テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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無力の力

4-1※(流血表現あり)

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「ん……」


シムは何度か瞬いて目を開いた。

座り込み小さく丸くなったまま辺りを見回すと、真っ暗で凍てついた空気の教会はいつしか薄く明るくなってきていた。


シムはカスパルを見送り、幾度もの爆発音と振動を耐えている間に極度の緊張から気絶する様に少しの間眠りに落ちていたのだった。

自分が眠ってしまっていたことに漸く気付いたシムは慌てて立ち上がると少しふらついた。
いかに全身を強張らせていたか、全身の痛みで理解する。


教会に何か被害がないか、壁に手を添え確認しつつ裏口の扉をそっと開く。

外を伺うと眠る前の喧騒とはまた別の騒がしさに宮廷が包まれていた。


「空いている兵士は直ぐに街に行け!」

「来賓客の寝室だけでも確保しろ!」


兵士らしき男達が慌ただしく走り回り、大小の布を持ち上げた従者の女達がこれまた忙しそうに右往左往して行く。

シムはまた慌てて扉を閉めた。

謎の爆発があった夜明け前の為当たり前と言えば当たり前だが、こう人が行き交っている中シムが貴族専用の教会から出て行くところを見られる訳には行かない。


「どうすれば…」

カスパルの事が心配でたまらない。

ここで別れた際、迎えに来るとは言われたが最早それどころではないのではないか。
シムは非常な事態でも何もする事が出来なかった自分の無力さが歯がゆくて仕方なかった。

大切なものを護りたいと思う気持ちはカスパルだけでなく勿論同じ男としてシムにも備わっている。

教会を出てカスパルを探しに行きたい。


シムは誰かに見つかっても謝って罰を受ければそれで済むだろうと、意を決して扉の取っ手に再び手をかける。

その時扉の向こう側のごく近くで足音がした。

シムはまずい!と咄嗟に扉から勢いよく離れた。
扉の外から聞こえて来る足音は、いつも堂々と歩くカスパルのものではなく、辿々しく乱れた歩幅だった。


まずい、そこを開けられたら見られてしまう…!


シムはじりじりと足音を聞きつつ扉からゆっくりと離れる。
後ろには石の壁しか無い。

協会の中心へ繋がる扉を開けても音で外の者にバレてしまう。

シムは退路を絶たれたと強く目を瞑ったその時、木製の扉は軋む音を響かせて開いた。



「シム…、無事で良かった…。」

扉から聞こえて来た、意外にも優しげな声にシムは目を開けた。

その声はカスパルの声であった。


しかし扉の前にいるカスパルはその大きな身体で夜明けの薄い光を背に隠してしまい顔が良く見えず、シムは目を細めて恐る恐る近付いた。


「カスパル、さん…?」

シムはゆっくりとカスパルの前へと歩み寄る。
そこで初めてカスパルが血を流して負傷している事に気付いた。


「か、カスパルさん、血が…!
大丈夫ですか…!どうしよう!」

シムは目を見開き、まるで壊れ物に触れるかの様にカスパルの頬に触れた。
シムは動揺し、目に涙を膜を張りながらカスパルを見上げる。


カスパルの後頭部から流れたであろう血はカスパルの髪を染め頬を染め服にも滴っていたが、大分経っているのだろうか黒く乾き始めていた。


しかし、その痛ましい風貌とは不釣り合いなほどに、カスパルは溶ろけてしまいそうな程に、それはそれは優しくシムに微笑んでいたのだった。

「どこも怪我はしてないか…?シム」

カスパルはシムの頭や顔を自分の大きな掌で確認する様に撫でる。

カスパルの優しい言葉に、優しい手つきに、シムはとうとう一筋涙を流した。

「俺のこと、よりも、自分の心配、してください…!」

シムはカスパルに触れられながら、下を向き思い切り唇を噛んでこれ以上涙が出ない様に耐える。

こんな怪我を負うならあの時行かないでと我儘を言えば良かったのかもしれない。
悔しくてシムは感情が暴走してしまいそうだった。


「怪我はないな、良かった…。
シムさえ無事ならもう…安心だ…」


カスパルはその言葉をゆっくりと発した後、まるで子供の様にはにかみながらシムを抱き込んだ。

そして、糸が切れた様にシムに体重を乗せた。

「カスパルさん…?
カスパルさん…!」


カスパルはシムを抱き締めたまま、眠る様に気を失った。

出血も多い中で奔走し、シムの無事を確認でき安堵したところで貧血が災いして意識を手放してしまった。



シムは初めて見る痛ましい負傷と、それがカスパルである事に心臓がバクバクと苦しいほどに鼓動を早める。
急いでカスパルの身体を支える様に背中に手を回す。

「あっ…!」

手を回した背中に、服では無い感触を感じ取る。
急いで片手だけ外して何とかカスパルの身体を支えた。
シムが外した手にはカスパルの血とガラスの様な破片が張り付いていた。


シムはそこでカスパルの背中にも傷を負っている事を知り、これ以上傷に触れない様に脇から手を差し込んで支えた。

「どうしよう…!カスパルさんが死んでしまう…!」

死んでしまう恐怖と異常事態から来る足の震えと戦いながら、カスパルが今来た道を戻る様にカスパルの身体を支えながら引きずって教会から出た。

教会から誰が出るところを誰に見られようが、何を言われようがそんな事はもうシムには関係なかった。
目の前のカスパルを絶対に死なせたく無い、その一心だけで動いていた。


右往左往に動き回る宮廷の者達に向かう様にシムはカスパルの身体を引きずりながら庭の方まで歩く。


「誰か助けてください…!
か、…護衛軍の、隊長が負傷してい、ます!
誰か、助けてください!」


シムは今までこんなに大きな声を出した事がまるでなく、非常に上擦り辿々しい不慣れな声色が庭に木霊した。
しかしその言葉に行き交っていた数名の従者達が駆け寄ってくれた。

「大丈夫か…!」

「隊長が負傷されてるのか!?
すぐに担架を持ってこよう!」

従者達は大慌てでカスパルの大きな身体をシムから離す。シムは離れて初めてカスパルがとても穏やかな表情で目を閉じていることに気が付いた。

その表情にシムは嫌でも自分の身を案じてくれていたカスパルの気持ちを受け取ってしまい、更に胸が締め付けられた。




従者の数名が急いで布と木で出来た担架を持ってきて数人がかりでカスパルを横向きに乗せる。
「医務室に連れて行けば何とかなるでしょう。」
「君も、呼んでくれて有難う」

従者の一人がシムに一言礼を言い、大急ぎで宮廷の中へと運び込まれていった。

教会から出てきた事など、カスパルの一刻を争う事態の前では咎めている暇さえも無かったのだろう。
それ以降誰もシムへは目を向けなかった。

シムはカスパルを運ぶ従者達の後ろ姿を見ながら、お願いしますと呟いて深く頭を下げ続けた。





地面に視線を落としながら、このまま医務室に付き添う事の出来ない身分や間柄である自分を強く責めた。
いつも手を差し伸べてくれるカスパルに、シムは何も返すものを持ってなどいない。


シムの見つめる地面に、一つ、また一つと込み上げて溢れ落ちる涙が跡を残した。















医務室では沈鬱な空気が流れていた。


陽が出て暫くした午前、数あるベッドの中の一つに大きな身体を横たわらせカスパルが眠りについていた。

その身体は頭と胴体に痛々しい程に大量の包帯が巻かれていたが、医者は短いガラスの破片だったので内臓までは到達しておらず命に別状はないとの診断だった。
後頭部はやはり背中よりも重症で、何針か縫いはしたもののこちらも奇跡的に目立つ程の傷跡にはならない位置だった。



沈鬱な空気を醸し出しているのは医者の診断ではなく、カスパルの周りに立ち尽くす何名もの護衛軍の部下から漂う空気であった。


「あの時、国王陛下が早く移動なされば…、隊長は不要な怪我を負わずに済んだのに……」

一人が大変悔しそうに呟き、誰かが「おい、陛下を悪く言うな」と一応は否定をするが、その部下達の表情からはその通りだと言う言葉が顔に書いてあった。



カスパルはあの時、とてつもない速さで皆の安全を確保した。
そして部下の安全も統率という形で確保した。
その恩をひしひしと感じる部下達は本当にカスパルを慕っている目をしていた。

「そんな所に皆でいられても、ラザフォード様はまだお目覚めにはならないと思いますよ…。」

若干年配の看護婦は少し呆れた様に部下達に言って通り過ぎていく。


それを聞いてもなお一様に皆の腰は重く、カスパルの負傷具合を目に焼き付けた。



「何人か街に派遣して情報集めてるんだよな、状況は分かったのか?」

部下の一人であるダーキンは腕を組みながら同僚に話しかける。

「ああ、まだ帰ってきていないが、午後には大体は分かるだろう。
隊長も恐らく反乱だとは言っていたが、宮廷は一応無事みたいだし。」


一人が答えた言葉にダーキンはもどかしそうに、「そうか」と返答したその時、物凄い勢いで護衛軍の一人が駆け寄って来た。



「皆大変だ!!訓練場でモールが…!!」












 
 
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