されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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承章

承章 第一部 第八節

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「おい覿面てきめんかよオイ」

 と、シゾーは思わず、ひとりごちるしかなかった。

 キルルをエニイージーに引き渡してのち、舞い戻ってきた三階の廊下である。自分しかいないのを良いことに、存分にぐったりと、手近な窓枠まどわくによしかかる。

 頭を抱える思いで―――いや実際に左手で、左のこめかみ周辺をごちゃ混ぜにしながら、シゾーはげんなりと半目はんめをふらつかせた。右肩から半身を預けているへりから窓向こうへと目線をほうれば、かすんだ硝子板がらすいたごしに、どれほどかすみがかったところで五十歩百歩の曇天どんてんが、もったりと巻雲まきくもを遊ばせている。

 そのかげった白さに投影する心地で、シゾーは空を眺めたまま、キルル・ア・ルーゼについて回想した。み切った横柄さがいちいちかんにくる後継こうけい第二階梯かいていではない……男から言い寄られ、言い寄られたことに狼狽ろうばいし、狼狽したという現実から脱却することが出来ないまま、ついさっき別れた少女をだ。

(アクションに対するリアクションが、どんぴしゃ過ぎる……やりすぎたか? 俺がベタにやり過ぎたのか? いや違うだろだって見た目はいざしらず十五歳だろあの王家サマとやらは。同い歳で荒稼あらかせぎしてる売女ばいただっているのに。箱入り娘ったって、うぶな純粋培養にも程があるだろ)

 想定していた結果を凌駕りょうがする成果に転がり込まれるのは、予期していた負け戦を下回る惨敗ざんぱいに次ぐ厄介事である―――たなから牡丹餅ぼたもちとのことわざは、思いがけず吉事に巡り合った幸せ者を指しているらしいが、それは牡丹餅ぼたもちに脳天を直撃されるという奇々怪々ききかいかいな事故に遭遇した不幸を結果論で帳消しにした戯言たわごとだ。どうだ? 今の自分はハッピーか?

(馬鹿抜かせ)

 すげなく自問に答え、シゾーは毒ついた。余計なことまでも。

(……俺なんかにコロッとだまされかかってる奴が、次期国王の筆頭で、ゆくゆくは国のトップに立つ……?)

 それもそれとて ぞっとしないが、組織の中間管理職―――ああ、これこそ ぞっとしない自称なのは承知しているとも―――としては、さぞや楽に面従腹背めんじゅうふくはいをこなせているだろう腹心だか重臣だかへのひがみの方が勝ってしまう。連中が、かしこまって下げた頭の影で舌を出していると、あの後継第二階梯は考えたことはあるのか? ないなら馬鹿だ。気に食わないなら、無垢むくでいい。そんな言い方ひとつから幾らでも調整が利くのが好意だと知らずにいる者のごまとしての利用価値を知っているならば、直情径行ちょくじょうけいこうとリップサービスを切り替えることなど造作もない―――それを、キルル・ア・ルーゼ以外の誰が、どれだけ知っているのか?

(そこらへんは、双子の後継第三階梯が、うまいことやってんのか? いやそれとも、政局におけるア・ルーゼの存在感はつばさ頭衣とういという国章としての役割のみにあって、権力としては形骸化けいがいかしてるのか? いやまあ、どうでもいいけど。いいにしても)

 ぐるぐると雑考を遊ばせて、困憊こんぱいに己でとどめを刺したのは自覚していた。吐息して、思考を原点に戻す。

(とにかく。外連味けれんみたっぷりに演じれば、あいつに向く熱視線が撹乱かくらんできるって、これで分かった。ここに居座る何日かだけ、昔取った杵柄きねづかを虫干しするつもりで、あの王家に接したらいい―――復習だと思えば、トランジスタ・グラマーでもないお子様をたらし込む猿芝居さるしばいも、ちゃんちゃら可笑おかしい猿回しだってコケに出来ないさ。食いつなぐのに役立つノウハウではあるんだ……手を抜かないで練習できるチャンスを逃さない手はないんだ)

 下手したでからふところに入って上目遣うわめづかいで奥に迫るのは、女を篭絡ろうらくする手管の中でも、るかるかの演出である。失敗する時は初手から見抜かれるケースが多いし、そうなれば逆手さかてに取られかねない。更には、成功したらしたで、奥まったところに入った分だけ脱出にはリスクがかかる。不純異性交遊に慣れた女性と浅瀬あさせで慣れ合う楽さを覚えてからは、積極的には使わなくなっていた。

 そういう意味でも、反復練習する機会は貴重だと言える。実技でも、―――記憶でも。

(とにかく基本は、―――)

「距離と、距離感だ」

 と明言を続けたのは、記憶の中の声だった。

 声は、それゆえ過去通りに続ける。

「距離ってのは、高低差と間合い、このふたつ。女に言い寄る時は、まずへその高さを合わせる。そして、間合いは絶対にゼロ距離にしない―――触れない・囲まない・つかまない―――でもって、絶対に目をらさない。相手がこっちに目を合わせてくれば、大抵は男の方が胴長だから、女の顎先あごさきが上を向く……となれば、唇も開くから、そこにチュッとやっちゃって、先にこっちから謝る。ただし、あくまで『君の魅力に、ついやっちゃった』ってカンジで自分を悪者にびるのがコツな。で、ちょっと自分の唇をめてみて、変化無かったらハズレ。自分以外の生臭なまぐせぇ感じがしたらアタリ―――あっちこそ舌なめずりして、こっちを待ってたってことになる」

 そして、ついでのように、その男は言い足した。

「ああ。距離感の話を忘れてた。距離は客観だ。距離感は主観だ。この違いが分かるか? 要は……そいつが女で、お前が男ってことだ。これが分からなけりゃ、―――ま、泣き寝入りでもしとけ。そんな時だから釣れる女もいる」

 当時の自分はというと、その男のアルコールと自慢話にぐしょぬれた口の滑り具合を目の当たりにして、自分が酒を毛嫌いするのは味覚から体質まで天命だと確信したものだが……

「あ。掴んでたな。手。壁に追い詰めてたし。忘れてた。間違えた」

 すけこましからの直伝を反芻はんすうしつつ、ぶつくさと減点する。筐底きょうていをうろついた時期に会得した陳腐ちんぷな技法は他にもあるが、これは特に女とねぐらを破格で済ませたい時に重宝したものだ。使う相手は慎重に選ぶ必要があるにしても―――

(ま。大丈夫……だろ。今回は。多分)

 思わず、女道楽おんなどうらく―――というか道楽を女で安上がりに済ませるルーチンにたかくくっていた―――絶頂期に破目はめになった左側の肩甲骨けんこうこつのきわの刺し傷痕きずあとをさすって、シゾーは悪寒を黙殺した。つもりだったが、念を入れて、声に出す。

「大丈夫だ。あれが、他の女が付けた爪痕つめあとぎ落とそうとして、ナイフ片手に夜這よばいしてくるタマか? あの、けんもほろろのシヴツェイアの妹だぜ? 半分だけらしいが」

 その安心は万全だ。まったくだ。

 やるせないにしても。まったくだ。

 あの手この手で丹念に口説くどき、手を変え品を変えからめ手てからたらし込んでは棒に振ってきた年月をかえりみるほど、それは確証としての安心感を増した。事実、それは確たる実証だ。シヴツェイアは振り向かない―――少なくとも、シゾーには。

 やるせないことではある。

「…………―――」

 見下ろせば、己の野生的な長躯ちょうくに黒髪。

 窓硝子まどがらすに目をやれば、深彫りに整った顔立ちに引き立つ甘い目許めもと

 そこにはまりこんだ、ややかげのあるみつ色の瞳が、あわく輝いている。それこそ絶頂期には、この瞳こそが最高の美酒だと―――映すだけで酔わせ、腰と理性を溶かしてしまうのだとささやいては、鼻梁びりょうに指をかけてしなだれてくる女さえいたというのに。今では、こうしてその鼻面はなつらを女ひとりに引きまわされている有様だ。まあ淫乱いんらんの口など当事者の股座またぐらと同じようなもので、ロックオンした相手になら誰彼構わず思わせぶりに開くものだと差し引いて考えたとしても―――

(……そんでも、そうやって言い寄られる程度には、俺だって捨てたもんじゃないだろうによ。ったく)

「―――って、淫乱いんらん云々うんぬんのところ、ペルビエにバレたら殺されるな。素手で。多分。なんとなく」

 妙な関係にある高級娼婦しょうふの鋭利な薄ら笑いを思い出して、シゾーは負け惜しみを途絶させた。

 再度、窓を見やる。自分が着込んでいるつらかわは、今ばかりは外面そとづらを脱いで、厭世感えんせいかんが染みついた生来どおりの根暗顔ねくらがおをしている。

 これっぽっちの皮一枚でだませるのは、しょせん同様のうわつらまでだ。

 だとしても、どこまでが上の面の皮なのか欺瞞ぎまんする厚顔さは、場数を踏んでいる自分の方が、キルル・ア・ルーゼより格段に上だ。

 眉宇びうから後ろへと髪を撫で付けて、シゾーはんだ。供犠くぎへ、口先だけ詫びておく。

「ちょっぴりもてあそんじゃいますけど、ごめんなさいね真珠ちゃん。俺はもうこれ以上、シヴとの間にハードルを増やされちゃ、たまったもんじゃないんでね。四十四の艱難かんなんと七十七の辛苦しんくは、アーギルシャイアで充分でしょう?」

 返事はない。当たり前だが。

 返ってくるのは余韻よいんだけだ。むなしく、それを吐息で埋葬まいそうする。

(産み腹が違ったところで、羽かぶり同士、血は争えないってか? なんでまた、よりによって、同じ奴にかれるんだか―――)

 沈痛に、そう思って……

 思い至った先を、ふとシゾーは、ひとりごちていた。

「―――もしシヴも、あんな真珠だったら―――」

 今と違う道もあったろうか? 最後まで、その言葉をげることは出来なかった。

 口にした名の女が、網膜をかすめた。そんな気がしたから。

 ただ―――残像それ自体は気のせいであったとしても、彼女に身勝手な虚妄きょもうを重ね書きすることで満たされようとした自分自身のみにくさは、気のせいでない。

 ゆえにシゾーは、壁から身体からだを起こした。隠し部屋へ向けて、かかとを返す―――今は最優先すべきザーニーイが、そこにいると。

 そうしなければ、今以上の醜態しゅうたいを噛み締めることになっただろう。泣くとか、そういったような。この予感もまた、気のせいでない。
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