夏が来る頃に

リンネ

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 あの日から2日後、僕は誠司さんに愛夜さんからのお願い事の件で相談していて、初めて気づい事実があった。それは、愛夜さんは6月19日の12:00から手術が行われるということ。
 「手術ですか?」
 「あれ?聞いてなかったの?」
 「手術をするっていうのは知ってたんですけど、明日っていうのは今初めて知りました」
 「おかしいな、愛夜なら真っ先に君に言いそうなのに」
 誠司さんも今回だけはなぜ僕に話さなかったのか謎らしかった。
 「というか、手術って」
 「うん。永命病を治すための手術」
 「ってことは、明日の手術終了後の13:00にはもう」
 「……そうだね」
 僕は言葉を失った。ショッキングというか、なんとも言えないけど。
 なんで?なんで手術前じゃなくて術後なんだろうか。
 そもそも……明日には、愛夜さんは死んでしまうの?
 「でも、死ぬんじゃない、治すんだよ」
 治す=死ぬ
 そんな悲しい結末があるの?そんな悲しい運命……
 「行ってきなよ」 
 誠司さんは、そんな僕を見据えて微笑みながら言った。
 「誠司さんは?」
 「俺は、もう会いすぎるほど会った。それにこれ以上会ったら、愛夜の手術が嫌になってしまう。そんなの愛夜が嫌だろ?」
  誠司さんの言葉が刺さった。そういえば今の僕は、愛夜さんの手術を嫌がっているのではないか?それでいいのか?
 「最後になるだろうから、言いたいことは言いなよ?」
 誠司さんはそう言うと黙り込んでしまった。
 僕は………決めた。
 「行ってきます」
 僕は誠司さんにそう言い残すと、コーヒー代だけ置いて、急いで店を出て愛夜さんのいる病院へ走った。
 走って走って走って、とうとう口の中が血の味になった。
 ──僕は愛夜さんが手術をすることをどう思ってるんだろう。めでたくはない。だって死んでしまうから。でも病気は治る。なら、この手術はきっと、喜ぶべきなのかもしれない。
 もう目の前に病院はあって、受付を通っていつもの病室へ息を整えながら行った。
 ノックをして中に入った。中に入ると、愛夜さんはいつも通りベッドの上にいた。
 「今日は早いね」
 「はい」
 「もしかして、手術のこと聞いた?」
 「……」
 「聞いちゃったよねー、その顔じゃ」 
 「変な顔してますか?」
 「別にぃー」
 なんで?とは聞かなかった。なんで手術を受けるかなんて知ってる。だから聞く必要は無いでしょう?
 「手術、明日受けるんですね」
 「うん……もしかして、嫌?」
 「……愛夜さんが幸せになるなら耐えられます」
 「え?」
 「手術、成功するといいですね」
 僕は精一杯の笑顔で言った。
 「そうだね」
 愛夜さんは、いやに素直な僕に驚いていたが、すぐに笑顔に戻ってそう返した。
 それから僕は、愛夜さんと話をして3時間ほどそこにい続けた。
 ──好きだから。愛夜さんすきなひとの幸せは、僕の幸せだから。
 
 その日の夜、僕は未来ちゃんにショートメールを送った。
 「明日の12:45頃、学校を抜け出したいんだけど、どうしたらいいだろう?」
 送ったあと、案外すぐに既読がついて、返信が来た。
 「自分で考えろ」
 うっ…そう思ったが、すぐに追加のメールが来た。
 「嘘(笑)みんなで協力してなんとかするよ。どうせ愛夜のことだろ?」
 ものすごく抽象的な返答で少し怪しかったが、そこは信じようと思った。
 「ありがとう」
 そう返して、スタンプもつけておいた。
 未来ちゃんが僕に協力的になってくれて、本当に嬉しかった。今までは、嫌悪感に敵対心むき出しだったが、今となっては全く真逆。本当は、未来ちゃんは優しくて人の痛みがわかる人だから。
 僕は、携帯を机の上に置いてベッドに横たわった。
 明日には死んでしまう好きな人。
 明日には会えなくなる好きな人。
 どうして出会ってしまったのかな。
 いつか後悔するんだ。君に恋したこと。
 何も知らない、顔も名前も知らない他人のままでいられたなら、きっとこんなに苦しくなることは無かったのかな。
 君を知って、君と話して、君と過ごして、
 多くの時間を君と過ごして、君が好きになって。
 キスをして、抱きしめ合って。
 愛夜さんの体温が、呼吸が、吐息が、鼓動が全て好きだから。苦しいんだ。今、この時が……
 本当は四六時中、あなたの隣にいたい。
 深く目を閉じて、無理やり夢を見ようとした。目を瞑って時間が経つのを待っていたら、次の日の朝になっていた。
 
 愛夜さんが死んでしまう日。ダメだ。違う、愛夜さんの病気が治る日だよね。
 制服に着替えて、髪型を整えて、僕はいつも通りの道を歩いた。
 学校について、未来ちゃんと昼に抜け出すための計画を立てた。運がいいことにちょうどお昼休みの時間のため、抜け出すのは案外容易に思える。
 お昼まで普通に授業を受けて、さりげなく校舎の外へ。策を乗り越えて、目標の病院へ。
 午前の授業は不思議なことにいつもより頭に入ってきた。
 落ち着いていた。心も体も、普通だった。
 自分でもおかしいと思った。好きな人が死んでしまうのに、こんなにも色々が落ち着いているのは、サイコパスなんじゃないかとも思った。しかし、違う。何か受け入れているんだ。
 勝負のお昼休み。僕は未来ちゃんの協力で、無事先生の目を眩ませて、無事策の外へ出た。
 「気をつけてね」
 僕が去る直前に未来ちゃんはそう言った。
 僕は、愛夜さんの病院まで、ただただ走った。
 いろんな思いが溢れた。
 死んでしまう愛夜さんのこと、今まで元気に振舞って笑いあっていた愛夜さんの、余裕が明らかに無くなっていく様子。初めてあった頃よりも痩せた体。サラサラな銀髪。その美しい姿に僕はいつも魅せられていた。
 溢れて、溢れて、止めきれなくて、熱いものに変わった目から溢れ出た。止まらなくて、ただただ溢れ続けた。
 
 病院の前まで来て、息を切らしながら愛夜さんの病室までまた走った。看護師は哀れむような目で僕を見ていた。
 時計は13:00ちょうど。
 もしまだいるなら
 もしまだ生きているなら
 もしまだそこに
 もしもまだそのベッドの上に
 もしもまだあの頃のように
 まだそこにいるなら………!!!
 病室の前まで来て、勢いよくドアを開けた。
 飛び込んできたのは、誰もいないベッド……
















 もう、愛夜さんはいなかった。
 でも、まるでさっきまでここにいたような雰囲気があった。
 ベッドの方までいって、誰もいないベッドを見つめた。
 椅子に腰をかけて、枕に手をやった。
 整ったシーツを握りしめてぐしゃぐしゃにして、目線を落とした。
 そして、両手を布団の方へやると、何か紙が音を立てた。
 カサっと音がした。
  (ん?)
 そこには、白い封筒に『君へ』と書かれた手紙のようなものがあった。手に取り裏側を見ると、『時雨愛夜より』とあった。
 僕はそれを見つけた瞬間、「誰よりも先に来て」と言った愛夜さんの言葉の意味がわかった気がした。
 それを手に取っただけで、既に目から熱いものがこぼれ落ちそうになった。僕は、目から溢れるそれを袖で拭って、しっかりと『君へ』の文字を見た。初めて、愛夜さんの書いた字を見た。闘病中に書いたじとは思えないほどきれいな字だった。
 僕は、少し緊張しながらその封筒を開いて、中から数枚の手紙を出した。
 3つ折りにされたその紙を広げて、僕は文面を目にした。
 
 君へ。
 君がこれを読んでいるということは、私は手術に成功して、君の認識では「死んでいる」んだと思う。
 LLDの投与、手術の実行を君の許可無く勝手に話を進めてしまったこと、私は真っ先に謝らないといけないね。本当は直接謝るはずだったのに、もうそんな余裕もなくて、こんな形になってしまってごめんなさい。でも、本当のところは話すのが怖かった、というか、嫌だった。君を苦しめてしまう気がしたの。君は多分、嫌とは言わない人だから、「いいよ」って言ってしまう人だから。本当は嫌なくせにね。だから、無理して君からの許可を得るなら、君の知らないうちに何もかも終わりにしようと思ったの。誠司のせいで全部バレて、結局君を苦しめてしまったけど笑
 ねぇ、つい最近話したこと、君は隣を歩いてくれる人って話でね、本当に君は、人の痛みがわかる人だから。
 気にしすぎるほど人のことを気にして、いつも他人のことばかり。自分のしたいこと、欲しいもの、なにもかも言わないでしまってしまう。しまいすぎて、いつか自分を忘れてしまった。そうでしょ?
 
 ねぇ、私、ずっと1人だったの。死にたくても死ねなくて、ただただ大切な人が消えていくの。
 でも、偶然出会った君は、私と同じ目をしていて、仲良くなれそうな気がしたの。私、ずっと1人だったけど、君が何度も私のところに来てくれて、すごく嬉しかった。いつも気味悪がられて、1人ぼっちだったから。
 君とキスをした日、君は「好き」って言ってくれた。誠司がいう好きとは違って、すごく嬉しかった。浮気みたいだね笑
 私のいない世界で、寂しくない?
 もう死にたいなんて思ってるのかな。
 でもね、死なないで。
 いい?これが私の本当のお願いだよ。
 私がいない世界でも、ちゃんと生きたかった私の代わりに、生きてください。
 もう君は1人じゃないから。
 今の君ならきっと平気だから。
 君なら私がいなくても生きていけるから。
 君は、決して1人ではなかったし、私も1人ではなかったよ。
 だって君がいてくれたから。
 前にも言ったよね?誠司は前を歩く人。君は隣を歩いてくれる人。
 手を繋いで、同じスピードで歩いてくれる人。
 私には誠司という彼氏がいた。けれど、私は君のことも好きです。ホント、浮気だね笑
 なんて思ってもらってもいいよ。
 でも、気味悪がられた私の、唯一の支えは君だけだから。君がいてくれたから、生きたいって思えた。
 本当は、生きたかった。
 本当は、君と遊びたい。
 本当は、君と出かけたい。
 本当は、君と話したい。
 本当は、君のそばにいたい。
 本当は、四六時中一緒にいたい。
 本当は、君を愛してました。
 普通に生きたかったな。もし、永命病じゃなかったら、今頃退院して、君と遊園地行ってたかな。誠司と家族になっていたかな。分からない。分からないけれど、本当は、いきたいよ
 でも、こんなこと言っても仕方が無いね。
 もし生まれ変わったなら、次は君の恋人に。
 大好き。
 あ、前に話した昔ここであった小さな男の子、もしかしたら君だったのかもしれないね。初めて会った時なにか感じたの。あの時あの名前に君が反応した理由がわかったよ。
 もう、本当の自分を隠すんじゃないよ?
 長くなるから、そろそろお別れにしようかな。
 最後に、愛していました。誠司も、君も。
 これからは、ちゃんと前を向いて、ちゃんと生きて。
 君は私のヒーローだから。
 大好きです。折戸琥白おりとこはくくん。
 時雨愛夜より。


 目から熱いものが溢れた。溢れすぎておかしくなりそうだった。誰もいないベッドのシーツに顔を押し付けて、シーツをぐしゃぐしゃに握りしめた。
 ずるいよ。
 そんなの。
 勝ち逃げなんて酷いよ。
 まだ僕は、あなたに何もしてあげてない。
 あなたは僕に大して何かしたから満足かもしれない。けれど、僕はまだあなたに何も返してない。まだ何も言えてない。最後に交わしたのだって、「好きです」なんて自分勝手な思いだけ。「ありがとう」の一言も言えてないのに……何も言わずにいなくなってしまったのは、あなたじゃないか…
 待ってよ。
 待ってよ、ねぇ。
 もっと一緒にいたい。どこかへ出かけたい。本当は四六時中隣にいたかった……
 いかないでよ……

 愛夜さんの言葉が、笑顔が、声が蘇るように頭の中で反芻させた。
 消えなかった。そう簡単によしとしていいような事じゃない。愛夜さんがいないのは嫌だ。
 泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて……シーツに涙が落ちて、シミみたいになって、ピンとなっていたシーツもシワだらけでぐしゃぐしゃ。これは怒られるなって思いながら、でも泣くことをやめるのはできなかった。
 足音がして、病室に誰かが入ってきた。でも、その人は何も言わずに僕の背中に手をやって僕をあやす様にポンポンとやった。叔母だとわかった。
 僕は、それをされた瞬間、それが愛夜さんのように思えて、人目もはばからずに大泣きした。声をあげ、顔をぐしゃぐしゃにして、泣き喚いた。隣の叔母さえ泣いている気がした。
 ただ願った。ただ祈った。
 もう誰もいないベッド。
 もう何も無い白いベッド。
 何も無い、愛夜さんもいない空間で、廊下を越え受付まで届くんじゃないかって声で、ただただ泣き喚いた。
 まるでそれさえ、愛夜さんが聞いていることを願いながら。
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