鬼の花嫁は役行者に隷属契約されました~

藤森瑠璃香

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第一話:鬼の子と呼ばれて

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 降り続く冷たい雨が、古びた家の隙間から容赦なく入り込み、朱音(あかね)の痩せた肩を濡らした。もう何度目になるか分からない溜息が、白い息と共に漏れる。ここは、人里離れた山間の村。そして朱音は、この村でたった一人の「鬼の子」だった。

 朱音の記憶にある母は、いつも優しく、けれどどこか儚げな人だった。父のことは何も知らない。母が言うには、山で出会い、短い間だけ共に過ごしたのだという。その父が鬼であったのか、あるいは鬼の血を引く者であったのか、真実は定かではない。ただ、朱音にはその証が生まれつき備わっていた。そして、その証こそが、彼女をこの村で孤独にした元凶だった。

 母が病で世を去ってから、朱音の世界は色を失った。村人たちの態度はあからさまに冷たくなり、侮蔑と忌避の視線が常に突き刺さる。「鬼の子め」「穢れたやつ」「近寄るな」。投げつけられる言葉は鋭利な刃物のように心を抉り、時には石や泥が飛んでくることもあった。食事は残飯同然のものが時折与えられるだけ。幼い身には過酷な労働が押し付けられ、満足に眠る暇もない。

(今日も、誰も口を利いてくれなかった……)

 泥まみれの着物の裾を握りしめる。悲しいのか、悔しいのか、もう自分でもよく分からない感情が胸の奥で渦巻いていた。ただ、冷たい雨のように、心が凍えていくのを感じるだけ。このまま、誰にも受け入れられず、顧みられず、朽ちていくのだろうか。そんな諦めにも似た思いは、十六歳の少女には重すぎた。

 そんな朱音にも、たった一つ、温かな光があった。村の鍛冶屋を営む、佐吉とハナの若い夫婦だ。二人は朱音の母の数少ない友人であり、母亡き後も、密かに朱音を気遣ってくれていた。

「朱音ちゃん、これ、少しだけど…」
 夜陰に紛れ、ハナがそっと握らせてくれる握り飯の温かさ。
「無理するなよ。何かあったら、俺たちに言うんだぞ」
 ぶっきらぼうだが優しい佐吉の声。
 彼らは、村八分にされる危険を冒してまで、朱音に手を差し伸べてくれる唯一の存在だった。その優しさが身に染みるほど、朱音は申し訳なさで胸が苦しくなる。自分のせいで、二人に迷惑をかけてはいけない。だから、どんなに辛くても、彼らの前では努めて笑顔を見せるようにしていた。

 その日も、朱音は村の広場で、子供たちに石を投げつけられていた。
「鬼の子だー!」「あっち行け!」
 無邪気な残酷さが、朱音の心をじわりと蝕む。大人たちは見て見ぬふりをするか、あるいは一緒になって嘲笑うだけ。

「こら!お前たち、なんてことを!」

 駆けつけてくれたのは、やはり佐吉だった。彼は朱音を庇うように立ち、子供たちを叱りつけた。しかし、近くにいた村の男が、唾を吐き捨てるように言った。
「佐吉、てめえ、いつまで鬼の子なんぞ庇ってやがる。お前ら夫婦もグルだと思われんぞ」
「なんだと!」
 掴みかかろうとする佐吉を、後から来たハナが必死に止める。朱音は唇を噛み締め、俯くことしかできなかった。自分のせいで、優しい二人が悪く言われる。それが何より辛かった。

「……もう、いいんです。私なら、大丈夫ですから……」
 消え入りそうな声で言うと、朱音はその場から逃げるように走り去った。背中に突き刺さる村人たちの冷たい視線を感じながら。

 あばら家同然の自分の家に駆け込み、戸を閉める。外の雨音が、まるで自分の嗚咽のように聞こえた。膝を抱え、ただひたすらに嵐が過ぎるのを待つ。そんな時だった。

(……そういえば、さっき村の女たちが話していた)

 隣村に、不思議な力を持つ「術師」が来ているらしい、と。
 その術師は、どんな病も癒し、呪いすら解くほどの力を持っているのだという。村人たちは、半信半疑ながらも、どこか期待するような口ぶりで噂していた。

(術師様……)

 その言葉が、朱音の心に小さな灯をともした。
 もし、本当にそんな力を持つ人なら。もしかしたら。

(私の、この……)

 ごくりと唾を飲み込む。震える手で、いつも髪の生え際を隠している古びた髪飾りをそっと外した。近くにあった水桶に溜まった雨水に、自分の顔を映し出す。

 そこに映っていたのは、怯えた赤い瞳を持つ、痩せた少女の顔。そして――額の右側、髪の下に隠れていた、小さな、小さな桜色の突起。

 一本の角。

 鬼の子であることの、動かぬ証。
 忌むべき存在であることの、消せない烙印。

(この角さえなければ……)

 もし、この角がなくなったら?
 私も、普通の人間の女の子として、生きていけるのだろうか。
 村の人たちに怯えず、佐吉さんやハナさんに心配をかけず、ただ穏やかに……。

「術師様……」

 掠れた声で、再びその言葉を呟く。
 隣村に行けば、会えるのだろうか。会って、お願いすれば、この忌まわしい角を消してくれるのだろうか。

 淡い、けれど切実な希望が、凍てついた朱音の心に、ほんの少しだけ熱を帯びさせた。
 雨は変わらず、降り続いている。が、今はもう、ただの雨音としか聞こえない。
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