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リーエンをとりまく人々
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「本日、アルフレド様はご多忙のため、リーエン様とティータイムをご一緒出来ないとのことです。また、夜も遅くなるため、一日会うことは難しいとお伺いしております」
「わかりました」
アルフレドと会えないからといって、リーエンにとっては何か困ることがあるわけではない。だが、なんとなく自分が不安になっていることに気付く。
(別段あの方とわたしが近しいわけでもないけれど……)
立場が立場のため、城でリーエンと接する魔族はみな、使用人や騎士といった彼女より「下」の立場だ。家族も友人もいない今の状態で、リーエンと同等あるいはリーエンよりも上の立場の者はアルフレドしかいない。だから、なんとなく心許ないのかもしれない。
とはいえ、代わりにティータイムに合わせてこれからリーエンの座学教育担当になる魔族が来ると聞いて、リーエンは「しっかりしなきゃ」と自分を奮い立たせる。
午前中に仕立て屋がやって来て、何故か採寸が行われた。既に用意されたドレスは日替わりで着替えても困らないほどの枚数だったし、サイズに不備もないため、リーエンは何故採寸するのか尋ねた。話を聞けば「今後、今お持ちのドレスとは別に仕立てなければいけないドレスがあるので」と、彼らにとっては正当な理由があるようだった。
次に、2人の人間型魔族と2人の獣人型魔族、そして、何やらよくわからない魔物のような魔族が挨拶に来た。
「本日よりリーエン様の護衛として配属されました。先程は採寸がございましたので室外で待機しておりましたが、基本的に高位魔族当主を含む、アルフレド様が許可したリストに名が載っていない者との謁見時には今後我らが同席いたします」
「リーエンです。よろしくお願いいたします」
彼らはそれぞれ名前と一族名をリーエンに告げる。人間型魔族の2人は、アルフレドの親族――といっても比較的遠いらしいが――だと言う。
(アルフレド様の親族、というのは……魔王の血統というものは、一族名を持っていないということなのかしら?)
リーエンはそう思ったが、魔界に来て数日の彼女にしてみれば、ここに並んだ者達の名前を覚えることすら必死で、突っ込んだ話をしてこれ以上覚えることを増やしてもついていける自信がない。
「こちらはアイボール一族の中でも小型の種族、正確にはペッティーガットという種族になりますが、城内を散策なさる時は必ずアイボール一族の誰かがついていくことになります。魔力がある者としか念話は出来ませんが、後ほど教育係からコミュニケーションの方法を教えてもらえるでしょう」
宙にふわふわと浮いている球体の何かは、リーエンの手の平に乗るぐらいのサイズだ。きゅる、と摩擦音をたてたと思えば表皮がめくれ、大きな目玉が現れる。大いに驚いて声も出ないリーエン。
大きな目玉が皮に覆われて浮いている……リーエンの感想はただそれだけ。驚きのあまり、思考が止まる。本当は目玉が浮いているだけに見えるが、その目は球体ではなく表皮で見えない裏側に触手を隠しているし、表皮の下にも2枚更に皮が重なっている上、目玉の上にもう一枚透明な膜――透明度が高いため一見してわからないが――もあり、複雑な構造になっているのだが、さすがに初見でそこまで見抜くことはリーエンには出来なかった。
「えっと、ペッティ……?」
「アイボールと一族の名を呼ぶと良いと思います。日替わりで誰かが朝食後より夕食前まで一日リーエン様につきますので。1人1人の名を覚えて呼ぶ必要はないかと」
「アイボールさん。よろしくお願いしますね」
リーエンがそう言うと、アイボールは目を再び覆って一回転した。どうやらアイボールの言葉はリーエンには伝わらないが、リーエンの言葉は理解しているらしい。聞けば、表皮で目が覆われていても見えているが、表皮を開けていると更にはっきり見えるし、遠方の仲間に映像情報を送ることが出来るのだという。
映像記録が必要な時には同行して、アイボールの視神経と記録石を繋ぐ魔術を施すとかなんだとか聞いたが、その辺のことをリーエンが理解出来るようになるのは相当先のことだった。
今後、アルフレドの信頼を得ている者以外の訪問があれば必ずこの護衛騎士達が同伴し、リーエンが移動をする時はアイボールが同伴する。移動先の方が護衛騎士の必要性があるのでは……とリーエンは思ったが、魔界において「魔王に雇われたアイボールに記録される」という脅しはとんでもなく強いらしいし、護衛騎士がついて回るとリーエンも気が休まらないだろうという配慮らしい。
「ですが、案内が必要だったり、長時間の部屋を空ける時は我々をお連れください。それから、話し相手が必要でしたら是非」
「まあ。行き届いたお心遣いありがとうございます」
リーエンが微笑むと、護衛騎士たちはちらちらとお互い目配せをして僅かに微笑んだ。どうやら人間界の騎士ならば怒られるようなそういった行為も、魔界では別段問題にされない、少し砕けた存在なのだろうとリーエンはなんとなく気付いて、少し安心した。
実際、話し相手がいないということは今の彼女には大問題で、かといって、常に誰かに付きまとわれるというのも問題だ。そのどちらも配慮してもらえていることが、とんでもなくありがたい。
「普段は女中達の方がリーエン様としてはお話しやすいでしょうが、何かあれば。我々は毎日組み合わせを変えて2人ずつお部屋の外で待機しておりますのでお声がけください」
「わかりました」
「部屋を出られる時は我々か女中か、とにかくリーエン様が声をその時かけやすい者にかけていただければアイボール族が参りますので」
「どこかに行くときはアイボールさんを呼べばよくて、他の皆様は部屋の外や、来客時に同席してくださる……という認識であってますか?」
その通りと言われてひとまずリーエンは安心する。挨拶が終わって彼らが部屋の外に出て、ようやく朝から続いた来客が一段落したらしく、リーエンは1人でソファに体を預けて目を閉じる。
「ふう……」
昼食は軽いものでいい。そして、ティータイムまでの間は少し休ませてもらおうと思う。環境の変化による不慣れさ不自由さは彼女の心を不安定にする。女中か誰かを呼んで話をすることも少し考えたが、来てもらったところで聞きたいことがまるで思いつかない。人は、あまりにも自分の理解を越える、自分の「普通」からかけ離れた状況に遭遇すると、情報が必要なのに何を聞けば良いのか判断出来なくなるものらしい。
まだ、午前が終わるばかりなのに、リーエンは何日も知らない国のパーティーに出席したかのような気持ちになるほどの疲労感に苛まされていた。
朝知らせを受けていたように、ティータイムに合わせてリーエンの教育係が訪れた。名をコーバス。顔は人間と全く変わらず、見た印象として人間界ならば40歳手前ぐらいというところか。刈り上げた銀髪に、眼鏡をかけている。そこまではリーエンからすればいたって普通。問題は首の下だった。
彼の体は腕が4本生えており、その上、トカゲの尻尾を太くしたようなものが背中から尻に到達する少し上、要するに腰のあたりから外に伸び、地面にぺったりとついている。自己紹介をした彼は特に種族については触れず、器用に尻尾を片側に寄せて床に下したまま椅子に座った。
「初めてのものをお見せしているでしょうし、驚かれていますよね。腕が多くて重い分、尻尾でバランスをとっているので大体床につけているのです。とはいえ、足だけでも十分立てるのですがね」
「そうなんですね……」
リーエンは他に答えようがない。護衛騎士が同席してくれていればきっともう少し説明をしてくれただろうが、さすがに教育係はアルフレドから許可が降りているリストに入っているため、付き添いは誰もいない。女中はあくまでも給仕に徹して、2人のカップに茶を注ぐだけだ。
「4本腕だと色んな事が同時に出来るだろうと思われることが多いのですが、腕の可動域が広くても目が前に二つしかないもので、普段は2本しか使いません。4本使うのはもっぱら戦闘の時ですが、わたしは体を使うことがあまり得意ではなく、完全に学術方面しか能がなくて。そのおかげでこの度、リーエン様の教育係に任命いただきました。どうぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
穏やかそうな魔族でよかった、とリーエンはほっと一息をつく。そして、一息ついてしまった自分に気付いて(態度に出し過ぎた……!)と頬を赤らめる。
コーバスはそれをなんとも思わぬように、マイペースに茶を飲みながら――リーエンが勧めたわけでも口をつける許しを彼が乞うたわけでもなくあっさりと――リーエンにこれからの予定を話し始めた。
「え……? 魔界召集から40日後に……結婚式……ですか」
「はい。魔界では結婚式というものは通常ありませんが、魔王様の正妃となれば話は別です。その式を行う前に、王妃候補の巡礼として魔界のいくつかの場所に赴いていただくことが必要となります」
「わかりました」
「勿論、お1人で行かれるわけではございません。護衛が必ずつきますのでご安心ください。ただ、その中でも魔界の言語が読めなければ入れない場所がありますので、大変だとは思いますがこれから学んでいただきます。我らの言語は書き文字の数が多いので習得になかなか時間がかかるのですが、ひとまずその場をやり過ごせる程度は覚えていただきます。のちのち文書類に目を通す機会も増えると思いますので、式が終わってもそちらの勉強は継続いたします」
「はい」
何を言われてもリーエンは「はい」としか答えることが出来ない。魔界召集で魔王の妻に人間の女性がなったことは初めてではないというから、その人々がやったことを自分が出来ないとは言えないし、拒んでしまえばそこで用なしだと殺されるかもしれない。生きるためにも全力を傾けなければいけないことは間違いない。
(こんな状況で、夜伽をしながらなんてとてもじゃないけれど無理だわ……)
一通りの教育方針を聞いて、溜息をつかなかった自分を誰かに褒めて欲しい、とリーエンは思う。当然、褒めてくれるような相手はいるはずもないのだが。それほど、課せられているものは今の彼女には非常に重く感じる。
朝から晩まで可能な限り勉強をしなければならなさそうだ。これではアルフレドがティータイムぐらいしか会えない、と言っていたが、それはこっちも同じこと……と言うしかない。そんなスケジュールに若干うんざりしたが、勉強をしている間は嫌なことも忘れられるかもしれないと思えば悪くはない。
「日々大変だと思いますが、3日続けて1日休んで、というサイクルでやっていきましょう。今日はティータイム後に明日からの勉強手順や必要なもの、使い方の説明をいたしましょう」
「はい。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。今日はティータイムに参りましたが、明日からは午前中にお伺いします。午後は必ず自習出来る時間を最低でも2刻は確保出来るスケジュールにするようお願いしておりますので、日々の予習と復習を午後にするように」
どうやら、彼は高位魔族子息の教育係を長年生業にしているらしい。そういう魔族は数人いるらしいのだが、見た目が比較的人間型のほうがリーエンには良いだろうということで自分が選ばれたのだと教えてくれた。腕が4本で尻尾がある彼が比較的人間型に分類されるということは、他の教育係はどんな魔族なんだろうと少しだけぞっとする。
ティータイムを終えてから魔王城の図書室に護衛騎士と共に赴き――本来はアイボールの付き添いだけで良いのだが書物を運ぶからとコーバスが騎士達に依頼をしたのだ――大量の書物を抱えてリーエンの部屋に戻った。図書室の使い方を教わり、必要に応じて図書室を使うようにとも言われてリーエンは素直に頷く。
「魔王城には居住エリア外に3か所図書室があります。リーエン様がお使いになる場所の利用者は学術院所属の魔族でも数名、あとは魔王様とその眷属の方々しか自由に使えないエリアにありますので、ほぼリーエン様だけのご利用になると思います。3か所の蔵書は違いますが、リーエン様が使うだろう書物は当分は子供向けでしょうし、現在魔王城に子供はいませんから気兼ねなく持ち出して結構です」
「わかりました」
折角なので今日はこれだけ、とコーバスは魔族の間で一番オーソドックスに使われている文字の一覧――38文字あるらしい――を渡した。それから、紙にさらさらと何やら単語をいくつか書いてリーエンに渡す。
「これが、リーエン様のお名前です。こちらが魔王様……アルフレド様ですね。そして、こちらがわたしの名前です」
「まあ! こちらがわたし、こちらがアルフレド様、こちらが先生のお名前ですか……」
まったくわからない。わからないが、なんとなく「この文字の形は自分には覚えやすい」とリーエンは直感した。これまで人間界で、リーエンが覚えやすいと思ったものを周囲は覚えにくいと言ったりその逆のこともあったけれど、ここではそれが良い結果を導くかもしれない。ほんの少しのことでも今の彼女にとっては喜ばしいことだった。
「では、本日はここまでで。明日、朝食後にお会いしましょう。準備が出来たら女中なり護衛騎士に声をかけていただければお伺いします」
「はい。今日はありがとうございました。そして、明日からよろ……」
よろしくお願いいたします。そうリーエンが言おうとした時だった。部屋のドアをノックする音が響き、護衛騎士や女中だろうか、と思えば聞き覚えがない声がした。
「失礼しますっと。こちらに魔王妃候補いらっしゃるかい?」
「わかりました」
アルフレドと会えないからといって、リーエンにとっては何か困ることがあるわけではない。だが、なんとなく自分が不安になっていることに気付く。
(別段あの方とわたしが近しいわけでもないけれど……)
立場が立場のため、城でリーエンと接する魔族はみな、使用人や騎士といった彼女より「下」の立場だ。家族も友人もいない今の状態で、リーエンと同等あるいはリーエンよりも上の立場の者はアルフレドしかいない。だから、なんとなく心許ないのかもしれない。
とはいえ、代わりにティータイムに合わせてこれからリーエンの座学教育担当になる魔族が来ると聞いて、リーエンは「しっかりしなきゃ」と自分を奮い立たせる。
午前中に仕立て屋がやって来て、何故か採寸が行われた。既に用意されたドレスは日替わりで着替えても困らないほどの枚数だったし、サイズに不備もないため、リーエンは何故採寸するのか尋ねた。話を聞けば「今後、今お持ちのドレスとは別に仕立てなければいけないドレスがあるので」と、彼らにとっては正当な理由があるようだった。
次に、2人の人間型魔族と2人の獣人型魔族、そして、何やらよくわからない魔物のような魔族が挨拶に来た。
「本日よりリーエン様の護衛として配属されました。先程は採寸がございましたので室外で待機しておりましたが、基本的に高位魔族当主を含む、アルフレド様が許可したリストに名が載っていない者との謁見時には今後我らが同席いたします」
「リーエンです。よろしくお願いいたします」
彼らはそれぞれ名前と一族名をリーエンに告げる。人間型魔族の2人は、アルフレドの親族――といっても比較的遠いらしいが――だと言う。
(アルフレド様の親族、というのは……魔王の血統というものは、一族名を持っていないということなのかしら?)
リーエンはそう思ったが、魔界に来て数日の彼女にしてみれば、ここに並んだ者達の名前を覚えることすら必死で、突っ込んだ話をしてこれ以上覚えることを増やしてもついていける自信がない。
「こちらはアイボール一族の中でも小型の種族、正確にはペッティーガットという種族になりますが、城内を散策なさる時は必ずアイボール一族の誰かがついていくことになります。魔力がある者としか念話は出来ませんが、後ほど教育係からコミュニケーションの方法を教えてもらえるでしょう」
宙にふわふわと浮いている球体の何かは、リーエンの手の平に乗るぐらいのサイズだ。きゅる、と摩擦音をたてたと思えば表皮がめくれ、大きな目玉が現れる。大いに驚いて声も出ないリーエン。
大きな目玉が皮に覆われて浮いている……リーエンの感想はただそれだけ。驚きのあまり、思考が止まる。本当は目玉が浮いているだけに見えるが、その目は球体ではなく表皮で見えない裏側に触手を隠しているし、表皮の下にも2枚更に皮が重なっている上、目玉の上にもう一枚透明な膜――透明度が高いため一見してわからないが――もあり、複雑な構造になっているのだが、さすがに初見でそこまで見抜くことはリーエンには出来なかった。
「えっと、ペッティ……?」
「アイボールと一族の名を呼ぶと良いと思います。日替わりで誰かが朝食後より夕食前まで一日リーエン様につきますので。1人1人の名を覚えて呼ぶ必要はないかと」
「アイボールさん。よろしくお願いしますね」
リーエンがそう言うと、アイボールは目を再び覆って一回転した。どうやらアイボールの言葉はリーエンには伝わらないが、リーエンの言葉は理解しているらしい。聞けば、表皮で目が覆われていても見えているが、表皮を開けていると更にはっきり見えるし、遠方の仲間に映像情報を送ることが出来るのだという。
映像記録が必要な時には同行して、アイボールの視神経と記録石を繋ぐ魔術を施すとかなんだとか聞いたが、その辺のことをリーエンが理解出来るようになるのは相当先のことだった。
今後、アルフレドの信頼を得ている者以外の訪問があれば必ずこの護衛騎士達が同伴し、リーエンが移動をする時はアイボールが同伴する。移動先の方が護衛騎士の必要性があるのでは……とリーエンは思ったが、魔界において「魔王に雇われたアイボールに記録される」という脅しはとんでもなく強いらしいし、護衛騎士がついて回るとリーエンも気が休まらないだろうという配慮らしい。
「ですが、案内が必要だったり、長時間の部屋を空ける時は我々をお連れください。それから、話し相手が必要でしたら是非」
「まあ。行き届いたお心遣いありがとうございます」
リーエンが微笑むと、護衛騎士たちはちらちらとお互い目配せをして僅かに微笑んだ。どうやら人間界の騎士ならば怒られるようなそういった行為も、魔界では別段問題にされない、少し砕けた存在なのだろうとリーエンはなんとなく気付いて、少し安心した。
実際、話し相手がいないということは今の彼女には大問題で、かといって、常に誰かに付きまとわれるというのも問題だ。そのどちらも配慮してもらえていることが、とんでもなくありがたい。
「普段は女中達の方がリーエン様としてはお話しやすいでしょうが、何かあれば。我々は毎日組み合わせを変えて2人ずつお部屋の外で待機しておりますのでお声がけください」
「わかりました」
「部屋を出られる時は我々か女中か、とにかくリーエン様が声をその時かけやすい者にかけていただければアイボール族が参りますので」
「どこかに行くときはアイボールさんを呼べばよくて、他の皆様は部屋の外や、来客時に同席してくださる……という認識であってますか?」
その通りと言われてひとまずリーエンは安心する。挨拶が終わって彼らが部屋の外に出て、ようやく朝から続いた来客が一段落したらしく、リーエンは1人でソファに体を預けて目を閉じる。
「ふう……」
昼食は軽いものでいい。そして、ティータイムまでの間は少し休ませてもらおうと思う。環境の変化による不慣れさ不自由さは彼女の心を不安定にする。女中か誰かを呼んで話をすることも少し考えたが、来てもらったところで聞きたいことがまるで思いつかない。人は、あまりにも自分の理解を越える、自分の「普通」からかけ離れた状況に遭遇すると、情報が必要なのに何を聞けば良いのか判断出来なくなるものらしい。
まだ、午前が終わるばかりなのに、リーエンは何日も知らない国のパーティーに出席したかのような気持ちになるほどの疲労感に苛まされていた。
朝知らせを受けていたように、ティータイムに合わせてリーエンの教育係が訪れた。名をコーバス。顔は人間と全く変わらず、見た印象として人間界ならば40歳手前ぐらいというところか。刈り上げた銀髪に、眼鏡をかけている。そこまではリーエンからすればいたって普通。問題は首の下だった。
彼の体は腕が4本生えており、その上、トカゲの尻尾を太くしたようなものが背中から尻に到達する少し上、要するに腰のあたりから外に伸び、地面にぺったりとついている。自己紹介をした彼は特に種族については触れず、器用に尻尾を片側に寄せて床に下したまま椅子に座った。
「初めてのものをお見せしているでしょうし、驚かれていますよね。腕が多くて重い分、尻尾でバランスをとっているので大体床につけているのです。とはいえ、足だけでも十分立てるのですがね」
「そうなんですね……」
リーエンは他に答えようがない。護衛騎士が同席してくれていればきっともう少し説明をしてくれただろうが、さすがに教育係はアルフレドから許可が降りているリストに入っているため、付き添いは誰もいない。女中はあくまでも給仕に徹して、2人のカップに茶を注ぐだけだ。
「4本腕だと色んな事が同時に出来るだろうと思われることが多いのですが、腕の可動域が広くても目が前に二つしかないもので、普段は2本しか使いません。4本使うのはもっぱら戦闘の時ですが、わたしは体を使うことがあまり得意ではなく、完全に学術方面しか能がなくて。そのおかげでこの度、リーエン様の教育係に任命いただきました。どうぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
穏やかそうな魔族でよかった、とリーエンはほっと一息をつく。そして、一息ついてしまった自分に気付いて(態度に出し過ぎた……!)と頬を赤らめる。
コーバスはそれをなんとも思わぬように、マイペースに茶を飲みながら――リーエンが勧めたわけでも口をつける許しを彼が乞うたわけでもなくあっさりと――リーエンにこれからの予定を話し始めた。
「え……? 魔界召集から40日後に……結婚式……ですか」
「はい。魔界では結婚式というものは通常ありませんが、魔王様の正妃となれば話は別です。その式を行う前に、王妃候補の巡礼として魔界のいくつかの場所に赴いていただくことが必要となります」
「わかりました」
「勿論、お1人で行かれるわけではございません。護衛が必ずつきますのでご安心ください。ただ、その中でも魔界の言語が読めなければ入れない場所がありますので、大変だとは思いますがこれから学んでいただきます。我らの言語は書き文字の数が多いので習得になかなか時間がかかるのですが、ひとまずその場をやり過ごせる程度は覚えていただきます。のちのち文書類に目を通す機会も増えると思いますので、式が終わってもそちらの勉強は継続いたします」
「はい」
何を言われてもリーエンは「はい」としか答えることが出来ない。魔界召集で魔王の妻に人間の女性がなったことは初めてではないというから、その人々がやったことを自分が出来ないとは言えないし、拒んでしまえばそこで用なしだと殺されるかもしれない。生きるためにも全力を傾けなければいけないことは間違いない。
(こんな状況で、夜伽をしながらなんてとてもじゃないけれど無理だわ……)
一通りの教育方針を聞いて、溜息をつかなかった自分を誰かに褒めて欲しい、とリーエンは思う。当然、褒めてくれるような相手はいるはずもないのだが。それほど、課せられているものは今の彼女には非常に重く感じる。
朝から晩まで可能な限り勉強をしなければならなさそうだ。これではアルフレドがティータイムぐらいしか会えない、と言っていたが、それはこっちも同じこと……と言うしかない。そんなスケジュールに若干うんざりしたが、勉強をしている間は嫌なことも忘れられるかもしれないと思えば悪くはない。
「日々大変だと思いますが、3日続けて1日休んで、というサイクルでやっていきましょう。今日はティータイム後に明日からの勉強手順や必要なもの、使い方の説明をいたしましょう」
「はい。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。今日はティータイムに参りましたが、明日からは午前中にお伺いします。午後は必ず自習出来る時間を最低でも2刻は確保出来るスケジュールにするようお願いしておりますので、日々の予習と復習を午後にするように」
どうやら、彼は高位魔族子息の教育係を長年生業にしているらしい。そういう魔族は数人いるらしいのだが、見た目が比較的人間型のほうがリーエンには良いだろうということで自分が選ばれたのだと教えてくれた。腕が4本で尻尾がある彼が比較的人間型に分類されるということは、他の教育係はどんな魔族なんだろうと少しだけぞっとする。
ティータイムを終えてから魔王城の図書室に護衛騎士と共に赴き――本来はアイボールの付き添いだけで良いのだが書物を運ぶからとコーバスが騎士達に依頼をしたのだ――大量の書物を抱えてリーエンの部屋に戻った。図書室の使い方を教わり、必要に応じて図書室を使うようにとも言われてリーエンは素直に頷く。
「魔王城には居住エリア外に3か所図書室があります。リーエン様がお使いになる場所の利用者は学術院所属の魔族でも数名、あとは魔王様とその眷属の方々しか自由に使えないエリアにありますので、ほぼリーエン様だけのご利用になると思います。3か所の蔵書は違いますが、リーエン様が使うだろう書物は当分は子供向けでしょうし、現在魔王城に子供はいませんから気兼ねなく持ち出して結構です」
「わかりました」
折角なので今日はこれだけ、とコーバスは魔族の間で一番オーソドックスに使われている文字の一覧――38文字あるらしい――を渡した。それから、紙にさらさらと何やら単語をいくつか書いてリーエンに渡す。
「これが、リーエン様のお名前です。こちらが魔王様……アルフレド様ですね。そして、こちらがわたしの名前です」
「まあ! こちらがわたし、こちらがアルフレド様、こちらが先生のお名前ですか……」
まったくわからない。わからないが、なんとなく「この文字の形は自分には覚えやすい」とリーエンは直感した。これまで人間界で、リーエンが覚えやすいと思ったものを周囲は覚えにくいと言ったりその逆のこともあったけれど、ここではそれが良い結果を導くかもしれない。ほんの少しのことでも今の彼女にとっては喜ばしいことだった。
「では、本日はここまでで。明日、朝食後にお会いしましょう。準備が出来たら女中なり護衛騎士に声をかけていただければお伺いします」
「はい。今日はありがとうございました。そして、明日からよろ……」
よろしくお願いいたします。そうリーエンが言おうとした時だった。部屋のドアをノックする音が響き、護衛騎士や女中だろうか、と思えば聞き覚えがない声がした。
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