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食べ終わるまで一緒にいて欲しい
しおりを挟むさすがに、もう鶏肉のレパートリーが減ってきた。なるべく顧客のニーズにこたえたいが、限度がある。ここに来る前も、同僚のおばちゃんたちに相談しながら今日の献立を決めたが、慧のレパートリーに限界が来ていた。ローテーションを組むか、この辺で豚肉や牛肉を使っても良いか、相談しなければならならない。風呂場の事もそうだ。最低でも後一時間は放置をした方が良い。
だが、こちらから話しかけるのが気が重く、慧は淡々と料理だけを進めていた。
ただ、作業をすれば行程が進む。当たり前の事だ。今日の料理も終わりを迎えはじめていた。あとは、フライパンから皿に盛りつけるだけだ。
こちらを試すようなコマンドさえなければ、ここまで心にしこりを残さなければ、こんな風に気まずくならなかったのに。
しらずのうちに溜息を吐いて、料理は終わった。
龍士郎は、昨日までさんざん料理中に近づくなと言ったかいがあったのか、それとも仕事に集中しているだけか、ちょっかいを出される事無く、おかげで今日に限ってスムーズに終わってしまった。多少時間が残っているが、今日は、仕方ない。そう、仕方ないんだ。帰ろう。
慧は今日何度目かの自分への言い訳をして、キッチンから顔を上げた。
「龍士郎さま。夕食が出来上がりましたが、どうされますか」
慧が呼びかけると、ハッとして龍士郎が顔を上げた。その表情は、仕事の集中を切らされた、というより慧から呼びかけがあるのを待ちわびていたようだった。
その顔に、勢いに慧がビクッとする。
「あ、えっと、そうだね。暖かい内に、食べようかな」
「はい」
龍士郎の返答を受け、慧は出来上がった料理をダイニングテーブルに並べていく。なんか見られているな、と思っていはいたが、不意に、
「あのさ、慧くん。良かったら食べ終わるまで一緒にいてくれない? 誰かと一緒に食事するの、久しぶりなんだ」
「え?」
龍士郎からそう言われた。ビックリして、思わず手が止まった。
その業務は、家事代行サービスには含まれていない。時間も、余裕を持って終わったとはいえ、龍士郎の食事が終わるのを待っていたら、過ぎてしまう。断って良い提案だ。
だが、先ほどの風呂場の事もそうだし、献立の事も相談しなければならない。丁度いい機会といえば、機会である。
困っている様子の慧に向かって、龍士郎は、お願い、と言った。心臓に、嫌な動悸は、走らなかった。
「いや~、慧くんのご飯って、なんかこう、素朴だけど美味しいよね。毎日食べたいというか、こう、凄く特別ってわけじゃなくて、日常に寄り添ってるっていうか」
「はあ……ありがとう、ございます」
お願い、を何故か断れず、こうして同じダイニングテーブルに座っているが、正面の龍士郎が先ほどからやけにこちらの事を褒めてきて、慧は困っていた。
龍士郎は慧の作った夕食を食べ、慧はお茶を飲んでいる。
何の時間だ、これ。龍士郎の意図がわからない。いや、意図すらないのか。ただひたすら、困惑しながら謙遜しながら、賛辞を聞くしかない時間を慧は耐えていた。それが、嫌じゃないから、また困っていた。
「……あの、龍士郎さま」
話好きなのであろう龍士郎が、少し黙った時、もうここしかないと意を決して慧は口をはさんだ。
「うん、なぁに?」
それに応える龍士郎は、全く迷惑だとか不快という感情を表さず、逆に少し嬉しそうに応えた。それに幾分ホッとしながら、口を開いた。
「今、お風呂場に防カビの薬品を塗布してまして、あと、そうですね二時間ほど水に濡らさないで欲しいんです。お風呂の時間遅くなりますが、大丈夫そうですか?」
「ああ、そういう事? うん、大丈夫だよ。オレ、だいたい深夜か朝しか入らないから。ありがと」
雇用主のライフサイクルに影響を及ぼさなかった事に安堵し、掃除の礼にまた照れた。少し俯いてしまう。だが、もう一つ聞かなければならない事がある。照れてなかなか龍士郎を見れないが、少し息を吐いて顔を上げた。ニコッと、笑う龍士郎と目が合って、ビクッとした。心臓が跳ねる。
「あと、そろそろ鶏肉から他の肉類や魚に移行をしていってもよろしいですか? 何か希望があれば、仰っていただければ、なるべく対応させて頂きます」
それを悟らせないように、あえてもっと事務的に言葉を発する。すると、龍士郎は何かを考えたあと、最後の一口を食べ終え、またニコッと笑った。初日の、あのモサモサ警戒心丸出しの人間と、本当に同じ人間なのだろうかと疑ってしまう。
「君が作ってくれるなら、何でも良いよ。ごちそうさま」
世の旦那に言われたら妻が切れそうな解答をしてくるが、仕事として聞くならこれほどありがたい事はない。
「ありがとうございます」
ホッとしてつい、微笑みがこぼれた。龍士郎が笑っているから、というのもあるのだろうか。慧は自分の表情が緩んだのに気づいて、キュッと表情を真面目なものに戻した。その様子を見ていた龍士郎は、眉を下げて苦笑した。
「慧くん、あのさ」
「はい」
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