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46.誤算3
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ヘルタ夫人が来ない間、ルイーゼの茶飲み話に付き合ってくれるのは、ほとんどがマルグリートだった。彼女が来られない場合は、別の修道女が来る。ルイーゼの元へ訪れる修道女は皆、癒やしの術を使うことができる。ルイーゼの体調に関する不安は、まだ拭えていないらしい。
ソフィアが両親に暴言を吐き散らかしたことを、ルイーゼは知らないが、教会関係者は知っている。だからこそ、ルイーゼの体調悪化を危惧して、治癒能力があるものを定期的に派遣している。
それを一切知らないルイーゼは、マルグリートの友人繋がりで治癒師ばかりがやってきているのかと思っているが。
ルイーゼはルイーゼで、教会関係者から手に入れたい情報があったから、誰が来ようともその来訪を拒むつもりはなかった。
教会が、今のエルウィンをどう思っているのか……。エルウィンがソフィアに対して、友好的とは言えない態度を取り続けていることを知っているのか……、知ってしまった場合、彼への処遇が変わったりはしないか。
そんなある日、ルイーゼはマルグリートから呼び出しを受け、大聖堂に向かうことになった。
エントランスでルイーゼを待ち受けていたマルグリートに連れられて、聖堂内にある食堂に向かう。時間が時間だからか、人影はまばらだった。
「寒い中、来てもらってごめんなさい。今日は忙しくて、そちらに向かうことができなかったものだから……」
「いえいえ、お気になさらず。この服、結構温かいので!」
ルイーゼはメイド姿でくるりと一回りして見せた。メーベルト家の使用人に対する待遇は、かなりよい部類に入る。
ズボンのように厚手の毛糸で編まれたストッキングはかなり暖かく、膝丈のメイド服にロングの編み靴を合わせるスタイルは、ルイーゼのお気に入りになりつつあった。
しばし雑談を交わしていたが、年配の修道女に呼ばれて、マルグリートが立ち上がる。
「忙しいって、何かあったのですか?」
――お手伝いの要請で呼ばれたのかな? それとも、私の体調を心配してのこと? ……両方かしら?
「聖女様のお披露目式とバザーの予定が重なってしまい、人手が足りていないようです」
マルグリートは困ったように笑う。
「お披露目……ですか。マルグリート様も参加されるのですか?」
「私は派手な政には、もう関わり合いになりたくはありませんので」
マルグリートが聖女としてどんな人生を送ったのか、退役後、今は何を考えているのか。ルイーゼには想像もつかなかった。ただ、漠然とした後悔や苦悩だけは、しっかりと伝わってくる。
ふと年配の女性を見ると、大きな麻袋二つ手に持っている。重そうには見えないけれど……。
「それは一体?」
「ああ、これは今度のバザーで使う冬物衣類ですよ」
今はオフシーズン……冬になりかけた寒い時期。
市井では本格的な冬支度はこれから始まる。そのためのバザーだ。
バサーというものを見たことがないし、興味もわいた。あの屋敷で一人、暇を持て余しているというのは精神衛生上よろしくない。
年配のシスターが、疲れたように腰を叩いたその様子を見て、軽い気持ちで名乗りをあげてみた。
「あの、何かお手伝いできることありますか?」
「いえいえ、飛んでもございません。貴族のお嬢様のお手を汚すような真似――」
メイド服姿のルイーゼの事情は、ソフィアの件と合わせて周知徹底がなされている。
「大丈夫ですよ、今の私は、誰が見てもメイドそのもの! お疲れなのではないですか? 私も作業しながら、皆さんにいろいろ聞きたいことありますし。じっとしているのも……暇なので!」
「あ……そう、ですか。では、お手数をおかけいたしますがよろしくお願いします」
「はい!」
年配の修道女は少し戸惑いを見せていたが、元々人員が不足していたのか、ルイーゼが少し強引に頼み始めると素直に頷き、ルイーゼに手伝いを依頼し始めた。
ルイーゼの空元気が、相手にしっかり伝わっていたというのも理由の一つだが、ルイーゼはそれに気づいていない。
年配の修道女の指示に従い、古いリネンが入った麻袋を倉庫から洗濯場へ運ぶ作業に取りかかる。今時は、労働者階級の者もタライで洗濯をしているわけではないが、冬場の水仕事が寒そうなことに変わりはない。
洗濯を担当している若い修道女にも、協力を申し出た方がいいかと思っていた矢先、洗濯機が故障したらしい。
――大聖堂が水浸しになってしまう!!!
「誰か、マルグリート様を呼んできてくれる?」
「私が行きます!」
「え? あ、あの……」ルイーゼが返事をすると思っていなかったのか、若い修道女が一瞬戸惑ったような顔をしつつも。「お願いします」ルイーゼ以外、余っている手はなかったようだ。
ルイーゼはマルグリートを探しあちこちを走り回っていたが、聞き込みの結果、図書室にいることが多かった。
「すみません、マルグリート様いらっしゃいますか?!」
時間がなかったので図書室の入り口で大きな声で叫ぶルイーゼ。広いけれど静寂に包まれていた図書室にその声は響き渡った。
奥から現れたのはマルグリートと……エルウィンだった。
――どうして、ここに、彼がいるの……?
予想外の人物の登場に、ルイーゼは言葉をなくす。
最後にあったのは、あの夜。騎士団に引き離されて投獄されて……そのまま二人は会うこともなく終わった。
あの夜のことを、ルイーゼは忘れたことはない。ソフィアを恨んでいないと言えば嘘になる。
「ルイーゼ様、どうかされましたか?」
固まるルイーゼにマルグリートが問いかける。慌ててマルグリートに向き直り、洗濯場のトラブルについて、彼女に告げる。
「実は洗濯場が水浸しになりそうで……」
「ああ、また精霊が悪戯をしているのね」
「え?」――精霊?
「分かりました。すぐにいきます。……ルイーゼ様、彼をお願いしても?」
「えっ?!」――エルウィンを?! マルグリート様?!
「いや、結構。知りたいことはもう分かりました。あとは退館手続きを行うのみですので、これで失礼させて頂きます」
エルウィンの低い声に、ルイーゼは思わず彼を振り返る。しかし、彼の目に自分は映っていない。そして……これから先も、映ることはないだろう。
そう……分かる。
こちらのことなんか、認識さえしていないかもしれない。自分に関する記憶を失っていると、分かっていた。それが彼のためになると思っていた。
ルイーゼを知らない彼は、彼女を振り返ることはない。どれだけ彼女が彼を見つめていたとしても、彼はもう気づかない。
ルイーゼに一瞥をくれることすらなく、エルウィンはこの場から静かに立ち去っていく。
「えっと、じゃあ行きましょうか」
ルイーゼは自分で仕切り直し、マルグリートを洗濯場へと促した。
ルイーゼは気付かなかったが、マルグリートはルイーゼの背中に、エルウィンが視線を向けていることに気づいていた。昨日と同じ、エルウィンは何の記憶もないのに。
洗濯場のトラブル要因は『精霊』などではなく、もっと単純な話だった。
魔術というのは、長時間普遍的に使用し続けていると機能障害を起こすものらしい。通常このような使い方をされないから、非常事態と言って差し支えないだろう。
洗濯場に溢れた水をホウキで外に掃き出しながら、ルイーゼはマルグリートに問いかける。
「マルグリート様、その……精霊が原因かもしれないと仰ってましたけど、そのような事ってあるのですか?」
「そうね。あの子達は……消えたがっているから、純粋な魔力には集まりやすいわね」
マルグリートの爆弾発言が、ルイーゼには理解できない。
「本能のようなものよ。エルウィン様は、精霊を亡者と称していたでしょう?」
「はい……」
「あながち間違ってはいないわ。龍神が何を考えてるかなんて、本当のところは分からないけれど……亡者の行くべき所って、一つしかないと思わない?」
「……神の御許、とかですか?」
マルグリートは明言をしない代わりに、にっこりと微笑んで見せた。
バザーの準備は、いい暇つぶしになった。忙しく働いている間は、余計なことは考えずに済んでいた。
今日、思いがけない再会を果たした、エルウィンのことを考えると……安堵と後悔が押し寄せて、今はまだ少し、胸が苦しい。
いつもの屋敷まで後数メートルという距離に来て、門の前にモークリー親子がいるのに気づいた。
――あの人達……! どうしてこんなところにいるの?!
ソフィアの暴言に、母親が暴走したわけでも、政治的な理由があるわけでもない。聖女の資格は遺伝しないため、彼女が聖女か否かよりも、貴族としての血筋や教養の有無の方が重要視される。ソフィアでは欲しいカードにはなり得ない。
シーオドア・モークリーがルイーゼに対して、想定外の執着を見せているだけだ。
――マルグリート様に相談……だめだわ、これ以上迷惑はかけられない! お兄様、こっちに来てるかしら? ……いいえ、来ていなくとも、メーベルトの町屋敷には防犯用品もあったはず! 仮住まいのあの屋敷には、本格的な防犯用品を持ち込むことはできなかったから、モークリー親子が王都に来ている以上、メーベルトの町屋敷に潜伏していた方が安全だったかも……!
ルイーゼはモークリー親子に気づかれないよう静かに後退し、メーベルト邸に向かって全速力で走りだした。
◇◆◇
事前連絡をしていなかったのだから、メーベルトの屋敷には当然鍵がかかっている。鍵がなくても入れるような設計ではないため、人目を避けつつ、門をよじ登り、中に侵入しようとしていた。
――庭に防犯用品の一つや二つはあったはず……!
あと少しで門を乗り越える事ができる――とルイーゼが油断した時、首筋に冷たく鋭利な物体が触れた。
「貴様何者だ、こんなところで何をしている」
――どう、して……エルウィンがここに……??!
触れている物が剣で、低く警戒するように響いた声がエルウィン・シュティーフェルのものであることに気づき、ルイーゼはこれ以上ないほどに動揺した。
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