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第一章 宴のあと
05.寵の為に
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「わたくしたちは……殿下のお気持ち次第なのです。ですから、殿下のお気持ちが離れるよりは、兄上が、お仕えして下さったほうが、よほど良いのです。それに、今は、貴《あて》な方は、皆、兄上のような美々しいおのこを侍らせていると聞きますわ。殿御同士で、おのこを取り合って大げんかをしたということまで聞こえて参りますもの」
白露の言葉は、たしかだった。
たしか、先月。こともあろうに内裏で、愛人の少年を巡って、左馬頭と少将が殴り合いの喧嘩になったというのは、聞こえてきた。
「まさか、白露まで知っているとは。邸からでないのに、どうして知っているのです」
「あら、あなたこなたから、文が参りますのよ。わたくしたち、女は、あちこちで繋がってやりとりしておりますの。……ですから、どこの殿御がどこへお通いだとか、そういう話は、すぐに入ってきますわ」
それは、真雪がどこかへ通うようになったら、筒抜けと言うことだろうかと思えば、ぞっとする。
ふいに、真雪の脳裏を、朧月夜の方が過った。
あの方は、誰であったのか―――また、会うことはあるのだろうか。そんなことを、ふと思ってしまう。
「兄上? どうかなさいまして?」
「あ……いや、その」
朧月夜の方を知っているか、と聞きたくても、何の手がかりもない。ただ、不審そうにしている白露の手前、何かを聞かなければならなかった。
「その……、愛宕の方のお世話している方のうちに、産み月に入っている方が居るという話を、小耳に挟んだのだけれど……」
「愛宕の方? ……ああ、それでしたら、彼のお方の妾の一人が、そろそろご出産と言うことで……周りの方は、男《お》の子が産まれないかと期待をしていると、聞いておりますけれど」
「男の子が産まれたら……」
「当今様の、次の帝候補になることでしょうね。……であれば、殿下は、無事にお子様が生まれることも、恐ろしいことでしょう。帝が、もしその子に移れば……愛宕の方は、帝の父。そうなれば、一気に、政が変わりましょう」
まさか、愛宕の方の妾という方に、危害を加えるようなことはしていないだろうが、そういうこともあり得るのだ。直接、邸に人を紛れ込ませて何かをすることもできよう。修法をして、呪うことも出来よう。
まじないや呪いは禁じられているため、おおっぴらに行われることはないだろうが……自分の望みのために、関白が何かをするのは、考えられる。
「ああ、いやだ。兄上……こんな辛気くさい話をするつもりはありませんの。関白殿下はのご様子を窺いたかっただけよ。そろそろ、いらっしゃる頃だろうから……なにか楽しんで頂く為に、思案しなければならないの」
「白露と過ごせば、それだけで楽しいひとときではないのかな」
「兄上、関白殿下は、常のことでは大変張り詰めて気を遣っていらっしゃるの。せめて、わたくしの所に来た時だけでも、そういった浮世の些末のことを忘れて頂かなければ、こんな、みすぼらしい家に価値はないでしょう……いっそ、わたくしと、兄上と、二人そろって寝所にお仕えしたいくらいです」
「そ、それは、私の方が、勘弁してほしいよ」
その、あまりにも不埒な企みを聞かせれば、関白は嬉々として、それを行うだろう。そして、たしかに、それは、他の妾には出来ないもてなしになるはずだった。
「私は、お前が、少しだけ空恐ろしく思えるよ」
「あら、わたくしは、殿下のお心をつなぎ止めるためであれば、何でもするわ。兄上にも、そろそろ、そのくらいの覚悟が必要でしてよ? いつまでも父上も若くはないのですから、いずれこの家を継ぐとして、よりいっそう、殿下にお仕えせねば」
思わぬお小言をくらい、意気消沈しかけた時に、老女が音もなく現れて「若君」と文を渡した。関白からのものであった。
「あら、殿下からのお文ね。何かしら」
白露が気が付いたのは、文から漂う薫りのせいだろう。懐に忍ばせれば、小袖にまで香りが移るほど、強く、香がたきしめられている。
「ご用なのかな」
もし、ご用があれば、一度着替えて、すぐにでも関白邸に戻る必要がある。急いで文を開けると、美しい料紙に、関白自らの手跡で、さらりと一文だけ書かれていた。
今しがた別れたばかりなのにまた、肌が恋しい。今日の夜に、またおいで。
あけすけな一文に、顔が熱くなる。
「あら、兄上、何のご用でしたの?」
「今日の夜は、また、お側にお仕えすることになりそうだよ」
「まあ、それは良かったわ。……ああ、そうだ。兄上の為に、小袖を縫っておいたの。せっかくのお召しなのだから、万全にお支度なさると良いわ。わたくしが香をたきしめておきましょうか?」
その時は、きっと、白露は自分の好みの香をたきしめて、真雪を関白の寝所へ向かわせるのだろう。
「いや、時間もあるから、その間に、たきしめておくよ」
「なら、あとで、兄上の所まで、小袖を持たせますから」
「ああ。……私も、丁度、良い紙があるから、使いの者に渡すことにするよ」
「まあ、ありがとうございます」
白露は裁縫の名人といって差し支えない腕前だった。生地と糸さえあれば、小袖など一刻ほどで縫い上げてしまう。
新しい小袖は、袖を通すだけで気分が良いものだが、その時、真雪は、はた、と気が付いた。
今、真雪が来ている小袖は―――朧月夜の方と、交換したもののはず、だった。
指先が、冷たくなった。
白露の言葉は、たしかだった。
たしか、先月。こともあろうに内裏で、愛人の少年を巡って、左馬頭と少将が殴り合いの喧嘩になったというのは、聞こえてきた。
「まさか、白露まで知っているとは。邸からでないのに、どうして知っているのです」
「あら、あなたこなたから、文が参りますのよ。わたくしたち、女は、あちこちで繋がってやりとりしておりますの。……ですから、どこの殿御がどこへお通いだとか、そういう話は、すぐに入ってきますわ」
それは、真雪がどこかへ通うようになったら、筒抜けと言うことだろうかと思えば、ぞっとする。
ふいに、真雪の脳裏を、朧月夜の方が過った。
あの方は、誰であったのか―――また、会うことはあるのだろうか。そんなことを、ふと思ってしまう。
「兄上? どうかなさいまして?」
「あ……いや、その」
朧月夜の方を知っているか、と聞きたくても、何の手がかりもない。ただ、不審そうにしている白露の手前、何かを聞かなければならなかった。
「その……、愛宕の方のお世話している方のうちに、産み月に入っている方が居るという話を、小耳に挟んだのだけれど……」
「愛宕の方? ……ああ、それでしたら、彼のお方の妾の一人が、そろそろご出産と言うことで……周りの方は、男《お》の子が産まれないかと期待をしていると、聞いておりますけれど」
「男の子が産まれたら……」
「当今様の、次の帝候補になることでしょうね。……であれば、殿下は、無事にお子様が生まれることも、恐ろしいことでしょう。帝が、もしその子に移れば……愛宕の方は、帝の父。そうなれば、一気に、政が変わりましょう」
まさか、愛宕の方の妾という方に、危害を加えるようなことはしていないだろうが、そういうこともあり得るのだ。直接、邸に人を紛れ込ませて何かをすることもできよう。修法をして、呪うことも出来よう。
まじないや呪いは禁じられているため、おおっぴらに行われることはないだろうが……自分の望みのために、関白が何かをするのは、考えられる。
「ああ、いやだ。兄上……こんな辛気くさい話をするつもりはありませんの。関白殿下はのご様子を窺いたかっただけよ。そろそろ、いらっしゃる頃だろうから……なにか楽しんで頂く為に、思案しなければならないの」
「白露と過ごせば、それだけで楽しいひとときではないのかな」
「兄上、関白殿下は、常のことでは大変張り詰めて気を遣っていらっしゃるの。せめて、わたくしの所に来た時だけでも、そういった浮世の些末のことを忘れて頂かなければ、こんな、みすぼらしい家に価値はないでしょう……いっそ、わたくしと、兄上と、二人そろって寝所にお仕えしたいくらいです」
「そ、それは、私の方が、勘弁してほしいよ」
その、あまりにも不埒な企みを聞かせれば、関白は嬉々として、それを行うだろう。そして、たしかに、それは、他の妾には出来ないもてなしになるはずだった。
「私は、お前が、少しだけ空恐ろしく思えるよ」
「あら、わたくしは、殿下のお心をつなぎ止めるためであれば、何でもするわ。兄上にも、そろそろ、そのくらいの覚悟が必要でしてよ? いつまでも父上も若くはないのですから、いずれこの家を継ぐとして、よりいっそう、殿下にお仕えせねば」
思わぬお小言をくらい、意気消沈しかけた時に、老女が音もなく現れて「若君」と文を渡した。関白からのものであった。
「あら、殿下からのお文ね。何かしら」
白露が気が付いたのは、文から漂う薫りのせいだろう。懐に忍ばせれば、小袖にまで香りが移るほど、強く、香がたきしめられている。
「ご用なのかな」
もし、ご用があれば、一度着替えて、すぐにでも関白邸に戻る必要がある。急いで文を開けると、美しい料紙に、関白自らの手跡で、さらりと一文だけ書かれていた。
今しがた別れたばかりなのにまた、肌が恋しい。今日の夜に、またおいで。
あけすけな一文に、顔が熱くなる。
「あら、兄上、何のご用でしたの?」
「今日の夜は、また、お側にお仕えすることになりそうだよ」
「まあ、それは良かったわ。……ああ、そうだ。兄上の為に、小袖を縫っておいたの。せっかくのお召しなのだから、万全にお支度なさると良いわ。わたくしが香をたきしめておきましょうか?」
その時は、きっと、白露は自分の好みの香をたきしめて、真雪を関白の寝所へ向かわせるのだろう。
「いや、時間もあるから、その間に、たきしめておくよ」
「なら、あとで、兄上の所まで、小袖を持たせますから」
「ああ。……私も、丁度、良い紙があるから、使いの者に渡すことにするよ」
「まあ、ありがとうございます」
白露は裁縫の名人といって差し支えない腕前だった。生地と糸さえあれば、小袖など一刻ほどで縫い上げてしまう。
新しい小袖は、袖を通すだけで気分が良いものだが、その時、真雪は、はた、と気が付いた。
今、真雪が来ている小袖は―――朧月夜の方と、交換したもののはず、だった。
指先が、冷たくなった。
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