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アルフレドの暴走(1)
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「失礼する。どうだ。結婚式のドレスは」
「はい。選び終えて、今お帰りになる準備をなさっているところです」
「そうか……一足遅かったな。どんなドレスを着るのか見たかったのに……デザイン画やサンプルは片づけてしまったのか」
彼の言葉を聞くやいなや、仕立て屋はリーエンが決めたドレスのサンプルを慌てて箱から引っ張り出し、壁側に置いてあるドレスハンガーにかけた。
「リーエン様がお選びになったドレスはこちらでございます。リーエン様用に新しく仕立て直して、出来上がりましたら次はドレスにあう装飾品を選んでいただくことになります」
「そうか」
アルフレドはそのドレスに近付く。人々はその彼の背を見て「どんな反応をなさるんだろう」と遠巻きにただ見守るだけだ。リーエンだけがおずおずと彼に近寄っていく。
「アルフレド様、いかがでしょうか。問題がなければこのドレスを着たいのですが」
「……うん……これを……お前が着るのか……」
斜め後ろからアルフレドを見上げれば、彼はリーエンがこれまでに見たことがない表情を浮かべているように見えた。喜怒哀楽のどれでもない。少しぼうっとしている、普段の彼からは想像が出来ない表情。リーエンは驚いて目をしばたかせる。
「いいんじゃないか。きっと、お前によく似合うだろう」
「ありがとうございます」
リーエンの方を向いてそう言った彼は、いつものアルフレドだ。気のせいだったのか、とリーエンはあえて追及せずに笑顔で頭を下げた。
「片づけに時間がかかりそうだな。申し訳ないが、彼女を連れ出してしまっても良いだろうか」
魔王に「申し訳ない」と言われ、仕立て屋は驚いた表情で「勿論でございます」と答える。
「リーエン、少し付き合え」
「あっ、はい……それでは、皆様ありがとうございました。仕立てあがりをお待ちしておりますね」
突然のアルフレドの誘いに驚いたものの、断る理由もない。まだ部屋中にサンプルのドレスやらデザイン画が積みあがっている状態で、リーエンはアルフレドと共に部屋を出た。
「式を行う場所を、前もって見にいかないか?」
「えっ……いいのですか?」
「ああ。居住エリアではないので、俺と一緒ならば見に行ける。今日ならば俺も時間がとれる」
「でも、アルフレド様、お忙しいでしょうに……」
「大丈夫だ。ジョアンにも、仕事が終わり次第帰っていいと言ったぐらいだからな。なかなかティータイムも共に出来なくて不甲斐ないので、それぐらいはさせてくれ」
「ありがとうございます」
リーエンは瞳を輝かせた。彼女にとっては「式を行う場所を見る」ことよりも、普段行くことが出来ない居住エリア外に行けることの方が興味深く大切だ。部屋と図書室、部屋と庭園を行き来するぐらいしか気分転換が出来ない状況なのだし、喜ぶのも当然だろう。
アルフレドが最近抱えていた大きな仕事は、少しばかり落ち着いた。この隙にもう少しはリーエンに時間を割こうと思ったし、それはすぐに行動に移さないといつまた忙しくなるのかわからない。そのため、こうして突発的に連れ出してしまったというわけだ。
「あ……」
広く長い通路。なんだかそこが「他と違う」とリーエンには感じられる。無機質さがどこか厳かさに繋がる、特別な空気を纏った場所。だが、その通路の先は行き止まりだ。
「ここに魔法陣がある。ここから転移する。お前が巡礼に行く時も、専用の魔法陣を使って転移をするんだが……ゲートと呼ぶことは教えたな?」
行き止まりの足元に、何やら怪しげな文字と図形を組み合わせた円形の何かが描かれている。
「はい。覚えています」
「ゲートは遠隔地へ飛ぶものを指して、いくつもゲートがまとめられた一角があってそれぞれの使用は管理されている。これは遠隔地ではないし魔王城の敷地の中にある特殊な空間に行くものなので、ゲートとは呼ばないし大した管理もされていない」
魔法陣の上に立つアルフレドに軽く手を引っ張られて、リーエンもその上に立つ。次の瞬間、耳障りな音が一瞬したかと思うと、2人は大きな部屋に転移をした。
「そこまで広くないのですね」
リーエンの国で貴族の結婚式といえば、男性側の屋敷にあるゲストハウスで行うことがほとんどだ。だが、転移先は、冷たい石造りの殺風景な部屋だった。部屋の壁にはいくつか大きな石碑が埋め込まれているようで、それが何を意味するのかはリーエンにはわからない。
「つまらん部屋だろう?」
「……想像とは違いましたけれど、つまらないわけではないです……魔王城でわたしが知っているどの部屋よりも、新しく見えます」
「結婚式でしか使わないため、長期にわたる保護魔法がかかっている」
「だから、こんなに綺麗なんですね……」
「人間界の結婚式というものは国や地域で違うのだろうし俺はあまり詳しくないのだが、魔界では立ち会い人の前で宣誓をするだけだ。特に大袈裟な儀式はない」
「そうなのですね」
「参列者も魔王の眷属と高位魔族の当主ぐらいだからな。興味がなければ来なくてもいい、ぐらいのものだし」
アルフレドは部屋の最も奥、8段ほどの階段をあがった祭壇のような場所へと歩いていく。ついていっても良いのかと躊躇しながら、リーエンは彼の後を追った。
あがった祭壇には、あちこち削れた不格好な灰色の石碑――に見えるが何も書いていない――が置いてある。ただそれだけだ。すべてがあまりにも簡素だとリーエンは思う。
「変な形の石ですね? 祭壇にあるのに、研磨されないのですか」
「本当かどうかはわからんが、初代魔王が初代魔王妃のために宝石がある鉱山を削って来たらしく、その時に雑にえぐって持ってきた石らしい。本当かどうかはわからんが」
「鉱山を……削って……? 雑にえぐって……?」
「前の面は綺麗に切られているだろう。それは、多分手刀で人間界の鉱山をそぎ落とした断面だ。そのおかげで、石碑のように見えるため、こちら側を向けているらしい。裏は、鉱山の表面で……持ってきた時はもっと後ろは大きく出っ張っていたらしいが、鉱石を取り出すのに削られたという」
「しゅ、と、う?」
「うん。多分、手でこう……」
アルフレドはまるで手で何かを分断するように上から下にシュッと振り下したが、リーエンは「……?」と眉根を寄せるだけだ。
「剣ではなく手で切り落としたんだと思う」
「剣ですら無理じゃないですか……? 魔族の方々はやっぱりわたしが想像できないほどお強いのですね」
後ろに回ってみれば、ぼこぼこに削り落とされた後が大量にあり、あちらこちらに研磨前の小さな色石がついている。
「あら。まだ沢山あるんですね」
「うん。まだ色石が大量に含まれるが、力と富の象徴としてここに置くことになったんだそうだ。昔の魔族が考えることはわからん。今は、わざわざこれを削るより買った方が早いしな。そう思えば、魔族も始まりは相当原始的だったのだろう」
想像をするととんでもない、とリーエンは思う。大きな山の前で、何かをしてこの石を削って、それを「よいしょ」と人間界から魔界に運んできて「原石をお前にやろう」とかなんとか言ったのだとしたら、野性的にもほどがある。
「だが、初代魔王が魔王妃への愛情を示したものだと思えば、この石の前で結婚の宣誓をすることは、あながちおかしくもない。式は、ここで立会人に言われたことを復唱して、指輪を交換して終わりだ。簡単だろう?」
「ふ、復唱ですか。前もってその文言は……」
言葉を覚えることがあまり得意ではないリーエンは、初耳だ、とばかりにいささか警戒の色を見せる。
「ああ、すぐに覚えられる。大丈夫だ。前日に教えても問題ないほど大した文言ではない」
「大丈夫でしょうか……」
「指輪も、この前服の採寸と同時に指の採寸をしただろう」
「はい」
「もともと指輪交換なんぞ、そんな風習もなかったらしいが、魔界召集でやってきたどの代だかの令嬢が簡素過ぎる式が嫌だと駄々をこねたらしく、指輪交換の儀が作られたらしい」
その言葉にリーエンは「まあ」と言って小さく笑った。
「そんな我儘を受け入れて儀式を作ってしまうなんて、その当時の魔王様はそのご令嬢を愛していらっしゃったのですね」
「……」
リーエンの無邪気なその言葉に、アルフレドは無言で数回瞬きをした。
「アルフレド様……?」
「お前が望めば、俺も新しい儀式の1つや2つはいつだって作るが?」
お前は何を言っている?とばかりにきょとんとした表情でアルフレドはわずかに首を傾げた。それぐらいは当然だろう、と言いたそうなその様子にリーエンは慌てた。
「わ、わたしは何も、何も望みません、大丈夫です!」
「そうか。何かあれば遠慮せずに言え」
「は、はい」
何もあるわけがない、とリーエンは苦笑いを浮かべた。作って欲しい儀式なぞあるはずもない。だが、その我儘を言った令嬢の気持ちはわからなくもないとは思う。国によっては、王族の結婚でなくとも、上流貴族の結婚式は盛大に行われ、領地内でパレードを行う場所もある。そういった地域で生まれ育った令嬢ならば、この石造りの殺風景な部屋で、ただ文言を復唱するだけの結婚式はあまりに寂しく感じたのかもしれない。
「文言も昔は古い魔族語だったが、さすがに魔界召集で来た令嬢には難し過ぎてな……そのうち、人間ではなく魔族の女性も、古い魔族語を理解するものは減って魔王妃とはいえ解せなくなってしまった」
「アルフレド様はご存知なんですか?」
「ああ。だが、今はもう立会人ですら知る者はいないのではないかな。コーバスほどの知識人が少し知っているぐらいかもしれん。学ぶ機会もないし。だから、心配しなくていい」
彼のその言葉で、ようやくリーエンは「古い魔族語を知っているのは凄いことなのだ」と理解をした。
「アルフレド様はどうして古い魔族語をご存じなのですか? 魔王様の眷属の方はみんな……?」
「いいや。俺は生まれた頃から魔力量がおかしかったので、幼少期から人とは違う苦労をしていてな……古い文献ならば、うまく自分の魔力と付き合う方法が書いてあるかもしれないと、それで勉強をした」
「そうだったんですか……」
「俺は睡眠時間はあまり必要なく体も丈夫だったので、幼い頃は3日や4日眠らずに活動も出来た。体の成長に良くないから眠れと言われたが、何の問題もなく背も伸びたし、身体走査をしても別段いつも問題はない。今は出来るだけ毎日眠るようにしているが、幼い頃に誰よりも時間を有効に使うことが出来たので、俺の周囲の眷属の倍以上の知識を蓄えることも出来たし、多くの経験を得られた。ただそれだけのことだ」
「そう、なのですね……」
「逆に言えば、そうでもしなければ古い魔族語を学習しなかっただろうし、知らないことは当然だ。だが……古い魔族語は、今の言葉よりも響きが美しいと俺は思うので、少しもったいないと感じるな……その考えは、いささか人間的かもしれんが」
それを聞いたリーエンはアルフレドに「何か古い魔族語をしゃべってくれませんか」と強請る。アルフレドは小さく笑ってから、まったくリーエンには理解が出来ない、けれど、柔らかく流暢な言葉を口から発した。
「本当です。何故かしら。言葉はわからないのに、美しいと思います」
「そうか」
「今の言葉は、どういう意味ですか」
「これが、結婚式で本来宣誓する文言だ」
「……」
「魔界の主として伴侶を得、眷属の繁栄、魔界の繁栄に更なる尽力を約束する……そういう文言だ」
そう言うと、アルフレドはリーエンを突然抱き上げた。
「きゃっ……!」
そのまま祭壇から降りていき、列席者用の長椅子に彼女を抱いたまま座る。どうもアルフレドは膝の上に自分を横抱きにするのが好きなようだとリーエンは困惑しつつ思う。
「お前が返す文言は『魔界の主の伴侶として、眷属の繁栄、魔界の繁栄への尽力を約束する』……簡単だろう? 俺の言葉とそう変わらん。立会人が言ってくれるので、それを復唱して、指輪を交換して終了。列席者の入場からものの半刻もせずに終わる」
「あ、あの、アルフレド様」
「言ってみろ」
アルフレドはそう言ってリーエンの耳に唇を寄せた。甘噛みをして、先程彼が口から放った、美しい響きを伴う古い魔族語と少しだけ単語を変えた文言で彼女の鼓膜を震わせる。リーエンは彼の腕の中で体をびくびくと震わせ、恥ずかしさに頬を真っ赤に染めた。
「はい。選び終えて、今お帰りになる準備をなさっているところです」
「そうか……一足遅かったな。どんなドレスを着るのか見たかったのに……デザイン画やサンプルは片づけてしまったのか」
彼の言葉を聞くやいなや、仕立て屋はリーエンが決めたドレスのサンプルを慌てて箱から引っ張り出し、壁側に置いてあるドレスハンガーにかけた。
「リーエン様がお選びになったドレスはこちらでございます。リーエン様用に新しく仕立て直して、出来上がりましたら次はドレスにあう装飾品を選んでいただくことになります」
「そうか」
アルフレドはそのドレスに近付く。人々はその彼の背を見て「どんな反応をなさるんだろう」と遠巻きにただ見守るだけだ。リーエンだけがおずおずと彼に近寄っていく。
「アルフレド様、いかがでしょうか。問題がなければこのドレスを着たいのですが」
「……うん……これを……お前が着るのか……」
斜め後ろからアルフレドを見上げれば、彼はリーエンがこれまでに見たことがない表情を浮かべているように見えた。喜怒哀楽のどれでもない。少しぼうっとしている、普段の彼からは想像が出来ない表情。リーエンは驚いて目をしばたかせる。
「いいんじゃないか。きっと、お前によく似合うだろう」
「ありがとうございます」
リーエンの方を向いてそう言った彼は、いつものアルフレドだ。気のせいだったのか、とリーエンはあえて追及せずに笑顔で頭を下げた。
「片づけに時間がかかりそうだな。申し訳ないが、彼女を連れ出してしまっても良いだろうか」
魔王に「申し訳ない」と言われ、仕立て屋は驚いた表情で「勿論でございます」と答える。
「リーエン、少し付き合え」
「あっ、はい……それでは、皆様ありがとうございました。仕立てあがりをお待ちしておりますね」
突然のアルフレドの誘いに驚いたものの、断る理由もない。まだ部屋中にサンプルのドレスやらデザイン画が積みあがっている状態で、リーエンはアルフレドと共に部屋を出た。
「式を行う場所を、前もって見にいかないか?」
「えっ……いいのですか?」
「ああ。居住エリアではないので、俺と一緒ならば見に行ける。今日ならば俺も時間がとれる」
「でも、アルフレド様、お忙しいでしょうに……」
「大丈夫だ。ジョアンにも、仕事が終わり次第帰っていいと言ったぐらいだからな。なかなかティータイムも共に出来なくて不甲斐ないので、それぐらいはさせてくれ」
「ありがとうございます」
リーエンは瞳を輝かせた。彼女にとっては「式を行う場所を見る」ことよりも、普段行くことが出来ない居住エリア外に行けることの方が興味深く大切だ。部屋と図書室、部屋と庭園を行き来するぐらいしか気分転換が出来ない状況なのだし、喜ぶのも当然だろう。
アルフレドが最近抱えていた大きな仕事は、少しばかり落ち着いた。この隙にもう少しはリーエンに時間を割こうと思ったし、それはすぐに行動に移さないといつまた忙しくなるのかわからない。そのため、こうして突発的に連れ出してしまったというわけだ。
「あ……」
広く長い通路。なんだかそこが「他と違う」とリーエンには感じられる。無機質さがどこか厳かさに繋がる、特別な空気を纏った場所。だが、その通路の先は行き止まりだ。
「ここに魔法陣がある。ここから転移する。お前が巡礼に行く時も、専用の魔法陣を使って転移をするんだが……ゲートと呼ぶことは教えたな?」
行き止まりの足元に、何やら怪しげな文字と図形を組み合わせた円形の何かが描かれている。
「はい。覚えています」
「ゲートは遠隔地へ飛ぶものを指して、いくつもゲートがまとめられた一角があってそれぞれの使用は管理されている。これは遠隔地ではないし魔王城の敷地の中にある特殊な空間に行くものなので、ゲートとは呼ばないし大した管理もされていない」
魔法陣の上に立つアルフレドに軽く手を引っ張られて、リーエンもその上に立つ。次の瞬間、耳障りな音が一瞬したかと思うと、2人は大きな部屋に転移をした。
「そこまで広くないのですね」
リーエンの国で貴族の結婚式といえば、男性側の屋敷にあるゲストハウスで行うことがほとんどだ。だが、転移先は、冷たい石造りの殺風景な部屋だった。部屋の壁にはいくつか大きな石碑が埋め込まれているようで、それが何を意味するのかはリーエンにはわからない。
「つまらん部屋だろう?」
「……想像とは違いましたけれど、つまらないわけではないです……魔王城でわたしが知っているどの部屋よりも、新しく見えます」
「結婚式でしか使わないため、長期にわたる保護魔法がかかっている」
「だから、こんなに綺麗なんですね……」
「人間界の結婚式というものは国や地域で違うのだろうし俺はあまり詳しくないのだが、魔界では立ち会い人の前で宣誓をするだけだ。特に大袈裟な儀式はない」
「そうなのですね」
「参列者も魔王の眷属と高位魔族の当主ぐらいだからな。興味がなければ来なくてもいい、ぐらいのものだし」
アルフレドは部屋の最も奥、8段ほどの階段をあがった祭壇のような場所へと歩いていく。ついていっても良いのかと躊躇しながら、リーエンは彼の後を追った。
あがった祭壇には、あちこち削れた不格好な灰色の石碑――に見えるが何も書いていない――が置いてある。ただそれだけだ。すべてがあまりにも簡素だとリーエンは思う。
「変な形の石ですね? 祭壇にあるのに、研磨されないのですか」
「本当かどうかはわからんが、初代魔王が初代魔王妃のために宝石がある鉱山を削って来たらしく、その時に雑にえぐって持ってきた石らしい。本当かどうかはわからんが」
「鉱山を……削って……? 雑にえぐって……?」
「前の面は綺麗に切られているだろう。それは、多分手刀で人間界の鉱山をそぎ落とした断面だ。そのおかげで、石碑のように見えるため、こちら側を向けているらしい。裏は、鉱山の表面で……持ってきた時はもっと後ろは大きく出っ張っていたらしいが、鉱石を取り出すのに削られたという」
「しゅ、と、う?」
「うん。多分、手でこう……」
アルフレドはまるで手で何かを分断するように上から下にシュッと振り下したが、リーエンは「……?」と眉根を寄せるだけだ。
「剣ではなく手で切り落としたんだと思う」
「剣ですら無理じゃないですか……? 魔族の方々はやっぱりわたしが想像できないほどお強いのですね」
後ろに回ってみれば、ぼこぼこに削り落とされた後が大量にあり、あちらこちらに研磨前の小さな色石がついている。
「あら。まだ沢山あるんですね」
「うん。まだ色石が大量に含まれるが、力と富の象徴としてここに置くことになったんだそうだ。昔の魔族が考えることはわからん。今は、わざわざこれを削るより買った方が早いしな。そう思えば、魔族も始まりは相当原始的だったのだろう」
想像をするととんでもない、とリーエンは思う。大きな山の前で、何かをしてこの石を削って、それを「よいしょ」と人間界から魔界に運んできて「原石をお前にやろう」とかなんとか言ったのだとしたら、野性的にもほどがある。
「だが、初代魔王が魔王妃への愛情を示したものだと思えば、この石の前で結婚の宣誓をすることは、あながちおかしくもない。式は、ここで立会人に言われたことを復唱して、指輪を交換して終わりだ。簡単だろう?」
「ふ、復唱ですか。前もってその文言は……」
言葉を覚えることがあまり得意ではないリーエンは、初耳だ、とばかりにいささか警戒の色を見せる。
「ああ、すぐに覚えられる。大丈夫だ。前日に教えても問題ないほど大した文言ではない」
「大丈夫でしょうか……」
「指輪も、この前服の採寸と同時に指の採寸をしただろう」
「はい」
「もともと指輪交換なんぞ、そんな風習もなかったらしいが、魔界召集でやってきたどの代だかの令嬢が簡素過ぎる式が嫌だと駄々をこねたらしく、指輪交換の儀が作られたらしい」
その言葉にリーエンは「まあ」と言って小さく笑った。
「そんな我儘を受け入れて儀式を作ってしまうなんて、その当時の魔王様はそのご令嬢を愛していらっしゃったのですね」
「……」
リーエンの無邪気なその言葉に、アルフレドは無言で数回瞬きをした。
「アルフレド様……?」
「お前が望めば、俺も新しい儀式の1つや2つはいつだって作るが?」
お前は何を言っている?とばかりにきょとんとした表情でアルフレドはわずかに首を傾げた。それぐらいは当然だろう、と言いたそうなその様子にリーエンは慌てた。
「わ、わたしは何も、何も望みません、大丈夫です!」
「そうか。何かあれば遠慮せずに言え」
「は、はい」
何もあるわけがない、とリーエンは苦笑いを浮かべた。作って欲しい儀式なぞあるはずもない。だが、その我儘を言った令嬢の気持ちはわからなくもないとは思う。国によっては、王族の結婚でなくとも、上流貴族の結婚式は盛大に行われ、領地内でパレードを行う場所もある。そういった地域で生まれ育った令嬢ならば、この石造りの殺風景な部屋で、ただ文言を復唱するだけの結婚式はあまりに寂しく感じたのかもしれない。
「文言も昔は古い魔族語だったが、さすがに魔界召集で来た令嬢には難し過ぎてな……そのうち、人間ではなく魔族の女性も、古い魔族語を理解するものは減って魔王妃とはいえ解せなくなってしまった」
「アルフレド様はご存知なんですか?」
「ああ。だが、今はもう立会人ですら知る者はいないのではないかな。コーバスほどの知識人が少し知っているぐらいかもしれん。学ぶ機会もないし。だから、心配しなくていい」
彼のその言葉で、ようやくリーエンは「古い魔族語を知っているのは凄いことなのだ」と理解をした。
「アルフレド様はどうして古い魔族語をご存じなのですか? 魔王様の眷属の方はみんな……?」
「いいや。俺は生まれた頃から魔力量がおかしかったので、幼少期から人とは違う苦労をしていてな……古い文献ならば、うまく自分の魔力と付き合う方法が書いてあるかもしれないと、それで勉強をした」
「そうだったんですか……」
「俺は睡眠時間はあまり必要なく体も丈夫だったので、幼い頃は3日や4日眠らずに活動も出来た。体の成長に良くないから眠れと言われたが、何の問題もなく背も伸びたし、身体走査をしても別段いつも問題はない。今は出来るだけ毎日眠るようにしているが、幼い頃に誰よりも時間を有効に使うことが出来たので、俺の周囲の眷属の倍以上の知識を蓄えることも出来たし、多くの経験を得られた。ただそれだけのことだ」
「そう、なのですね……」
「逆に言えば、そうでもしなければ古い魔族語を学習しなかっただろうし、知らないことは当然だ。だが……古い魔族語は、今の言葉よりも響きが美しいと俺は思うので、少しもったいないと感じるな……その考えは、いささか人間的かもしれんが」
それを聞いたリーエンはアルフレドに「何か古い魔族語をしゃべってくれませんか」と強請る。アルフレドは小さく笑ってから、まったくリーエンには理解が出来ない、けれど、柔らかく流暢な言葉を口から発した。
「本当です。何故かしら。言葉はわからないのに、美しいと思います」
「そうか」
「今の言葉は、どういう意味ですか」
「これが、結婚式で本来宣誓する文言だ」
「……」
「魔界の主として伴侶を得、眷属の繁栄、魔界の繁栄に更なる尽力を約束する……そういう文言だ」
そう言うと、アルフレドはリーエンを突然抱き上げた。
「きゃっ……!」
そのまま祭壇から降りていき、列席者用の長椅子に彼女を抱いたまま座る。どうもアルフレドは膝の上に自分を横抱きにするのが好きなようだとリーエンは困惑しつつ思う。
「お前が返す文言は『魔界の主の伴侶として、眷属の繁栄、魔界の繁栄への尽力を約束する』……簡単だろう? 俺の言葉とそう変わらん。立会人が言ってくれるので、それを復唱して、指輪を交換して終了。列席者の入場からものの半刻もせずに終わる」
「あ、あの、アルフレド様」
「言ってみろ」
アルフレドはそう言ってリーエンの耳に唇を寄せた。甘噛みをして、先程彼が口から放った、美しい響きを伴う古い魔族語と少しだけ単語を変えた文言で彼女の鼓膜を震わせる。リーエンは彼の腕の中で体をびくびくと震わせ、恥ずかしさに頬を真っ赤に染めた。
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