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第一部
16.このままでいるために
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ティオらが、領主ボニファーツ・ファイエルの田園邸宅上空に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。邸宅は小高い丘の上にあり、その敷地はとても広い。敷地内の建物はどれもとても大きく、最も小さな建物でさえ孤児院より大きかった。
そんな敷地内に、出撃準備中と思しき私設兵の集団がいることに気づいた。
「取り込み中かな?」
不思議そうな顔をするティオに、エミールが「降りてみよう」と促す。その声を受け、ティオは「分かった!」と二つ返事で龍を急降下させた。
「うわっ!」
「な、なんだ?!」
降りる際に突風を起こさないよう注意して、ゆっくりと降りたのだが、それでも多少の風は起きた。その風で突如現れた白龍に気づき、兵の間に動揺が走る。
私設兵のどよめきに気づいたのか、領主ボニファーツ・ファイエルが姿を現した。
「ボニファーツ卿!」
「殿下ッ?! いや、どちらに……??」
ボニファーツは戸惑っていた。エミールの声はするのに姿がない。周囲を見やり、ふと頭上から降りてくる大きな影に気づき、空を仰ぐ。そこに、エミールの姿を見つけた。
――そう言えば、あの時も殿下は空から降りてきたな……。
あまりのことに呆気に取られ、遠い目でそんなことを思い出していた。
一方で、エミールは地上までの距離を見極め、白龍から飛び降りた!
「エミール殿下?!」
慌てたのはラウラだ。ティオは「かっこいい!」と言ってデレデレしていたが、冷静なロビンに突っ込まれ、早急に白龍を地面に付けた。
「この子置いても、まだこんなにスペースが余ってる……」
初めて見る田園邸宅。その広さに、ティオは圧倒されていた。学園や王城ほどではないが、一年近くも前の過ぎ去った過去など、ティオの美しい脳には刻まれていない。
「おっきぃね、ティオ……」
「ねー」
ロビンとティオはそれぞれ同じように呆けた顔で周囲を見まわしていた。
「何かあったのか?」
ただならぬ私設兵の様子に、エミールはボニファーツへ問いかける。彼の質問に、領主は少し言いにくそうに顔をゆがめ答える。
「近隣の領主より、魔獣の討伐依頼があり、これから向かうところです」
「魔獣が?!」
エミールは動揺した。
「殿下とファーバー嬢のお力で、この地には平穏が戻りました。ですが、戻ったのはここだけです。中央が当てにならない以上、自分達で協力し合い生き残る術を模索しなければ、我々に未来はありません」
「……ああ、あの老害っぷりじゃねぇ……もしかして、老狂?」
「ティオ様!!!」
ティオの発言に真っ青な顔で反応を示したのはラウラだ。エミールと領主は時が止まったかのように動かないし、ロビンに至っては意味が分かっていない。
「えー、だってこのままだと、なし崩し的に面倒ごとに巻き込まれそうなんだもん。私、あの老害のシモの世話とか、『絶ッ対』したくないんだけど。老狂ならさっさとあの席から降ろすべきだったのよ。でも、もう手遅れ。この期に及んで、エミールの手を煩わせようってんなら、お城なんか更地にしちゃうから」
ラウラは慌てて、ティオの口を塞ぐ。
ティオが、エミールとボニファーツの会話に割って入り、とんでもないことを口にするのだから。しかも、邪悪な笑みを浮かべて。
「ティオ様、ハウス!」
ラウラの言葉に遺憾の意を表したいティオだが、言葉となって口から出ることはなかった。
ティオが怒りを忘れないのも無理はない。
あの日、一秒でも遅れていたらエミールは死んでいたかもしれない。正気の沙汰とは思えない言いがかりの挙げ句に、何もかもを奪い、国に尽くした彼を何よりも残酷な方法で切り捨てた。
そこに至るまでに、どれほど深い理由があろうとも、許すことなどできるはずがなかった。
「すみません、殿下にご迷惑をおかけするつもりはありませんので……」
ティオの怒りを受けて、ボニファーツは怖じ気づいてしまった。非難の対象は自分ではない。それは分かっていた。しかし、彼女の逆鱗に触れるような行動は避けたい。それは本能が命じた行動だった。
「ああっ! ティオ様のことはお気になさらないでください!」
ボニファーツの複雑な胸中を悟り、ラウラが慌ててフォローを入れる。
「そうだよティオ。疲れてるおっさんいじめるなよ。大人げないぞ」
「領主様のことなんて一言も言ってないってば!!!」
ロビンの冷静な突っ込みに、ティオは慌てて弁明した。
いじけるティオをラウラに任せ、エミールは領主に被害状況の確認をする。
「行くの? にいちゃん」
「ああ」
ロビンの問いに、エミールは即答する。目の前で助けを求める民を前に通り過ぎる選択肢など、彼にはない。
「そうですね。先日同様の事態に陥っているのだとすると、この方々だけでは同じ事でしょうし」
ラウラもエミールの意見に賛同する。申し出を受けて領主は恐縮していたが、皆に説得されて前向きに帰るようになっていた。
「あちこちに恩を売っておくのも今後のためにはいいかもね……」
ティオは毒リンゴを作っていそうな笑顔を浮かべ、「私も行くね?」とエミールへ宣言する。一同に若干の不安がよぎりはしたものの、それには目をつぶることにした。
「じゃ、どこから行く?」
ティオは明るく弾む声で、エミールに問いかける。
複数箇所から救援要請が来ていることは、領主から聞いている。地理の説明や危険度、懸念事項も聞いておかなければならない。エミールは領主へ向き直った。
「優先順位は分かりますか?」
「はい! あの、まず――」
エミールの問いかけに領主は答えた。その他の必要事項についても引き継ぎは怠らない。
今、ボニファーツの下へ届けられている救援要請は全部で三つ。
最も急を要するのは、ここから北西に位置している、ダンツィ領だ。
治めているのは、齢五十になる『ダンツィ伯アルミン・ダンツィ』。東西に走る山脈に守られた、広い平野が大部分を占める。農作物が良く育つ、肥沃な土壌に実る沢山の穀物に、谷から吹き込む清らかな風。通常であれば、穢れにさらされるような事態になどなりえない場所ではある。
次点は、ここから東に位置している、テイシー領。
治めているのは、齢五十八になる『テイシー伯ダグマル・テイシー』。
テイシー領は二つの山脈に挟まれた、丘陵地帯にある。
最後は、ここから南に位置している、サヴァツ領。
治めているのは、齢四十五になる『サヴァツ伯バルド・サヴァツ』。
領地の大部分を平野が占めているが、ダンツィ領ほど豊かな土壌ではなかった。そのため、商業を発展させることで、領地の運営を軌道に乗せていた。
ティオは難しい話は分からないので、難しい話はエミールに任せ、作戦が決まるのを待った。その間、私設兵の装備品とまじまじと見ていたのだが――。
「あ、あの、何か……?」
ティオの視線を受けて、兵士が困ったような、戸惑ったような、怯えたような仕草を見せる。当然と言えば当然の反応だ。昨日今日会ったばかりのティオの異常行動を、全て、見せられてきたのだから。
「昨日も思ったんだけど、魔獣退治にしては貧弱な装備じゃない? ……貧乏??」
「悪法のせいですよ!」
「あくほう?」
「ええ。『魔獣に対抗できる能力者や主要な武器は王が優先所有権を持つものとする』という法律です。そのせいで、他の領主は自分の部隊で領民を守ることすらできなくなりました!」
「え? ええ?? ……冗談だよね?」
「本当です!!! ブリクサ・グラーフ王太子殿下が制定されたのです!!!」
兵士が大声を出したので、一同が驚いて振り返る。
「どうした?」
兵士の声に驚いて、エミールがティオの下へ駆け寄る。常に無く焦った様子に、ティオは大丈夫だと言外に示しつつ。
「なんか……エミールの弟が……やらかしてるっぽい」
エミールの顔色が変わる。
「あの、もしかして……『刀狩り』のことですか?」
言いづらそうに、背後からラウラが言う。
ラウラが口にした『刀狩り』。
これは、半年程前にブリクサが制定した、「魔獣討伐可能な戦力は、全て王の管理下に置くものとする法律」のこと。そうすることで、戦力は十分。だから、第三者機関であり、クソ生意気な教会騎士団の力など必要ない――と主張しているのだ。
――お偉い人がやることはさっぱり理解できないけど……エミールたちの反応を見る限り、異常事態であることに間違いは無いみたい。ということは――。
「うん、分かった! つまりくっちゃべってる暇はないってことね! 次はどこなの?! はやくはやく!!」
ティオは快活に、一同を急かした。
――エミールも領主様も考え込むと、自分の殻に閉じこもって体調不良になるから……考えさせないようにしないと! ウジるくらいなら行動あるのみ!
「分かったよ」
ティオを振り返るエミールの顔は、ティオの望んだ通りに憂いを吹っ切り、凜としたものだった。
エミールはボニファーツと打ち合わせを終え、ティオと共に白龍へと飛び乗り、空へと駆け上がる。エミールに方向を指示されながら、ティオは白龍を急がせた!
その間、ボニファーツは、次点である『テイシー領』へと向かっていた。
ティオとエミールが最初に向かったのは、急を要する『ダンツィ領』だ。
上空から一瞥しただけで、ティオにはどこが発生源なのかが分かった。同時に、ダンツィ領の被害状況も。あちこちから火煙が上がり、死臭が漂う。後から後から虫が寄ってくるように、魔獣が飛び回りこの地に集る。
起伏のない広大な土地であることが災いしたのか、被害はファイエル領よりも甚大だった。
――順番に片付けてる暇はなさそう。
「エミール、沼から湧いてるみたい」
「――時間がないな」
「私が『巣』を片付ける間に、エミールは『人命救助』ってトコかしら?」
「…………いいか?」
「もちろん!」
巣を片付けてから現地へ向かう方が手間はない。ティオとエミールにとっては。
彼は少しだけ考えて、ティオに頼んだ。抵抗がないと言ったら嘘になる。男として、敵地に少女をたった一人で送り込むなど。しかし、そんな憂いは無意味なものであることも、分かっていた。
だから、エミールは決断を下した。
己は魔獣が集まる地へ降り、彼女は巣を叩き潰すという作成の決行を。
決断を下すが早いか、ティオは白龍を最も消耗激しい襲撃地区へ誘導する。
宙を舞う魔獣を白龍で蹴散らしながら。眼下の人々の間に、「新手が来た!」と絶望にも似た混乱が走る。エミールはそれに気づいた。
――この混乱を早急に治めなければ! という、エミールの焦りを感じ取り、ティオは現地へ急いだ。
「無理しないでよね?!」
「ああ、ティオも……!」
エミールはティオにそう言うと、勢いよく白龍から飛び降り、その地に降り立った。
――よし! 私も『巣』に急がないと! さっさと巣を叩かないと、エミール達が追い込まれる!
ティオは急いで、『巣』へ向かった。
一方、ダンツィ領の人々は、目の前の光景に衝撃を受けていた。
白龍に舞い降りてきたエミールが、ばったばったと敵をなぎ倒していくその様に。
この地の兵士や領民も同じだったのだ。ファイエル領の民達と。
魔獣に対し、手も足も出なかった。それが、エミールが登場した瞬間に敵を倒し、味方兵の体勢を立て直し、的確な指示を出し、見事、敵を退けたのだ。
彼等は歓喜に震えた。誰も彼もが命があることに感謝し、現れたエミールに感動を覚えていた。
ダンツィの領民がわきたっていた頃、ティオは再発防止のために頭をひねっていた。何かある度に、飛んでくるなんて、エミールの負担になる。
――ファイエル領の時も思ったけど、こんな普通の沼やら山やらが、瘴気の渦になるなんて、意味が分からないわ。ひとまず、対処療法とるしかないか。あっちには番犬置いたけど、こっちにも置く? この沼を埋め立てるのはまずいわよね。せいたいけい、だっけ? 学園で勉強したし! ファイエルのあの子にこっちも見廻るように言っておきますか。あの子の仲間増やすと、それはそれで新たな問題の種になりそうだし。よし……!
ティオの中で、方向性が決まった。
◇
『ダンツィ領』の問題が片付くと、次は次点で危機が迫っている『テイシー領』へ向かった。ボニファーツが向かっているのは分かっていた。念のため、様子を見に行くだけのつもりだったのだ。
しかし、彼等が手間取っているようだったので、少々手を出してしまった。
そのため最後の目的地『サヴァツ領』へ到着したのは、夕刻になってから。
ダンツィ領同様、ティオとエミールは二手に分かれ、魔獣騒動を収束させることには成功した。全てが終わった頃には、完全に日が暮れていたが……。
――そして今、ティオとエミールは領主の田園邸宅『サヴァツ邸』にいた。
急遽、夕食会が開かれることになったのだ。
これは、バルド・サヴァツがティオとエミールの二人に対して、感謝の気持ちを表したものだ。縁を結びたいという若干の下心があることも、間違いはないが。
周囲への迷惑を顧みなければ、ファイエル領へ戻る方法はいくらでもあった。
けれど、この場に止まることにしたのは、何も夕食会に出たかったからではない。空腹のティオは別として、エミールには気がかりがあった。
周囲が暗いため、被害状況の確認はできなかった。明朝、改めて確認をしたかったのだ。
サヴァツ邸で開かれている夕食会は、簡略化されたものだった。
バイキング形式で、晩餐会ほど改まったものではない。エミールのみを招待客として考えていたのなら、正餐会を催していたことだろう。今回領主は、ティオへの配慮として多少気安いバイキング形式の夕食会としていた。
今、邸内には多くの貴族が詰めかけていた。
非常事態ということで、事前連絡なしに多くの貴族が押しかけてきている。今も、執事は来客の対応に追われている。
彼等の目的は、エミールとお近づきになることだ。彼の現状を知らぬ者などいない。身なりを見れば一目瞭然だ。
だが誰もが、彼と縁を結びたがった。
エミールが貴族達の相手をしている一方で、ティオは栄養摂取に専念していた。
豪華な食事が並んでいる料理テーブルに張り付き、料理を堪能している。学園の学食メニューもとても豪華だった。約一年ぶりの豪華な食事だ。
心ゆくまで、豪華な食事を堪能したかったティオだが――邪魔が入った。
――人間の食料に興味を抱いた白龍の自己主張を感じる。
ティオが手懐けてしまったせいで、この白龍は結構簡単に人里に降りてくる。今も、「何食べてるの?」と言わんばかりに、勝手に中庭に座して、ベランダから顔を覗かせているのだ。
神の化身である白龍が放つ威圧感に、通常の人間は堪えられない。
現に、多くの貴族が腰を抜かして白龍を遠巻きにしている始末だ。
――行くわよ。行けばいいんでしょ! ちゃんとご飯あげるから、ちょっとその怖い顔、引っ込めときなさい。
最終的に、ティオは中庭にご飯を持ち出し、白龍へ餌付けをする羽目になっていた。白龍の餌付けと分かっていたのか、行き交う人々からやけに大きな食べ物をもらった。骨付きカルビだの、魚の丸焼きだの、巨大なパンだの。
「それは彼の好物なのかい?」
背後から聞こえてきたエミールの声に、ティオは驚いて振り返る。
彼が貴族連中に囲まれて、政治経済の話をしていることは知っていた。だから己の興味を料理に全振りしていたのだが。
「話はもういいの? 情報収集は終わった?」
難しい話はティオには分からない。
けれど、昼間の兵士の発言から、王家がやらかして問題が、大事になり始めているらしいことは分かった。それに関する情報をエミールが手に入れようとしていることも。表舞台に返り咲く決心はつかなくとも、現状を見過ごしておくことなど、彼にできるはずがない。
「エミール、元気ないね。何か悩み事?」
「いや、そんなことは――」
『ない』と言おうとエミールだが、ティオは『じー……』っとした視線を送り続け、追及の手を緩めない。
ついに根負けしたエミールが、ぽつりぽつりと口にし始めた。
「悩み……か。多くの民が苦境に陥っているというのに、今の俺にできることはあまりにも少なすぎる。なのに、皆は今も変わらずこの身を信じ案じ称賛までしてくれる。俺は今まで、何をやってきたのか……。こんな自分が、向けられている期待に応えられるのかと……」
「エミールでもそんなふうに思うことあるんだ……」
「ごめん、なさけないことを言っ――」
「なら、一緒に勉強できるね!」
「え?」
「いやぁ、私だんじょんとか全然分からないからさ、教えてもらわなくちゃ! って思ってたとこなんだよね」
「そうか……うん、そうだな。俺も、自分にできることから始めるとするよ」
「ん? よく分からないんだけど、それは、私と同じってこと?」
「ああ、一緒だな」
「やったぁ、えへへ……」
ティオの嬉しそうな様子に、エミールは安堵を覚えていた。
――ずっと、できることなら、このままずっとこうしていられたら、自分は幸せなのだろう。ずっと、このままでいられるように、自分に何ができるのだろう……?
そんな敷地内に、出撃準備中と思しき私設兵の集団がいることに気づいた。
「取り込み中かな?」
不思議そうな顔をするティオに、エミールが「降りてみよう」と促す。その声を受け、ティオは「分かった!」と二つ返事で龍を急降下させた。
「うわっ!」
「な、なんだ?!」
降りる際に突風を起こさないよう注意して、ゆっくりと降りたのだが、それでも多少の風は起きた。その風で突如現れた白龍に気づき、兵の間に動揺が走る。
私設兵のどよめきに気づいたのか、領主ボニファーツ・ファイエルが姿を現した。
「ボニファーツ卿!」
「殿下ッ?! いや、どちらに……??」
ボニファーツは戸惑っていた。エミールの声はするのに姿がない。周囲を見やり、ふと頭上から降りてくる大きな影に気づき、空を仰ぐ。そこに、エミールの姿を見つけた。
――そう言えば、あの時も殿下は空から降りてきたな……。
あまりのことに呆気に取られ、遠い目でそんなことを思い出していた。
一方で、エミールは地上までの距離を見極め、白龍から飛び降りた!
「エミール殿下?!」
慌てたのはラウラだ。ティオは「かっこいい!」と言ってデレデレしていたが、冷静なロビンに突っ込まれ、早急に白龍を地面に付けた。
「この子置いても、まだこんなにスペースが余ってる……」
初めて見る田園邸宅。その広さに、ティオは圧倒されていた。学園や王城ほどではないが、一年近くも前の過ぎ去った過去など、ティオの美しい脳には刻まれていない。
「おっきぃね、ティオ……」
「ねー」
ロビンとティオはそれぞれ同じように呆けた顔で周囲を見まわしていた。
「何かあったのか?」
ただならぬ私設兵の様子に、エミールはボニファーツへ問いかける。彼の質問に、領主は少し言いにくそうに顔をゆがめ答える。
「近隣の領主より、魔獣の討伐依頼があり、これから向かうところです」
「魔獣が?!」
エミールは動揺した。
「殿下とファーバー嬢のお力で、この地には平穏が戻りました。ですが、戻ったのはここだけです。中央が当てにならない以上、自分達で協力し合い生き残る術を模索しなければ、我々に未来はありません」
「……ああ、あの老害っぷりじゃねぇ……もしかして、老狂?」
「ティオ様!!!」
ティオの発言に真っ青な顔で反応を示したのはラウラだ。エミールと領主は時が止まったかのように動かないし、ロビンに至っては意味が分かっていない。
「えー、だってこのままだと、なし崩し的に面倒ごとに巻き込まれそうなんだもん。私、あの老害のシモの世話とか、『絶ッ対』したくないんだけど。老狂ならさっさとあの席から降ろすべきだったのよ。でも、もう手遅れ。この期に及んで、エミールの手を煩わせようってんなら、お城なんか更地にしちゃうから」
ラウラは慌てて、ティオの口を塞ぐ。
ティオが、エミールとボニファーツの会話に割って入り、とんでもないことを口にするのだから。しかも、邪悪な笑みを浮かべて。
「ティオ様、ハウス!」
ラウラの言葉に遺憾の意を表したいティオだが、言葉となって口から出ることはなかった。
ティオが怒りを忘れないのも無理はない。
あの日、一秒でも遅れていたらエミールは死んでいたかもしれない。正気の沙汰とは思えない言いがかりの挙げ句に、何もかもを奪い、国に尽くした彼を何よりも残酷な方法で切り捨てた。
そこに至るまでに、どれほど深い理由があろうとも、許すことなどできるはずがなかった。
「すみません、殿下にご迷惑をおかけするつもりはありませんので……」
ティオの怒りを受けて、ボニファーツは怖じ気づいてしまった。非難の対象は自分ではない。それは分かっていた。しかし、彼女の逆鱗に触れるような行動は避けたい。それは本能が命じた行動だった。
「ああっ! ティオ様のことはお気になさらないでください!」
ボニファーツの複雑な胸中を悟り、ラウラが慌ててフォローを入れる。
「そうだよティオ。疲れてるおっさんいじめるなよ。大人げないぞ」
「領主様のことなんて一言も言ってないってば!!!」
ロビンの冷静な突っ込みに、ティオは慌てて弁明した。
いじけるティオをラウラに任せ、エミールは領主に被害状況の確認をする。
「行くの? にいちゃん」
「ああ」
ロビンの問いに、エミールは即答する。目の前で助けを求める民を前に通り過ぎる選択肢など、彼にはない。
「そうですね。先日同様の事態に陥っているのだとすると、この方々だけでは同じ事でしょうし」
ラウラもエミールの意見に賛同する。申し出を受けて領主は恐縮していたが、皆に説得されて前向きに帰るようになっていた。
「あちこちに恩を売っておくのも今後のためにはいいかもね……」
ティオは毒リンゴを作っていそうな笑顔を浮かべ、「私も行くね?」とエミールへ宣言する。一同に若干の不安がよぎりはしたものの、それには目をつぶることにした。
「じゃ、どこから行く?」
ティオは明るく弾む声で、エミールに問いかける。
複数箇所から救援要請が来ていることは、領主から聞いている。地理の説明や危険度、懸念事項も聞いておかなければならない。エミールは領主へ向き直った。
「優先順位は分かりますか?」
「はい! あの、まず――」
エミールの問いかけに領主は答えた。その他の必要事項についても引き継ぎは怠らない。
今、ボニファーツの下へ届けられている救援要請は全部で三つ。
最も急を要するのは、ここから北西に位置している、ダンツィ領だ。
治めているのは、齢五十になる『ダンツィ伯アルミン・ダンツィ』。東西に走る山脈に守られた、広い平野が大部分を占める。農作物が良く育つ、肥沃な土壌に実る沢山の穀物に、谷から吹き込む清らかな風。通常であれば、穢れにさらされるような事態になどなりえない場所ではある。
次点は、ここから東に位置している、テイシー領。
治めているのは、齢五十八になる『テイシー伯ダグマル・テイシー』。
テイシー領は二つの山脈に挟まれた、丘陵地帯にある。
最後は、ここから南に位置している、サヴァツ領。
治めているのは、齢四十五になる『サヴァツ伯バルド・サヴァツ』。
領地の大部分を平野が占めているが、ダンツィ領ほど豊かな土壌ではなかった。そのため、商業を発展させることで、領地の運営を軌道に乗せていた。
ティオは難しい話は分からないので、難しい話はエミールに任せ、作戦が決まるのを待った。その間、私設兵の装備品とまじまじと見ていたのだが――。
「あ、あの、何か……?」
ティオの視線を受けて、兵士が困ったような、戸惑ったような、怯えたような仕草を見せる。当然と言えば当然の反応だ。昨日今日会ったばかりのティオの異常行動を、全て、見せられてきたのだから。
「昨日も思ったんだけど、魔獣退治にしては貧弱な装備じゃない? ……貧乏??」
「悪法のせいですよ!」
「あくほう?」
「ええ。『魔獣に対抗できる能力者や主要な武器は王が優先所有権を持つものとする』という法律です。そのせいで、他の領主は自分の部隊で領民を守ることすらできなくなりました!」
「え? ええ?? ……冗談だよね?」
「本当です!!! ブリクサ・グラーフ王太子殿下が制定されたのです!!!」
兵士が大声を出したので、一同が驚いて振り返る。
「どうした?」
兵士の声に驚いて、エミールがティオの下へ駆け寄る。常に無く焦った様子に、ティオは大丈夫だと言外に示しつつ。
「なんか……エミールの弟が……やらかしてるっぽい」
エミールの顔色が変わる。
「あの、もしかして……『刀狩り』のことですか?」
言いづらそうに、背後からラウラが言う。
ラウラが口にした『刀狩り』。
これは、半年程前にブリクサが制定した、「魔獣討伐可能な戦力は、全て王の管理下に置くものとする法律」のこと。そうすることで、戦力は十分。だから、第三者機関であり、クソ生意気な教会騎士団の力など必要ない――と主張しているのだ。
――お偉い人がやることはさっぱり理解できないけど……エミールたちの反応を見る限り、異常事態であることに間違いは無いみたい。ということは――。
「うん、分かった! つまりくっちゃべってる暇はないってことね! 次はどこなの?! はやくはやく!!」
ティオは快活に、一同を急かした。
――エミールも領主様も考え込むと、自分の殻に閉じこもって体調不良になるから……考えさせないようにしないと! ウジるくらいなら行動あるのみ!
「分かったよ」
ティオを振り返るエミールの顔は、ティオの望んだ通りに憂いを吹っ切り、凜としたものだった。
エミールはボニファーツと打ち合わせを終え、ティオと共に白龍へと飛び乗り、空へと駆け上がる。エミールに方向を指示されながら、ティオは白龍を急がせた!
その間、ボニファーツは、次点である『テイシー領』へと向かっていた。
ティオとエミールが最初に向かったのは、急を要する『ダンツィ領』だ。
上空から一瞥しただけで、ティオにはどこが発生源なのかが分かった。同時に、ダンツィ領の被害状況も。あちこちから火煙が上がり、死臭が漂う。後から後から虫が寄ってくるように、魔獣が飛び回りこの地に集る。
起伏のない広大な土地であることが災いしたのか、被害はファイエル領よりも甚大だった。
――順番に片付けてる暇はなさそう。
「エミール、沼から湧いてるみたい」
「――時間がないな」
「私が『巣』を片付ける間に、エミールは『人命救助』ってトコかしら?」
「…………いいか?」
「もちろん!」
巣を片付けてから現地へ向かう方が手間はない。ティオとエミールにとっては。
彼は少しだけ考えて、ティオに頼んだ。抵抗がないと言ったら嘘になる。男として、敵地に少女をたった一人で送り込むなど。しかし、そんな憂いは無意味なものであることも、分かっていた。
だから、エミールは決断を下した。
己は魔獣が集まる地へ降り、彼女は巣を叩き潰すという作成の決行を。
決断を下すが早いか、ティオは白龍を最も消耗激しい襲撃地区へ誘導する。
宙を舞う魔獣を白龍で蹴散らしながら。眼下の人々の間に、「新手が来た!」と絶望にも似た混乱が走る。エミールはそれに気づいた。
――この混乱を早急に治めなければ! という、エミールの焦りを感じ取り、ティオは現地へ急いだ。
「無理しないでよね?!」
「ああ、ティオも……!」
エミールはティオにそう言うと、勢いよく白龍から飛び降り、その地に降り立った。
――よし! 私も『巣』に急がないと! さっさと巣を叩かないと、エミール達が追い込まれる!
ティオは急いで、『巣』へ向かった。
一方、ダンツィ領の人々は、目の前の光景に衝撃を受けていた。
白龍に舞い降りてきたエミールが、ばったばったと敵をなぎ倒していくその様に。
この地の兵士や領民も同じだったのだ。ファイエル領の民達と。
魔獣に対し、手も足も出なかった。それが、エミールが登場した瞬間に敵を倒し、味方兵の体勢を立て直し、的確な指示を出し、見事、敵を退けたのだ。
彼等は歓喜に震えた。誰も彼もが命があることに感謝し、現れたエミールに感動を覚えていた。
ダンツィの領民がわきたっていた頃、ティオは再発防止のために頭をひねっていた。何かある度に、飛んでくるなんて、エミールの負担になる。
――ファイエル領の時も思ったけど、こんな普通の沼やら山やらが、瘴気の渦になるなんて、意味が分からないわ。ひとまず、対処療法とるしかないか。あっちには番犬置いたけど、こっちにも置く? この沼を埋め立てるのはまずいわよね。せいたいけい、だっけ? 学園で勉強したし! ファイエルのあの子にこっちも見廻るように言っておきますか。あの子の仲間増やすと、それはそれで新たな問題の種になりそうだし。よし……!
ティオの中で、方向性が決まった。
◇
『ダンツィ領』の問題が片付くと、次は次点で危機が迫っている『テイシー領』へ向かった。ボニファーツが向かっているのは分かっていた。念のため、様子を見に行くだけのつもりだったのだ。
しかし、彼等が手間取っているようだったので、少々手を出してしまった。
そのため最後の目的地『サヴァツ領』へ到着したのは、夕刻になってから。
ダンツィ領同様、ティオとエミールは二手に分かれ、魔獣騒動を収束させることには成功した。全てが終わった頃には、完全に日が暮れていたが……。
――そして今、ティオとエミールは領主の田園邸宅『サヴァツ邸』にいた。
急遽、夕食会が開かれることになったのだ。
これは、バルド・サヴァツがティオとエミールの二人に対して、感謝の気持ちを表したものだ。縁を結びたいという若干の下心があることも、間違いはないが。
周囲への迷惑を顧みなければ、ファイエル領へ戻る方法はいくらでもあった。
けれど、この場に止まることにしたのは、何も夕食会に出たかったからではない。空腹のティオは別として、エミールには気がかりがあった。
周囲が暗いため、被害状況の確認はできなかった。明朝、改めて確認をしたかったのだ。
サヴァツ邸で開かれている夕食会は、簡略化されたものだった。
バイキング形式で、晩餐会ほど改まったものではない。エミールのみを招待客として考えていたのなら、正餐会を催していたことだろう。今回領主は、ティオへの配慮として多少気安いバイキング形式の夕食会としていた。
今、邸内には多くの貴族が詰めかけていた。
非常事態ということで、事前連絡なしに多くの貴族が押しかけてきている。今も、執事は来客の対応に追われている。
彼等の目的は、エミールとお近づきになることだ。彼の現状を知らぬ者などいない。身なりを見れば一目瞭然だ。
だが誰もが、彼と縁を結びたがった。
エミールが貴族達の相手をしている一方で、ティオは栄養摂取に専念していた。
豪華な食事が並んでいる料理テーブルに張り付き、料理を堪能している。学園の学食メニューもとても豪華だった。約一年ぶりの豪華な食事だ。
心ゆくまで、豪華な食事を堪能したかったティオだが――邪魔が入った。
――人間の食料に興味を抱いた白龍の自己主張を感じる。
ティオが手懐けてしまったせいで、この白龍は結構簡単に人里に降りてくる。今も、「何食べてるの?」と言わんばかりに、勝手に中庭に座して、ベランダから顔を覗かせているのだ。
神の化身である白龍が放つ威圧感に、通常の人間は堪えられない。
現に、多くの貴族が腰を抜かして白龍を遠巻きにしている始末だ。
――行くわよ。行けばいいんでしょ! ちゃんとご飯あげるから、ちょっとその怖い顔、引っ込めときなさい。
最終的に、ティオは中庭にご飯を持ち出し、白龍へ餌付けをする羽目になっていた。白龍の餌付けと分かっていたのか、行き交う人々からやけに大きな食べ物をもらった。骨付きカルビだの、魚の丸焼きだの、巨大なパンだの。
「それは彼の好物なのかい?」
背後から聞こえてきたエミールの声に、ティオは驚いて振り返る。
彼が貴族連中に囲まれて、政治経済の話をしていることは知っていた。だから己の興味を料理に全振りしていたのだが。
「話はもういいの? 情報収集は終わった?」
難しい話はティオには分からない。
けれど、昼間の兵士の発言から、王家がやらかして問題が、大事になり始めているらしいことは分かった。それに関する情報をエミールが手に入れようとしていることも。表舞台に返り咲く決心はつかなくとも、現状を見過ごしておくことなど、彼にできるはずがない。
「エミール、元気ないね。何か悩み事?」
「いや、そんなことは――」
『ない』と言おうとエミールだが、ティオは『じー……』っとした視線を送り続け、追及の手を緩めない。
ついに根負けしたエミールが、ぽつりぽつりと口にし始めた。
「悩み……か。多くの民が苦境に陥っているというのに、今の俺にできることはあまりにも少なすぎる。なのに、皆は今も変わらずこの身を信じ案じ称賛までしてくれる。俺は今まで、何をやってきたのか……。こんな自分が、向けられている期待に応えられるのかと……」
「エミールでもそんなふうに思うことあるんだ……」
「ごめん、なさけないことを言っ――」
「なら、一緒に勉強できるね!」
「え?」
「いやぁ、私だんじょんとか全然分からないからさ、教えてもらわなくちゃ! って思ってたとこなんだよね」
「そうか……うん、そうだな。俺も、自分にできることから始めるとするよ」
「ん? よく分からないんだけど、それは、私と同じってこと?」
「ああ、一緒だな」
「やったぁ、えへへ……」
ティオの嬉しそうな様子に、エミールは安堵を覚えていた。
――ずっと、できることなら、このままずっとこうしていられたら、自分は幸せなのだろう。ずっと、このままでいられるように、自分に何ができるのだろう……?
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