夏が来る頃に

リンネ

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君の願い

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 だんだんと、死へと近づいてく。
 体は弱々しく痩せ、指先は震えていた。
 これが死ぬ間際の人間かと思うと、見ていられなかった。
 以前まで天使のように輝いていた愛夜さんが、今では全く別の人のように感じた。全く同じ人なのに。
 今日は、見舞に行くかどうか悩んだ。
 クーラーの冷房をガンガンに効かせながら、壁に貼られたカレンダーを見つめて、そろそろ夏休みが来ることに気づいた。そう言えば、僕が休み出す前、各教科の先生が夏休みの課題を配っていたっけ。僕はリュックの中を確認すると、それぞれの課題が入っていた。見た瞬間にバックれてしまおうとか考えた。どうせこれから先学校へ足を運ぶことはない。なら、やらなくても同じだ。そう思うことにした。
 ………
 なんとなく暇だ。
 僕は適当に着替えて、靴を履いて危険だが外へ出ることにした。ほかの誰かに姿を見られたら大変だ。
 心ではそう思ったが、大して気にする様子もなしに、とにかくどこかへ向かって歩いた。財布を持って。歩いて歩いて、気づくと駅にいた。少し街中へ行こう。
 切符を買って電車に乗って、数駅乗り過ごして街中へ。僕の学校の生徒はここをよく「マチ」と呼んだ。多分、共通語なんだろう。マチと言えば誰にでも通じた。
 駅のホームから出、またぶらぶらと歩く。左右には大きなビルが立ち並び、数多くのお店もあった。
 なんの目的もなくただぼーっと歩いていく。そう言えば、そろそろお昼時か。
 お店からは色々ないい匂いがした。
 愛夜さんと行きたかったな……
 ぼーっとしていると、曲がり角でスーツ姿の誰かとぶつかってしまった。
 「ぅわっ」
 「おっと」
 すみませんと謝ろうとして目線を上にやると、その顔は見た事のある顔をしていた。
 「誠司さん?」
 「え?あ!君かー」
 ぶつかった相手が僕だとわかると、ほっとした様な顔をした。
 「悪かったね」
 「いえ、すみません。お忙しいところ」
 「いや、いいんだ。今は昼休み中だから」
 「そうなんですか」
 僕は疲れきっていたせいか、社交的な返しができているか分からなかった。もう、愛想を忘れていた。
 「大丈夫かい?」
 誠司さんはそれだけ聞くと、本当に心配そうな眼差しで僕を見ていた。また僕が死のうとしてると思ったんだろう。なんだか申し訳なかった。
 「いや、大丈夫ですよ。流石にもう死ぬ勇気はないです」
 僕がそういうと、「よかった」と本当に良さそうに言った。少しだけ何故か嬉しかった。
 両親の以内僕には、こうやって僕自身のことを心配してくれる人はいなかった。だから、安心していた。嬉しかった。
 「好きな人が弱っていくのは見たくないよな。俺もそうだ、分かるよ、でも愛夜は会いたいってよ」
 誠司さんはそう言うと、微笑んだ。
 「それに、頼み事があるらしいから、聞きに行くだけでもしてやってくれ」
 誠司さんは僕の方をポンポンと叩くと、そのまますれ違う形で去ってしまった。かっこいいと思った。愛している人の望む道を尊重して、自分は後回しで、それに僕みたいにうじうじもせずにただ前だけを見て。それだけでかっこいい人だと思った。
 「いや……」
 頭の中で否定しようと言葉を探した。図星をつかれて、素直にそうですねとは言いたくなかった。でも、言葉は何も無かった。
 「………そうですね……」
 絞り出すように小さな声で呟いた。最も、そんな声は誠司さんには届いていないけど。
 近くのコンビニで飲み物を買って、適当にベンチに腰をかけた。しばらくボーッとして、ため息が漏れた。その時だった、目の前をV系の服装でカツカツと音を立てて横切る見覚えのある顔が通った。
 「え?」
 不意に声が出て、つい目で追った。
 気のせい…ではなかった。
 「未来ちゃん?」
 未来ちゃんは僕が呼ぶと驚いたように肩をビクッとさせ、振り向きかけて走って去ろうとした。僕は気になってそのままそのあとを追いかけた。
 路地裏を曲がって曲がって大通りへ出て、また路地裏へ。
 見失いかけたところで、路地裏へと曲がると流石に疲れた未来ちゃんは息を切らして、壁に手をやって体重を支えお腹を抑えていた。
 「何?なんなの?」
 刺さるような口調で言われ、少し怯んだ。
 「いや、今日って普通に学校だよね?未来ちゃん、なんでここにいるの?」
 僕がそう問いかけると、未来ちゃんは振り返って呆れたような顔をした。
 「は?だったらなんであんたここにいんの?サボってんのは一緒でしょ」
 「あ……」
 「で?なに」
 「どこ行くの?そんな格好で」 
 「あんたには関係ない」
 「……助けたいよ」
 そういった後、もう言葉が出てこなくてつい黙り込んでしまった。だめだ、なにか、なにか話さなきゃ。
 「……私、あるおっさんに金請求されてんの。払えなかったら中出し。でもそれだけはダメだから毎回手前までやって金払わされてんの。5万」
 「え?」
 「あれー?ここにいたんだーりーおちゃん」
 未来ちゃんが思い口を開いて、いつもよりもずっと弱い声で話していた時、その後の方向から中年のおじさんの声がした。
 「……くそ」
 未来ちゃんは小さくそうこぼした。
 「今日もV系でかっこいいね~」
 おじさんはデレデレと頬を赤らめて未来ちゃんに近づいた。
 「でも、今日はロリータで行こうよ」
 おじさんはそのまま未来ちゃんに寄って腰に腕を回した。それはとても手慣れていて、愛人が何人もいる人のようだった。
 「おや?君誰?」
 少しおじさんの顔がきつくなった。
 「もしかして」
 「いいの。早く行こ?」
 未来ちゃんは今まで見たこともないような可愛い愛想の振り方をした。
 「そうだね。早くりおちゃんの体みたいよ♡」
 おじさんは僕には何もせずに、未来ちゃんを連れてそのまま立ち去ろうとした。しかし、僕の中の何かがそれを良しとしなかった。
 止めなきゃ。助けなきゃ。さっきの「もしも」はもしかして……
 「待って未来ちゃん!」
 叫ぶと、未来ちゃんは足を止めた。
 「なんだ君は。邪魔しようってのか!?」
 おじさんは血相を変えて僕の方へ走ってきた。
 怖くなった。その巨漢、顔、身長はないけどそれなりに迫力のある容姿、とにかく足が動かなかった。その瞬間腹部に痛みが走って意識が飛んだ。あっけなく地面に倒れて、多分、誰かに運ばれてる。

 
 手首に締め付けられている感覚を覚え、目が覚めた。目が覚めると、よくわからない場所に座らされていて、手首が合わせて後ろで、鉄の重い棚に縛り付けられていた。
 落としていた視線を上へやると、赤色で肘掛のところに手首を縛るものが付いているよくわからない椅子が置かれていた。奥の扉が開いて、さっきのおじさんが出てきた。
 「君、りおたんの知り合いなんでしょ?」
 「りお……たん?」
 「まぁいいよ。今からりおたんにお仕置きするんだ。それと、僕にしごかれるりおたんを見せて、君にも諦めてもらわないとね」
 おじさんは気味の悪い笑みを浮かべてそういった。
 「おいでーりおたん」
 そう言われると、横の扉から黒い目隠しをして、口に変なものをはめて手錠をした未来ちゃんが出てきた。
 「未来ちゃん!!」
 「さぁ、おいで」
 おじさんはそう言うと、未来ちゃんの服を脱がせようとした。僕は耐えられなくなった。
 手首の縄を解こうともがいていたら、指先に何か鋭利なものがかすれた感覚がした。
 「ぃった……」
 その瞬間名案が浮かんで、僕は棚の鉄に縄を上下に擦り続けた。
 僕の目の前では、未来ちゃんが見たこともないような体勢で聞いたこともないような声を出しているんだろう。僕は見ないようにして何度も縄を擦り続けた。
 「どうだい?僕の人形になる気分は」
 「とても……嬉しいです。私は……あなたのものですぅ」
 「ははは、そうだろ?あ、またお金お願いね?さぁ、開いてごらん」
 「……はぁい」
 「君、しっかり見てなよ?」
 「嫌だ!!僕は、、未来ちゃんにいつも強気な人でいて欲しいって思うから!」
  すると未来ちゃんは指示されたとおりにやろうとする手を止めた。
 「そんな弱気で、言うことを従う未来ちゃんは僕の知ってる未来ちゃんじゃないよ!!」
 「君、静かにしなよ」
 「毎日5万円請求してくるような男何かのために、未来ちゃんが消えてしまう必要なんかない!!」
 「……泣き虫のくせに……」
 未来ちゃんが、小さく呟いた。
 「助けたいから!!またあの頃みたいに!今度は僕が」
 言いかけた時、縄がようやく切れた。僕はその勢いのまま、前へ突き進んだ。全く警戒をしていなかったであろうおじさんは、向かってくる僕への対応が遅れた。
 「うおおおおぉ!!」
 
 それはとても一瞬の出来事で、僕からしたらきっと夢なんじゃないかとも思えた。こんな力のない僕でも、たった1人の男性なら簡単にどうにかすることくらい出来るんだと少し自信さえ湧いた。
 「…ありがと」
 帰り道、小さな声で未来ちゃんが呟いた。
 風に吹かれて、その言葉はよく聞こえなかった。でも、聞き返すことは出来なかった。聞き返したらまた未来ちゃんを怒らせてしまう気がした。
 「…うん」
 その代わり、絞り出すように小さな声でそう返した。
 「あんたが、いなかったら多分、私どうにかなってた」
 未来ちゃんにしては珍しく、僕に少し弱い声で優しく話してくれた。
 「なにか悩みがあるんなら、僕でよければ話してよ」
 「てか私、あんたに酷いことしたんだよ?なんで助けたん?」
 「え?………」
 答えに困った。でも、適切な言葉はすぐに出た。
 「関係ないよ」
 僕が一言そう返すと、未来ちゃんはなぜか涙目になった。
 「…ば、馬鹿じゃないの?泣き虫弱虫のくせに」
 そう言っている未来ちゃんの言葉は、前とは違って棘は感じなかった。ただ、なにか照れ隠しのように思えた。さらに、少し笑っているようにも見えた。
 「ホント、ありがと。ちゃんとあいつのことは何とかする。それと明日からあんたには何もしないって約束する」
 そんな言葉を聞いて、少し嬉しかった。
 その後で、未来ちゃんの口が動いて、頬を赤らめながら何かを言った。
 口が動いた時、ちょうど電車が通り過ぎて、その言葉は「口の動き」で終わってしまったが、その口の形で何を言ったのかはだいたい予想がついた。嬉しいというよりは驚きだった。それを言った未来ちゃんは目をそらして、恥ずかしそうに背を向けて走って去ってしまった。
 初めての感覚だった。胸の奥がドキドキして、熱かった。でも、愛夜さんと一緒にいる時に感じるものとは何かが違った。その熱量がただの熱で終わっている気がした。それ以上もそれ以下もないような感覚だった。
 好意を持たれるというのは、大抵がそういうことなのかもしれないと思えた。
 もう遅い。もう帰ろう。愛夜さんには明日会おう。


 翌日の朝。僕は学校に行くかどうか迷っていた。
 ハンガーにかけたままの制服を見て、昨日の未来ちゃんを思い出した。あんなに弱い未来ちゃんは初めて見た。でも、あれ以上は見たくなかった。
 時計で時間を確認して、ため息を漏らして、僕は家を出た。
 久しぶりの外で、少し太陽の日差しに怯んだ。カバンを背負い直して、僕はスニーカーのかかとを直して歩いた。歩きなれた道は、今までの暗い過去を蘇らせた。あんな形で逃げ出してから、僕は怖くて学校に通っていない。校門が近づいてきて、どんどん嫌になる。帰ろうか。今なら引き返しても平気だろう。一瞬足を止めた。
 ──やっぱり、帰ろうか
 戻ろうとした時、不意に後ろから声をかけられた。
 「おい根暗っ!」
 その声にびっくりして、やっぱり無理だと思った。
 「何休んでんだよー」
 しかし、その声の主はからかうように僕の方を腕を回して、笑っていた。いつもと違うと思った。
 「悪かったな、今まで」
 その人は僕にそう言った。確かにそう言った。
 教室に行ってからも、次々とみんなが僕に謝ってきた。どういうことかと思い、窓際にたつ未来ちゃんに視線をやると、未来ちゃんは僕にウインクをした。
 「おはよ、バカ根暗」
 相変わらず根暗と呼ぶのは変わっていなかったけど、その言葉には嫌なものはなんとなくなかった。
 誰もあの時逃げ出したことをいう人はいなくて、ただ、みんなが僕に優しくて今までのことが嘘のようだった。でも、みんな自身はそれを嘘にしようとしているようには見えなかった。
 ただ、純粋に嬉しかった。
 それからも授業中は、休んでいた分を教えてくれたり、休み時間も話しかけてくれたりと、今まででいもしなかった友達がいるような感じだった。
 「放課後空いてるか?」
 「放課後?……あ、用事がある」
 そんな会話もするようになっていた。放課後なんて家に帰ることが当たり前で、遊びに行くなんてしてなかった。ただ少し羨ましいとは思っていた。
 放課後になって僕は、昨日会えなかった愛夜さんに会いに行った。
 病室の前まで来て、僕は躊躇ってしまった。
 ──愛する人が死んでいくのは見たくないよな。
 誠司さんの言葉が脳裏を過ぎった。
 死。死んでいく。死ぬしかない運命。
 嫌になったけど、ここで変えることも出来なくて、僕は勇気を振り絞ってドアを開けた。
 病室にはいつも通り愛夜さんがいた。
 しかし、容姿はいつも通りではなかった。だんだん衰弱している気がした。つい目を逸らしてしまった。
 「久しぶりだね」
 愛夜さんが急にそんなことを言い出した。そんなに、会っていなかっただろうか?
 「そんなに時間あきましたか?」
 「うん、なんとなく。いつも看護師さんしか見ないから……本当は四六時中君にここにいて欲しいけどね」
 愛夜さんは悪戯な笑顔を見せてそう言った。
 「誠司さんじゃないんですか?」
 僕は冗談でもいうように少し笑い混じりに言った。
 「……誠司は、いつも前にいる人だから」
 「え?」
 「誠司は前を歩いて私を引いてくれる人。君は一緒に隣を歩いてくれる人」
 愛夜さんが優しい顔をしてそういった。その言葉はとても温かくて、心に深く入り込んだ。
 「あ、今何か言いたいことあるでしょ?」
 愛夜さんは僕の顔を覗き込んでそう言った。
 その顔を見て、目をそらして、僕はまた躊躇った。こんなこと聞いていいかも分からないし、聞いたところで結論なんか見えてる。聞いてどうするのかもわからない。傷つく………のかな
 「………愛夜さんは、どっちがいいですか?」
 思い口がいきなり開いたと思ったら、そんなことを聞いていた。
 それを聞かれた愛夜さんは少し困った顔をした。
 「……隣を歩く人」
 静かにそう言った。
 僕は驚いて、落としていた目線を愛夜さんへ上げた。
 いつもならここではぐらかしたり、変に誤魔化すのに、今日だけ、今だけは直球で、質問にちゃんとした回答を返した。
 僕は驚いて言葉が全く出てこなかった。
 「驚いたでしょ?でも、これじゃ浮気だね」
 愛夜さんはまた悪戯な笑顔を見せた。
 「おいで」
 黙ったまま固まる僕に、両手を差し出して言った。僕は椅子をずらして、愛夜さんの近くへよった。すると、いきなり愛夜さんが僕を抱き寄せた。
 その瞬間、熱いものが目からこぼれ落ちた。
 体温なんか感じなかった。細くて、白い。冷たくはなかったが、温かくもなかった。サラサラの銀髪が窓から吹き付ける風に少しなびいた。
 「あ、愛夜さん」
 僕が我に返って、肩に手をやり離そうとすると、愛夜さんはもっと強く抱きしめた。
 「ちょっ」
 「行かないで」
 涙混じりのその言葉は、震えていて、心の置くのなにかに深く突き刺さった。
 「少しだけ、このままでいさせて」
 吐息が耳に直接近距離で当たって、顔が赤くなるのがわかった。愛夜さんの頬が耳に当たっている気がした。腕や肩から愛夜さんの呼吸がわかって、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしていた。もうおかしくなりそうだった。
 ──壊れそう……
 「私のお願い、聞いてくれる?」
 あ、誠司さんの言ってた愛夜さんの頼み事だ。
 ──だめだ 
 「6月19日13:00、誰よりも先にここに来て」
 「6月19日ですか?」
 「そう。絶対に」
 「……わかりました」
 ──もう……
 それを言うと、愛夜さんは僕の体からゆっくりと腕を解いた。2人の体が少しずつ離れて、切なくなった。
 手が離れる瞬間、僕は離れる愛夜さんの手を引いた。
 僕は強く愛夜さんを抱きしめた。離れないように強く。強く。
 離したくない。離れないで。
 「行かないでください……どこにも」
 離してしまったら、もう二度と会えない。そんな気がする。怖くなった。このまま離してしまうのが。
 「離れたくないです。離したくないんです」
 「……君にしては、珍しいね」
 愛夜さんは僕の背中に腕を回すと、ポンポンとあやす様に軽く叩いた。
 ゆっくりと腕を解いて、愛夜さんの手を握った。点滴の管が腕に刺されていて、指には青い何かが付いていた。何かはわからなかった。
 その時、僕の心は完全に壊れていた。
 ダメだとわかっているのに
 「愛夜さん……」
 僕は自分の口を愛夜さんの口へ近づけた。
 愛夜さんは、なぜか拒まなかった。
 唇が重なって、変な感覚になって初めて気づいた。でも、離さなかった。僕は、彼氏のいる女の人にキスをしたんだ。愚かだと思った。
 愛夜さん……
 「好きです」
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