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しおりを挟むマツリは、滞りなく終了した。
私のバイトは、後はこの村で幾らかの調査をして、終わりだったが、腑に落ちないことは、幾つもあった。
村戸籍に記載される、残り四十名の村人。柊生さんの言った『堺の桃』。蝶々しか、食べられない、桃。
「美咲。桃源に行かない?」
柊生さんにも、あの夜の不可解な行動と、あの傷の原因という二つの不可思議な部分があった。
桃源に入り、しばらく二人で歩いていると、急に柊生さんは私に桃を渡した。
「食べなよ。好きなんでしょ?」
「でも。食べて良いの?」
「ああ。良いんだよ。いくらでも食べて」
私は、丁寧に皮を剥いて一口食べた。冷やしたわけではないのだろうが、心地よいくらいに冷たかった。
「柊生さん。『堺の桃』ってなぁに?」
柊生さんは、しばらく黙っていたが、私のことを見るとにこりと微笑んだ。
「あなたのことだよ、美咲」
「?」
「海棠は、下界に桃を探しに行った。私や隆一のように堺のものや、それに近いものはどうしても、外の桃を欲しがる。それが、堺の桃と呼ばれている。私や隆一のように、家を継ぐものはどうしても桃が必要だから」
「ねぇ、柊生さん。何を言ってるの? 桃って?」
「君のことだよ」
「それじゃわからないわ」
「あの日、私は血塗れで倒れていた。私は、君の部屋に行った。そうしたら、君は、私に本を投げつけた。本の角が私に当たって、私はあの通り大けがをした」
「それは、蝶々じゃない!」
と叫んで、ハッとした。私は、蝶々を傷つけたことなぞ、柊生さんに一言も言っていない。
「本当、なの? 柊生さん」
「本当だよ、美咲」
柊生さんの身体から、無数の蝶々が飛びだした。ある蝶々は、桃の木となり、ある蝶々は、柊生さんと同じ形を取った。
「これは……」
「私の、魂の一部分。隆一から聞いているでしょう? 人から抜け出た魂は…」
「人と、同じ形や、まったく別の形。または魂本来の形に戻る」
「そう。その通りなんだよ、美咲。私達蝶々は、桃を食べてしか生きていけないんだ」
「まさか」
「雛姫は、私の、三度目の恋人」
「曾祖母の名前だなんて、大嘘つき!」
私は逃げ出そうと、駆け出した。
だけれど、逃げ出せるはずがなかった。足場は悪いし、柊生さんは蝶々を何百匹も飛ばしていた。
「柊生さん……」
「君に側にいてほしいんだ。好きになった女の人だけが桃になれるんだ」
「私は……」
脳裏で、あの柊生さんの台詞が渦巻いていた。
『私など、生まれてこなければ良かったんです! 私なぞ、誰にも必要にされず、誰も私を愛してくれない! 私の存在が、恨めしい! 私は、瑕(きず)を負ってしか居きられないんです。すべてが空しく、私の手をすり抜けていく!』
どうしたら、こんな台詞を言った人を突き放せるだろう。
柊生さんが、私に近付いてくる。
私は、一歩、一歩。後ずさる。
「ああ、泣かないで。私も、辛いのだから」
蝶々の瑕(きず)。それは、こういうことだったのだ。
誰かを、好きになった人を、文字通り犠牲にして行かなければ、生きていくことが出来ない!
『コヘレトは言う。/何という空しさ。/何という空しさ、すべては空しい』
そんな台詞が、脳裏を過ぎる。
「逃げないの? いまなら、逃がしてあげるよ」
逃げてほしいのかもしれなかった。
でも、逃げられるはずがなかった。
柊生さんは、泣いていたのだから。
柊生さんの頬を、透明な滴りが落ちていった。
多分、柊生さんは。
あの時、死のうとしていたのかもしれない。
何という空しさ。
何という空しさ。
すべては空しい。
すべては悲しい。
私は、あの時と同じように。柊生さんを抱きしめた。
桃源に生い茂る桃の木が、私と柊生さんの祝言を言祝ぐように花弁を散らしていた。
蝶々は、瑕(きず)を抱き
桃喰らう
蝶々は、きらきら金色(こんじき)の
鱗粉散らす
瑕(きず)を抱き、それでも生きる
運命(さだめ)の涙
哀れ、蝶々の
マツリ歌を、私は聞いた。
(蝶々の瑕・終)
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