されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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起章 第二部 第一節

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 <楽園崩落ロワイエゲゾス>以前、神話に語られる“鳥”という生き物は、その翼でもって風を支配し、穹窿きゅうりゅうを自由に謳歌おうかしていたという。しかし今現在、同じく翼を髪とするア族ルーゼ家は、かなめであるその羽の神秘性ももってしてこの国を治めてはいるが、意のままに全土を謳歌おうかできるほどに、厳格な支配を置いているわけではない。

 無論そのような完璧な統治は独裁以外のなにものでもなく、そこから生じる利害の計算をできない王でもなかろう―――仮にもはるか昔、圧制を理由として前政権を打ち破り、その首とすげ替わった身なればなおの事だ―――が、彼らが全土の完璧な統治など望まないのは、もっと単純な理由からに違いなかった。

(そりゃここは、整備して人を置いたところで、見返りもうまみもねえだろうよ)

 嘆息たんそくしてエニイージーは、はためく髪と、そこにからませた新緑色のバンダナの隙間すきまから、ぐるりと視線を巡らした。国の王冠と称される王城デューバンザンガイツの影ははるかかなたにかすんでおり、ここからでは羽虫一匹程度の大きさにも認められない。王襟街おうきんがい王裾街おうきょがいはそこに比べればまだ近距離にあるとはいえ、それでも個々であるはずの建物がまぜこぜに合体して見えるくらいには離れている。間近な風景を満たしているのは、ひたすら無味乾燥むみかんそうとした平野だけだった―――こうして騎獣きじゅうに跨って睥睨へいげいしてみたところで、いつだって代わり映えしない、白い風景……あるいは、白くなりつつある風景。白い砂のような粒に緑素りょくそをこすりとられ、まだらににごった草木。空。そして、

(とっくに、濁る余地すらなくなった場所―――)

 悔踏かいとう区域くいき

 エニイージーは、その方向へ横目をくれた。特別、何が見えるということもない―――本物の悔踏区域は、それこそ正真正銘はるかかなたにある。それでも足元を見れば、白い砂じみたものがちらほらと土の中に紛れ込めずにいるという事実に、エニイージーはそら寒いものを覚えた。はるかかなた? うそつけ。

 白い砂じみたもの・・・・・・・・というからには、それは砂ではなかった。雹砂ひょうさと呼ばれる、悔踏かいとう区域くいきから流れてくる不可思議の粒子である―――水に混じらず火にけず、土にかえらず風に乗らない。つまり決して農牧に適した物質ではなく、それにまみれたこんな場所を開拓したところで、あてにできる利益は見込めないということだった……国録総人口が増大に転換してはや数年、開拓事業がそれなりの規模の市場へ成長をげたとはいえ、人の管理を浸透させやすい農村向きの土地はいまだに業者が消化しきれないくらいは残っている。となると、ここに残るのは悔踏かいとう区域くいきに住まう有翼ゆうよく亜種あしゅの貿易路の一部としての重要性ということになるが、国が押さえるべきはその便宜べんぎはかる際の仲介料や税金であって土地そのものではなく、悔踏区域から一歩も出はしない偏狭へんきょうな有翼亜種にとっては、それこそ区域外の事情などどうでもいい。

 よって自然とこの地域は閑散かんさんとし、社会からおおむね見捨てられることとなった。が、それこそを歓迎し、あろうことか拡大すら望む者もいた―――同じく社会から見捨てられた者、犯罪者のたぐいである。

(だからって、警戒環けいかいかんなんて名づけるか? 警戒環―――かん状に広がる、警戒を要する土地……)

 くそくらえだ。そうやって吐きかけた言葉を、ヂッと奥歯ですり潰す。

(ざけんな。ここと接する悔踏かいとう区域くいき外輪がいりん旗司誓きしせいが治める界隈かいわいだ。こっちと契約さえすりゃ、旗幟きしに恐れをなして近寄ってきさえしねえっての。実際、契約した人間に関する頻度で見れば、重大犯罪はほとんど箱庭はこにわと同じ程度しか起きてねぇんだぞ)

 有翼ゆうよく亜種あしゅの住む独立区を悔踏かいとう区域くいき、その周囲で特に雹砂ひょうさの濃い土地を悔踏かいとう区域くいき外輪がいりん、そこと農牧地(王裾街おうきょがい郊外)との境界―――つまり今いるここ一帯を、警戒環けいかいかんと呼ぶ。それらはまとめて『三戒域さんかいいき』と呼ばれ、特に市街民らは忌避きひする傾向が強かった―――そこに住む者もまとめて、犯罪者であろうがなかろうが、一緒くたに。

(あいつら、なんで間違ってて平気でいられるんだ? 旗司誓は旗司誓だ。旗司誓じゃない奴は旗司誓じゃない。混同できるはずあるかよ)

 深まる苛立ちに、エニイージーは片手を手綱から腰のわきへ伸ばした。そこにある慣れたやりの感触に、安堵あんどを得ようとする。背中に斜め掛けにしたそれは、槍として重く、槍として強い。街中では到底とうてい携帯できなかった相棒は、様変わりせずに彼の背にある。だからこそ、疑念は深まらざるをえなかった。

(なんで、あいつらは変わるんだ)

 彼を見て、槍を見る。そして、あらかたの街の人間は、彼を見なくなる。あるいは見たところで、瞳は遠まわしに嫌忌けんきを物語るようになっている。砂臭すなくさい―――どうりで。あれは戒域かいいきの連中だ。

「右! 強すぎっぞ、エニイージー!」

 呼びかけにぎょっとして、彼は右手の手綱たづなゆるめた。それの結ばれた歯牙しがに引かれるままふらふら右に行きかけていた騎獣きじゅうが、ようやく体勢を立て直して直進しだす。知らない内に上がっていたスピードに悲鳴を飲んで、エニイージーは必死で操舵そうだに取り掛かった。騎獣は手綱だけでなく、両足を使っての牙根がこんへの司令がきもとなる。騎獣を御するすべ操舵・・と呼ぶのも、ひとえにこれが理由といえた……船は、かじをまわすだけでは操れない。舵を回せる状況にあるか船を見定め、必要ならそういった状況に船をもっていく能力を要する―――

「こな……く、そっ!」

 早足程度までどうにか減速させて、ようやっと息をつく。

 エニイージーは足元を見下ろして、己の腰掛けている騎獣の頚椎けいついの高さと、爪牙そうがの頑強さを確認した。悪寒おかんを口笛を吹くことでごまかして、うなじに浮いた冷や汗をぬぐう。無理な手綱たづなさばきを続けていたら、ストレスに負けた騎獣が阿呆あほうな騎手に対してどのような報復に出るか、あまりぞっとしないことではあった。

「おい、どうした?」

「あ、頭領とうりょう……」

 言わずもがなのことを呟いて、彼はザーニーイへと顔を向けた。相手は同じく騎獣にまたがり、こちらに併走しながら、驚いた表情にうかがうような色をのぞかせている。箱庭はこにわに預けた騎獣は上品を覚えちまって困ると街でぼやいていた通り、その操舵術には多少のぎこちなさが付きまとっていた―――もともと頭領は、騎獣について決して本職とはいえないのだから、当たり前だが。

(だってのに、何やってんだ俺は。本職だろ)

 うんざりと息をついて、エニイージーは頭領へ頭を垂れた。

「すんませんでした。考え事してて……」

「いや。どっちかってぇと、謝らにゃならんのはおれの方だろ」

「へ?」

 わけが分からずまゆを上げると、頭領は意味深にちらりと笑ってから、視線を前方へひるがえした。つられて前を見ると、白っぽく広がる荒野の中でただ一点、途方もなく巨大な、黒い石柱が確認できる。目印など皆無かいむといえる警戒環けいかいかんにおいて唯一、公的に設置された東西南北を示す警戒環けいかいかん四杖点しじょうてんが一つ、西の碑姫ひきだった。

 悔踏区域に向かって、都市を離れ、都市間公道からも離れれば、人と偶然に出くわすことはめったにない。交通の基本は陸路であり整備もされているとはいえ、大多数の人間にとって悔踏区域がうろなる煉獄れんごくのようなものである以上、そこを過剰に迂回うかいした旅路が主流となるのはおもんばかれることではある。ついでに警戒環けいかいかん四杖点しじょうてんはあくまで方角のしるべであって、いわゆる三里塚のようなものではないため、公道そのものに沿って作られているわけでもない。

 街を発ち、公道に背を向けたのは、それなりに前のことになる。

 碑姫ひきの足元には、誰の姿も確認できなかった。それでも念を入れて、手綱をる手つきを穏やかにしつつ、頭領がせりふを続ける。

「お前が考え込むっつったら、十中八九じっちゅうはっく、うちの旗司誓がらみのことだからな。こんな時にまでそうとは、いつもながら、その尽力に感謝してる、エニイージー。まあ、俺が至らねぇばっかりに、手元狂わせるほどの物思いにふけらせちまうってのは、問題以外のなんでもねえんだが―――」

「何言ってんだよ!!」

 大声を出していた。

 自分にとっても思わぬことだったが、それは騎獣にとっても疑いないところだった。突然のそれにおびえて反射的に前足を挙げそうになるのを、全力を使ってなだめる羽目になる。声量にか、その様子にかは知らないが、頭領も騎獣をあやしつつ―――乗獣じょうじゅうと違い、すぐにどんな感情でも伝播でんぱしてしまう性質は、騎獣の長所であるが短所でもある―――なんの気ない自分の発言の効力に、面食らった表情を固まらせている。

 どうにか乗り物をあやしながら、エニイージーは今度は多少小さめに声を上げた。

「今のは、頭領は別にどこも悪くねえだろ! ぼーっとしてたのも、そのまま手に力を込めてたのも、全部俺のミスじゃねえか! あんたは何でいっつもそうやって自分を見下して、自分のせいにばっかすんだよ!」

「―――わりぃ悪ぃ、俺は臆病者おくびょうものなんだ。俺のせいだって先に言っときゃ、誰かに言われるよりなんぼか楽だからな。悪癖あくへき持ちの頭領ですまねぇ」

 いつもの言いわけを繰り返して、頭領が苦笑した。いや、その頃自分は騎獣のかじ取りに必死でそちらを見る余裕など無かったから、そんな気がしただけだったが。その言葉の気配は確かに、苦笑によく似ていた。

 ようやっと顔を上げると、頭領は横にいなかった。とっくに先に進んで、黒い石塔せきとう……西の碑姫ひきの元で、騎獣から降りている。エニイージーは、そこまでの距離と騎獣の負担をはかりにかけ、さっさと地面に降りるほうを選んだ。乗り手というストレッサーから解放され、いくらか気楽そうになった騎獣を引き連れて、そこまで歩み寄る。近づくにつれ、石碑の表面に彫琢ちょうたくされた、無二むに革命が英雄シェーラマータ・ア・ヴァラージャの怜悧れいりな横顔が鮮明になり、その石の立妃が王城を見つめていることさえ判断できるようになった。大人が十人いれば、ようやっと囲んで輪に手をつなげるような大きな石塔は、そのはばに負けぬ高さを誇り、白い大地と曇天どんてん穿うがくさびとなって存在していた。

(でっけえなぁー。目印にしても、こんなの本当に要るのかよ?)

 下からしげしげと石の姫の鼻の穴をながめて、いぶかしむ。岩と骨で組み上げた柱、岩の模様、あるいは単に変な立ち姿の潅木かんぼく……旗司誓はいつもはそんなものをランドマークにして三戒域を行き来しているため、警戒環四杖点しじょうてんには馴染なじみが薄い。

(目的地によっては、こんなので方向確かめて進んでたら、とんでもない遠回りになるじゃんか。まあ、そもそも公道からして遠回りに作られてるんだから、箱庭野郎はまどろっこしくてもお構い無しなんだろな。しかも今回のクライアントはただの箱庭野郎じゃなくて、まじりっけなしの箱入り・・・だし)

 笑えない言い回しに、エニイージーはから笑いをひっこめた。

 つと、眼球に思わぬ風が当たって、目をつぶる。悔踏かいとう区域くいき外輪がいりんには及ばないが、ここにも結構な頻度で突風が吹くようだった。遮蔽物しゃへいぶつとなりそうなものなど、この石碑以外に望むべくもない。雹砂ひょうさが風に舞う性質を持っていたなら、砂嵐で待ち合わせどころではなかっただろう。

「ゼラもいねえし……早く着きすぎたか。まあ、悪いことじゃねえや」

 言いつつ、頭領は騎獣にくくり付けていた旗幟きしを外し、碑姫ひきわきに立てかけた。通常ならば騎獣の装具に施されている<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>の印章だけで事足りるのだが、これはそれとはまた別の、身長ほどの丈の棒がついた儀礼用のものである。

「エニイージー。騎獣を休ませるの、俺も手伝ってやろうか?」

「まさか! 頭領は、そいつを守っててくださいよ。俺には出来ないことですから、ある意味」

 笑い飛ばして、エニイージーは頭領の持つ騎獣の手綱をひったくり、彼の持つ旗幟を顎先あごさきで示した。頭領が、棒にがんじがらめにされて松明の様になっているそれを見やって、肩をすくめる。そして、

「さて。そうらしいが」

 とだけ、つぶやく。

 えらく淡白な態度に拍子抜けして、エニイージーはなんとなく頭領に視線を留めたまま、騎獣を引き連れた。頭領は、そのまま旗幟のすぐ横の石の影に陣取り、自分のふところを探っている。エニイージーが、すぐわきの開けた場所に二匹を腹臥位ふくがいへ安座させているうちに、相手が取り出したのはシガレットケースだった。そこから発火布はっかふを人差し指分ほど抜き取ると、同じく抜き取っていた煙草たばこの先端に巻いて、石碑の壁面へきめんに押し付け―――途端、字をはねるように、その指先をピッとはじく。擦過さっかによって火を起こした発火布が燃え切るのを待たずに、持ち主は口唇こうしんに煙草を挟み込んでいた。

 小さな灯火が紫煙しえんに置き換わるあたりで、エニイージーの作業も終わった。頭領のほぼ真横で仕事をしていたのだが、相手はそのことに、今ようやっと気がついたらしい。ついつい、とがめるような目つきになっていたのだろう―――くわえ煙草の頭領はばつが悪そうに笑いながら、シガレットケースを差し出してきた。習慣が無いので、つつしんで辞退しておくが。

 自分もまた風を避けるため、バンダナごとこげ茶の髪を押さえながら、黒い碑姫の足元にもぐり込む。武器を肌身から外さなければならなくなるので、座りはしなかった。そして、隣で自分と同じようにシェーラマータ・ア・ヴァラージャの足首に背骨を預けている頭領へと、言いよどみながらも声をかける。

「やめたんじゃなかったんですか? 煙草」

「やめたぜ。のどから奥まで吸いこんでねぇもん」

「またそんなこと言って」

 エニイージーのせりふから非難ひなんがましい調子が抜けそうにないことが分かったのか、頭領はぶーたれた様子でしゃがみこんだ。ついで、自分の腰にいている剣の青い羽根飾りに向けて煙を吹きかけながら、ぼそっと、

「酒でのどを焼いた後の一服いっぷくなんざ、み具合がサイコーなんだけどな」

「ってことはやっぱ喉から奥に吸ってんじゃないですか!」

 指摘にそっぽを向き、頭領はくゆっていく先さえもったいないとでも言うように、煙の行く末を見つめている。この位置だとその顔つきは分からないが、分かったところでいい説得が浮かぶとも思えなかった。あまりしたくなかったが、相手に対して最も効果があるであろう人物を、引き合いに出すことにする。

「……あの元ヘビースモーカーの副頭領ふくとうりょうが聞いたら、めちゃくちゃ怒りますよ?」

「聞かせなきゃいいじゃねえか」

 あっさり返され、言葉に詰まる。それをすきとみたか、頭領が不意にこちらを振りあおいできた。思わずびくっとしたエニイージーを見やって、相手はそのまま笑顔を深めていく。常日頃、顔の造作ぞうさくが整っているせいで冷ややかな印象をぬぐいきれない反動もあって、彼がこうやって感情を出すと途端に親しみやすくなる。のはいいのだが―――

「量は減ってきてんだって。な?」

 いかん。流される。予感に、エニイージーはさっと目をらした。自分が誰より頭領の肩を持つ側にいるのは自他じた共に認めるところであり―――大体にして自分のこのバンダナだって、自分の部隊色ぶたいしょくがみどりなのをいいことに頭領の碧眼へきがんに似た色彩を購入したのだ、とうに変色してしまったが―――その『』の中には頭領本人も含まれている。このままだと、また相手に押し切られ、ずるずると悪い味方になってしまいかねない。

 と。

「じゃあ、わたしがげ口しちゃいましょうかねー?」

「かねー!」

 せりふの出所でどころを―――上空をあおひまも無かった。ばっと目の前に咲いた赤黒い花の巨大さに、風に飛ばされてきた花弁がぶちあたったのかと、思わずのけって……

 そうやったところで過ぎ去っていかない色味に、勘違いを悟る。花びらと思えたものは、服だった。自分の声を追うようにして上から飛び降りてきたふたつの人影のうち、小さい方がまとっている、小豆あずき色を主体とした服の色。

 さふ、という音は、その影にまれた雹砂ひょうさきしみ―――聞こえたのは、ただそれだけだった。その人の肩にかがんだ、もうひとりの影……人型ひとがた魔神まじんを介した魔術まじゅつによって、落下の衝撃を中和でもしたのだろう。その男は、ひざを曲げさえしていない。

 くせのある黒い長髪は、いつもの様に適当に肩口かたぐちたばねて前へ垂らしたままにしているせいで、派手に風にあおられていた。体格は小柄で、面立ちは頭領をはるかにこえる優男やさおとこ。いつも笑んでいるような中性的な目元を彩る瞳は漆黒しっこく、どう見ても三十路みそじを過ぎているように見えない肌は象牙ぞうげ色。いかに人種が雑多な旗司誓といえど、フラゾアインとの明らかな混血を示すこのような容姿は、滅多に見かけるものではない。しかもその上、とびきり卓越たくえつした腕の練成れんせい魔士ましであるなど。

 いくら待ち合わせしていたとはいえ、またとんでもない方法で参上してくれたものだ。同じ心境なのか、頭領がぽかんと開けてしまっていた口をかっくんと閉じて、なかば裏返った声でうめく。

「おじさん……!!」

「ああほら、今のわたしは一団員なんですから、ちゃんとゼラって呼び捨てないといけませんよ。頭領」

「うあう、お、おう、ゼラ」

「ジュサプブロスもいるぞぉー!」

 と最後に、場に合わないテンションで声を上げたのは、ちょうかなにかのようにゼラの肩口にまった青年である……そう、見た目だけなら青年は、ひたすら根明ねあかな、成長期も終わりかけた人間に過ぎない。しかし彼の実体は、人間どころか生物でさえありはしなかった。人間を模倣もほうしジュサプブロスと名乗ったそれは、ゼラと契約した魔神、つまり練成れんせい魔士まし魔術まじゅつもちいる際に欠かせぬ介在かいざい媒体ばいたいたる無機むき抽象ちゅうしょうである。ゼラの髪紐かみひもに隠してある黒い宝石に封じられているのが常なのだが―――体重どころか質量もないと分かっていても、こうやってごく自然に大の男が小男の首根っこに座り込んでいる様子など見せつけられると、違和感極まりない。

 まんまとしてやったりと言わんばかりにほくそ笑んだジュサプブロスが、いまだに目を白黒させているこちらへ向けて、にっと歯ぐきを見せて笑ってみせた。そしてバランスも崩さずに、ゼラの首をまたいで鎖骨を踏んづけたまま、これ以上なくふんぞり返ってみせる。

「んくくくく! 話は聞かせてもらった! 網羅範囲はてっとーてつび!」

「どこで?」

 返事を期待するわけもなく、エニイージーは思わずつぶやいていた。どうせひとりで騎獣に乗れないゼラのこと、適当に先回りして、適当なところから盗み聞きでもしていたに違いない。彼はそういうことが好きな性格で、しかもそれをかなえる手段と技を兼ね備えている。

 無意識にじりじりと後退していた頭領が、はっとしたように、地面に落としてしまっていた煙草たばこに飛びついた。さすがにゼラの目の前で再度ふかすほど無謀ではないが、まだ半分も吸っていないそれを捨ててしまえるほど、堪能し切れてもいないらしい。指先につまんだそれに名残惜しそうに目を往復させながら、必死にゼラへと言いがる。

「ってか頼む、シゾーに告げ口だけは勘弁してくれ! まだカートンで残ってんだから、あのタレ目に家捜やさがしされたら、あっという間に握り潰されちまう!」

「ははあ。ということは、あと最低ひとカートン吸い尽くすまで、禁煙するつもりは無かったと」

「げ」

 分かりやすくぎくりとした頭領の態度にはノータッチを決め込んで、ゼラの追及はやんわりと殺傷力を増した。

「しかも君の好きなメーカー、特に悔踏かいとう区域くいきの空気に弱くて、どれだけ梱包こんぽうしてもすぐ味が変わっちゃうんでしたよねえ。さて。握り潰されて困るというそれは、いつ購入したカートンなのやら? おととい? さきおととい?」

「うあその。それはな。俺っていつだって現在に足をつけて未来を見据みすえてるっていうか、そんな過去とか守備範囲外―――」

「でしたら、現在のことについてはお答えいただけるということで?」

「え゛?」

「君の性格から言って、喫煙本数が減ったというのは嘘ではありませんでしょう。具体的にその本数を、数として挙げてもらってもかまいません?」

「いやあのさゼラ」

「小数点単位ですか? 分数単位ですか? ちゃんと約分やくぶんできますか? 十は二と五で割れるんですよ?」

「ゼラさん勘弁してあげてください! もうほんっと勘弁してあげてください! なんか頭領、脂汗あぶらあせが涙に換かわりそうです!」

 とうとう体育座りしだした頭領の背中にいたたまれなくなり、エニイージーは悲鳴で割り込みをかけた。が、ゼラは今までどおりのほほんと構えるだけで、その無敵スマイル(命名者:匿名希望)を色せさせる気配すら見せやしない……ただ、なにやら思案するように唇の下に指先を当てて、あごを軽く引いてみせただけだ。そのポーズをオーバーに真似まねしたジュサプブロスが、ゼラの頭に自分のそのつらを乗っけて、えらく演技くさく音程を低めたささやきをこぼしてくる。

「でも分かる。ザーニーイのことも分かる。頭領なんてストレスと仕事が比例関係の仕事、手軽な発散法なんてスパるくらいしかないもん。まあ仕事っても、月末に徹夜てつやで片付けないとおっつかないくらい書類をためちゃってるのは、ザーニーイのデスクワーク嫌いからくる自業自得だけど、ストレスはストレスだよね。かわいそーカワウソー」

「ハートがねぇねぎらいにも程がある!」

「当たり前です。ジュサプブロスはねぎらっていませんから。頭領に頭領の仕事を労ってどうします? 死人に、お亡くなりになって大変ですねと言っても間抜けでしょう?」

 と、これはゼラの言葉である……彼は常に、つめの先しか露出しない二重の革手袋かわてぶくろで両手を包んでいた。よっててのひらが大きめにみえるため、彼のその童顔の近くにあればあるほど、対比されてより年齢が低く見える―――大人気おとなげないいじめを楽しんでしまうのも仕方ないかと、うっかり納得してしまいそうだった。が、えらく哀愁ただよう頭領のまるまった背中を見るとそうもいかず、どうにかして抗弁をつらねてみる。

「気のせいかたとえ不吉ふきつきわまりないし、そもそも死ぬってのはジャンルとして仕事ではないよーな……」

「ツッコミ気質ですねえ。シゾーとそっくり」

馬鹿ばか言ってんじゃねぇ!!」

 そうすること以外を全て忘れて、エニイージーは怒号していた。

 それが過ぎ去ってやってきた静寂に、息を呑む。正気が事態を理解していくにつれて自分にほとほと愛想が尽き、エニイージーは自分の鼻筋はなすじを手の甲ででつけた。そうやって顔を隠しながら、指の向こうにいる彼らをのぞき見る―――きょとんとしたゼラと、それと同じようでありながら、より気遣わしげに眉根まゆねかげらせている頭領。頭領のそういった表情を見て後悔したのは、ついさっき―――本当に、騎獣に乗っていたついさっきのことだったのではないか?

 エニイージーは、ゼラに向かって姿勢を改めて、しっかりと辞儀じぎをした。

「すんません。あの。なんでもないです。でもその、できれば、副頭領とそんな風に混ぜこぜにされるとこう……混乱するんで、やめてほしいんですけど」

「はい。分かりました」

 あっさりと承諾しょうだくし、そして次の言葉は頭領に向けて、ゼラが告げた。

「ま。なにはともあれ、君が無事に頭領の仕事をこなせてさえいれば、わたしは何も文句ありません。本当に苛立いらだった時しか吸わないことですし、昔のあのドラ息子みたいにとっちめる必要性もありませんでしょう」

 それを聞いた頭領が、がばっと立ち上がった。燦然さんぜんとした表情をぱっと上向かせ、思いがけない吉報に肩を震わせている。

「本当かゼラ!? くあー、たっすかったぁー! あ。ジュサプブロスも口裏合わせ頼むな?」

「何だか俺だけオマケのスメルがぷんぷんするぅー……」

 不満げにぶつぶつと漏らしている魔神は最早もはやどうでもいいらしく、頭領は返す左手でつまんでいた煙草たばこを咥え、無駄に晴れやかな笑みを虚空へきらめかせていた。駄目だとは分かっているが、それでもその姿に妙に安心して、紫煙しえんにけぶる横顔を見届け―――

 ふと気付いて、エニイージーはゼラを見やった。相手は意味もなく手など振ってくるだけだったが。こちらも反射的に、へらりと右手など挙げつつ、

(頭領の、本当に苛立いらだった時……って、)

 心当たりがない。

 とはいえ、たかが一部隊の副座ふくざの身で、頭領の何を把握はあくしているとかれれば口ごもらざるをえないが。それでも本当に頭領に何かあれば、自分が知らないでおけるはずがない。全てにおいて順調である今、頭領の仕事といえば、細かい書類の処理や後始末くらいのはずだ。そのような雑用、副頭領にでも任せておけば済む話であろうに。副頭領―――

(まさかあの野郎、また何か……)

 シゾー・イェスカザ。

 深まろうとする妄想を感じて、エニイージーはぶんぶんとかぶりを振った。仮にも相手は、ゼラ・イェスカザに認められ、頭領の片腕として副頭領まで上り詰めた人物である。個人的な感情で想像していくのは気分がいいかもしれないが、挙句に残るのは益体やくたいもない邪推じゃすいだけだ。やめなければ。

 と。

げる封緘ふうかんれるはなんじ、‘子爵ししゃく’ジュサプブロス」

 聞こえてきた呪文じゅもんに、そちらを見やる。ゼラが、高い位置にあるジュサプブロスの顔を見上げて、それを唱えたところだった。魔神は露骨にがっかりとした表情を見せていたが、そこから不平がこぼれ落ちるよりも、術者の効力が行き渡る方が早い―――青年の姿が、炎を消された火影ほかげのように薄まって消える。それとすり替わるようにして、ゼラの髪束のつやめきが静まった。彼の頭髪をまとめる赤いひもの内側に結ってあるという宝石に、ジュサプブロスを封印したからだろう。魔神を開放した状態にある宝石は、微弱ながら発光する性質がある。

「あん? ゼラ。そいつ寝かしつけちまうのかよ。仕事はこれからだぜ?」

 頭領が、咥え煙草をひょこつかせつつ、尋ねる。対するゼラの返事は、笑いを押し殺したせいで、多少くぐもっていた。

「人の八百万やおよろずです。魔神にはご遠慮願いましょう」

「人、ねぇ」

「おや。ご不満で?」

「いんや。ただ、今回のクライアントは、自分自身を人だと見なしてんのかね?」

 後ろ半分はひとり言のように煙まみれにして吐き出して、頭領はぷっと吸殻すいがらを吹き捨てた。その眼差まなざしは、西の碑姫ひきの見つめる先をながめやっている。エニイージーは、それを追って視線を伸ばした―――やたら物々しい影がごっちゃに固まって、こちらへと近寄ってくるのが目視できる。

 いや、団が影だったのは、その一瞬だけだった。あっという間に、陽光にかがや緋色ひいろの騎兵の連隊と、豪奢ごうしゃな馬車へと化ける。

 馬車といっても、それをくのは馬ではなく、六頭立ての乗獣じょうじゅうだった―――まあ、力で馬に勝る乗獣でなくば、防御の役にも立たないごてごての装飾をぶら下げたあのような馬車を、あの速さで牽引けんいんできようはずもない。兵の乗るけものはさすがに馬だったが、そこにした騎手がまとう焼けた鉄にも似た緋色の軍服と練熟した動きは、騎獣でなくとも充分な威圧感をただよわせていた。悔踏かいとう区域くいき外輪がいりんへ出向くとはいえ、あらゆる意味で物々しく無駄な装備―――クライアントと見て、まず間違いなかろう。

(さっき考えてたまんまズバリ、箱庭どころか箱入りじゃねーか)

 疑うべくもない。ア族ルーゼ家―――すなわち、王家である。

(しっかしやっぱ、緋色の連中がその護衛してるなんて、妙だよなぁ)

 話には聞いていたが、こうして目にすると、しっくりこない感覚が一段と明確になる。エニイージーはそれに任せて顔をしかめた。王家は貴族の中の貴族であり、連中がそこに占めているアイディンティティーといえば、並大抵のものではない―――つまり、貴族で構成されている司右翼しうよくこそが、こういった場面に出張ってくるのが普通だった。そして、橙色だいだいいろの制服に威勢と贅肉ぜいにくを詰め込んで、見下した相手への唾棄だきにばかり精を出す。実力など、机上きじょうでは人並み、机上外では人並み以下といっていい。が、【血肉ちにくちゅう】に裏打ちされた彼らはそれでも変わらず貴族だったし、変わらず司右翼であり続ける―――と、以前のエニイージーならば、きっぱり断言しただろうが。

(まあ、見たもんは否定できねえし。ちまたうわさの優秀な殿下は生まれ育ちが市井しせい経由って聞いたから、血縁だの身分だのの七光りに付き合ってられないっつってバッサリ切って捨てるってのも、ない話じゃない……の、かな?)

 ふと、物思いからめる。頭領へ向けたゼラの声が、エニイージーの耳にも滑り込んできたせいだった。

「君が今後すべきこと、分かっておいでですか?」

「ああ」

(もちろん、)

 うなずく頭領に先駆けるように、エニイージーは無言のままそれを口にした。

(頭領に、むくいます)

 そのために、ここにいる。ここで生きている。そして、なんでもする。死ぬか、死なすか、それでもする。そうしてそれを、誰にも笑わせない。

 頭領は、ゼラに跳ねさせた視線を前方に取り戻して、頭をかいた。

「【血肉ちにく約定やくじょう】の履行りこう。それがすべきことだ」

「それを具体的に述べるならば?」

 つっこんできたゼラに、頭領は不敵に笑んでみせた。ついで、立てかけていた旗幟を取り上げながら前へと歩み出て、ゼラをわずかに追い越したところで立ち止まる。

悔踏かいとう区域くいき外輪がいりんにて、行方不明の後継第一階梯の痕跡こんせきを探索し、現王ヴェリザハー・ア・ルーゼが逝去せいきょあるいは逝去に準じた状態になる前―――つまり玉座が混乱する前に、その存在に白黒つける。その間、王家から【血肉ちにくちゅう】として示される王家をまもり通す」

 頭領の進んだ方角を―――その延長線上にいる王家を確認し、ゼラは一度、相手の回答へかその光景へか、うなずいてみせた。それから、ぽそっと頭領へ耳打ちする。

「では、それを主観的に述べるならば?」

「箱庭の尻拭しりぬぐいのために、幽霊探しがてらの子守りだ」

 あまりに率直すぎる表現に物事を痛感したのか、頭領がちょっとだけ肩を落とすのが見えた。
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