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第一章 宴のあと
06.執着
しおりを挟む関白邸で、主と朝から戯れたあと、自邸に戻った今、真雪が来ている小袖は、自分のものではなかった。
いままでその事実を忘れていた真雪は、血の気が引いて行くのを感じていた。
今着ている小袖は、朧月夜の方のものだ。後朝として交換したもので、勿論、あの方の薫りが染みついている。
―――もしかしたら……。
関白は、この薫りに気付いていたかも知れない。もし、気付いていたとしたら、真雪が、宴の折に何をしていたのか、理解しているということだろう。
部屋へ帰って、装束を脱ぐ。小袖を手に取って、確かめる。真雪が使っているものより、数段上等な絹だった。関白の移り香があるので、よく解らないが、うっすらと、あの朧月夜の方の薫りを感じる。
―――きっと、気付いておいでだ……。
けれど、だとしたら、なぜ、朝から戯れるようなことをしたのか……。そもそも、関白が、しばらく夜離れていたのが原因で、真雪も他の男に身を委ねたのだ。昨夜も、宴のあとは、明君を寝所に召しただろう。
考えるが、主の心の内は、よく解らない。
他の男と過ごしたことが解れば、真雪をうち捨てるようなことはしても、……たとえば内裏で殴り合いの喧嘩になった左馬頭と少将のようなことはしないだろうと、思っていた。
妹、白露は、あの関白を喜ばせるためならば、どのようなことでもするつもりのようだった。兄妹ならべて、寝所へお仕えしても良い……などと、尋常ではないことを言ったものである。
「あっ」
おもわず、真雪は声に出していた。もしかしたら、白露の所に、関白から文が行ったのではないだろうか。真雪に、よく仕えるようにと、念を押されたとか、そういうことはないだろうか。あり得ないことではない。
「だれか」
と真雪は女房を呼んで、白露に仕える老女を呼びつける。程なくやってきた老女は、御簾越しから真雪に声を掛けた。
「お召しでしょうか、若君」
「ああ、……もしや、白露の所に、関白殿下から、なにかしらせでも行ったのではないかと思ってね。おまえは、何かを知らないか?」
やや、間があった。
「……どうして、そう、思われます」
「いや、白露が、やけに、関白殿下にお仕えするのを張り切っていたから……」
はっきりと、言うことは出来ずに、語尾が濁った。
「まあ、それは、常のことでしょう。殿下のお世話になっている身ですから、心を尽くして殿下にお仕えせねばなりません」
「いや、だからといって、あのような……小言めいたことを、今までは私に言わなかっただろう?」
「小言」
ころころ、と老女は笑う。
「なにか、おかしいか?」
「いいえ、何にも……。ただ、そうですわね。存外、殿御というのは、見苦しい嫉妬をするものですから……自分のものだと思っていたのが、あちこちにふらふらしているようでは、気が休まらぬのでしょう」
確信した。関白は、白露に、真雪のことを告げたのだ。
「ふらふら、しているように見えるかな」
「さあ、わたくしにはなんとも。けれど、見る人が見れば、ふらふらとして見えるのでしょうから、もし、なんにもないようであれば、心を尽くして解って頂くほか有りますまいね」
老女の言葉に「たしかに、それしか有るまいな」とだけ告げて、返す。
別の男と、関係を持ったことを―――少なくとも、関白は、不愉快に思っている。それで、この所、夜離れていたのが……急に召し出されるようになったのだから、よく解らないが、それが、嫉妬のせいだといえば、納得は出来る。
たとえば、自分のものが、他の誰かに使われて不愉快に思うような類いの嫉妬だろうが……それでも、嫉妬されるとは思わなかった真雪は、意外でたまらない心地だった。
どうするか。
しばし思案している間に、うとうと、とまどろみはじめた。そういえば、明け方に少し休んだだけでそのあとは、また、関白と戯れていた。大分、疲弊していた真雪は、身体が、ゆっくりと重たい泥の中に沈んでいくような感覚を味わいながら、深い眠りに落ちていった。
黄昏時になって、支度をおえた真雪は、関白の邸へ向かった。
泥のように眠っていたため、頭は冴えているような気がするが、気は重い。関白の心が解らないだけに、どうすれば良いかも解らなかった。
今まで、真雪は通った女もいなければ、関白の肌しか知らなかった。朧月夜の方と関係を持ったのも、ただの偶然で、魔が差したようなものだ。なんとなく、どんな方だったのか、もう一度あってみたいとは思うが、それ以上ではない。
なにより、家の浮沈の掛かったことだけに、関白の心から離れるようなことをするわけには行かないという事情もある。
関白は、邸の私室にいた。畳をしいた所に座していて、脇息にもたれている。そのあえかな姿は、溜息が漏れるほど悩ましいものではあったが、真雪は、気が気ではない。
「殿下。真雪が参りました」
ちらり、と関白が目を上げる。近くに来い、という目配せなのは解ったので、近付いていくと、手を引かれた。
「あっ……」
なんの会話もなく、急に引き寄せられるとは思わなかったので、驚いていると、関白はことさら冷たい声音で、問うた。
「どうした、震えているが」
震えている、と言われて初めて、真雪は、自身が震えていることに気が付いた。
「えっ……?」
「なにか、言いたいことでもあるのか?」
関白は、す、と目を細める。真実を、暴こうとする、ひたすら怜悧な視線に、震えが止まらなくなりながらも、真雪は、小さな声で、申し上げることにした。
「昨日の夜……、殿下以外の方と……、一夜をともにしました」
「どこの誰だ。私も、舐められたものだな」
ふん、と関白が鼻を鳴らして眉を歪ませる。不愉快を、表に出すのは珍しいことだった。
「どこのどなたかは、わかりません。名前も、なにも……告げずに……あちらは、ただ、宴から外れていた私を手頃な相手だと思って、戯れただけでしょうから……」
唯一の手がかりは、変わった薫りの『黒方』だけだ。だが、それは言わないことにした。
「本当に知らぬのか?」
「はい。そもそも、私は、名前やお顔を知る方は少ないのです。出仕もしておりませんので……」
「ふうん……」
なにやら思案げな関白の表情を見上げて、真雪は、ぞくりと寒気がした。関白は、真雪の相手が誰だったか、知ったのだろうか。もしかしたら、関白も、あの『黒方』に聞き覚えがあったのかも知れない。そうは思ったが、聞くことは出来なかった。
「あの……」
真雪は必死に、関白に呼びかける。犯してしまった罪は消えないが、言い訳はしなければならないと思ったからだった。
「なんだ?」
「その……私にも、隙はあったのです。それでその方の誘いを、はねつけることが出来なかった……」
「隙?」
関白が問い返したのを聞いて、少しだけ、真雪はほっとした。少なくとも、言い訳は出来る。
「明君がきてからというもの……殿下の臥所にお仕えするのは、明君ばかり。……私は、ずっと、夜離れていて……寂しかったのです」
「ほう」
関白の声が、明るくなった。「嫉妬したか?」
「嫉妬など……見苦しいと思いながらも、止められませんでした。明君がお側にいるのを見るのが、辛くて……それで、宴からも抜け出して……」
これは事実だったが、改めて口にすると恥ずかしいことこの上なかった。呆れた顔をしているのだろうと思えば、関白は、くっくっと喉を鳴らして笑っている。
「殿下?」
「ふうむ。……そなたが、こうも嫉妬するのであれば、あれを召し出したのも悪くはなかったな。他の男に身を任せたのだけは許しがたいが……、それも、一度くらいは良いだろう」
なにを勝手なことを言っているのだろうとは、真雪も思ったが、関白の心から離れていない答えを出せた、と言うことだけは安堵出来た。
「また、明君も……寝所でお仕えするのでしょう?」
「いや? あれは、そもそも、そなたが、どういう態度になるか見てみたくて、戯れに召し出したものでな。私は、存外、そなたを気に入っているのだ」
甘ったるい声で、関白が真雪の耳元に囁く。
吐息が掛かって、腰が甘く痺れた。
「あ……殿下……」
「もう、あれは召し出さないよ。……その代わり、そなたも、私以外の誰にも触れさせてはならないよ? そなたの、身も心も、すべて、私のものだからね」
その言葉は、本心なのだろう。
嫉妬心というより、激しい独占欲に、眩暈がしつつ、真雪は関白に身を委ねた。慣れていたはずの行為だったが、やけに執拗に責め立てられて、気がおかしくなりそうだった。
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