テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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嵐の後に

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卸の男、ゲルドは色々情報をくれたアベルに礼を言い、シムたちのいる場所へと急ぎ戻った。


ゲルドが雪煙の中から戻ってきたのは、薄曇りの空がわずかに朱を帯び始めた頃だった。
馬を下りるやいなや、彼は宿の食堂に集まっていた一行を見回し、深く息を吸う。


「みんな聞いてくれ。村の奴から情報を聞いてきた。
はずれの教会が俺たちを受け入れてくれるだろうってな。
そこならお前たちも、赤子も寒さも凌げるだろう」


女たちが安堵の声を漏らし、ジェーンの額を拭きながら赤子を抱いていたシムも顔を上げた。

ゲルドは続ける。

「ただし道は狭く深い雪だ、馬車も動きが鈍る。
丸一日は見ておいた方がいい。焦らず声をかけ合いながら行こう」

その言葉に意を唱える者はいなかった。

「ここまで頑張って逃げてきたんだ。もう少しの辛抱だよみんな。」
娼館の店主ユーゴが気丈にそう言うと、みんなも明るい顔で頷き合う。
シムも赤子を包む毛布を整えて頷いた。

馬車に荷をくくり直し、一行は薄紅の夜明けを背に雪原へ踏み出した。




雪は日が高くなるほどに湿り気を帯び、轍を埋めた。
馬車の軋む音が、林を抜ける風に小刻みに呑まれていく。

女たちは互いの肩を支え、疲労を笑いに変えようと小さな冗談を交わした。
シムは白い息をふうと吐いては、馬車の隙間から教会への道筋を目に焼き付けていく。

凍った畑にうっすらと残る足跡は鹿のものか、それとも遠出を終えて戻った村人のものか。
あれは幼いころ、雪の下でじっと春を待っていた根菜の畝。
懐かしい記憶と今吹きつける冷気とが胸の奥で交わり、言葉にならない温度を灯す。


「…ジェーン様、帰ってきましたよ。
俺たちの故郷は寒いですね。」

シムはそっと側に横たわるジェーンに話しかけた。





日暮れ前、漸く古い石垣に囲まれた教会がようやく視界に入った。
教会の前まで辿り着くと、シムの遥か昔の記憶よりも幾分廃れた空気を纏っていた。
赤子でこの場所に置き捨てられたシムの幼い頃の記憶はもう朧げだ。

だがここで修道女から草木の育て方を学んできた。
冬枯れた草花の名を、修道女たちと何度も繰り返して覚えたことは、自分の原点であり今の自分を大きく支えている。


シムは赤子を布で支えながら背中に括り付けて馬車から降りると、雪を踏みしめて階段に立つ。
しん…と静まり返った空気に、シムの足音が吸い込まれていった。


小さく息を整え、扉を叩く。

開いた扉の向こうに並んだのはシムの知らない修道女。
事情を聞くと修道女はためらいなく扉を開けた。
石畳を進む一行の前に、杖をついた老修道女が現れる。

「その面差し…やはり、シムね…」

震える声にシムは瞬きし、深く頭を下げた。
老修道女は細い肩を震わせ、潤んだ瞳で手を差し伸べる。

「よく息災でしたねぇ。
あんなに小さかったあなたが、こんな立派に…」

その言葉に教会の静けさが温かく混ざり、シムは胸の奥に芽吹くものを押さえきれず目を伏せた。


彼の周りで仲間たちは暖かな灯とベッドへと案内され、安堵の笑みを重ねていく。
雪解け水のような静かな涙が、シムのまつげを濡らした。








その頃、王都にて。
隣国会議から戻ったばかりの小風とセスは、臨時指令所と化した宮廷で反政府仲間の報告を受けていた。
地図の上を指差しながら、小風とセスは会議で各国から受けた話や状況、援助物資の流通などについて皆に共有していく。

セスがみなに細かな指示を出している間、一人の者が小風に近寄り耳打ちしてきた。

「オーデッツ卿は昨夜王都を出たらしい。
なんでもルージッド国から何かを言付かったと…
キンバリーはその話、ルージッド国から聞いているか?」

若干目を見開く。
小風は確かにその話に覚えがあった。

皆に聞かれる前に急ぎその男と共に廊下に出た。


「他には何か聞いているか?」


「いや、そう言ってすぐに護衛をつけず単身で北へ向かったらしい。
仲間たちはオーデッツ卿が反乱するんじゃないかと一部危険視して今後を追いかけているらしいんだ。」

「そうか…。」


その時、小風はふと近隣諸国との会議後、ルージッド国王と話した夜のことを思い出した。
シムの話をした国王は本当にすぐに手紙を書いたのか。こんなに早くオーデッツ卿に話がいっているというこは鷹か何かに手紙を運ばせでもしたのだろう。

「父上は大丈夫だ、その話は少し噛んでいるがレグランドの不利益になるような用事じゃないはずだ。」


だが、今オーデッツ卿を追いかけた先でシムが見つかることはかなりまずい状況になる。

宮廷から姿を消したジェーンとその子供は今行方が知れていない、死亡説さえ流れている。
しかし小風の推測では同じ故郷のシムと一緒にいる可能性は極めて高い。
宮廷の暴動の日、血に濡れたシムが向かった先は出口ではなかった。ジェーンを死なすまいとシムなら助け出すのではないかと小風は考えた。


もしジェーンと共に見つかればシムは王族逃亡を幇助した罪に問われる。
ジェーンが国王の血を引く子供を産み落としていれば事態はもっと最悪だ。

どうするべきか小風は眉を寄せて思案する。
本当なら今すぐ自分が駆け出してシムを守りに行きたい。
そしてシムだけを連れ出して国外に二人きりで逃亡できたらどれだけいいか。
シムを独り占めできたらどれだけいいか…。

しかしこの混乱の最中、揺れる国と近隣国との橋渡しは今の小風とセスにとって不可欠な役目。
身軽に動ける状況ではない、むしろ悪目立ちしてより事態を悪化させてしまう。

小風は、少し間を開けて口を開いた。

「状況はわかった。対処はイリスと相談して決めるよ。」






指示を出し終えて負傷や治安状況の報告を受けていたセスを呼び止め、小部屋へ移動させた小風は、先程聞いた話を全てセスに共有した。

セスはわなわなと不安げに唇を震わし始める。
その横顔に静かに「どうする。」と声をかけると、
セスは拳を握りしめ、椅子から立ち上がった。

「どうするも…放っておけるかよ!
シムさんが危険に晒されるなんて有り得ない…!」


声を荒げたセスを小風が制する。

「僕だって分かっている。けれど王都はまだ火種を抱えたままだ。
俺たちが離れれば治安が崩れる」

「だからと言って…!」

セスは歯を食いしばり、壁を一度拳で叩いた。
その震える背に、小風は静かに言葉を置く。

「焦る気持ちは同じだ、時間もない。
それも含めて一度カスパルと…ちゃんと話をしないか?」

「……隊長と、」

セスは目を見開く。

「ああ、近隣国たちと話した約束を早めに履行しなければレグランドの復興も遅れる。
それにこの状況をカスパルにも報告してやりたい。僕達で」

セスはしばらく俯いたあと、深く息を吐き、拳を開いた。

小風の目にも決意が宿る。




皆の活動がおさまった夜更け、夜風が吹き抜ける石段を下り、二人は下水地下牢へ向かう。

灯の揺らぎが石壁に歪な影を落とし、遠くから鎖の擦れる音がかすかに響いた。
闇の奥で待つカスパルの瞳が、何を映しているのか。
小風はマントから軽く顔を出して暗がりに繋がれたカスパルを見下ろした。


「やあカスパル、暫く時間が空いてすまない。」








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