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2.王弟アルフォンス(1)
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「ガリアナ王国の第一王女を側室にする? 何を寝ぼけたことを兄上は言っているんだ?」
マリエン王国王弟のアルフォンスは、彼の副官ランバルトからの報告を聞いてあからさまに苛立ちの声をあげた。前髪を雑に下した黒髪に鋭い視線。体格はすらりとしていたが、見るからに鍛え上げられている。
王城の一角にある彼の執務室は案外とだらしなくあちらこちらに資料が落ちている。それは、彼がそれらの書類に興味がないせいではなく、彼の手に余る内政に関する書類が増え続けているせいだ。そして、それらは本来彼がやるべき仕事ではない。
ただでさえ忙しいというのに、ここ最近の忙しさはおかしいとは思っていた。これらは、国王クリスティアンが自分の目を盗んで動くためだったのか……そう気づいて、深い溜息が口から出る。
「はっ……しかし、その条件で契約は締結していまして」
「何だと?」
「代わりに、こちらからは王妹殿下を……バーニャ様を差し出すことになっております」
「バーニャを? ふざけたことを……」
苛立つアルフォンスを抑えるように、ランバルトは「いやいや」と声をかける。彼はモノクルをかけて、灰色の髪はそう長くないもののうなじ付近で一つに縛っている。アルフォンスの副官とはいえ、ひょろりと細身で前線にいたようにはまったく見えない。
「バーニャ様を嫁がせるのは悪くないかと。そもそも、『王族直系の女性でありながら』殺されずに済んでいたものの、今の陛下はいつ手のひらを返すかわかりませんし……もともと、以前ガリアナ王国第一王子の妻に嫁がせようという前提で生かしてもらえていたという話でしたので、王太后も賛同なさっているようです。念の為天恵も調べましたが、なかったとのことで……」
「ああ……来るべき時が来た、ということか。そのために生かしてもらっていた、という?」
「それに、話としては正直良いことではないかと。ガリアナ王国から『ガーディアン』の天恵を奪えるのですからね。一方でバーニャ様は王族として扱われておらず、教育も行き届いてはいない……大変失礼とは思いますが、釣り合いはとれておりません。ですが、ガリアナ王国はそれを飲むしかないでしょう」
「ああ……それは確かに」
アルフォンスはため息をついた。ランバルトが言う「王族直系の女性でありながら殺されずに済んでいた」ということが、まず彼にとっては信じられない話なのだ。
マリエン王国は、王妃が産んだ子供に女性がいた場合、生まれてすぐに殺される。要するに、男性だけが純血の王族として扱われるのだ。遠い昔からの習わしで、何かの呪いがどうのこうのと聞いたことはあったが、アルフォンスはそれを信じていない。
「それに、バーニャ様を生かしていたせいだと言われているではないですか。先代の陛下がお亡くなりになったのは……ですから、この国にいるよりも、ガリアナ王国に嫁いだ方がバーニャ様には良いかもしれません」
「確かにそうだな……父上が死んだことすら、女児を生かしておいた呪いだとか言われてバーニャは不憫だった。ある意味では、兄上の取り計らいなのかな」
「たとえ、厄介者払いと思われているとしても、これは悪いことではありませんよ。あちらの国で罵られるとしても、ここにいるよりは生きやすいと思いますけれど」
「そうだと良いのだが……」
確かにそうだな、とアルフォンスは頷いた。これまで、バーニャと彼らの母親である王太后は王城の奥深くにほぼ幽閉されていたが、戦が終わると共に離れに移された。一体どんな気まぐれかと思ったが、そういうことだったかと理解をした。
何故王太后も幽閉されていたのかと言えば、彼女は純血の王族だからだ。彼女の代は、男の子供に恵まれず、5人目に生まれた彼女を仕方なく生かし、故先代マリエン王――要するにアルフォンスの父親だ――を彼女に嫁がせ国王にした。
そして、彼女はクリスティアンを産み、2人目にバーニャ、3人目にもう一人男児エリーストを産んだ。アルフォンスは側室の子供で、3人の異母兄弟となる。よって、アルフォンス自身は王族の直系ではないが、側室だった母親は限りなく王族に近い血筋を持っていたこと、側室の子供は愛妾の子供と違って王位継承権を得られるということ、その2つによって、現在王弟として扱われている。とはいえ、エリーストはまだ幼いし、アルフォンスは前線にいたのだから、クリスティアンが即位をしたのも当然と言える。
ともかく、バーニャは生まれてすぐに王城の片隅に幽閉された。そして、バーニャの実の母親である現王太后は、5年前にエリーストを産んだ。これで、直血の男児はクリスティアンとエリーストの2人。その時点で、王太后は「役目を終えた」ということで、バーニャと共に幽閉されてしまったのだ。本来は殺されるところを、幽閉に留められたのは父親の情けだったのだろうか。本当のところは知らないが。
そんなわけで、血は半分しか繋がっていないけれど、アルフォンスはバーニャのことを実の妹と同じように思っている。そんな彼女を隣国に嫁がせることに心が痛まないわけではない。しかし、この先の人生も幽閉され続けるのではと思えば、これはある意味彼女の人生にとっての好機ではないかと思う。敵国の人々からの視線はきっと彼女にとってはつらいものとなるだろう。しかし、世界は広がるに違いない。それだけは、ガリアナ国王にどうにかしてもらわないと……と、アルフォンスはぶつぶつと考えていた。
マリエン王国王弟のアルフォンスは、彼の副官ランバルトからの報告を聞いてあからさまに苛立ちの声をあげた。前髪を雑に下した黒髪に鋭い視線。体格はすらりとしていたが、見るからに鍛え上げられている。
王城の一角にある彼の執務室は案外とだらしなくあちらこちらに資料が落ちている。それは、彼がそれらの書類に興味がないせいではなく、彼の手に余る内政に関する書類が増え続けているせいだ。そして、それらは本来彼がやるべき仕事ではない。
ただでさえ忙しいというのに、ここ最近の忙しさはおかしいとは思っていた。これらは、国王クリスティアンが自分の目を盗んで動くためだったのか……そう気づいて、深い溜息が口から出る。
「はっ……しかし、その条件で契約は締結していまして」
「何だと?」
「代わりに、こちらからは王妹殿下を……バーニャ様を差し出すことになっております」
「バーニャを? ふざけたことを……」
苛立つアルフォンスを抑えるように、ランバルトは「いやいや」と声をかける。彼はモノクルをかけて、灰色の髪はそう長くないもののうなじ付近で一つに縛っている。アルフォンスの副官とはいえ、ひょろりと細身で前線にいたようにはまったく見えない。
「バーニャ様を嫁がせるのは悪くないかと。そもそも、『王族直系の女性でありながら』殺されずに済んでいたものの、今の陛下はいつ手のひらを返すかわかりませんし……もともと、以前ガリアナ王国第一王子の妻に嫁がせようという前提で生かしてもらえていたという話でしたので、王太后も賛同なさっているようです。念の為天恵も調べましたが、なかったとのことで……」
「ああ……来るべき時が来た、ということか。そのために生かしてもらっていた、という?」
「それに、話としては正直良いことではないかと。ガリアナ王国から『ガーディアン』の天恵を奪えるのですからね。一方でバーニャ様は王族として扱われておらず、教育も行き届いてはいない……大変失礼とは思いますが、釣り合いはとれておりません。ですが、ガリアナ王国はそれを飲むしかないでしょう」
「ああ……それは確かに」
アルフォンスはため息をついた。ランバルトが言う「王族直系の女性でありながら殺されずに済んでいた」ということが、まず彼にとっては信じられない話なのだ。
マリエン王国は、王妃が産んだ子供に女性がいた場合、生まれてすぐに殺される。要するに、男性だけが純血の王族として扱われるのだ。遠い昔からの習わしで、何かの呪いがどうのこうのと聞いたことはあったが、アルフォンスはそれを信じていない。
「それに、バーニャ様を生かしていたせいだと言われているではないですか。先代の陛下がお亡くなりになったのは……ですから、この国にいるよりも、ガリアナ王国に嫁いだ方がバーニャ様には良いかもしれません」
「確かにそうだな……父上が死んだことすら、女児を生かしておいた呪いだとか言われてバーニャは不憫だった。ある意味では、兄上の取り計らいなのかな」
「たとえ、厄介者払いと思われているとしても、これは悪いことではありませんよ。あちらの国で罵られるとしても、ここにいるよりは生きやすいと思いますけれど」
「そうだと良いのだが……」
確かにそうだな、とアルフォンスは頷いた。これまで、バーニャと彼らの母親である王太后は王城の奥深くにほぼ幽閉されていたが、戦が終わると共に離れに移された。一体どんな気まぐれかと思ったが、そういうことだったかと理解をした。
何故王太后も幽閉されていたのかと言えば、彼女は純血の王族だからだ。彼女の代は、男の子供に恵まれず、5人目に生まれた彼女を仕方なく生かし、故先代マリエン王――要するにアルフォンスの父親だ――を彼女に嫁がせ国王にした。
そして、彼女はクリスティアンを産み、2人目にバーニャ、3人目にもう一人男児エリーストを産んだ。アルフォンスは側室の子供で、3人の異母兄弟となる。よって、アルフォンス自身は王族の直系ではないが、側室だった母親は限りなく王族に近い血筋を持っていたこと、側室の子供は愛妾の子供と違って王位継承権を得られるということ、その2つによって、現在王弟として扱われている。とはいえ、エリーストはまだ幼いし、アルフォンスは前線にいたのだから、クリスティアンが即位をしたのも当然と言える。
ともかく、バーニャは生まれてすぐに王城の片隅に幽閉された。そして、バーニャの実の母親である現王太后は、5年前にエリーストを産んだ。これで、直血の男児はクリスティアンとエリーストの2人。その時点で、王太后は「役目を終えた」ということで、バーニャと共に幽閉されてしまったのだ。本来は殺されるところを、幽閉に留められたのは父親の情けだったのだろうか。本当のところは知らないが。
そんなわけで、血は半分しか繋がっていないけれど、アルフォンスはバーニャのことを実の妹と同じように思っている。そんな彼女を隣国に嫁がせることに心が痛まないわけではない。しかし、この先の人生も幽閉され続けるのではと思えば、これはある意味彼女の人生にとっての好機ではないかと思う。敵国の人々からの視線はきっと彼女にとってはつらいものとなるだろう。しかし、世界は広がるに違いない。それだけは、ガリアナ国王にどうにかしてもらわないと……と、アルフォンスはぶつぶつと考えていた。
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