を鑑みると、多少は長引くかもしれません」
「ルブの嚇怒は王家のためにある。後継第二階梯のために散った娘を誇り、王家に牙向く者へ振るわれこそすれ、王家へそれを向けることはルブ自身の誇りが許しはすまい」
「誇りですか。成る程。響きはすばらしい」
そのせりふは、無視できないものを匂わせた。が、イヅェンがそれを指摘するまでもなく、相手はその真意をあっさりと……ただし婉曲に伝えてくる。
「しかし此度、王家に牙を向いたその者もまた、何らかの族名を帯びています」
「―――断言するか? ヴァシャージャー唯任左総騎士」
「はい。地位こそ唯任左総騎士にありはすれど、ヴァシャージャーはしょせん賤民の家門……殿下の信を保障するには不足ではありましょうが、欲されるならばこの家名をも捧げましょう」
この能力をもってすれば、望みさえすればどの貴族にも迎えられ、どの綴りも欲しいままであろうに―――が、無表情に呟くだけのところを見ると、そのせりふは意図しての不遜でもないらしい。そのようなことがありうるとするならば……本当にこの男は、名前に頓着していない。そう思えた。
(ヴァシャージャーにとって、それは価値がないとでも? あるいは、)
それ以上の価値が、自身にあるとでも。
であればその言葉、信じても損はあるまい……少なくともこの男の顕示欲は、誇大な発言で後継階梯の関心を買おうと企むには、あまりに様々に不足する。イヅェンは先を促した。
「ならば、根拠を聞こう」
「侍女の遺体を確認させていただきました。あの有様は、わたしの管轄で扱っている代物とは一線を隔しております」
「貴公の管轄、か」
「は―――そして、わたし以下の者の管轄で扱っている代物とは、一線を隔しておるとは断言できかねます」
わたしの管轄―――唯任左総騎士が口にするならば、すなわち、司左翼。わたし以下の者とは、彼に従う司左翼の騎士であり、その扱うは、国外。
ヴァシャージャーの緋色の制服を始点に、イヅェンは司左翼について反芻した。司左翼は、貴族が主体となって護国警邏(市外を含める内政治安)を中心に担う橙の司右翼と対を成す、選抜された国民から構成される緋の対外武力軍である。身分や出自に関係なく実力のみで登用されるため、その質は極めて洗練されている。特に八年前の戦争での彼らの活躍は誉れ高く、ただのいち市民に過ぎなかったヴァシャージャーの才覚も、その際に発揮されたことで現在の任についていると聞く。
つまり『わたしの管轄』はヴァシャージャーの総括する司左翼の構成員の出自である市井を、『わたし以下の者の管轄』は国外からの脅威を意味していた。苦々しいが、その事実を呑まぬわけにもいくまい。イヅェンは吐息した。
「元は医師の出である貴公までがそう判断するのであるならば、依怙地に信じないというのも馬鹿馬鹿しい。やはりこの暗躍、左より、右の線が強いか。だとすれば、小姉君への判断は正しかろう」
「逃がしたところで、追っ手はかかります」
「否定はしない」
抉る言葉を、イヅェンは肯定した。
「が、王家に牙向く者が、小姉君ごと旗司誓をも滅しつつ、その全てを秘密裏に運べる完璧な暗殺者を用意できる可能性は、否定する。噂に名高いデュアセラズロが、今になって暗殺術の封印を解くというのも酔狂すぎる―――どうした?」
ヴァシャージャーが、一瞬だけ変化させた表情―――奇妙なことに出くわしたとでもいうようなそれこそ、イヅェンにとって奇妙なことだったので、思わず尋ねてしまった。相手はうっかり表情を読まれた不覚を恥じるようにかすかに瞼を下ろしかけたが、一度上流階級から彼らを直視するを許された者は、再度許しを得るまで視線を逸らすことまかりならぬという宮廷儀礼を失念してはいなかったらしい。即座にそれを元通りに引き上げて、言ってくる。
「いえ、まことに瑣末で申し訳ありませんが―――意外でした。殿下が、デュアセラズロなどといった都市伝説を信じておられるなど」
「信じてなどいない。が、魔物がいたようなこの澆季において、死神と呼ばれた完全無比の暗殺技能者とやらが生きる余地があっても不思議とは思わない。それだけだ」
「魔物」
単語だけを繰り返してきたヴァシャージャーに、イヅェンは頷きかけた。
「ジヴィンという。二十年以上前のこととはいえ、王家史上最大の醜聞の元凶だ。貴公も、その悪名程度は耳にしたことがあるだろう」
「は……」
「ならば、考えてもみるがいい。すぐに気がつく」
言いながら、彼は相手が考える間を与えるため、机の向こうに回って椅子に腰を落ち着けた。ヴァシャージャーはその間どうというアクションも取らず、不動のままに立っている。
座して数秒―――イヅェンは、残りを続けた。
「その生身ひとつで王家を弑しかけた魔物に比べれば、毒などと言う姑息な手段に頼る人間を退けるなど、児戯にも等しかろうということだ」
そして、机上に整然と整列した書類の塔を、なんとはなしに見やる―――いまだ病臥にあるヴェリザハー・ア・ルーゼが玉座に迎えられ、はや半年。その月日は、彼と共に王家へ迎えられ、本来は次期王たる後継第二階梯がこなすべき政務をイヅェンが肩代わりしだした時とほぼ一致する。数をこなすごとに処理する速度は確実に速くなっていったが、明日に持ち越して机に残していく紙束の厚さが減ったことは、不思議と一度もなかった気がする。その時、たまたま視線がとまった書類の表紙は、つまりはこんなお題目だった―――戦争後に広がった格差と治安悪化との関連の証明と、その打開案。
戦争。当たり前だが、国を揺るがす人工的な天変地異だった―――とはいえ、国が国を脅やかすことそのものは、なんでもない。正当に、国という対等なもの同士、戦えばこうして勝敗を残し決するだけだ。
が、魔物は違う。正当にあらず、対等にあらず、それゆえに残されるものも勝ち負けでない。犠牲者である。そう、つまりは、自分の父と母だ―――延々と臨死し続けるしかない父。旅団ツェラビゾの教義を受け入れてなお、怨嗟を残して死んだ母。その彼らの淪落が、真実を今もイヅェンに告げる。
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