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成長、彼の情
3-42※(流血表現あり)
しおりを挟むモールはセスの2年上の護衛軍の先輩の男だった。
そばかすがトレードマークの垂れた目に、優しい性格で軍でも皆に好かれている男である。
毎日の訓練は勿論の事、ジェーンの部屋を片付けた際も一緒に仕事をしたセスの中でも信頼する先輩の一人だ。
そのモールが今セスの目の前で倒れている。
その慣れ親しんだ者が瀕死の姿で倒れている光景は、実戦経験のないセスにとって初めての景色で足をガクガクと震わせる。
なぜ、一人でこんなところで。
誰にやられたのか、なぜこんな隠れる様な場所に一人なのか。
モールもパーティー会場を護る任務があったはず。
「あぁ、セス…良かったお前で…」
モールは弱々しい息と一緒に呟くと、痛々しい呻き声とともに起き上がろうとしているのだろうか暗闇の影が蠢く。
しかし起き上がる力がもうないのか起き上がる事は叶わなかった。
今モールがどんな表情をしているのか暗闇にかき消され、伺い見る事も出来なかった。
「先輩…どうして、こんなところで。
今ひ、人呼んできます…!」
「呼ぶな…!!」
取り急ぎ応急処置をしなければ、とセスは震えながら踵を返そうとするが、モールの初めて聞く険しい声で引き止められ、肩をびくつかせてその場に硬直した。
モールはセスが止まったことに安堵した様に息を吐き、弱々しくその言葉を続けた。
「うっ……セス、時間が…もうない。」
話す度に口からどす黒い血をどろどろと大量に流すモールを見ながら、セスは思わずそばに駆け寄った。
この血の量、血の色、恐らく内臓に致命的な負傷をしている。
誰がどう見てももう助からないことが見て取れ、セスは恐怖と動揺で過呼吸になりかけていた。
「先輩っ…!もう喋らないでください!
血が…血が出ちゃう!!」
その制止の声などまるで聞こえていないかの様に、モールは自分が被っていた布の帽子をゆっくりと外しセスへと手を伸ばした。
「…この、この帽子を被って………。
街を歩いてくれ…一生の…お願いだ…
…そうじゃ…な…と、今日の…が…台無しに…」
セスはばされた手から帽子を受け取る。
何の変哲もない、庶民が被る形のグレーの布のただの帽子だ。
セスは当然意味も分からず受け取るだけで固まる。
「言っている意味が分からないですよ…!
どういう事なんですか!?時間がないって一体…!」
動揺し切って怯えるセスに痺れを切らしたモールは残っている最期の僅かな力を振り絞ってセスの片手を、帽子を外した手とは反対の手で強く握った。
その握った手はぬめりと生暖かく、咄嗟に手元を見たセスはモールの握る手が夥しい血に濡れている事に気付き悲鳴を上げる。
「ひっ…先輩!手にも血が…!」
「いいか、…よく聞け!
俺は……護衛軍にいながら、ずっとずっと反政府も取りまとめてきた…!
この帽子はその、目印だ。
俺は…っ…爆弾の暴発に巻き込まれてもう動けないっ…。
自業自得の、終わりさ…っ。」
セスは血塗れの手に握られたまま、ガクガクと全身を震わせる。
「もう、…反乱は始まってしまった。
…お前が俺になって、帽子を被って…街を歩くだけでこの作戦は完成するんだ!
お願いだ…!それを被って今直ぐ街に出るんだ…!…セス!」
モールの言葉は凡そ直ぐに信じられる様なものでは到底なく、どんなにこの軍で幼いセスでさえも、モールの愚行が大変な反逆罪と判断出来る。
この様な反逆者を軍の中から輩出したとなれば護衛軍全員への厳罰は免れない。
更に、軍を統括しモールの上司であるカスパルに至っては最も重い刑に処されるであろうことも間違いない。
軽くて長期の拷問、最悪の場合は死刑。
カスパルの立場は芳しくない状況下でのモールのこの愚行は、確実にカスパルを追い詰める。
カスパルが罰せられる事だけはどんな事があっても避けたい。
セスはこの危機的状況の中でも頭を最大限働かせる。
握られた血濡れの手を振りほどき、先程落とした自身の細剣に手を伸ばした。
「……先輩、し、信じたくないですけど…それがもしも本当なら、…俺は軍の一員のとして先輩を殺さなければいけません…!」
先輩を殺したくなど勿論ない。
しかしカスパルの重荷になるようなことを、なんてことをしてくれたんだという怒り。
頼れる先輩だと思っていたのにという絶望。
純粋な感情と今片手に持つ剣の感触とで、ぎりぎりのところでせめぎ合っていた。
しかし今この事態を正確に把握している者は誰でもないセスただ一人だった。
モールは自身の命が風前の灯火である事を感覚で分かっていながら、その目付きは轟々と力強くセスを見上げていた。
「いいのか…!
俺を殺して、俺の事が露呈して罪を被るのは隊長だ…!
反政府の先導者だと、…隊長は濡れ衣を着せられて、死刑だろうな!
この場所でっ…お前が俺を殺す事で、お前も内情を知る共犯者になる。
いずれも隊長が全てを背負う事になるんだぞ…っ。
いいのか!?」
剣を取ったセスの片手が隊長という言葉にびくりと跳ね上がる。
そして無責任なモールの言葉にわなわなと怒りが込み上げた。
「先輩が、……っお前が言うな!
隊長のことをお前が言う資格はない…!!」
セスの混乱と動揺に漬け込む形で、尚も畳み掛ける様にモールは話を続ける。
「お前が…俺の代わりに帽子を被って街を出ればっ、俺が反政府の先導者だったことも隠せる!
大丈夫だ、誰もが帽子を目印にしているッ。
人が変わったって今更分かりっこない…!
俺が死んでも、たった一人…お前さえ口裏を合わせれば全部誤魔化せる!だろ?!
セス…!カスパル隊長を救うのはお前しかいないんだ!!
帽子を被れセス…!」
セスは荒く息を吐きながら目の前のモールを恐ろしげに見下ろす。
その表情は最早セスの知っているモールではなく、血に濡れ濡った恐ろしい表情は何かの怪物のようだった。
「お……俺しか…いない…?」
カスパルを守りたい。
カスパルに常に強く偉大でいて欲しい。
モールの言う通り、ここでモールを殺せば間違いなくカスパルが矢面に立たされ罪を被る。
この場を誤魔化す方法はただ一つ、隠す事。
「…俺は貴族が憎い…。
国の民を護る護衛軍が…、聞いて呆れる!
上の奴らの職務怠慢をお前も散々その目で見ただろう…!
俺たちの…隊長が、馬鹿な貴族に弾圧されて、許せるのかお前は…?!
誰かが…この王族制度を……止めないと終わらない…!
国を取り戻す為に……!!」
そう言うと先程とは比べ物にならない量の血を吐いた。
いよいよぜえぜえと息をするモールは、次第に目の光を失い始めていった。
「せ、先輩…!!」
モールは優しい男だが、軍の誰にも見せない心の奥にこんなに仄暗い怒りと止まらない憎悪が犇いていた。
セスが抱いていた貴族への負の感情より、遥かに大きな憎しみを。
途方もない感情がセスを襲う。
勿論カスパルを救いたい、カスパルに強く当たる限り貴族はセスだって許せない。
信頼していたモールの命も消えて欲しくない。
「行け…セス…!」
モールの息切れの言葉に、セスはゆっくりと立ち上がる。
こうすれば貴方は助かるのでしょうか、隊長……
セスは震えながら、自分の着ていた護衛軍の軍服を脱ぎ捨てる。
モールから受け取った帽子を深々と被った。
宮廷の従業員用の裏口目掛けて走り出す。
モールは薄れゆく意識の中ででセスの走り去る姿を見届けた。
「そうだ、それでいい……。
セスが、………やり遂げてくれる…」
モールは血に濡れた手で床に何かを記す。
そして、女神に祈る様に両手を合わせ、まるで母と眠ろうとする子どもの様に穏やかに微笑んで目を閉じた。
セスは従業員用の裏口までの道を走り抜ける。
モールが今までどんな思いで二足の草鞋を履いてきたか、煮え滾る怒りの中どんな気持ちで皆に優しく接していたのかセスの理解に及ぶ範囲を超えているが考えれば考えるだけ涙が溢れ出てきた。
護衛軍として業務に従事しながら誰にも知られず街に下りて指揮を取っていた毎日、計り知れない苦悩もあっただろう。
走り抜ける間も爆発の音は止まず、そして歓声のような群衆の声もどんどんと近付いてくる。
しかしもっと重大な罪に加担したセスにとってそんな音などもうどうでも良かった。
裏口を抜けると街の人達が右往左往に走り回り、中には何かの瓶を持ち、中には鍬や鉈を武器のように掲げている者もいた。
皆非常に高揚しており異様な活気に包まれ、その目付きは今しがた別れたモールの目付きと似た、ぎらぎらした光を湛えていた。
帽子を被ったセスが街を走ると、まるで群衆は花火に火が灯った様に盛り上がりを見せた。
「イリスだ!」
「イリスが来たぞ!!」
「革命の女神イリスが私達を見守ってくださってるわ!!」
「革命を遂げるんだー!」
イリス イリス イリス
セスは全く聞いた事もない名前を投げかけられ続け街を走る。
ばくばくと心臓はこれでもかという程に嫌な鼓動を立て続ける。
群衆によってセスはセスでなくなっていく。
モールでもあらず、初めて聞く名前の架空の人物。
セスが“イリス”へと変貌した日だった。
カスパルを守りたいセスの情はカスパルには届かない。
セスという傀儡は国の蠢く怒りと危険に利用され飲み込まれていく。
「隊長…貴方をこれで救えるなら…」
セスは街の喧騒でかき消されながら唇を強く噛んだ。
成長、彼の情.終
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