テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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成長、彼の情

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「き、今日は………図書館の日だ…。」


朝焼けが始まる早朝、シムはハッと小さなベッドから身を起こして寝癖のついた髪もそのまま、そんなことを口走っていた。

恐らく今のこの寝起きの姿を鏡で見ればさぞ間抜けな見た目だろうが、シムにとっては今日がカスパルとの約束の日であるという事の方がずっと重大だった。

暫く今日があっという間に来てしまった衝撃を、ぼけぼけとした寝起きの頭でゆっくり受け止め、徐にベッドから腰を上げた。


(違う違う。まずは庭仕事だ、今日は草むしりと剪定と…)


流石にぼけぼけし続けるのも駄目だと思い、頭を振って必死に庭の事を考えながらベッドの上の草臥れたシーツの皺を取った。

よれた寝巻きのボタンを外して脱ぎ、ベッドに掛ける。
その際不意に自分の身体を見て、はぁ、と情けない溜息を零した。

貧弱だ。

シムの身体は並に筋肉は付いているにも関わらずカスパルのような胸筋の盛り上がりも腹筋の割れ目もあまり目立たず、女のように可憐な凹凸も勿論ない。カサついていてとても人様に自慢できるような美しい身体ではない。

仮にも一応はカスパルと小風と同じ男の筈なのだが、どこで大差がついたのかシムだけまるで違う生き物のように思えた。

あんな風になりたい、体力作りでもしてみようかななどと考えながら着古しの馴染んだシャツに腕を通した。



シムは部屋を出ると、同じ様な小さな扉がずらりと並んだ廊下に出る。
ここは宮廷内の様々な場所に仕える作業員用の居住スペースだ。

その先にはとても大きな食堂があり、シムはいつもそこの料理に助けられていた。

装飾はなく素朴でシンプルな木造りのこの食堂は、テューリンゲンの時に食事をしていた場所に少しだけ雰囲気が似ており、どこかシムを安心させていた。


シムは適当な場所に取り敢えず腰掛ける。

この食堂には20程の大きなテーブルが置かれており、その周りに乱雑に大小様々な椅子が散りばめられているような造りだった。

従業員はそこを利用する事が多く、人が一人もいないなんてことはまずなかった。

いつも必ず数人はいるし、昼時夕飯時はかなり混雑する。
しかし基本的に知らない者に話しかけに行くという習慣も、この食堂には存在しなかった。

そのためその食堂では同じ服を着た同僚同士が共に食事を取っているか、一人で食事を取るなりお茶を飲んで休憩しているかの光景が常で、シムも例外無くいつも一人で隅によく座っていた。


シムは食堂の大きなカウンターの方へ行くといつも対応してくれているふくよかな女性が、はいはいと慣れた声で中から出てきた。

「あらおはよう坊。
今日も一段と早いわね~。」

何故か初対面の時から坊と呼ぶ、この40代あたりの人当たりの良さそうな女性にもすっかり慣れたシムは柔らかく微笑んで軽く頭を下げる。


「おはよう、ございます。
朝ご飯、お願いします。」


「はいよ~。
そこからパン取ってね。」

挨拶をすると、女性はカウンター横の大きなバスケットを指して中に消えていった。

シムはバスケットの前まで移動すると、中には今朝焼きたての美味しそうな匂いを放つパンの山があった。

このパンは小麦の種類の関係か定かではないが、ふっくらというよりかは重厚な食感で、中にナッツやベリーなんかが入っている時もありどんな日のパンもとても美味しい。
シムはテューリンゲンで働いていた頃よりパンが好きになっていた。

嬉しそうに微笑みながら横に積まれた皿を一枚取って、3つ手掴みで乗せて行く。

パンを皿に乗せて先程の場所に戻ろうと振り返ると、これから仕事がある者達が同じく朝食を求めて幾人かが並んでおり、シムの隣には赤毛風味の男が失礼、と言いながらパンを取っていた。

その数人を避けてカウンターへ戻ると、豪快に切り落とされたベーコンとこんがり焼けた2つの黄身の目玉焼きの乗った皿が奥から滑ってくる。

シムは慌ててその皿を止めて持ち上げると、奥から先程の食堂の女が笑いながら近づいてきた。


「黄身の二つ目はおまけだよ。
庭は進んでるかい?」

おまけと言ってウインクをする女に、シムはありがとうございますと頭を下げた。

「はい、なんとか、進んでます。」

シムは自信なさ気になんとか、と付け加えて苦笑する。

 そんなシムに女はそうかいそうかいと笑って頷いた。
「夏の花でも咲いたら私にちょうだいね。
ここに飾るからさ。」


そう言って、次に来た者達に皿を配り始めた。
シムは一度女に頭を下げてから席に戻ってパンをちぎり始める。

すると先程パンで並んでいた赤毛の男がシムの近くに座った。
どうやらそこに仲間が居たらしく、同じ服装をしている。


こんな朝早くなのに出勤する人達は案外いるものなのだと、ここを利用するたびにシムは感心していた。

「全く、朝っぱらはキツイな~。」

聞こうとしなくとも聞こえてくる知らない男達の声を聞きながら、シムはパンを頬張りフォークで目玉焼きを切り始める。

パンも目玉焼きも毎度同じながら美味しくてシムは顔を緩ませる。


「それにしても女王陛下、とうとう地に着いたって感じだよな?」


シムは聞こえてきた噂話に思わず喉をつまらせそうになり前のめりになった。
仲間の男も驚いたように同じく身体を前のめりにさせていた。


「馬鹿っ…やめろって!
こんなとこで話して誰かに聞かれたら…!」

慌てた様子で同僚を止めに入るも、可笑しそうに笑い飛ばして話を続けた。

「聞かれるって、こんな朝なんだから…。
それに事実には変わりない。」


それもそうだな、なんて言葉を返しながら同僚もふぅと息を吐いて二人は食事を再開する。

しかしその近くで目を見開いてフォークを止めたままのシムには気づいてはいないようだった。


「国王陛下は女王を、魔女だなんて呼んでる噂もあるらしい。」

「なんでだよ、自分でお選びになっておいてな。」


男は可笑しそうに口角を上げながらフォークで目玉焼きを食べていく。
話を始めた方も美味しそうにパンを頬張りながら口を開いた。

「子を産む力もなかったし、既に産める年齢も過ぎた。
なのに正義感は人一倍って…そりゃ扱いづらいんだろう?さすがに?」

「国王陛下も酷いお方だな。」

「だな。はは」

2人の男達はそれ以上エリザベスの噂をすることを止める。
止めるというより、飽きたという表現の方が近かった。

「……っ。」


しかしシムは後頭部を鈍器で殴られたような衝撃で息を詰まらせた。

シムは宮廷に来てからはエリザベスを一度も目にしていない。
無論国の母であるエリザベスに自分などがのこのこ会えるだなんてつゆにも思っていない。

シムの中のエリザベスは大地のように揺るがない強さ、そして只管の優しさを持つ素晴らしい方だという印象を持ち続けてきたし、これからもきっとそれは変わらない思いだ。

魔女だなんて、そんな恐ろしいこと。

こんな一端の従者にもそんなことを言われてしまうエリザベスをシムは心から案じた。
もしかしたら本当はこの宮廷内の中で肩身の狭い思いをしているのかもしれない。


今彼等が話した噂が本当でも嘘でも、そんな話が出回っていること自体が大変悲しかった。


子を産めない女性は魔女になってしまうのか。
魔女という都合の良い名称で厄介がられてしまうのだろうか、子が産めないというだけで。

男であり、さらに子を残さなければならない家柄でもないシムはそうなってしまう概念は受け入れがたいものだったが、そこでシムはふとジェーンの事を思い出した。


あれはまだ春が来る少し程前、テューリンゲン夫人はジェーンの婿探しの為に庭を使わせてほしいとシムに言った。
その夫人の顔はとても真剣で、心配そうな色をしていたのを思い出す。

まだ幼いジェーンにそれを託す重大性と大切さは、おそらくシムは一生かけても理解し難い貴族特有の焦りの様なものなのかもしれなかった。

しかしシムは深く考えようとしても、貴族になったことのない身としては結局理解し難いという結論にしか至ることが出来ない。

朝から自分の大切な人の心無い噂を聞いてしまい、シムはすっかり食欲を無くす。

魔女だなんて、本当に、酷い。

食欲をなくしてもシムは食事を怠って体力が以前の同僚アベルに怒られたことを思い出して、無理やりフォークを動かし口に無造作に詰め込んでいった。


そしてその皿をフォークが重なる音で、話をしていた男達は初めてそこにシムがいたことを知り、「聞こえてたかな…」と小声で言い合ったりしていたが、シムはその言葉に返事を返すことなく、自分の朝食を平らげた。










 
 
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