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第五話:別れと道行き、そして銀髪の鬼
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役小角(えんのおづぬ)の「行くぞ」という声に、朱音(あかね)は弾かれたように顔を上げた。村人たちは、彼の威圧感に気圧されたまま、道を開けている。もう、ここにはいられない。朱音は唇を噛み締め、ふらつく足取りで役小角の後を追おうとした。
「朱音ちゃん!」
悲痛な声と共に、ハナさんが駆け寄ってきた。その後ろから、傷ついた体を引きずるようにして佐吉さんも続く。
「待っておくれ、朱音ちゃん! 本当に、あの人について行くのかい?」ハナさんの瞳が不安に揺れている。「あんな……奴隷だなんて……酷いことを言う人のところに……」
「そうだぞ、朱音。俺たちが、なんとか……」佐吉さんも苦しげに言葉を継ぐ。
二人の温かい心遣いが、痛いほど胸に染みた。この村で、唯一人間として接してくれた二人。離れがたい気持ちでいっぱいになる。けれど、もう決めたのだ。それに、自分がここにいては、きっとまた二人に迷惑がかかる。
朱音は、込み上げる涙を必死にこらえ、精一杯の笑顔を作って二人に向き直った。
「ハナさん、佐吉さん……今まで、本当に、ありがとうございました」
深く、深く頭を下げる。感謝してもしきれない。
「でも、私は行きます。この方は……怖そうに見えるけど、きっと悪い人じゃない、と思うから……。だから、大丈夫です」
大丈夫なはずがない。けれど、そう言うしかなかった。二人に心配をかけたくない一心で、朱音はもう一度微笑む。その笑顔が、ひどく歪んでいることに気づかないふりをして。
「朱音ちゃん……」ハナさんが涙ぐむ。佐吉さんは、悔しそうに拳を握りしめていた。
名残惜しさを振り切るように、朱音は再び役小角の後を追う。もう、振り返らない。振り返ってしまえば、決意が鈍ってしまうから。
こうして、朱音は生まれ故郷の村を、今度こそ本当に後にした。
役小角との二人きりの旅が、再び始まった。
先ほどの騒動が嘘のように、道中は静かだった。ただ、風の音と、二人の草を踏む音だけが聞こえる。役小角は何も語らず、前だけを見て黙々と歩いている。朱音も、何と声をかけて良いか分からず、気まずい沈黙だけが流れた。
秋の陽光が木々の間から降り注ぎ、山々は赤や黄色に色づき始めていた。澄んだ空気が心地よい。昨日までいた、あの息苦しい村とは違う、広々とした世界。けれど、朱音の心はまだ、不安と戸惑いでいっぱいだった。
(これから、どうなるんだろう……本当に、奴隷として……?)
ちらりと前を歩く役小角の背中を見る。白い狩衣を纏ったその後ろ姿は、やはりどこか人間離れして見えた。
ふと、彼が歩く速度を少し緩めたことに気づく。朱音の短い歩幅に合わせてくれているのだろうか。だとしたら、それは彼なりの気遣いなのかもしれない。そう思うと、少しだけ胸のあたりが温かくなるような気がした。
日が暮れかかり、二人は道端で焚き火をおこして野宿の準備を始めた。役小角は手際よく火をおこし、朱音は鞄からなけなしの干し飯を取り出す。
「あの……これしかありませんが……」
おずおずと差し出すと、役小角は一瞥し、「……こんなものか」と呟いたが、黙って受け取って口にした。朱音も自分の分を食べる。味など、ほとんどしなかったけれど。
パチパチと火が爆ぜる音だけが響く中、不意に役小角が口を開いた。
「貴様のその角は、いつからその大きさなのだ?」
「え?」
「鬼の力は、どの程度自覚している? 妖気はどの範囲まで感じ取れる?」
矢継ぎ早に、淡々とした口調で質問が飛んでくる。まるで、研究対象を観察するような口ぶりだ。朱音は戸惑いながらも、一つ一つ正直に答えた。
「生まれた時から……大きさは、あまり変わらない、と……思います」「力は……よく分かりません。ただ、嫌な感じがするとか……人が怖い顔をしているとか……そういうのが、分かる時が……」
役小角は、朱音の言葉を聞きながら、じっと彼女の赤い瞳を見つめていた。その黒い瞳の奥に、どんな感情が隠されているのか、朱音には読み取れない。ただ、彼の視線には、単なる好奇心だけではない、何か別のものが含まれているような気がして、妙に落ち着かなかった。
まだ、この人のことは何も分からない。
恐ろしい人なのか、それとも……。
けれど、あの絶望的な状況から自分を連れ出してくれたのは、紛れもなく彼だった。今はただ、彼についていくしかないのだ。
そんなぎこちない旅が数日続いたある日。
役小角は、険しい山道を指さして言った。
「ここを登るぞ。少し骨が折れるがな」
「え……?」
「俺の連れが、この先で待っている」
「連れ……?」朱音は驚いた。彼は一人で旅をしているのではなかったのか。「奴隷」と言っていたけれど、他にもいるのだろうか。
疑問を抱きながらも、朱音は役小角に従って山道を登り始めた。普段使われていないのか、道は荒れていて歩きにくい。それでも、役小角は驚くほど軽々と登っていく。朱音も必死に食らいついた。
山の中腹まで来た時、視界が開け、古びた小さな庵が見えてきた。静かで、どこか俗世から切り離されたような場所だ。
そして、その庵の前に、一人の男が静かに佇んでいるのが見えた。
朱音は、息を呑んだ。
そこに立っていたのは、人間ではなかった。
天を衝くような長身に、鍛え上げられた屈強な体躯。陽光を浴びてキラキラと輝く、腰まで届きそうな白銀の髪。そして、一度見たら忘れられないであろう、射抜くように鋭い金色の瞳。
何より目を引いたのは、その額から力強く伸びる、二本の艶やかな黒い角だった。隠すそぶりもなく、それは彼の強大な力の象徴のように存在感を放っていた。
荒々しくも精悍な、人間離れした美貌。寡黙に立っているだけなのに、その存在感は圧倒的で、思わず後退りしそうになる。
(鬼……? この人も、役小角様の……?)
銀髪の男は、役小角の姿を認めると、その場に深く頭を垂れ、恭しく片膝をついた。その動作は、絶対的な忠誠を示している。
「――主(あるじ)、お待ちしておりました」
低く、けれどよく通る声が響く。
役小角は、その忠実な鬼(であろう男)の前に立つと、鷹揚に頷いた。
「うむ、待たせたな、義王」
義王――そう呼ばれた男は、顔を上げないまま控えている。
朱音は、目の前で繰り広げられる光景と、新たに現れた強大な存在に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「朱音ちゃん!」
悲痛な声と共に、ハナさんが駆け寄ってきた。その後ろから、傷ついた体を引きずるようにして佐吉さんも続く。
「待っておくれ、朱音ちゃん! 本当に、あの人について行くのかい?」ハナさんの瞳が不安に揺れている。「あんな……奴隷だなんて……酷いことを言う人のところに……」
「そうだぞ、朱音。俺たちが、なんとか……」佐吉さんも苦しげに言葉を継ぐ。
二人の温かい心遣いが、痛いほど胸に染みた。この村で、唯一人間として接してくれた二人。離れがたい気持ちでいっぱいになる。けれど、もう決めたのだ。それに、自分がここにいては、きっとまた二人に迷惑がかかる。
朱音は、込み上げる涙を必死にこらえ、精一杯の笑顔を作って二人に向き直った。
「ハナさん、佐吉さん……今まで、本当に、ありがとうございました」
深く、深く頭を下げる。感謝してもしきれない。
「でも、私は行きます。この方は……怖そうに見えるけど、きっと悪い人じゃない、と思うから……。だから、大丈夫です」
大丈夫なはずがない。けれど、そう言うしかなかった。二人に心配をかけたくない一心で、朱音はもう一度微笑む。その笑顔が、ひどく歪んでいることに気づかないふりをして。
「朱音ちゃん……」ハナさんが涙ぐむ。佐吉さんは、悔しそうに拳を握りしめていた。
名残惜しさを振り切るように、朱音は再び役小角の後を追う。もう、振り返らない。振り返ってしまえば、決意が鈍ってしまうから。
こうして、朱音は生まれ故郷の村を、今度こそ本当に後にした。
役小角との二人きりの旅が、再び始まった。
先ほどの騒動が嘘のように、道中は静かだった。ただ、風の音と、二人の草を踏む音だけが聞こえる。役小角は何も語らず、前だけを見て黙々と歩いている。朱音も、何と声をかけて良いか分からず、気まずい沈黙だけが流れた。
秋の陽光が木々の間から降り注ぎ、山々は赤や黄色に色づき始めていた。澄んだ空気が心地よい。昨日までいた、あの息苦しい村とは違う、広々とした世界。けれど、朱音の心はまだ、不安と戸惑いでいっぱいだった。
(これから、どうなるんだろう……本当に、奴隷として……?)
ちらりと前を歩く役小角の背中を見る。白い狩衣を纏ったその後ろ姿は、やはりどこか人間離れして見えた。
ふと、彼が歩く速度を少し緩めたことに気づく。朱音の短い歩幅に合わせてくれているのだろうか。だとしたら、それは彼なりの気遣いなのかもしれない。そう思うと、少しだけ胸のあたりが温かくなるような気がした。
日が暮れかかり、二人は道端で焚き火をおこして野宿の準備を始めた。役小角は手際よく火をおこし、朱音は鞄からなけなしの干し飯を取り出す。
「あの……これしかありませんが……」
おずおずと差し出すと、役小角は一瞥し、「……こんなものか」と呟いたが、黙って受け取って口にした。朱音も自分の分を食べる。味など、ほとんどしなかったけれど。
パチパチと火が爆ぜる音だけが響く中、不意に役小角が口を開いた。
「貴様のその角は、いつからその大きさなのだ?」
「え?」
「鬼の力は、どの程度自覚している? 妖気はどの範囲まで感じ取れる?」
矢継ぎ早に、淡々とした口調で質問が飛んでくる。まるで、研究対象を観察するような口ぶりだ。朱音は戸惑いながらも、一つ一つ正直に答えた。
「生まれた時から……大きさは、あまり変わらない、と……思います」「力は……よく分かりません。ただ、嫌な感じがするとか……人が怖い顔をしているとか……そういうのが、分かる時が……」
役小角は、朱音の言葉を聞きながら、じっと彼女の赤い瞳を見つめていた。その黒い瞳の奥に、どんな感情が隠されているのか、朱音には読み取れない。ただ、彼の視線には、単なる好奇心だけではない、何か別のものが含まれているような気がして、妙に落ち着かなかった。
まだ、この人のことは何も分からない。
恐ろしい人なのか、それとも……。
けれど、あの絶望的な状況から自分を連れ出してくれたのは、紛れもなく彼だった。今はただ、彼についていくしかないのだ。
そんなぎこちない旅が数日続いたある日。
役小角は、険しい山道を指さして言った。
「ここを登るぞ。少し骨が折れるがな」
「え……?」
「俺の連れが、この先で待っている」
「連れ……?」朱音は驚いた。彼は一人で旅をしているのではなかったのか。「奴隷」と言っていたけれど、他にもいるのだろうか。
疑問を抱きながらも、朱音は役小角に従って山道を登り始めた。普段使われていないのか、道は荒れていて歩きにくい。それでも、役小角は驚くほど軽々と登っていく。朱音も必死に食らいついた。
山の中腹まで来た時、視界が開け、古びた小さな庵が見えてきた。静かで、どこか俗世から切り離されたような場所だ。
そして、その庵の前に、一人の男が静かに佇んでいるのが見えた。
朱音は、息を呑んだ。
そこに立っていたのは、人間ではなかった。
天を衝くような長身に、鍛え上げられた屈強な体躯。陽光を浴びてキラキラと輝く、腰まで届きそうな白銀の髪。そして、一度見たら忘れられないであろう、射抜くように鋭い金色の瞳。
何より目を引いたのは、その額から力強く伸びる、二本の艶やかな黒い角だった。隠すそぶりもなく、それは彼の強大な力の象徴のように存在感を放っていた。
荒々しくも精悍な、人間離れした美貌。寡黙に立っているだけなのに、その存在感は圧倒的で、思わず後退りしそうになる。
(鬼……? この人も、役小角様の……?)
銀髪の男は、役小角の姿を認めると、その場に深く頭を垂れ、恭しく片膝をついた。その動作は、絶対的な忠誠を示している。
「――主(あるじ)、お待ちしておりました」
低く、けれどよく通る声が響く。
役小角は、その忠実な鬼(であろう男)の前に立つと、鷹揚に頷いた。
「うむ、待たせたな、義王」
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