世間知らずの魔塔主は優しい娼婦を溺愛する

今泉香耶

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11-3.揺れる心(3)

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 その彼女の言葉に、コンラートは目をぱちぱちと瞬いた。

「え……」

「ねぇ、落ち着いてちょうだい」

 そう言ってバネッサは彼の腕からするりと抜け出し、カウチに座る。ぽんぽん、と自分の太ももを叩けば、コンラートはまるで子供のように素直に横になって、彼女の膝枕に頭を載せた。彼の銀髪をバネッサは何度も梳かしながら言葉を紡ぐ。

「でも、それじゃいけないのよ。そりゃあ、わたしも暴力は本当に嫌よ。ええ、本当に嫌。でも、そんな人は一握りだし、ここで暴力を振るわれるのは、わたしたちが娼婦で買われる立場だからよ。じゃあ、ここから出たら大丈夫かというと、それはわからない。でもね。だからって、あなたがわたしを隣に置いてずっと見張っているなんて、わたしの人生って何なのかしら。親が子供を守ろうとして家に閉じ込めたら、その子の人生ってどうなるのかしらね。それならわたし、誰かと争ってたまに叩かれてもいいから、自由でいたいわ」

「……うう……」

 コンラートは顔をバネッサの腹部へごろりと向けて唸った。

「よく、わかりません」

「そう……?」

「親が子供を守ろうとして? 親って、子供を守ろうとするものなんでしょうか? ううん、そうだったかな……」

「そこ?」

 バネッサは驚きの表情を浮かべた。彼が言う「わからない」が、まさかその部分だなんて、と思ったからだ。彼女は「じゃあ自分の身請けを受けないんですか」と聞かれると思っていた。そして、それへの答えが今はまだ彼女にはなかったので、少しだけ困惑していたのだが、どうもコンラートは彼女の想像と違うところでつまずいているようだった。

「わたしも、そんなには守られなかったけど……ううん、でも、母さんが今の義父と再婚する前は……何があっても守ろうとしてくれたような気がするわ。もちろん、家に軟禁なんてされなかったし、自由だったけど、たくさん失敗して、たくさん怒られて、でも、ちゃんとご飯を作ってくれて、そのために働いてくれて、大事にしてもらっていたわ」

「……」

「でも、あなたが言っているのは、それが行き過ぎて、家から出て何かがあったら困るから、ずっとそこから出さないっていうことでしょう」

「大事にするってどういうことなんだろう……」

 そう呟いて、コンラートはバネッサの腰に腕を回した。目を閉じて、彼女の腹部に顔を埋める。

「うーん、よくわからないけど、わたしはあなたを大事にしたいし、あなたを守りたいんだ。あなたが誰かに手を上げられることは嫌だ。傷つけられることは嫌だな……」

 バネッサはそう言って腕に力を入れるコンラートをじっと見下ろした。彼の事情を彼女はよく知らない。だが、少しだけ理解が出来たことがある。

(この人は、家族に大事にされなかったんだ)

 家族がいなかったわけではない。だが、家族に大事にされなかった。こんなにいろんな魔法を使って、魔塔の主なんて肩書きまで持って、大金を好きに使っているのに。どうしてなんだろう、とぼんやりと思いながら、彼の髪を撫でた。

「コンラート。ありがとう」

「……わたしが勝手に思っているだけですよ……初めてなんです。こんなこと……誰かが傷つけられるのを見るのが嫌だなんて……あなただけだ……」

 もう一度「ありがとう」とバネッサが言うと、顔を見せないままコンラートは首を左右にバタバタと振った。まるで子供のようだな、と思いながら、バネッサは「キスして」とねだる。

 ようやくゆっくりコンラートが顔を上げれば、彼は眉をひそめて情けない、今にも泣き出しそうな表情を見せた。

「もう一度、ねだってくれますか」

「コンラート、わたしにキスして?」

「……いくらでも」

 ゆっくりと体を起こして、コンラートはバネッサの唇に唇を重ねた。だが、いつもの熱はそこにはない。

「バネッサ。でも、わたしはあなたを身請けします。もう、話は聞いておきました」

「そうなの?」

「はい。ですから、今日の帰りに受付で申し出ます」

 身請けは、客から申し出があると娼婦に通達される。そこで娼婦側が了解すれば、その日から十日後に身請けをして、娼館から出ることが決定する。

 だが、娼婦が了解をしなければ、そこで終わり。そして、娼婦側の返事は十四日間の期限が設けられる。何故ならば「他に身請けをお願いしたい客」がいる可能性もあるし、そのために金を工面する猶予を与えるというわけだ。

「ですから、今日から十四日間の間に、返事をお待ちしていますね」

 そう言って、コンラートは立ち上がった。まだ、彼が来てから一時間も経過をしていない。いつもならば、もっと色々なことを話して茶を飲みながら過ごせるのに、今日はもう帰ろうとしている。

 だが、バネッサも彼を引き留めなかった。今日はもう、よろしくないのだ。彼も、自分も。

「ああ、その……身請けをした後、あなたを魔塔で一日中監視をする、という話はないです。大丈夫です……ええ」

「そう……」

「すみません。いつもより時間が短いんですが……帰りますね」

 カウチからバネッサが腰を浮かせようとすると、彼はバネッサの肩をそのまま押した。座ったままでいい、という意味なのだろう。

 それから、彼女の前で彼は膝をついて、美しい白い手をとる。

「これだけはわかって欲しいんですけど……わたしは、あなたのことが好きでしょうがないんですよ。どうしてかは、よくわからないけれど。それだけは、疑わないで」

 そう言って手の甲にキスをすると、バネッサの答えを聞かずにコンラートは立ち上がり、そのまま振り返らずに部屋を出て行った。

 バネッサはカウチに座ったまま彼の背を見送り、おやすみなさいも言えずにただただ閉じたドアを見つめるだけ。

「……家族のこと……聞けなかったな……」

 もう一歩、彼に踏み込んでいいのかバネッサには量りかねている。コンラートのことだ。聞けば、あっさりと答えてくれるような気もする。だが、もしも、そうではなかったら。

(まだ、その辺がわからない……いいえ、その辺、だけじゃないわ。なんでもかんでも、わからないけれど)

 自分たちは、まだ互いのことを全然わかっていないのだ、とバネッサは思う。なのに、彼は自分にどれだけの金を払おうとしているのだろうか。

「疑わないで、って言われても……」

 いや、彼は金のことをどうとも思っていないのだ。だから、自分を身請けすること、大金を出すことをそんな大層なことだと思っていないのだろう……。

「でも、こっちはそうはいかないのよ……ああ、ままならないわ……」

 そう呟いて、バネッサは彼が治してくれた頬を彼がキスをした手で撫でた。痛みも腫れも何もかもなくなったそこを、愛しげに何度も何度も撫でて、彼がキスをした手の甲にもう片手で触れて、彼女はそっと瞳を閉じた。
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