21 / 46
サキュバスの煽り
しおりを挟む
「結界が張ってあって、わたしが行けない場所には足を踏み入れられないようになっているというお話でした……」
「でしょうね」
「ですが、先程、アルフレド様のお声がする近くまで行ってしまい……これはよくないと思って戻ってきたら、曲がるところを間違えたようで……」
「あらあ、謁見の間の近くにまで行っちゃったの? あそこはねぇ、謁見を許された魔族だけがあっち側から入って、こっちから出ていく一方通行なのよ。それを逆流したってことは……ああ、あの通路から来たのか。なるほどねぇ~。なんかさっきアルフレド様が怒りながら出て行ったのを、謁見に来た魔族が縋ってたから、それかしらぁ」
少なくともこの美女は自分に敵意がなさそうだと判断し、リーエンは尋ねた。
「もしかして、許されていないわたしが付近に近付いたことは、罰されることなのでしょうか?」
「んん~? 大丈夫じゃない? むしろ、まだここウロウロしてるわたしの方が罰されるんじゃないかしらねぇ。謁見終わったから決められた時間内にあっちに行かなきゃいけないんだけど……さっき謁見してたヤツで今日は最後だから、それをさっさと終えてアルフレド様が出てこないかなぁなんて思ってうろついてたからさぁ……ウフフ……そしたら、なーんか、余計なやつも一緒についてきてワーワー言ってるから、くそ、あいつ後でシメてやらないと気が済まないわ」
美女はそう言って舌打ちをしてから、じろじろとリーエンを眺める。不躾なその視線の意味を量りかねて、リーエンは「何でしょうか……」とおずおずと聞けば、彼女は笑い出した。
「おっかし! アルフレド様の奥方なのに、わたしに敬語使うなんて変なの! ねえ、奥様、教えてあげるわ。あなた、わたしとここで会わないでこのままこの通路をうろうろしてたら……どうなっていたと思う?」
「ど、どう、なって、いたんでしょうか……? 誰かに怒られました?」
「あっはぁ、余程何も聞かされてないのねぇ……この城には、色んな魔族が毎日沢山出入りするのよ。その中には……あなたを殺したい魔族もね」
「えっ……」
リーエンはびくっと体を震わせる。わたしを殺す? 魔界召集の後にマーキングされなければ他の高位魔族にさらわれる可能性があるという話は聞いていたし、他の魔族の中には「人間を殺してしまう」「花嫁を殺してしまう」者もいるとは聞いていた。だが、もう魔界召集から数日経過しているため、これ以上は他の高位魔族には狙われないはずなのだが……。
「しかも、さっきアルフレド様が怒ってた魔族、当主が人間の女をヤリ殺したっていってたからさぁ……そんな魔族の前に出て行ったら……」
「……」
「ははぁーーん、あなた、なーんにも知らないのね、きっと。でも仕方ないか……あなた、アルフレド様に、気に入られてないんでしょ?」
アルフレドに? 気に入られていない? 何故彼女がそんなことを言い出したのか理解が出来ず、また、その言葉そのものに衝撃を受けてリーエンは呆然となる。
「え……? どうしてですか?」
「だって、魔界召集で来た奥方なのにさあ、全然……マーキングは終えたんだろうけど、あなたから『アルフレド様とセックスしてる』匂いがしないもの」
「匂いって……」
「ふふ、わかるのよ。サキュバスは、男の精液には敏感だもの。あなた、全然注がれてないじゃない?」
「!」
リーエンは頬を赤らめて押し黙った。確かに彼女が言う通り、自分はアルフレドと交わっていない。それは気に入られていないからではなく、リーエンの意思を彼が尊重してくれているからだと思っている。だが……。
「わたしが……まだ、そういったことをするのは……もっとお互いを知った後ではないと……と我儘を言ったので……」
あと、子作りは急いでいないと言っていた。が、それはアルフレドがどういう意図で言っているのかわからないため、第三者に伝えることはよろしくない、と言葉には出さなかった。
「は? そんな我儘が通るわけないじゃない? それに、本当に奥様を守ろうとするなら、一刻も早く子供を作った方がいいはずだし……ねぇ、考えてもみなさいよ。ここに護衛も何もなしで1人でいるってことは、アルフレド様が作った結界を奥様が破って来ちゃったってことでしょ? あの方が、そんな簡単に破れる結界を作るわけないし、ねえ? あーあ、気が向いて声なんてかけなきゃよかった。アルフレド様、わざとあなたに結界を破らせて『誰かに殺させよう』としたのかもしれないのに、助けちゃうなんてツイてないわ」
そう言って彼女は肩を竦めて、にやりと酷薄な笑みを浮かべた。リーエンの背筋にぞくりと冷たいものが走る。多分、彼女に敵意はないのだと、リーエンは思う。それは間違いない。だが、彼女にとって自分は「生きるも死ぬもどうなるもどうでもよい、ちょっとだけおもしろそうなおもちゃ」のようなものなのだと気付く。
「ごめんねぇ? 意地悪言ってるように聞こえるだろうけど、実にこれ、意地悪よ。だってぇ、今回の魔界召集、来たニンゲンをちゃんと『使わないで』本能優先で殺した魔族には罰則が課せられたみたいだからさぁ。今までは勢いで殺してもぜんっぜん問題なかったのにね」
「え……」
「言ったでしょ、さっき。わたしの後で謁見してたはずのヤツ、当主が魔界召集で来た、アナタみたいな人間の女を殺しちゃったのよね。ウフフ。セックスしてたら楽しくなっちゃって、ヤリながら首絞めたのか噛んだのかちぎったのかよーくわかんないけど。でも、それは今回駄目って話だったから罰されるんだろうなぁ……要するにぃ、それは今回アルフレド様がそう決めたってこと。だから、それをご自分が破るわけにはいかないから、誰かに代わりにアナタを殺させようとしたのかなって……ウッフフフ、なーんてね!」
「……あの……」
「でも、いいこと知ったなぁ~、アルフレド様が奥方を気に入ってないなら、わたしもまだ側室になるチャンスがあるってことじゃない? あははっ、その時はよろしくね?」
「側室……魔界では、側室を娶ることが普通なのでしょうか」
「普通ってわけじゃないけど、アルフレド様があなたと子供作りたくないなら、側室は必要じゃない? 当然のことよね?」
確かに、アルフレドはセックスはしたがっていても、子供は急いで作ろうとはしていない。リーエンの胸の奥が、つきん、と小さく痛む。子供はいらないがセックスはしたい。もしかしたら、彼にとってセックスはただの娯楽なのかもしれない。そして、この女性が言うように、自分は気に入られていないから、セックスは促されるけれど子供は作らないといわれてしまったのかもしれない……良くない考えばかりがリーエンの脳内に浮かんでくる。
「サキュバスはぁ、みーんな、アルフレド様が好きよ。だってぇ……ねぇ、あの人すっごく上手だったでしょ……?」
「!」
それは。
複数のサキュバスがアルフレドと体を重ねたことがある、という意味だ。「みんな」がどれほどの人数なのかはわからないが。そして、この目の前にいる女性もきっと。
いや、今考えなければいけないのはそのことではない……リーエンが必死に雑念を払おうとしていると、彼女はリーエンの手をとった。「こっちよ」と手を引いて、もう1つ奥の曲がり角へ誘導する。
「とにかく、一度戻りなさいな? わたしが通れない結界がある場所に連れて行くから、試しにそれを通り抜けてみたらどう?」
「はい……」
自分の口から出た返事があまりにも無機質で、リーエンは自分で驚いた。思った以上に、自分は彼女の言葉に傷ついてあれこれ考えてしまっているようだ。
やがて、リーエンの目からは「何もない」と思われる、通路のど真ん中。そこで彼女は立ち止った。
「ここから先、わたしは行けない感じがするの。奥様はここを抜けられるんじゃないかしら? ここよ、ここ」
彼女は通路につうっと横線を描くようにつま先を動かした。リーエンは恐る恐る1歩、2歩、と踏み出して、彼女が示した境界を超えるように足を着地させた。
何か、一瞬だけ抵抗を感じる。まるで狭い場所を潜り抜けるような圧。ああ、先程も確かにこんな風に感じたのかも、と思う。
「ほっら、やっぱりここから来たんでしょ。ねえ、奥様、アルフレド様に言っておいた方が良いわよ。結界から出られました、って。腹の中にアルフレド様の精子が注がれていれば結界がそっちを感知しちゃって破れるかもしれないけど、びっくりするほどないんですもの。絶対おかしいから、聞いてみなさい」
「はい。ありがとうございました。えっと……わたしはリーエンと申します。よければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「フェーリスよ。もう会うこともないかもしれないけどね」
フェーリスはそう言って笑った。リーエンは慌てて
「ありがとうございます。えっと、フェー……リスさん?」
「フェーリス。呼び捨てにしなさいな。立場ってものがあるでしょう?」
「いえ。御恩がありますから。フェーリスさん。覚えました」
「忘れていいわよ」
そう言ってフェーリスはさっさと背を向けて去ってしまう。リーエンは彼女に深く頭を下げた。酷いことも沢山言われた気がするが、それは受け止め方の問題だとリーエンはわかっている。だって、なんだかんだフェーリスは自分を助けてくれたではないか、と。
たとえ、それが「リーエンを見捨てたと知られたら困るから」という打算的な感情でも、フェーリスの物言いが意地悪でも、彼女は多くの情報をリーエンに与えてくれたし、そう悪い女性には思えなかった。それは、幼い頃から社交界でもっと腹立たしいことも経験してきたリーエンだからそう感じるのかもしれない。
「ああ! アイボールさん!」
抜けてしまった結界からそう遠くない場所で、リーエンをみつけたアイボールはふよふよと飛んで来て合流をした。
「心配したでしょう。ごめんなさい。あの、サキュバスのフェーリスさんって方に助けてもらって……よくわからないんですけど、結界を抜けてしまったらしいの」
アイボールはぱちぱちと瞬きをした。
「ええ。だから、アイボールさんはついてこられなかったのね。わかりやすくするために、アイボールさんの行動範囲がわたしと同じ範囲になるように術をかけてもらっているんですものね? なのにわたしは結界を抜けたので……今晩、アルフレド様にお伝えしようと思います。ご心配かけてごめんなさい」
リーエンのその言葉を聞いて、アイボールはくるくると宙で回転をした。念話とやらはまったくリーエンには通じないが、アイボールがゆっくり回転する時は「わかった」の印だと既に知っている。
とにかく、先程のアルフレドの怒声が「人間の女性を殺してしまった」魔族への怒声だということもわかったし、落ち着いて考えれば、リーエンは彼の怒声に対して驚いただけで、それは彼への評価を揺るがすものではなかった。
(恐ろしいことはおっしゃっていたけれど……きっと、アルフレド様としても、その、腕をどうとか、そういうことは本意ではないのでしょう)
怒らぬ魔王。彼が自分で口にした言葉だが、それは本当なのだろう。大きな力を持つ者が「怒らぬ」人物と評されることは、独裁者ではないということだ。それをリーエンは知っている。当然、一長一短であるが、アルフレドはきっと彼女が知っているアルフレドのままで魔界を治めているのだろうと感じる二つ名だ。
「……コーバス先生にまたお伺いしたいことが増えました……アイボールさん、部屋に戻ります」
今日もアルフレドに会うことを諦めよう。リーエンは少し残念な気持ちになりながら、アイボールと共に自室に戻ったのだった。
「でしょうね」
「ですが、先程、アルフレド様のお声がする近くまで行ってしまい……これはよくないと思って戻ってきたら、曲がるところを間違えたようで……」
「あらあ、謁見の間の近くにまで行っちゃったの? あそこはねぇ、謁見を許された魔族だけがあっち側から入って、こっちから出ていく一方通行なのよ。それを逆流したってことは……ああ、あの通路から来たのか。なるほどねぇ~。なんかさっきアルフレド様が怒りながら出て行ったのを、謁見に来た魔族が縋ってたから、それかしらぁ」
少なくともこの美女は自分に敵意がなさそうだと判断し、リーエンは尋ねた。
「もしかして、許されていないわたしが付近に近付いたことは、罰されることなのでしょうか?」
「んん~? 大丈夫じゃない? むしろ、まだここウロウロしてるわたしの方が罰されるんじゃないかしらねぇ。謁見終わったから決められた時間内にあっちに行かなきゃいけないんだけど……さっき謁見してたヤツで今日は最後だから、それをさっさと終えてアルフレド様が出てこないかなぁなんて思ってうろついてたからさぁ……ウフフ……そしたら、なーんか、余計なやつも一緒についてきてワーワー言ってるから、くそ、あいつ後でシメてやらないと気が済まないわ」
美女はそう言って舌打ちをしてから、じろじろとリーエンを眺める。不躾なその視線の意味を量りかねて、リーエンは「何でしょうか……」とおずおずと聞けば、彼女は笑い出した。
「おっかし! アルフレド様の奥方なのに、わたしに敬語使うなんて変なの! ねえ、奥様、教えてあげるわ。あなた、わたしとここで会わないでこのままこの通路をうろうろしてたら……どうなっていたと思う?」
「ど、どう、なって、いたんでしょうか……? 誰かに怒られました?」
「あっはぁ、余程何も聞かされてないのねぇ……この城には、色んな魔族が毎日沢山出入りするのよ。その中には……あなたを殺したい魔族もね」
「えっ……」
リーエンはびくっと体を震わせる。わたしを殺す? 魔界召集の後にマーキングされなければ他の高位魔族にさらわれる可能性があるという話は聞いていたし、他の魔族の中には「人間を殺してしまう」「花嫁を殺してしまう」者もいるとは聞いていた。だが、もう魔界召集から数日経過しているため、これ以上は他の高位魔族には狙われないはずなのだが……。
「しかも、さっきアルフレド様が怒ってた魔族、当主が人間の女をヤリ殺したっていってたからさぁ……そんな魔族の前に出て行ったら……」
「……」
「ははぁーーん、あなた、なーんにも知らないのね、きっと。でも仕方ないか……あなた、アルフレド様に、気に入られてないんでしょ?」
アルフレドに? 気に入られていない? 何故彼女がそんなことを言い出したのか理解が出来ず、また、その言葉そのものに衝撃を受けてリーエンは呆然となる。
「え……? どうしてですか?」
「だって、魔界召集で来た奥方なのにさあ、全然……マーキングは終えたんだろうけど、あなたから『アルフレド様とセックスしてる』匂いがしないもの」
「匂いって……」
「ふふ、わかるのよ。サキュバスは、男の精液には敏感だもの。あなた、全然注がれてないじゃない?」
「!」
リーエンは頬を赤らめて押し黙った。確かに彼女が言う通り、自分はアルフレドと交わっていない。それは気に入られていないからではなく、リーエンの意思を彼が尊重してくれているからだと思っている。だが……。
「わたしが……まだ、そういったことをするのは……もっとお互いを知った後ではないと……と我儘を言ったので……」
あと、子作りは急いでいないと言っていた。が、それはアルフレドがどういう意図で言っているのかわからないため、第三者に伝えることはよろしくない、と言葉には出さなかった。
「は? そんな我儘が通るわけないじゃない? それに、本当に奥様を守ろうとするなら、一刻も早く子供を作った方がいいはずだし……ねぇ、考えてもみなさいよ。ここに護衛も何もなしで1人でいるってことは、アルフレド様が作った結界を奥様が破って来ちゃったってことでしょ? あの方が、そんな簡単に破れる結界を作るわけないし、ねえ? あーあ、気が向いて声なんてかけなきゃよかった。アルフレド様、わざとあなたに結界を破らせて『誰かに殺させよう』としたのかもしれないのに、助けちゃうなんてツイてないわ」
そう言って彼女は肩を竦めて、にやりと酷薄な笑みを浮かべた。リーエンの背筋にぞくりと冷たいものが走る。多分、彼女に敵意はないのだと、リーエンは思う。それは間違いない。だが、彼女にとって自分は「生きるも死ぬもどうなるもどうでもよい、ちょっとだけおもしろそうなおもちゃ」のようなものなのだと気付く。
「ごめんねぇ? 意地悪言ってるように聞こえるだろうけど、実にこれ、意地悪よ。だってぇ、今回の魔界召集、来たニンゲンをちゃんと『使わないで』本能優先で殺した魔族には罰則が課せられたみたいだからさぁ。今までは勢いで殺してもぜんっぜん問題なかったのにね」
「え……」
「言ったでしょ、さっき。わたしの後で謁見してたはずのヤツ、当主が魔界召集で来た、アナタみたいな人間の女を殺しちゃったのよね。ウフフ。セックスしてたら楽しくなっちゃって、ヤリながら首絞めたのか噛んだのかちぎったのかよーくわかんないけど。でも、それは今回駄目って話だったから罰されるんだろうなぁ……要するにぃ、それは今回アルフレド様がそう決めたってこと。だから、それをご自分が破るわけにはいかないから、誰かに代わりにアナタを殺させようとしたのかなって……ウッフフフ、なーんてね!」
「……あの……」
「でも、いいこと知ったなぁ~、アルフレド様が奥方を気に入ってないなら、わたしもまだ側室になるチャンスがあるってことじゃない? あははっ、その時はよろしくね?」
「側室……魔界では、側室を娶ることが普通なのでしょうか」
「普通ってわけじゃないけど、アルフレド様があなたと子供作りたくないなら、側室は必要じゃない? 当然のことよね?」
確かに、アルフレドはセックスはしたがっていても、子供は急いで作ろうとはしていない。リーエンの胸の奥が、つきん、と小さく痛む。子供はいらないがセックスはしたい。もしかしたら、彼にとってセックスはただの娯楽なのかもしれない。そして、この女性が言うように、自分は気に入られていないから、セックスは促されるけれど子供は作らないといわれてしまったのかもしれない……良くない考えばかりがリーエンの脳内に浮かんでくる。
「サキュバスはぁ、みーんな、アルフレド様が好きよ。だってぇ……ねぇ、あの人すっごく上手だったでしょ……?」
「!」
それは。
複数のサキュバスがアルフレドと体を重ねたことがある、という意味だ。「みんな」がどれほどの人数なのかはわからないが。そして、この目の前にいる女性もきっと。
いや、今考えなければいけないのはそのことではない……リーエンが必死に雑念を払おうとしていると、彼女はリーエンの手をとった。「こっちよ」と手を引いて、もう1つ奥の曲がり角へ誘導する。
「とにかく、一度戻りなさいな? わたしが通れない結界がある場所に連れて行くから、試しにそれを通り抜けてみたらどう?」
「はい……」
自分の口から出た返事があまりにも無機質で、リーエンは自分で驚いた。思った以上に、自分は彼女の言葉に傷ついてあれこれ考えてしまっているようだ。
やがて、リーエンの目からは「何もない」と思われる、通路のど真ん中。そこで彼女は立ち止った。
「ここから先、わたしは行けない感じがするの。奥様はここを抜けられるんじゃないかしら? ここよ、ここ」
彼女は通路につうっと横線を描くようにつま先を動かした。リーエンは恐る恐る1歩、2歩、と踏み出して、彼女が示した境界を超えるように足を着地させた。
何か、一瞬だけ抵抗を感じる。まるで狭い場所を潜り抜けるような圧。ああ、先程も確かにこんな風に感じたのかも、と思う。
「ほっら、やっぱりここから来たんでしょ。ねえ、奥様、アルフレド様に言っておいた方が良いわよ。結界から出られました、って。腹の中にアルフレド様の精子が注がれていれば結界がそっちを感知しちゃって破れるかもしれないけど、びっくりするほどないんですもの。絶対おかしいから、聞いてみなさい」
「はい。ありがとうございました。えっと……わたしはリーエンと申します。よければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「フェーリスよ。もう会うこともないかもしれないけどね」
フェーリスはそう言って笑った。リーエンは慌てて
「ありがとうございます。えっと、フェー……リスさん?」
「フェーリス。呼び捨てにしなさいな。立場ってものがあるでしょう?」
「いえ。御恩がありますから。フェーリスさん。覚えました」
「忘れていいわよ」
そう言ってフェーリスはさっさと背を向けて去ってしまう。リーエンは彼女に深く頭を下げた。酷いことも沢山言われた気がするが、それは受け止め方の問題だとリーエンはわかっている。だって、なんだかんだフェーリスは自分を助けてくれたではないか、と。
たとえ、それが「リーエンを見捨てたと知られたら困るから」という打算的な感情でも、フェーリスの物言いが意地悪でも、彼女は多くの情報をリーエンに与えてくれたし、そう悪い女性には思えなかった。それは、幼い頃から社交界でもっと腹立たしいことも経験してきたリーエンだからそう感じるのかもしれない。
「ああ! アイボールさん!」
抜けてしまった結界からそう遠くない場所で、リーエンをみつけたアイボールはふよふよと飛んで来て合流をした。
「心配したでしょう。ごめんなさい。あの、サキュバスのフェーリスさんって方に助けてもらって……よくわからないんですけど、結界を抜けてしまったらしいの」
アイボールはぱちぱちと瞬きをした。
「ええ。だから、アイボールさんはついてこられなかったのね。わかりやすくするために、アイボールさんの行動範囲がわたしと同じ範囲になるように術をかけてもらっているんですものね? なのにわたしは結界を抜けたので……今晩、アルフレド様にお伝えしようと思います。ご心配かけてごめんなさい」
リーエンのその言葉を聞いて、アイボールはくるくると宙で回転をした。念話とやらはまったくリーエンには通じないが、アイボールがゆっくり回転する時は「わかった」の印だと既に知っている。
とにかく、先程のアルフレドの怒声が「人間の女性を殺してしまった」魔族への怒声だということもわかったし、落ち着いて考えれば、リーエンは彼の怒声に対して驚いただけで、それは彼への評価を揺るがすものではなかった。
(恐ろしいことはおっしゃっていたけれど……きっと、アルフレド様としても、その、腕をどうとか、そういうことは本意ではないのでしょう)
怒らぬ魔王。彼が自分で口にした言葉だが、それは本当なのだろう。大きな力を持つ者が「怒らぬ」人物と評されることは、独裁者ではないということだ。それをリーエンは知っている。当然、一長一短であるが、アルフレドはきっと彼女が知っているアルフレドのままで魔界を治めているのだろうと感じる二つ名だ。
「……コーバス先生にまたお伺いしたいことが増えました……アイボールさん、部屋に戻ります」
今日もアルフレドに会うことを諦めよう。リーエンは少し残念な気持ちになりながら、アイボールと共に自室に戻ったのだった。
45
あなたにおすすめの小説
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
筋書きどおりに婚約破棄したのですが、想定外の事態に巻き込まれています。
一花カナウ
恋愛
第二王子のヨハネスと婚約が決まったとき、私はこの世界が前世で愛読していた物語の世界であることに気づく。
そして、この婚約がのちに解消されることも思い出していた。
ヨハネスは優しくていい人であるが、私にはもったいない人物。
慕ってはいても恋には至らなかった。
やがて、婚約破棄のシーンが訪れる。
私はヨハネスと別れを告げて、新たな人生を歩みだす
――はずだったのに、ちょっと待って、ここはどこですかっ⁉︎
しかも、ベッドに鎖で繋がれているんですけどっ⁉︎
困惑する私の前に現れたのは、意外な人物で……
えっと、あなたは助けにきたわけじゃなくて、犯人ってことですよね?
※ムーンライトノベルズで公開中の同名の作品に加筆修正(微調整?)したものをこちらで掲載しています。
※pixivにも掲載。
8/29 15時台HOTランキング 5位、恋愛カテゴリー3位ありがとうございます( ´ ▽ ` )ノノΞ❤︎{活力注入♪)
「離婚しよう」と軽く言われ了承した。わたくしはいいけど、アナタ、どうなると思っていたの?
あとさん♪
恋愛
突然、王都からお戻りになったダンナ様が、午後のお茶を楽しんでいたわたくしの目の前に座って、こう申しましたのよ、『離婚しよう』と。
閣下。こういう理由でわたくしの結婚生活は終わりましたの。
そう、ぶちまけた。
もしかしたら別れた男のあれこれを話すなんて、サイテーな女の所業かもしれない。
でも、もう良妻になる気は無い。どうでもいいとばかりに投げやりになっていた。
そんなヤサぐれモードだったわたくしの話をじっと聞いて下さった侯爵閣下。
わたくし、あなたの後添いになってもいいのでしょうか?
※前・中・後編。番外編は緩やかなR18(4話)。(本編より長い番外編って……orz)
※なんちゃって異世界。
※「恋愛」と「ざまぁ」の相性が、実は悪いという話をきいて挑戦してみた。ざまぁは後編に。
※この話は小説家になろうにも掲載しております。
[完結」(R18)最強の聖女様は全てを手に入れる
青空一夏
恋愛
私はトリスタン王国の王女ナオミ。18歳なのに50過ぎの隣国の老王の嫁がされる。最悪なんだけど、両国の安寧のため仕方がないと諦めた。我慢するわ、でも‥‥これって最高に幸せなのだけど!!その秘密は?ラブコメディー
王宮地味女官、只者じゃねぇ
宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。
しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!?
王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。
訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ――
さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。
「おら、案内させてもらいますけんの」
その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。
王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」
副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」
ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」
そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」
けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。
王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。
訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る――
これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。
★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる