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無力の力
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しおりを挟む自室の扉を開けると廊下は暗く、壁を辿りながらエリザベスは進んだ。
「王妃陛下…!
この様な夜にどちらへ行かれるのですか!」
向かいから巡回していた護衛軍の男が慌てて駆け寄るも、エリザベスは歩みを止めず進み続けた。
「正門の外が騒がしいの…少し確認しに行きます。」
それだけ告げて、なおも進み続けるエリザベスに軍の男も慌てて制する。
「いけません王妃陛下!夜は危険です。
軍の者を向かわせますので自室にお戻りください…!」
必死に止めようとするもエリザベスは止まらなかった。
「いいえ、他の者を起こすのは可哀想だわ。
女性の声がするの、丁度眠れなかったところだし見に行かせてちょうだい。」
「なりません、陛下…!」
その攻防戦も虚しく、二人はあっという間に宮廷の中央に位置するホールまでたどり着き、その大きな宮廷の扉に居た数名の待機兵は皆どよめいた。
「王妃陛下…!何故この時間に…」
皆動揺を隠せず只エリザベスを見据える。
そこに一緒に着いて来た巡回の男がエリザベスの前に立った。
「王妃陛下を自室まで誘導さしあげろ!
ここは危険だ!」
その声に扉に居た数名の護衛軍達が駆け寄る。
しかしエリザベスはその男を避け、扉の前に立った。
「この扉を開けてちょうだい、少しでいいから。」
その静かなエリザベスの言葉に、動き出そうとして居たその場の者が動きを止めた。
エリザベスからの命令は王妃命令であり、従わなければならない命令だった。
扉を守っていた男達は、信じられない表情で顔を見合わせた後、ゆっくりとその大きな扉の取っ手に手をかけた。
音を立てて扉に少しの隙間が生まれる。
それをエリザベスは「ありがとう。」と一つ告げながら扉から外へと出た。
「大変だ…。」
その後ろ姿を見た護衛軍の一人は慌ててエリザベスとは反対の方向へと駆けて行った。
扉を出ると腕の良い庭師により整備された豪華な庭園を通り過ぎ、漸く正門の脇に聳え立つ大きな柱が見えて来た。
そこまで行くと正門にいる人物も自ずと見えて来る。
そこには一人の泣きはらした顔をした、薄汚く見窄らしい若い女とその赤子、そして何かを語りかけている甲冑姿の門番が見えた。
門番の男は宮廷から人の気配を察し顔を直ぐ様向けると、その人物が誰であるのかを瞬間に察知し驚愕の表情で身を強張らせた。
「何をしているの。
どうかしたの。」
そのエリザベスの一言に、門番を強く睨みつけていた女も漸くエリザベスが近づいて来ている事に気づき目を見開いた。
「お前は…、お前は…!!」
女はわなわなと大きく震え、怒りと悔しさを強く表情に浮かべながら正門の大きな柵にしがみ付いた。
その目から大粒の涙が何度も何度も溢れては地面を濡らした。
門番は慌てて正門の柵から女を引き剥がそうとするも、エリザベスは女の顔を見つめ返した。
「お前達の増税のせいで大切なこの子を死なせてしまうかもしれないのに…!!
そんっ…なに良い服着て、幸せに寝て…!
私達はこんな服着てこんな生活で…!!
悔しくて悔しくて殺してやりたい…っ、
お願いだから増税なんてやめてっ!
お願いだから…っ」
女は柵に靠れる様に泣き崩れた。
言葉の後半は涙と嗚咽で上手く言語にもなりきれていなかった。
しかしエリザベスの胸には十分過ぎる程に届き、どんな言葉よりも突き刺さった。
本来であれば王族にこの様な無礼は釈明の余地なく不敬罪で処刑される。
しかしこの女の言葉こそが、何より国民の声を代表したものであるとエリザベスは痛感した。
増税される事が決まった際もエリザベスには事後報告のみ執事からされただけであった。
そこに意見する権利はエリザベスに与えられてはいない。
しかしそれに甘んじてはならないのだと漸く気づいた。
子は国の宝だ。
どんな親から産まれようとも、それに替わるものは決してない。
その子供達がこの国を支える一人になる。
それを国の政治で苦しめるなどあってはならない。
エリザベスは静かに直ぐ側まで歩み寄り、身を屈めて女と同じ位置に目線を置いた。
膝を折る王族など前代未聞であり、深夜であろうがこの姿が誰かに見られては威厳に大きく関わる事である。
門番の男は驚愕しつつ、慌ててその身を盾にしエリザベスが見えない様に死角を作った。
エリザベスが直ぐ近くで見つめている事に気づいた女は、泣き崩れながら泥のついた汚い顔をゆっくりと上げた。
「この子にも貴女にも、長い間ここで叫ばせてしまって…辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさい。」
エリザベスは白髪の多く混じった頭を深く下げた。
女は一度目を大きく見開いた後、より激しく嗚咽を漏らして泣き出した。
それは女王からの謝罪からの嬉しさなのか安堵なのか、女王個人が悪い訳ではない事を女も分かっている事への感情の齟齬が原因なのか、理由は本人でさえもうわからない。
エリザベスは自分の羽織っていたマントを外し、柵越しから女の肩にかける。
そのマントは控えめながらも手の込んだ刺繍が全面に施されており、釦は金、見紛う事なき名品である。
そして自分の結っていた小さく宝石の埋め込まれた小ぶりな髪留めを外して、髪を垂らしながら女の手に髪留めを握らせた。
「このマントと髪留めを直ぐに売ってください。
その子を医者に、そして貴女も良いお乳が出る様に沢山お食べください。
その足しにはなると思います。」
女は泣きじゃくりながら震える手で髪留めを握りしめた。
涙が止まらないまま、髪留めを握りしめ続けた。
「私には増税を止める事が今は出来ません。
しかし貴女の言葉は私が夫に伝えましょう。
この寒い日に、ここまで声を届けに来てくださった事
王妃として心から礼を申し上げます。
さぁ、早くその子を暖かい場所へ。」
エリザベスは誠心誠意女に向き合い、ゆっくりと確かに聞こえる様に女に告げる。
女もまたエリザベスを涙の流れる目で見つめ返す。
その目には確かに国の母と称される女王たるエリザベスが映っていた。
女は震えながらも何とか赤子を抱え、何度も何度も頭を深く下げた。
「有難うっ…本当に、有難う…!」
泣きながら礼を言い続ける女をゆっくりと門番が立ち上がらせる。
その女が門番の支えを受けながら覚束無いながらに何とか歩き、正門から元来た道を辿り街の方へと消えていった。
その姿を門番、そしてマントと髪留めを手渡したエリザベスが見送った。
もう空はそろそろ朝を迎える準備を始め、薄ら紫に明るみ始めて来ていた。
「王妃様、直ぐに宮廷へお戻りください…!」
甲冑を着た門番の男は、マントも纏わない夜着一枚のエリザベスに慌てて恐縮しつつも促した。
エリザベスは少し申し訳なさそうにこけた頬を緩ませた。
「慌てさせてしまったわね、ごめんなさい。」
それだけ言って元来た道を辿る様に歩き始めた時、宮廷の方から軽快に走り寄る音が聞こえた。
「王妃陛下…!」
そこには先程宮廷の奥へと走り去って行った護衛軍の男と、そして簡易的なシャツとマントを身に纏ったカスパルが慌てた様子で正門前に駆けて来ていた。
護衛軍の男は緊急事態だと判断し、部屋で休んでいる筈の上司であるカスパルを直ぐに呼びに行ったのであった。
「カスパル……」
エリザベスは一度目を見開きカスパルを見やるも、血だらけで国王と自身を守ったあの夜を思い返し苦しそうに目を細める。
しかしエリザベスはカスパルに向き直りしっかりと見つめた。
「これでは身体が冷えてしまうでしょう…!」
カスパルは少し心配そうに、怒っている様な声色で言い放つ。
直ぐに自分の羽織っていたマントを外し、エリザベスの元に着くと肩にかけてエリザベスの身を暖めた。
カスパルは街の方からは見えない様に立ちはだかり、自分の大きな身体を盾にしてエリザベスを宮廷の方へと急がせた。
その際一度だけ振り向き門番の者達に一つ頷いた。
「お前達、礼を言う。
後でまた話を聞きに行くが、ここを頼む。」
門番の男達は突然の私服を着た統括長の登場に固まったものの、述べられた礼に慌てて礼を返した。
カスパルともう一人護衛軍の部下によって王妃の自室に送られたエリザベスは、マントを羽織ったままその辺の椅子に腰を掛けた。
ここに来るまでの道程を誰にも見せない様細心の注意をカスパルは払っていた。
部下の男は扉の外で待機し、カスパルは一度廊下の方を注意し、音を立てない様扉を閉めてエリザベスに向き直った。
その顔は先程と同じ様に怒った様な顔をしていた。
「エリザベス様…!
何故この様な無茶なことをしたのです…!」
その言葉にエリザベスは困った様に目を伏せた。
「……カスパル、こんな夜に起こしてしまってごめんなさいね。
女性の方が何やら必死に叫ぶ声が聞こえたから、どうしても気になってしまって…。
赤ちゃんが死にそうなのだと、言っていたものだから。」
「だからと言って貴女が今外に出る事がどれ程危険だと思っているんですか!
私の部下が居なかったら本当にどうなっていか、もっと危機感をお持ちください…!」
捲し立てる様に一気にエリザベスに投げかけたカスパルは、心配からなる疲労で頭を掻きながらエリザベスの部屋の扉に寄りかかった。
しかし激情に任せたままエリザベスに怒鳴ったところで解決には至らないことをカスパルもうんざりする程分かってはいたので、高ぶる感情を落ち付かせる様に静かに息を吐いた。
エリザベスはカスパルに向き合うことに恐れている気持ちもあったが、意を決して少し遠い場所に寄りかかるカスパルを見やった。
「カスパル、あの夜は…私達を守ってくれてどうも有難う。
あんなに怪我を負わせてしまって本当にごめんなさい。
今回も迷惑をかけてしまって、部下の方にも貴方にも何と言ったらいいか…、」
エリザベスの落ち付いた謝罪に、カスパルは顔を上げ辛そうに顔を歪めると何度か首を横に振ってみせた。
護衛する事は業務の一環だ。
負傷しても守るのは至極当然のことである。
そのことに関してカスパルは何も辛い気持ちはなかった。
しかしカスパルもエリザベスに対し、胸の内に遠ざけたかった記憶があった。
”エリザベス様………何故です。”
カスパルは、ジェーンが妊娠したと分かった時、エリザベスを一言攻め立てた事をカスパルは後悔していた。
今となっては痛い程理解できる。
ジェーンを守る術など、側にいない間では皆無に等しい。
国王を止める術もジェーンを守る術も、エリザベスは持ち得ていなかった。
それなのにあの時自分の怒りのままに一言そう怒鳴ってしまった。
目の前の暗い部屋に佇むエリザベスに目を向けると、前にテューリンゲンへ一緒に赴いた頃の面影はすっかり無く、細く痩せこけ白髪が多く目立つ年齢以上に年老いた風貌に変わっていた。
そうさせてしまった一つとして、傷つけたであろうカスパルの一言もあるとしたら、と申し訳ない気持ちでエリザベスを長く直視する事ができない。
カスパルはエリザベスの謝罪に首を振った後、口を開いた。
「怪我も今回も、それは私の仕事なので謝罪も感謝も要りません。
…陛下、それよりもきちんと眠れていますか?
私が前に言った事がもし貴女を……」
苦しめていたのならば、と言葉を続けようとしたがエリザベスがそれを軽快に笑って遮った。
「大丈夫よ、ちゃんと眠れているわ。
今夜はたまたま眠っていなかっただけなの。
カスパルこそ、あまり色々と根詰めては駄目よ?」
エリザベスは頬をこけさせながらも、きちんと微笑みカスパルを見た。
ああ、自分の考えを全て解られている。
その表情に全てを悟ったカスパルはこれ以上の言葉は続けず「恐れ入ります。」と一言礼を述べた。
「今回の事は他言しない様、部下達には口添えしておきます。
しかし誰が見ていたか分かりません。
もし問い詰められても何もなかったと、そうお伝えください。」
「ええ、わかりました。」
エリザベスが頷くのを見届けると、カスパルは一礼し扉をそっと開けた。
もうすっかり明け方となっていた。
「では、私はこれで失礼致します。」
そう言って出ようとした時、エリザベスが軽く呼び止めた。
「ねえカスパル。
あの庭師の…シムと言ったかしら。
あれからあの子とは会っているの?
元気にしているのかしら。」
ふいに思い出したのだろう、シムに関する問いかけに一度カスパルは目を見開く。
しかし寂しそうに、どこか愛しそうに目を伏せた。
「ええ、元気にしていますよ。
…シムは教会の庭を本当に美しく、生まれ変わらせました。」
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