世間知らずの魔塔主は優しい娼婦を溺愛する

今泉香耶

文字の大きさ
32 / 74

12-1.カサンドラ(1)

しおりを挟む
「ねえ、聞いたわよ、バネッサ」

 その日、バネッサは彼女より二歳年上の先輩娼婦から声をかけられた。彼女はこの娼館の一番手で、何度も身請けの話が出ているものの、すべて断っている。理由を聞けば「もうちょっと娼婦でいたいからよ」とあっさり言うだけで、彼女の真意は誰にもわからない、なんとも謎が多い美女だった。美しい金髪に緑の瞳。鮮やかな紅が映える、華やかな女性だ。

「あなた、身請けの話が出ているんですって? うふふ、よかったわね」

「カサンドラ……うん、そう。そうなの」

「あら? どうしたのぉ? 浮かない顔ね」

「ううん。身請けは嬉しいのよ。だって、ずっとここから出たかったから」

「でしょ? だったらそんなシケた顔してるんじゃないわよぉ」

 そう言ってカサンドラは笑った。だが、バネッサは苦々しい笑みしか返すことが出来ない。そんな彼女の表情から芳しくないものを嗅ぎつけたようで、カサンドラは肩をすくめて「どうしたの」ともう一度尋ねた。

「本当にこの身請けを受けていいのかなって」

「え?」

「少し……自信がなくて」

 何がどう自信がないのか、とカサンドラは軽く目を見開いた。が、すぐに尋ねる。

「どっち? 男からの愛情を信じられないの? それとも自分の愛情?」

「どっちも、かな」

「そうねぇ……」

 カサンドラは「ん-」と声を出しながら少し考え、それから言葉を続けた。

「本当に好きな人とじゃないと、結局同じことを繰り返すのよ。最初は解放されてよかったと思っても、気持ちが続かなければ娼婦と同じだしね。中には身請けをした後に豹変する男だっているわ。自分を娼館から解放してくれた男に、嫌々奉仕するようになる可能性だってあるわよねぇ……」

 多分、それは大丈夫だとバネッサは思う。コンラートは多分ずっとあれが素なのだと思う。身請けをした後、豹変するような人物だとは思えない。

 だが。彼が自分を今気に入ってくれていることが、まず彼女にとっては疑うなと言われても無理なことで、夢のようなものだ。この先、豹変はしなくとも、なんだかんだであっさり飽きられてしまう可能性だってある。その時彼はどうするんだろう……自分を解放してくれるんだろうか……そう思っていると、カサンドラは先回りをしたように言葉を放つ。

「もしかしたら飽きられて、また売られる可能性だってあるのよぉ? だから、相手はちゃんと選んだ方がいいわ。よく考えて」

 いや、コンラートはきっと自分を売りはしないだろうと思う。思うけれど……。

「わたし……突然のことで、ちょっと頭がおかしくなっているのかもしれない」

「そう。突然だったの?」

「前振りはしていたけれど……でも、そうね、突然、だったな……」

 以前から身請けの話はちらりと出ていた。だけど、あんな風に衝動的に「やっぱり身請けをする」と彼が言い出したため、なんだか突然のような気がしてしまう。しかし、その後も毎日繰り返し通ってくれるコンラート。あの日以降、特に彼はバネッサに何も言わず、バネッサも彼に何も追究も出来ず、おかしな距離感のまま彼はやって来て、一時間もしないで帰って行ってしまう日々を数日繰り返していた。

 それが、彼自身が魔塔を長く開けられないせいなのだとはわかっている。しかし。もしかしたら、あの日身請けを決めたことを後悔しているのではないか、とか、身請けをしても自分たちは理解をしあえないとでも思っているのだろうか、とか、バネッサは心の中でもやもやを抱えていた。

(それに、ずうっと抱いてもらえないってことも、気になる。もしかして、もうわたしとの交わりは好きじゃなくなったのかもしれないし……でも、ああいった手前の義務感かも……)

 などと思う。だが、そうやって自分が考える「コンラート」は、どこかぶれている。彼女は自分自身がそこまでコンラートのことを知っているとは思っていないが、それにしても、どれもなんだかコンラート「らしくない」のだ。

(ううん、違う。そうじゃないのよ。それは、自分の不安を正当化するための、言い訳みたいなものだわ)

 本当はそうではないのだ。彼がどう思っているのかとか、それは二の次だ。多分、今の環境が変化することが怖いのだ……とバネッサは理解する。突然やってきた身請けは喜ぶべきことのはずなのに。それでも心が晴れないのは……。

(ずうっと、この娼館で夢を見続けていたような気がするからだわ)

 家から出て、がむしゃらに働いて。でも、心のどこかでは、誰かに愛されたかったし、愛したかった。去る者は追わなかったけれど、来る者に不自由がなくなってからは、いつでも誰かに夢を見させて、そして自分でも夢を見て日々を過ごしていた。

 だが、夢から覚める時が来たのだ。娼館から出るということは、そういうことだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

ただ、隣にいたいだけ~隣人はどうやら微妙にネジが外れているようです~

Ayari(橋本彩里)
恋愛
隣人である小野寺翔は完璧な美貌、甘いマスク、高身長、高所得者、社交的で周囲にほぼ敵なしのハイスペック。 そんな男性の隣に住むことになりやたらと絡まれ、何かを含む甘い眼差しを向けられることに。 極めつけは微妙なネジの外れ具合。 それはどうやら私、藤宮千幸に対してのみ発揮されているみたいで。 なんて、はた迷惑なっ! 過去作を改稿。変甘です! イラストは友人kouma.作です♪

英雄騎士様の褒賞になりました

マチバリ
恋愛
ドラゴンを倒した騎士リュートが願ったのは、王女セレンとの一夜だった。 騎士×王女の短いお話です。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~

双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。 なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。 ※小説家になろうでも掲載中。 ※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~

世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。 ──え……この方、誰? 相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。 けれど私は、自分の名前すら思い出せない。 訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。 「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」 ……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!? しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。 もしかして、そのせいで私は命を狙われている? 公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。 全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね! ※本作品はR18表現があります、ご注意ください。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

処理中です...