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第一章 宴のあと
7.篳篥《ひちりき》
しおりを挟む明君が、暇を出されたのは、宴から三日後のことだった。
表向き、別の家を紹介された形だと言うが、寝所に侍り、仕えたものを、情もなく放り出す冷たい所業を目の当たりにして、真雪は、全身から血の気が引く思いだった。
明君のことを、確かに真雪は快くは思っていなかった。彼が、関白に寵愛されるたびに、胸が痛んで溜まらなくなったものだ。だが、明君がいなくなったからと言って、それを喜ぶ性質ではなかった。
「真雪殿、良かったではないか。目の上の瘤が取れて、せいせいしただろう」
などと同輩からは軽口を叩かれたが、真雪自身は、そのような暢気な事を考えることは出来なかった。一時とはいえ、寵愛した明君をあっさりと放り出したのは、真雪に対する見せしめだろう。
次、また裏切れば、このように放り出す―――そういうことだろう。
関白の機嫌を損ねぬように、関白の心に添わぬことはしないように……一家の運命までも担っている以上、仕方のないことではあるが、息が詰まる。
関白が出仕している間、真雪は、特段やることもない。家来として、出仕のお供に付くことも出来るはずだが、宮中へ上がったことはなかった。元服は済ませて、無職ながら一応の官位くらいは得ているが、宮中へ出入り出来る身分ではなかった。
関白のほうは、といえば、宮中に直廬という部屋を賜っている。そこで、過ごすことも多いし、そこで休んでいくこともある。その間の、関白がどのように過ごしているのか、真雪には計り知ることも出来ない。
真雪の父親も、関白の直廬までは近付くことも出来ないからだった。
関白がどうするのか解らない。その為、関白邸で待つこともあるし、家へ戻ることもある。すべて、関白次第の生活であった。
それを、これまで、不満に思ったことなどなかったが、今は、少し、息苦しく感じる。どこにいても、関白の冷たい視線を感じるからだった。
「あら、真雪殿」
関白邸を辞そうと思っていたところで、関白邸の女房から声を掛けられた。年増の女で、髪には白いものが幾筋が混じっている。古くから仕える女房で、真砂という名で呼ばれていたはずだった。
「真砂殿、如何なさいましたか?」
「ああ、よかった。……今、殿から急な文があったのです。それで、なんでも、殿は本日は寝ずの番なのだとか。それで、夜中に管絃をなさるということなのですけれど、篳篥をお忘れだそうで、届けて欲しいとのことなのです」
「届けると言っても……私は、宮中には上がることは……」
真雪がやんわり断ろうとすると、
「あら、そんなことを言ったら、端女の一人も連れて行くことはできないでしょう。そうしたら、あの方一人で、お着替えも出来ませんし、食事の支度も出来ませんよ」
などと、笑う。
部屋を賜って、宿泊するのは出来るが、食事は自分で用意しなければならない。それで、食事の支度をしたり、装束の用意をするものたちも連れて行かなければならないということだった。そういう使用人たちは、宮中ではものの数にも入っていないのだろう。
「たしかに、そうですけれど」
「それに、真雪殿。宮中は度々盗人も入っているのですよ。あのものたちが、官位官職を得て立ち入っているとでもお思いですか? ……それであれば、身分たしかなあなた様のほうが、出入りはたやすいはずですよ」
「私と盗人を一緒にされても……」
困るのだが、とは思ったが、口には出さず、小さく、溜息を吐いた。
「わかりましたよ、篳篥を、お届けすれば良いのでしょう?」
「ええ、よろしくお願いいたしますよ。……今、篳篥は用意しますから、真雪殿も、お着替え遊ばせ。そのなりでは、目立ちますからね」
やけにてきぱきと、真砂は立ち動く。ぱん、と手を打つと、わらわらと女達が出てきて、真雪の手を引いた。
「こちらへ、真雪殿」
「お着替えの支度は調っておりますわ。どうぞ、お早く」
女達に引き摺られる形で、真雪は、一室に連れ込まれる。手際よく脱がされ、小袖までも脱がされて丸裸が晒される。
「ちょっ……こ、困ります!」
「わたくしたち、真雪殿には、興味がありませんから、お気遣いなく。そんなことより、お召し替えをして、一刻も早く篳篥を届けて下さいまし。きっと、殿は苛立っておいででしょうから」
この世のすべてを思い通りに動かすことが出来るような方だ。篳篥がないくらいでも、苛立っているのは、わかりきっている。
「周りで仕えるものたちも、気を揉んでいると思いますよ。そこへ、美しく着飾った真雪殿が現れれば、それだけで殿は気が晴れましょうから」
本当に、そんなにうまく行くだろうかとは思いつつ、女達も、関白の顔色を窺って生きているのだと思えば、同じ穴の狢同士、仲良くやらねばならないだろう。
下着である小袖から、袍まですべて取り替えられ、着せ替えられた真雪は、その衣装が、関白のものであることを感じていた。濃密に、関白の薫りを感じるからだ。肌に、まとわりつくような、感じがある。情事の最中、もう二度と真雪を放さない、と背後から囁かれたときのように、粘っこく肌をなで回す手にも似た、感触だった。
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