この世界の片隅で

茜るるる

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第6話 男と船と

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「んじゃあこの中に入ってくれるか?」


 そう言って男は麻袋の口を広げた。何の変哲もない、本当にただの大きな麻袋のようだ。
 ケモノは男を一切疑うことなく、男に誘導されるがままに大きく開いたその口に足を踏み入れた。


「よし、じゃああんまり動くなよ?」


 袋の中で膝を抱えて座り込むケモノを見下ろし、男が声をかけた。
 ケモノは声には出さないものの、その言葉に一度だけ頷いた。そしてゆっくり閉まっていく麻袋の口から、にんまりと笑う男の顔を見つめた。


「よし行くか」


 満面の笑みを浮かべた男は麻袋から垂れた紐を肩に担ぎ、勢いよくその腰を上げる。
 想像していたよりもずっと軽く持ち上がった麻袋に一瞬戸惑うものの、港町には似合わないほどに大きく膨れ上がった袋を肩に下げ、船が待つ港へと軽やかに足を進めた。



 昼下がりの港町はいつもと同じように流れていく。

 その袋の中身が気になる者もいなければ、ケモノが入っているのではないかと怪しむ者なんてだれ一人としていない。まるで初めからケモノという存在がなかったように、騒がしかったイゼッタの露店は道行く人で賑わっていた。
 無論、分厚い麻に閉じ込められたケモノにはその光景を知る由もなかった。

 男は賑わう露店に一切の視線を移すことなく、一直線に船着き場へと向かう。先ほどまで泊まっていた船は既に出航したようで、波止場には替わりの少し小さめの船が泊まっていた。騒ぎを感じ取ったのか、ケモノにエニグの粉の運搬を頼んだ船乗りたちの姿もそこにはなかった。

 男は船乗りに無言で一人分の乗船券を渡し、そのまま船へと乗り込んだ。そして船の中を数分ほど歩いた男は人の気配がない廊下を見つけ、ケモノが入った麻袋を床におろした。
 床に置いてみると不自然に動く麻袋。その口の紐を男が解くと、苦しそうな様子のケモノが麻袋の口から顔を覗かせた。


「おじさん、ありがとう」


「なっ……おじ……」


 笑顔を浮かべるケモノとは対照的に、男はケモノの言葉に一瞬顔を強張らせた。


「……?」


「いや、なんでもない」


 不思議そうな表情を浮かべるケモノに、男は少し呆れた様子で顔を抑えた。


「それよりも、船に乗れたからといって安全が保障されたわけじゃねぇからな。見て回るのはいいが、あまり目立たないようにしておけよ」


 そう言って男は麻袋の底に転がっていた帽子を力強くケモノの頭に被せる。


「さてと……。ロクス港まで1時間ほどだが、どうするか」


 フーっと面倒くさそうな鼻息をひとつ吐いた男がケモノを見つめた。
 お前に合わせると言っているような、邪魔だと言っているような、何とも言えないその表情にケモノは目のやり場を失う。


「まぁ折角だからな……。甲板の方にでも行ってみるか」


 そんなケモノの様子を察したのか、意外にも男の方から口を開いた。
 その言葉にケモノは首を縦に振るものの、やはり男はどことなくけだるそうな感じだ。



 甲板へと続く階段を上がり、ケモノと男は陽気な日差しに目を細めた。船内の廊下とは違い、大人から子供までそれなりに人で賑わってはいるが、どうやら獣人はいなさそうだ。

 ボォー
 と、この日何度か聞いた音が耳元で大きく轟いた。まるでケモノが甲板に出てくるのを待っていたかのように、ケモノたちを乗せた船がゆらりと動き出す。と同時に、鳴き声と共にカモメの影が楽しそうに床に黒く彩り始めた。


「嬢ちゃんは船に乗ったことはあるのか?」


 甲板の先端に向けて歩きながら男が尋ねた。
 ケモノは男にわかる程度に小さく首を横に振る。


「じゃあアルティナから出たこともねぇのか」


 その言葉にケモノはコクリと小さく頷いた。男はさらに何か聞きたそうに口を動かしたが、甲板の先端に着いたためかその言葉を口に出すことはなかった。

 男に続いて看板の先端に着いたケモノは物珍しそうに柵から身を少しだけ乗り出した。ただ波打つだけの水面を、ケモノは口を開き楽しそうに眺める。
 船が揺れるたびにかき分けられる水は白い波を打ち、数秒後には暗い海に飲み込まれて消えていく。男にはその魅力が一切理解できなかったようで、代わりにその様子をじっと眺めるケモノを見つめた。


「じゃあ俺はあっちの椅子で休んでるから、あまり目立つようなことはするなよ」


 十数秒ほどケモノを見守った男はそう言うと、ケモノの反応も待たずにその場を離れた。

 ケモノは男の背中を見送り、そしてもう一度深い海を覗き込んだ。黒くて先が見えない海を見ていると、小さな頃に主に読んでもらった海底都市の話を思い出した。
 もう何年も前の話。ケモノもあまり内容は覚えてはいないが、主から聞かされたその話が好きだったことは覚えていた。

 数分ほど海を眺めていたケモノだったが、同じような光景に飽きたようで、男を追うようにケモノもその場を離れた。


「おかーさん早く早く!」


 ケモノとすれ違うように走り過ぎていった子供が大きな声で叫んだ。ついさっきまでケモノがいた場所で手を振る子供を、ケモノの視線の先にいる母親らしき女性が優しい笑顔で見守っていた。





 生まれた時のことは覚えていない。

 物心ついたときには既に主の屋敷におり、自分の親の顔も知らなければ、一緒に過ごした記憶すら何一つない。それでも、優しい主と姉のような獣人がいたおかげで、ケモノは辛いと感じることはほとんどなかった。

 しかし、ケモノが成長するにつれその環境も変わっていった。
 屋敷の獣人が増えるにつれ優劣は顕著になり、それこそ獣人にもなり切れなかったケモノの肩身は狭かった。だが、そんなことはケモノにとっては本当に些細なことだった。親のような存在だった主が変わっていくこと、それがケモノにとっては何より辛かった。



 甲板の先頭からすぐ近く、先程の子供と母親が笑い合っているのが見える場所に男は座っていた。緩やかな背もたれにもたれている男はどうやら夢の世界にいるようで、ケモノは男を起こさないように男の隣に座った。

 ケモノがジッと男の寝顔を見つめる。
 髭の生えた濃い顔。がっしりとした体つきではあるが、やはり40歳相応の皺が所々にあるようだ。

 自分の親も生きていたら男くらいの年なのだろう、なんてことを想像してみた。


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