この世界の片隅で

茜るるる

文字の大きさ
5 / 8

第5話 怪しい誘い

しおりを挟む



 日があまり差し込まない寒い路地。手をめいっぱい伸ばせば届きそうな距離を保ったまま、男とケモノが見つめ合う。
 ケモノはその男が背負った金色に輝く剣は見覚えがあった。剣だけじゃない、その声も顔も、それは紛れもなくイゼッタの街へ来るまでの馬車に乗っていた男に違いなかった。

 ケモノが足に少しだけ力を入れた。
 ギュッと地面を押し出すような感覚がケモノに伝わる。どうやら強張っていた身体は既にほぐれ、自由が利くようだ。

 ただ不思議なことに、ケモノはその場から逃げようという気はさらさらなかった。逃げ切る自信がないわけでもなく、捕まるような心配をしていたわけでもない。もしかしたら一度会っているという安心感なのかもしれないが、ケモノ自身もその理由は分かってはいなかった。


「座ってもいいか?」


 見つめあった沈黙を破るように、男が不意に口を開いた。
 男は獣人になれているのか、まるで普通の子供に話しかけるような喋り方で、そのあまりにも予想外の男の言葉にケモノは少し戸惑った。が、優しく微笑みかける男に、ケモノはゆっくりと小さく頷いた。


「ふぅー……よっこらせっと」


 ケモノのしぐさを確認した男は、年を感じさせるような深い息と共にケモノの隣に腰をおろす。
 手を伸ばせばすぐにでも捕まえられそうな距離。そんなすぐ近くに人間がいるにも拘らず、ケモノの心はいつも以上に平常を保っていた。


「嬢ちゃんこれからどうすんだ?」


「……」


 黙り込むケモノを横目に、男は服の中に手を突っ込んだ。そして数秒ほど何かを探すフリをして、何事もなかったかのようにその腕を戻した。


「なぁ嬢ちゃん、俺はこれから海を渡ろうと思ってんだ」


「海を……?」


 男の言葉に惹かれたのか、ケモノが男を見つめる。
 男が来てからというもののケモノが一度も言葉を発していなかったせいか、男はうっすらと笑みを浮かべて、またその口を開き始めた。


「そうだ、海を渡るんだ。なんでもサクリラ大陸の山奥にゃあどんな願いでも叶える女神がいるって噂を聞いたもんでな」


 男は女神を想像したのか、どこか嬉しそうに口元をにやつかせた。


「なぁ嬢ちゃん、ここでまた会えたのも何かの縁だ。俺と一緒に来ねぇか?」


 男は唐突に立ち上がり、隣で少し驚いた様子のケモノを見下ろした。
 ケモノは少し渋った顔を浮かべ、その誘いにはあまり乗り気な様子なのは一目瞭然だった。が、男にあきらめた様子はなく、建物の間から見える空を見上げた。


「せっかく自由があるってのに、こんな影にいちゃあ勿体ねぇだろ」


「でも……」


 小さく呟いたケモノは男から視線を外し、地面に生えた元気のない草を見つめた。


「お金も持ってないし……私のせいで騒ぎにもなってるから船なんて……」


「はっはっは、心配すんじゃねぇ。そのためにこれがあんだ」


 機嫌よく笑い声をあげた男は胸元に手を潜り込ませ、先ほど確認したであろう小さく折りたたまれた白い何かを取り出した。そしてその白い何かを丁寧に広げ、ケモノの視界に入るように見せびらかす。


「どうだ?立派なもんだろう」


 男が自慢げにフフンと鼻を鳴らした。
 それもそのはず、男が広げたのは大人一人が入れるほどに大きな麻袋。ケモノ一人程度なら悠々と入れることは一目見て明らかで、それほど大きな麻袋がそう簡単に手に入るようなものではないことをケモノも知っていた。


「なあ嬢ちゃん、俺と一緒に来ねぇか?」


「でも……」


 男の誘いに、ケモノが場を濁す。
 ケモノが獣人であることが知られている以上、いつまでもイゼッタの町にいられないことは分かっていた。それに、いつかは追手がこの町まで来ることを考えると、早めにアルティナ大陸から出た方がいいこともケモノは理解していた。

 ただ、今のケモノにとってはここから動かないことが一番楽で、一番安全であることは確かだった。
 だからこそ、ケモノは男の誘いに頷けずに、そして断れずにいた。


「俺はよ、人間と獣人が一緒に暮らせる世界を作りたいんだ」


 男は持っていた麻袋を地面に置き、悲しそうな表情で口を開いた。


「なぁ嬢ちゃん、もし嬢ちゃんが今迷ってるっていうなら、この歪んだ世界を変えるのを手伝ってくれないか?俺は人間だから……獣人の気持ちを分かりたくても分かれねぇんだ……」


「……」


 ケモノは男を見つめ、開こうとしたその口をすぐさま閉じた。何か言いたくて、しかし何かが邪魔をしてケモノは声が出なかった。
 が、数秒ほど黙り込んだケモノはどこか意を決した様子で、目の前にいる男の顔を改めて見つめた。

 ケモノにとってここまであたりまえのように話せる人間は、これまでの人生で数える程度にしかおらず、まるでお互いを知っているようなそんな感覚だった。
 どうしてここにいるのか。どうしてケモノを連れていくのか。そんな疑問すら思い浮かばないほどに、ケモノは男を信用してみてもいいかもしれないと感じていた。


「私……役に立つかな?」


 不安げに尋ねるケモノに、男は『勿論』といわんばかりに大きく頷いた。


「じゃあ……私頑張るから」


 そう言ったケモノを見て、男の表情が少しだけ綻んだ。
 その顔はきっと、ケモノには純粋に喜んだ顔に見えたのかもしれない。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

酔っぱらったせいで、勇者パーティーを洗脳してしまった

透けてるブランディシュカ
ファンタジー
悪友のせいで酔ったら。(※重複投稿しています)仲仁へび

処理中です...