蝶々の瑕

七瀬京

文字の大きさ
2 / 19

02

しおりを挟む

「桜さん、どうして隆一からこんな所に来るように頼まれたんですか?」
「えっとねぇ。私、高校生の時に海棠先生と知り合いになる機会があったんだけど、思い切り海棠先生に小馬鹿にされて、悔しくなったから、暁花(ぎょうか)大学短大を受けたのよ」
「小馬鹿に?」
「問答まがいのことをやってね、それで『あなたの理論はとても稚拙だ』っていわれたの。そんなこと言われたら、腹立つじゃない? それで、海棠先生のゼミに入って、ぜひあたしの理論で海棠先生に一泡吹かせてやりたかったの。それで、ゼミのレポートで、あたし、A貰ったのよ。私も、完璧のAを貰うんだったら、別に構わないのよ。でもね、海棠はあたしのレポートなんて、一行だって読まなかったの。他の人には、ちゃんとレポートと一緒に書評をもらえるのに、あたしなんて、成績のAっていうハンコだけ。
 それに不満を感じたあたしは、直接乗り込んで行ったのよ。ヤツの研究室に! そうしたら、『あなたの理論はあいも変わらず稚拙そうで、他人の諫言なぞ聞きそうもないからね、だからあなたへの評価は、私へわざわざ挑戦状を叩きつけてきたその若さと勇気と、根性に対するものだ』って言われたのよ。悔しいじゃない。それでも、F付けられて、必修単位落とすのも莫迦みたいだから、おとなしく引き下がったの。そうしたら『夏休み、お暇ですか?』って聞かれてね、思わず、うんって言ったら『夏休み中かかりますけど、日給一万円の三食付きのバイトがあるって言えばやってみたいと思いますか?』って聞かれたのよね。三食付きだったら、六十万も貯まるじゃない。そうしたら、結構、余裕持って暮らしていけるわけだし、引き受けちゃったの」
 仕事の内容は、こうだった。
『あなたが、いちいちこと細かく話を聞いてきてくれる学生だということは私も良く覚えてるので、あなたには、事細かに調査をしてきてほしいんです。今度、出版する本の中心にこのテーマを持ってこようと思うので。そうですね、期間は、試験終了日から、九月の二十日まで。原稿用紙にして百枚くらいのレポートを。場所は。I県D郡W町。ここの月ヶ瀬地区という場所です。詳細は書類に認(したた)めますから』
 百枚のレポート。それで、こんなにお金を貰ってしまって良いのかと思ったが、どうせ、金の余ってる教授先生だと思って、私はそれ以上に何も聞かなかった。
 さらに、海棠隆一准教授は気前の良いことに、レポート次第では、能力給付きだという。ここで見聞きしたことのすべてを海棠に事細かに話すわけだから、途方もなく長い時間、海棠と二人きりで居なければならないと言うリスクはあるが、お金ばかりはたくさんあった方が良い。何かあったときでも、親元に頼らなくても済むからだ。
 貧乏学生は、こうして一番大嫌いな准教授のお世話になることになった。
「桜さん。桜さんは、お何歳(いくつ)ですか?」
「十八歳よ。この前まで、女子校生してたの」
「じゃあ、僕とは十も離れてるんだ。若いなぁ」
 柊生さんは、二十八。確か、海棠先生も二十八だったような気がする。
「海棠先生とは、同い年なんですか?」
「そうだよ。僕と隆一は、なぜか仲が良かったんだ。一応僕はおとなしかったし、あいつは、とんでもない暴れん坊だったけどね」
 くすくす、と彼は笑った。長い、指が顎に巻き付いて、肩が、小刻みに動いている。端正な横顔だった。黒っぽい浴衣がとてもよく似合っている。
「どうしたの?」
「え? あの、いつも浴衣着てるんですか?」
「浴衣ではなくて着物です。そうですね、村の中にいるときならば殆ど、着物でしょうか。洋服よりも、着物の方が好きなんです。それに、こちらの方が北の堺の私には動きやすい」
 私は。その些細な一人称の変化に、ドキリとした。いままで、自分の目の前にいた穏やかそうな青年が、急に。急に、底知れぬ野心を持った男に変貌を遂げてしまったような、そんな気がした。切れ長の、それでいて優しげな印象を与える瞳は、今は何か、強い意志を映し出しているようだった。
「北の堺とおっしゃると、南にも?」
「ええ。私の弟が嫁いだ先です。婿養子で行ったんですよ。この村を取り仕切っているのが堺家です。堺というのは、境界のことを意味しています。だから、村の入り口に堺家が在るんです。東と西は、桜井と桃源ですので、ここを越えることは出来ませんからね」
 事実上の、袋小路だ。と私は思った。
「美咲」
 柊生さんは、私の名を呼んだ。あまりに唐突だったので、思わずぞっとした。
「何でしょう?」
 私の声は、少なからず、上擦っていたように思える。そんな私を見て、彼はにこりと微笑んだ。花が綻ぶような笑みとはこのことを言うのだと、私は思わずには居られなかった。
「綺麗なお名前ですね。そう、呼んでも良いですか?」
「ええ。どうぞ」
「では、私のことも柊生と呼んで下さいね」
 くるり、と舞うような所作で柊生さんは私に背を向けて、何も言わずに去っていった。ただ、私は、なぜか、本当になぜか理由はわからないけれども、彼が笑っていたように感じた。くすくすと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...