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「……黒装束の奴らが去るのを待って、それから、日が落ちる前に移動したんだ。森っぽいところにいたから、もしかしたら、獣とかが現れたらマズイと思って。それで、なんとか、街まではたどり着いたけど、異世界の格好だから、目立つだろ? それで、なんとか、服とか手に入れないとどうしようもないと思って、道具屋に行ったんだ。

 それで、会社に通うのに持ってたカバンとか、革靴とかは売れたかな。あと、時計も売れた。オヤジから、就職祝いで貰ったスイスの機械式時計で、あれは、値打ちが解ったんだと思う。それと、ユリに贈ろうと思って用意してた、指輪も、良い値段で売れた。それで、とりあえず、服と、宿はなんとかなった。酒場が旅人用に、仕事を斡旋していると聞いたんだけど、俺は、体格が良くないって、まず門前払いでね……。

 そろそろ、路銀が底をつくかなっていう時になって、娼館の女主人が声を掛けてきたんだ。

 金が欲しいのかって。

 それなら、うちで働けって。代金は、向こうが八でこっちが二。だけど、客が取れないときでも、置いて貰ってる間は、食事と寝る場所の面倒は見て貰えるということだった。それに、客の中には、特別に、小遣いをくれる人もいるから、その分は、全部、俺の取り分だって」

 売れなかったのは、スマホと、筆記帳と筆記具。それ以外のものはすべて売って、しのげた期間は、そう長くはないのだろう。この世界の相場を知らないシンは、おそらく、良いカモだったと思う。二束三文で買いたたかれたと言うこともあるだろう。

「危険だとか、そういう警戒はなかったのですか?」

「勿論警戒はしたよ。でも、俺の場合は、明日食べる飯がなくて、今日寝る場所がないんだ。だったら、売れるのは、自分だけ……正直な話、抵抗がなかったわけじゃない。男娼、って、女の人が買いに来るのかなとか思ってたから、男に買われるってのは、想像してなかったけど」

「あなたのいた世界では、男娼は珍しいのでしょうか?」

「多分ね。俺は、少なくとも、知り合いはいない……ただ、同性を好きになる人っていうのは、結構いたと思うよ。だから、男に買われる世界があるっていうのは、全く理解していなかったわけじゃなくて、自分に関係があるとは思わなかった。それだけなんだ」

「あなたには、女性の婚約者がいたのですし、当然だと思います」

 ユリ。明るい微笑みの優しそうな人だった。彼女と、幸福な未来を作っていくことを夢に見ていただろう。それを思うと、胸が苦しくなる。

「自分が、身体を売る……ってなったときは、やっぱり、怖かったし、嫌だったよ。受け入れる方を……やってたんだけど、最初は、気持ちが悪かった。ずっと、暗記の文言を頭の中で繰り返してたよ。でも、だんだん、慣れてきた。というより、慣れないと、やってられなかった。

 無抵抗の……、受け入れ役ってのが珍しかったみたいで、朝から晩まで、何人もの男を相手にしてきたよ。最初は、人間の男が多かったけど、獣人の男とかも、混じるようになった。ババアがさ……娼館の、女主人のこと、みんな、ババアって呼んでたんだけど。あいつがさ、本当にやり手で……。俺の客が多いって解ったら、値段をつり上げやがったんだよ。それで、まあ、身体は楽になったんだけど……」

 つまり、『売れっ子』になったから、客を選べる立場になったと言うことだ。それまでの間、一日中、男たちの相手をしてきたのだろう。目頭が熱くなった。けれど、今は、絶対に泣いてはいけない。私が、同情するのは、違う。

「獣人の方が、お金を持っていたと?」

「そういうこと。……っていうか、貨幣だけじゃなくて、いろんなものが物々交換出来るような辺境だったんだ。だから、可能だった。それで、獣人の人たちは、獣の皮とか、竜の鱗だとか、貴重な宝石、他国の情報とか、とにかく、いろんなものを持ってたんだ。だから、少し位値段が上がった俺を買うのなんか、訳はなかった」

 一度、シンは、言を切って、私の頭を撫でる。

「獣人の人たちは……結果、みんな、優しくていい人ばっかりだったよ。まあ、実際、仕事の時は、かなり、苦労はしたんだけど」

「苦労……」

 シンが、少し言いづらそうにしてから、私の耳元に小さく囁いた。

「アレの形が、人間と違ってて」

 アレ。私は、一瞬、何を言われているのか良くわからなくて、戸惑ってしまった。アレですか、と聞くのは簡単だったが、解らないで、適当なことを言うのは良くないだろう。シンが、私の手を取る。そして、そっ、シンの中央へと私の手を導いた。

「っ!!!!!」

 慌てて、私は手を引っ込める。ほんの、一瞬だけ、彼に、触れてしまった。私は、恥ずかしくて、全身から火が出そうだった。ほんの一瞬だったけれど、確かな、感触があった。

「……それ、ですか」

「うん、これ、なんだけど」

 先ほどから、アレとか、それとか、これ、とか。そんな言葉でぼやかして話しているのが、なにやら、おかしくなってくる。ただ、ほんの一瞬だけでも、シンが、私を触れさせてくれたのは、少し嬉しかった。性的な接触は、もう商売でうんざりしているという可能性も否定出来ないからだ。

「あ、でも……凄い、気持ちは良かったんだよ。調子が悪いと、入らないときとかもあるんだけど……それは、まあ、それで……」

「では、私から伺いたいことが」

「えっ?」

 シンは、質問されるとは思っていなかったようで、意外そうな顔をした。少し、狼狽えたようにも見える。

「あなたに、読書用の魔石を下さった竜族の方」

「ああ……。えーと、あの人は、多分、俺が、獣人の人たちを相手にするようになって少ししてから通い始めて、それから、ずっと、通ってくれた人。ただ、話だけするときもあったよ。いろんな話をしてくれたと思う。竜族の話とか。あの人は、もう、竜族が滅べば良いと思ってるんだってさ。もう、獣人が生きることが出来る時代は終わるだろうって。俺のいた世界の話も少しして、俺の世界には、獣人は居なかったから、ヤッパリって顔をしてた。

 それで、あの人は、奥さんを取らないことにしたんだって。そうすれば、この代で、子孫が絶えるから。でも、竜族って、凄い、飢えるんだって。その……繁殖の期間って言うのがあってね、そのタイミングになると、凄く性欲が増すっていう……。子孫は中々出来ないんだけど、繁殖可能な期間って言うのが、割と多いらしい。それで、しょっちゅう、来てくれたよ」

 緩慢な滅びを望んだ竜族の人は、飢えのような性欲を満たすために、シンの所に向かったのだろう。シンは、ただ、彼らを受け入れたのだろう。そして、彼らを、癒やしていたのだと思う。今まで、娼婦のことは、金子《きんす》次第で誰とでも交わる存在―――つまり、汚らわしい存在だと認識して居たが、シンの言葉を聞く限りでは、もっと、尊いもののように思えた。

 勿論、一日に何人もの客を取っているような生活では、一人一人の客に寄り添うことは出来ないだろう。だが、シンは、そうしてきたのだ。だからこそ、それが、尊い。

「あの魔石も、あんたに渡そうか?」

 シンが問う。

「いえ、あなたが持っていた方が良いと思います。……その方に失礼でしょうから」

「でもさ、あんた、嫉妬はしてたと思うんだけど」

 指摘されて、言葉に詰まったが、少し考えてから、正直な気持ちを口にした。

「勿論、何も思わないということは、ありません。……あなたの気持ちが、その方にあるのではないかとか、いろいろ、余計な勘ぐりはします」

「だから」

「でも、それならば、あなたが、私をもっと、信じさせてくれれば問題ないはずです。竜族の方のことも、ユリのことも」

 シンが、苦笑する。

「ちゃんと、ルセルジュだけ見てろって?」

 端的に言えば、私の要求はそうだ。よそ見をするな、過去を振り返るな。あなたの目の前にあるのは、現在と、いずれ現在になる未来だけだ。

「……俺は、絶対、あんた以外に目移りしないけど、あんたは、例の国王陛下とか、誘惑があるからなあ……」

「では、次、寝所にでも誘い込まれたら、舌を噛んで自決します」

 第一、そんなことにならないように、私が細心の注意を払えば良いだろう。静かに言い切った私の言葉を、「じゃあ、俺もそうするよ」と言って、シンは、少し笑った。

 そういえば、私は彼の笑顔を、拒絶だと思っていたことがあった。けれど、今は違う。私にだけ向く笑顔は、拒絶ではなかった。

「ではお互いに気をつけましょう? あなただって、あの神官のような、不届き者に誘惑されないとは限らないわけですから」

 そして私達は顔を見合わせて、笑った。 
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