死んだあの子のホントの音

リンネ

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2章

新井大輝 2

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 ある日の放課後、俺は清明とバスケに誘うために清明を探していた。しかし清明は教室にもどこにもいなかった。仕方が無いから、俺はトイレへ寄って時間を潰そうと思い、トイレへ向かうと、中からびしょびしょに濡れて制服を破かれた状態の清明が出てきた。その顔は暗くて、どこか憔悴しているようにも見えた。
 「清明?」
 俺は割りとはっきりと清明を呼んだ。清明は鋭敏に反応して、少し驚いた顔をした。
 「どうしたんだよ!それ…」
 言葉かプツリと切れた。というか切られた。
 清明は濡れた頭を掻きながら微笑んだのだ。この状況で、それはありかよって。
 「いやぁ、トイレの床汚かったから掃除したかったのにホースが暴れてさぁ」
 それはないって。無理があるような言い訳だと思った。
 「保健室いってタオル貸してもらおうと思ってさぁ」
 「ホントか?」
 「え?うんそうだよ?」
 俺はそれが何となく信じきれなくて一緒に行くことにした。
 「一緒って、カップルかよ」
 清明は笑いながら言った。俺は何も笑えなかった。
 なぜって、そうやって笑って振る舞う清明がなんとなく、あの頃の俺に似ていたから。
 「せんせーい」
 俺は手馴れた様子で保健室に入る。
 「あれ?新井くんどうかしたの?」
 「いや、俺じゃなくて清明、あぁ、石川くんが」
 俺はそう言って後ろにたつ清明に親指をむける。
 「石川くん?どう…どうしたの!?」
 先生は慌てた様子だった。そりゃそうだ。びしょ濡れの生徒がいたらいじめの思うだろ。
 「そういんじゃないですよ先生!」
 清明も慌てた。
 「トイレの床汚かったから掃除しようと思ったけど、ホースが暴れてびしょ濡れになっちゃっただけですよ」
 清明はまた笑う。
 俺は不満だった。辛いはずの清明は、なんでそんなに笑うのか意味がわからなかった。それだけびしょ濡れなのは、いじめ以外には何もない。だっておかしいだろ。
 「制服は?どうしたの」
 「え?慌ててたらドアとかに引っかかって」
 そんなんで破けるような制服があるわけがない。
 不服だった。ここまで来たならもう全部言えばいいのに、言わない理由なんてあるのだろうか。確かに俺も誰にも言わなかったのはある。でもそれは、先生達がもともと助ける気がなかったってだけで、今清明の前にいる先生はそうじゃない。なのにどうして、頼ろうとしないんだ。それじゃあ、まるで俺は……
 「そうなの?とりあえず風邪ひいちゃうから拭こう」
 先生はそう言って椅子から立ち上がると、奥へ行って棚の戸を開いてタオルを探し出した。
 「言わなくていいのか?」
 「ん?何を?」
 俺は少し声色を変えて聞いたが、清明はきょとんとしている。
 一体いつまでそんなんでいる気だ?
 「だっておかしい。そんなボロボロで…ホントは」
 「違うんだ」
 清明は俺とは目を合わせずにそう否定した。
 「本当に、違うんだ。そういうんじゃないんだ」
 俺はだんだんイライラして、あの頃のくせで下唇を噛み切ってしまった。
 「それじゃあこれでとりあえず拭いてきて」
 先生はタオルを渡して、清明はそれを受け取るとカーテンの向こう行こうとする。
 椅子から立ち上がって、何も知らないような顔で俺とすれ違おうとする。その何事も無かったかのような顔が、キョトンとした顔が、辛いくせに笑う清明が、その瞬間だけ嫌いになった。
 「あれ?大輝、口切れてるよ、大丈夫?」
 その瞬間、俺の中の何かがぷつりと音を立ててきれた。
 「大丈夫大丈夫ってさ、誰に言ってんの?」
 清明が驚くような顔をしたって想像出来る。多分、先生もそんな顔してるよね。
 「え?」
 強めに舌打ちをした。
 「いつだってヘラヘラして、辛いくせに笑って、そうやって嘘ついて、俺が気づいてないとでも思うか?杏奈が気づいてないと思うのか?」
 杏奈?なんでここで杏奈?わけわかんないな。
 「杏奈?何を?なんのことだよ」
 それまで極めて冷静に話していた俺ももう、堪忍袋の緒が切れた。
 もう堪えられなくなった。その瞬間に俺はまだ自分が子供であると自覚した。でももう仕方がないと言いたかった。
 右手拳に変な痛みがして気づく。俺は清明を勢いよく殴り飛ばしていた。
 「ちょっと!」
 先生が慌てて椅子から立ちあがる。
 止めようと腕を掴まれたけど、女性の力だからたかがしれていて、俺はそれを勢いよく振り払った。
 床に倒れた清明の上へ馬乗りになる。胸ぐらを掴んで整った清明についた顔の傷を睨んだ。掴んだ瞬間に制服のボタンが壊れて、胸元が見えたと思うとそこにはタバコか何かを押し付けられたあとがあった。
 「その顔の傷も、体のタバコのあとも、そのやせ細った体もぜーんぶいじめとか虐待の証だろうがよ!!」
 それを言われた瞬間清明の顔が今まで見たことない顔をした。
 「なんで言わねぇんだよ!!」
 先生が止めようとする声が聞こえる。気がする。
 「言えよ!辛いですって、死にたいですって、苦しいですって、ちゃんと言えよ!助けてくださいって言えよ!真叶だって俺だってお前と同じ思いしてきたんだよ…!辛い目に遭って、理不尽な扱い受けて、悔しい思いしてきたんだよ……!清明は真叶と幼なじみなんだろ?だったら、あの金髪な真叶の過去くらい知ってんだろ!?もっと信じろよ!せめて、せめて……」
 せめて、俺?違う……。せめて誰かなんて言えない。わからない。でも、そんなこと言う資格なんてあるのだろうか。誰も信じようともせずに一人で生きてきた俺に、そんな偉そうなこと言う資格、あるのだろうか?
 「大輝……」
 俺は泣いていた。
 醜い。こんなのは俺じゃない。クラスで人気な俺じゃない。
 「大っ嫌いだ。俺みたいに人気のある清明が、俺みたいに全部隠す清明が、俺みたいにいつも笑う清明が俺は大っ嫌いだ!!」
 俺はそれだけ言い残すと清明から乱暴に手を離して保健室を出て行った。ドアを雑に開けて閉めて。
 「新井くん!ちょっと待ちなさい!」
 「いいですよ先生」
 保健室を出て数歩。足を止める。
 「彼は、正しいです」
 耳にかすかに聞こえたその声。
 多分その時も笑っていたのではないか?
 いつものキャラから一変して乱暴になった俺を、先生は対応に困っていたけれど、清明がそう静止すると先生は追ってこなかった。
 
 それが、俺と清明の最後の会話だ。その次の日、清明はみんなの前からいきなり姿を消して、挙句の果てに死んでしまった。あんな、蟠り残る苦い会話を最後にして。
 
 清明の葬式から数日後、真叶から連絡があって、俺たちで清明の本当の死因を調べることになった。俺は、とりあえず周りの人に聞きこみをしようと思った。多分、事故現場へ行ったら心が持たないと思うし、家へ行くのは家の場所を知らないから無理だ。
 「聞き込みはするよ」
 俺はそうさりげなく言って、とりあえず事故現場へは行かないことになった。真叶はもうほぼ決定な感じだった。家を知ってるのは真叶しかいないから。
 そして、後日俺は、聞き込みをするようにした。まずは、いつも寄ってくる女の子達から。
 「ねぇ、清明ってどんな人に見えた?」
 「清明くん?」
 「そりゃもうかっこよくて、なんでも出来るスーパーマンって感じ」
 やっぱりそうなるよね。わかるよ。そういう感じしてたから。
 「笑顔が可愛い!」
 俺はそのコメント一つ一つをノートに書き残して、そのインタビューは終わりにした。でも1人、なんとも言えない顔で話を聞いていた子がいて、違和感がしたけど、聞き込む人数がそれなりにいるので、その子は放ってほかの集団の方へ行った。
 「ねぇ、清明ってどんな人だった?」
 「清明?」
 「かっけーやつ」
 「ほっそいひょろひょろ男子、ごぼうだろあいつ」
 「そりゃねぇわ!」
 男子達はそう言って笑っていた。悪口ではないのはわかる。ぶっちゃけ俺も最初はそう思っていたから。
 とりあえず周辺生徒の聞き込みを終えて、職員室へ行って先生に話を聞いてみようと思い、廊下を歩いていから後ろから呼ぶ声がした。
 「あの!」
 振り返ると、さっきの聞き込みの時になんとも言えない顔をしていた子だった。
 「ん?」
 「清明くんね、明るい人だったけど、なにか抱え込んでそうな人だった。前見ちゃったんだけど、背中にあざがあったの」
 それを聞いた瞬間鳥肌が立った。本当に清明は、誰にも何も言わなかったつもりなのか?
 俺はそのときなんて言葉を返したらいいのかよく分からなくなって、黙り込んでしまった。
 「びっくりだよね。私もそのとき凄く驚いたの」
 「…うん、ありがとう教えてくれて」
 俺は微笑んでそう返して、ノートにメモをしながら職員室へ向かった。
 あの子は、清明のあざをみた。でもあの感じだと、何のあざなのかはわかっていない様子だった。たしかに清明はいじめられるようなやつじゃない。
 職員室前まで来て、ノックをしてはいる。要件は言わずに担任のところまで歩いていく。
 「先生、今少しだけよろしいですか?」
 そう言うと、先生はパソコンから手を離して俺の方を向いた。
 「どうかしたか?」
 「いえ、少し聞きたいことが」
 「あぁいいぞ」
 「石川くんって、どんな人でしたか?」
 一瞬先生の顔が引きつった。何か、気まずいことでもあるのだろうか。「都合の悪いモノ」があるのだろうか。
 「明るい子だったよ。みんなに人気で、成績も良くて、みんなの模範みたいな生徒だった」
 みんなの模範みたいな。それは清明なのかって話だよ。
 「ちなみにみんなそうに言うのですが、先生なら清明の影の部分も知っているんじゃないですか?」
 みんなが口を揃えて同じことを言うものだから信頼性がないので、先生には清明の影を聞こうと試みる。でも、
 「影?石川には影なんてなかったさ。いつも光明るいところが似合うからな」
 はぁ。そうですか。
 「いつも光っているって、いつも笑ってるってことは悲しい時も笑っていたということにはなりませんか?」
 「うーん、悲しいときが果たしてあったのか」
 あったさ。少なくとも、あの日くらいは。
 「そうですよね。ありがとうございました」
 俺は頭を下げてその場から立ち去る。先生がなにか言おうとしたけど、聞きたくないからさっさと職員室を出て保健室へ行った。
 保健室の先生なら、清明から決定的な事を言われている。それも古くない記憶の中にあるはず。
 「せんせーい」
 あの日と同じ入り方をする。
 「石川くん…」
 少し曇り気な顔。あぁ、清明を殴ってその次の日失踪して、俺が1番怪しいよな。でもそんな顔ないだろ。
 「嫌いなのはわかってますよ。少し聞きたいことがあるだけです」
 「何?」
 「清明は、石川くんは、どんな人でしたか?」
 先生は口ごもった。
 「明るくて」
 「はい。そうですよね。みんなそう答えますから」
 俺は聞くに耐えなくなって先生の言葉を遮った。
 今の俺は多分、クラスメイトが見たらドン引きするくらい最低だ。
 「そうでなくて、先生しか知らない一面ってあるでしょ。それを聞いてるんですよ」
 「そんなのなかったわよ?清明はいつでも笑っていたもの」
 もうため息。ため息しか出ない。なんなんだよもう。
 「はい分かりました。ありがとうございました」
 俺は冷たくそういうと先生が待ちなさいと言うのも聞かずに、さっさと保健室を出た。追いかけてくるかと思ったけど、一旦出てきて追いつかないと察したんだろう。追いかけては来なかった。
 はっきりいってもう嫌になってきた。人に聞き回る度出てくるのは人がいい清明ばかり。本当は違うこと、俺もみんなも気づいていたはずの上に、保健室の先生はもっと決定的なこと言われていたのにも関わらず知らないふりを。まるで、どこかのお偉いさんに、「石川くんのことは隠しましょう」とでも言われたように。
 本当のことってなんだろう。
 ひょっとしたら、清明はきっと本当に明るい子だったのかもしれない。ただそれが、たまたま真叶には曇って見えただけで、本当の清明なんていないのかもしれない。本当の清明も何も無い。いつもの清明が本当の清明だったんだ。もうこれ以上の詮索は俺達の精神力に大きなダメージがある。もう疲れた。
 「大輝?」
 廊下の向こうから、聞き覚えのある声と足音がする。
 顔なんて見たくても、誰が来たかなんて直ぐにわかった。
 「どうした?真叶」
 「いや、なんでもないけど…ぐったりしてたから」
 「なんでもないよ」
 「心配になるんだ、大丈夫って言う友達が」
 真叶は視線を曇らせてそう言う。そんな顔するなよ。
 「清明は、どうか分からなかったけど、俺は大丈夫だよ」
 そう答えると、なぜか真叶は意外そうな顔をした。何かにびっくりしているような。
 「なんだよ」
 「いや、大輝って自分のこと俺って言うんだっけ?」
 「え?」
 「なんか、一人称の呼び方あまり聞いたことない気がして」
 「そうかな」
 そうだっただろうか。まぁたしかに、自分のことをなんて呼ぶかなんて決めてないし、よくわからないのは事実。実際のところ、あの頃の自分と決別したとはいえ、僕っていうのは変わらないし、俺っていうのも勇ましい気がして好んでなかったけど、結局俺にしたんだ。自分でも驚きだ。
 「うん」
 なんとなく気まずい空間になる。
 「俺、清明殴ったんだ」
 そんなことを切り出してみる。
 「知ってる」
 知ってるのか。知ってる?
 「え?」
 「知ってるよ。保健室で殴ったって」
 俺はその瞬間、顔が熱くなった。
 「なんで知って…」
 そうまぬけに返すのが精一杯だった。もうこれ以上なんて聞けばいいかわからない。
 「だって、清明あの日の放課後たまたま一緒に帰ってたら、ほっぺに大きいあざあったから聞いたんだよ」
 「清明、俺がやったって話してた?」
 「いや、誰がとは言わなかったし殴られたとも言ってなかったけど、何となく予想はできたよ」
 「なんでだよ。俺そんなにガラ悪い人じゃなかったよ?」
 「ううん。そういうことじゃなくてね」
 真叶は一呼吸置いて口を開いた。
 「清明は、大輝に似てたから」
 そう聞いて、俺は返す言葉が消えた。言葉がないんじゃなくて、発しようとした言葉が空気の中に消えた。
 「どういう…」
 「清明も大輝と同じで、隠そうとするところがあるから」
 「でもだからってなんで」
 「多分、大輝は清明の何かに気づいてて、でも清明はしらないみたいに言うからむしゃくしゃしてたのかなって」
 真叶に見透かされるように言われて、俺は心がはっとした。
 「むしゃくしゃ……か」
 むしゃくしゃしたから、石川くんを殴りました。
 なんて理由でこの罪悪感と清明の傷が癒えるのなら、俺はどうしてこんなに罪滅ぼしをするように真叶の詮索に協力するんだろう。もう俺には自分がよくわかっていなかった。
 「でも、違うよね」
 真叶は落ち着いた口調で話を続ける。
 「本当は、不満だったとかじゃない。心配だったんだよね?清明のことが、誰よりも」
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