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【06】【全3話完結】君の左に立つために (ゼルxカイン)
君の左に立つために 第1話 一拍でいい
黒燈ギルドの訓練室には、朝の冷えが残っている。
硬い石床と、幾筋もの古い刃傷が走る壁。天井近くの魔石灯はまだ弱く、部屋の隅に並ぶ木人と黒い標的札へ青灰色の影を落としていた。
カインはその中央に立っている。
厚い保護布が黒い眼帯へ変わり、傷も塞がった。体力も戻り始めている。だが、身体が動くことと、以前と同じように戦えることは別だった。
足音も衣擦れも拾う。床へ移る重みや、刃が空気を押す前の細い圧にも身体は反応する。
だが、右目ひとつで距離と奥行きを測り、視界から外れた左側まで含めて位置を組み直すことには、まだ身体が慣れていない。顔を向ける角度がわずかに深すぎたり、踏み込む前に足場を確かめる時間が一瞬増えたりする。
以前なら視界の端で拾えていた動きへ、一拍遅れることもあった。
その一拍が命取りになる。
ゼルは靴底で石床を軽く擦った。
わざと残した小さな音に、カインの右目が動く。
視線だけが先に音を追い、遅れて顎がそちらへ向いた。以前なら目だけで済んだ角度だ。
カイン自身もそれに気づいたらしい。眉間へ一瞬だけ皺が寄る。
「カイン」
「ああ」
ゼルは左側へ回り込みながら、もう一度足音を残した。
「左に入るよ」
「聞こえている」
「知っている。でも言う」
「勝手にしろ」
事件の夜から、こうして左へ入る前には声をかけている。椅子を引く時も音を残し、足音も完全には消さない。
術より先に始めた、二人だけの手順だった。
見えない場所へ、ゼルが勝手に入り込まないための。
ゼルは壁際まで移動し、右腕の黒銀腕輪へ指を置いた。
黒銀腕輪の縁へ指を置く。今のゼルが頼れるのは、掌の角度と指の動き、そこへ流す魔力量の加減だけだった。
「始めるよ」
「来い」
カインが右手の短剣を構える。
ゼルはそれを見届けてから、石床へ右の掌をついた。
接触点から《静域》の薄い銀青が広がる。指先の影から走った暗い藍紫の《影糸》は、壁際と天井、左後方へ伸びていった。
必要なのはそこまでだったはずなのに、背後へもう一本が増える。さらに右側にも別の糸が走った。
カインの眉がわずかに寄る。
以前より糸そのものは細い。だが、本数が多い。
二年前、ゼルが黒燈へ入ったばかりの頃。まだ正式な相棒でもなかったカインと、七日間だけ臨時のペアを組んだことがある。
その時、何度も言われた。
――俺の後を追うな。
ゼルが「先に張る」と返せば、
――見てから送るな。
――動く前に寄越す。
そして最後には、
――合わせろ。俺を動かすな。
広く張れば進路を殺す。守ろうとして囲えば、カインが前へ出る空間まで奪う。だから必要な場所へ、動くより先に細く置く。
もう知っているはずだった。
それなのに、左目を失ったカインを前にすると指が止まらない。
背後へ一本。
右へも一本。
一つでも見落としたくない。
もう二度と、遅れたくない。
その恐怖が、そのまま糸の数になっていた。
「標的を三つ動かす」
ゼルが滑車へ目を向けると、カインは短剣を構えたまま聞く。
「位置は」
「右前、左後方、上」
「ああ」
滑車が動き、梁を通る革紐が乾いた音を立てた。
右前の札へカインは一歩で詰める。短剣の柄が木札の中心を打ち、跳ねた金具が硬く鳴った。
続いて頭上から落ちてきた札にも、振り返らず刃の角度だけを変えて対応する。
最後は左後方だった。
カインが身体を向けるより先に、ゼルは《共感視》を繋ぐ。
左側の位置と距離だけを渡すつもりだった。
だが、接続はまだ粗い。
床を滑る音。標的の軌道。遠い木人の軋み。壁から返る反響に、ゼル自身の魔力の揺れまで重なる。
押し込まれた感覚に、カインの左肩が強張った。背から腰へ緊張が走り、踏み出しかけた左足が半拍だけ床へ残る。
その半拍へ、木札が入った。
角が左肩の革を擦り、乾いた音を立てる。
ゼルの指が閉じた。
「止める」
「止めるな」
低い声はカインのものだった。
短剣は下がっていない。右目だけが、左肩を見たゼルへ向けられている。
「今のは――」
「渡しすぎだ」
ゼルの喉が詰まる。
自分でも分かっていたから、返事が遅れた。
「……分かっている」
「分かっている奴の術じゃない」
カインは左肩を一度回した。
傷を確かめる動きではない。噛み合わなかった身体の感覚を、押し戻すような動きだった。
それから短剣を構え直す。
「俺はお前の目で戦うわけじゃない。位置だけでいい時に、余計なものまで寄越すな」
「……うん」
ゼルは自分の右手を見る。
開いた指先が、ほんのわずかに震えていた。
――罪じゃなく、俺を見ろ。
あの声を思い出す。
見ているつもりだった。
けれど今の術は、カインが自分で拾えるものにまで先回りしている。危険を遠ざけようとして、判断する余地まで狭めていた。
「……すまない」
「謝るな」
「でも」
「謝ると、次も遅れる」
ゼルは唇を閉じる。
古水路の夜から何度も謝ろうとして、そのたびに止められてきた。
今も同じことを繰り返せば、カインを見る代わりに、自分の後悔を見ることになる。
ゆっくり息を吐き、指先の糸をほどいた。
「もう一度。今度は減らす」
「ああ」
全部を拾うのをやめ、《静域》も薄くする。
遠い反響を沈めようとすると、今度はカインが拾うべき革紐の音まで削れそうになる。少し戻せば木人の軋みが混じった。
ゼルは眉を寄せる。
「……難しいね」
「簡単なら訓練はいらない」
「君は本当に容赦がない」
「今さらだ」
ゼルの口元がわずかに緩む。
だが次の札が動くと、その笑みもすぐに消えた。
《共感視》を浅くし、距離だけを渡そうとする。
二歩半。
そのつもりで流しても、床を擦る音の圧がわずかに混じった。
カインの左肩が小さく動く。それでも迷わず自分の耳で軌道を拾い、流れ込んだ感覚から使えるものだけを取った。
短剣が木札を落とす。
「今のは?」
「さっきよりはましだ」
「褒めているのかな」
「事実だ」
そこからは、なかなか噛み合わなかった。
《縛印》を早く置けばカインの踏み込みを崩し、遅らせれば、術が届く前に本人が処理する。影糸を減らしたつもりでも退路へ一本残り、カインは踵だけを返してそれを避けた。
「多い」
短い指摘に一本削る。
次は遅れた。
「遅い」
「……分かってる」
削れば足りない。足せば邪魔になる。
次の革紐が、左後方で鳴った。
カインの足が動く。
一歩目へ入る直前、その速度だけがほんのわずかに落ちた。
止まったわけではない。
ゼルを待ったわけでもない。
来るなら使う。
その程度の余白だけを残している。
ゼルの指が動いた。
左後方へ走った木札の進路へ、《縛印》を置く。
止めすぎない。
引かない。
ほんの一拍。
木札の勢いだけが鈍る。
そこへカインが自分の足で入り、刃を振った。
金具と鎖が激しく鳴り、札が壁へ弾かれる。
ゼルは息を止めた。
今のは、自分がカインを動かしたのではない。
カインが自分の判断を残したまま、ゼルの術が入れるだけの隙間を残した。
そこへ、一拍だけ置くことができた。
けれど、同じものを次にも置ける気はしなかった。
「一拍……」
「何だ」
ゼルは床に残る糸を見ながら、二年前を思い返す。
「昔も、似たことをしていたと思って」
カインは何も言わず続きを待った。
「君の後を追わず、先に張ることも。君を動かさないことも、覚えていたはずなんだけどね」
右目だけがゼルへ向く。
その視線から逃げず、ゼルは左側の標的を見た。
「でも今は、あの頃と同じ一拍じゃない」
カインの右目がゼルへ戻る。
「どう違う」
問われて、ゼルはすぐには答えなかった。
床へ残った影糸の一本を見つめる。
「……まだ分からない」
「何が」
「君がもう拾っているものと、私が渡すべきものの境目が」
カインは短剣を下ろした。
「なら試せ」
「簡単に言うね」
「簡単だとは言っていない」
ゼルは目を伏せ、短く息を吐く。口元に、ほんの少しだけ苦笑が戻った。
「そうだったね」
*
基礎訓練を再開してから、さらに数日が過ぎた。
カインは右目だけで距離を測る時の顔の向け方や、左から来る音へ身体を返す角度を確かめていった。狭い場所ですれ違う時の肩の位置や、階段を下りる時の足運びも、ひとつずつ身体へ覚え込ませていく。
ゼルも左へ入る前には声と足音を残し、手を出しすぎない距離を探りながら、糸と《共感視》から余計なものを削っていった。
それでも精度は安定しない。
一度合えば、次は遅れる。その次には多すぎる。
カインが倒れることはなく、訓練そのものは成立している。
だからこそ、ゼルには何が決定的に足りないのか掴めなかった。
やがて治療係から、短時間なら実戦行動も可能という判断が出た。
長時間の追跡は避ける。負傷が開くような無理はしない。違和感が出れば即時帰還する。
その条件をつけて、ダリウスは最初の復帰任務を小規模なものへ限定した。
「西外縁の倉庫だ」
作戦室の卓には簡単な見取り図が広げられている。ダリウスの太い指が入口を示した。
「帳簿から場所が割れた。違法術式部品の保管所だ。証拠を確保しろ。残っている者がいれば拘束する。追撃は禁止。外へ逃げたら外周班へ回せ」
「分かった」
答えは早い。
だがダリウスは腕を組んだまま、カインを見ていた。
「本当に分かっている顔ではないな」
「聞いた」
「聞いたかどうかを訊いているんじゃない。守れ」
カインの視線がわずかに逸れる。
「善処する」
「守れ」
間髪を入れず返され、カインは口を閉じた。
ひとつ息を吐く。
「……分かった」
そこでようやくダリウスはゼルへ視線を移す。
「組む相手はゼルだ」
「はい」
ゼルが隣を見る。
カインは前を向いたまま、異論を挟まなかった。
それで十分だった。
*
復帰後最初の実戦は、西外縁の倉庫街だった。
雨上がりの石畳には水が残り、灰色の空を薄く映している。
目的地は違法な術式部品を扱っていた小さな倉庫だ。大きな戦闘になる予定ではないが、戦闘にならない保証もない。
カインは壁際へ背を寄せ、右手の短剣を確かめる。黒い眼帯の脇で右目だけが入口を測っていた。
ゼルは左後方へ立つ前に、靴底を一度だけ濡れた石へ鳴らす。
「左にいる」
「知っている」
「言う約束だからね」
「好きにしろ」
声だけ聞けば、いつも通りだった。
ゼルは濡れた石壁へ右の掌をつく。
銀筆はまだない。
指先が触れた影から《影糸》が滲み、壁伝いに倉庫の構造へ伸びていく。入口と裏口、窓。梁へ続く位置にも糸を回し、必要な範囲だけを探った。
返ってきた気配は三つ。
「中に三人。正面奥に一人。右壁際に一人、左の梁に一人」
カインの右目が入口へ向く。
「行く」
扉が開いた直後、木箱が倒れた。
大きな音が倉庫内へ跳ね、右壁際の男が短剣を抜く。正面の男は帳簿を抱えたまま奥へ走った。
梁の上で革靴が木を擦る。
左から来る。
ゼルは反射的に《共感視》を繋ぐ。
左上、距離――そこだけを渡すつもりが、梁の高さも足音も、刃が動く気配も一緒に流れ込んだ。
カインの左肩が強張る。
半拍、遅い。
小刃が左肩の外を走った。
カインは頭を沈める。
ゼルが渡した情報ではない。
革靴が軋んだ音と、その直後に空気を裂いた刃音。
カイン自身が拾った。
「多い」
「分かってる」
ゼルはすぐ《共感視》を切り、右の男へ意識を移した。
足元へ影糸を一本だけ回す。敵の踏み込みを一拍止めるつもりだった。
カインが正面へ出る。
短剣同士が触れ、硬い音が鳴った。相手の手首を外へ弾き、その懐へ半歩入る。
その踵が、わずかに外へ逃げた。
影糸が近い。
敵の足を止める位置としては合っている。だが、カインが次に踏むはずだった石一枚分を塞いでいた。
カインはゼルの糸へ合わせない。
身体を半身に捻り、別の角度から懐へ入る。柄頭が鳩尾へ沈み、男の息が詰まった。
ゼルの指が止まりかける。
また、自分に合わせさせた。
左奥で、革底が板を擦った。
反射的に《共感視》へ指が動く。
だが、その前にカインの顎がわずかに左へ向いていた。
右足は正面を捉えたまま、左側へ身体を返せるだけの幅を残している。
――拾っている。
ゼルは指を止めた。
繋がない。
梁の男が位置を変えただけで、まだ攻撃には出ていない。
カインも追わなかった。
何も起きないまま、一拍が過ぎる。
術を使わなかったことが、初めて失敗に思えなかった。
その直後、梁が大きく軋んだ。
「左!」
今度は男が飛び降りている。
ゼルは《共感視》を繋いだ。
遅い。
距離を渡すより先にカインが動く。
梁から着地した男の靴底が、水を吸った板へ触れた。
ぎ、と木が鳴る。
同時に外套が空気を押した。
カインはその二つを拾って身体を反転させる。
右目は正面の逃走者を追ったままだ。左側へ振った短剣の柄が男の手首を打ち、刃が床へ落ちた。
ゼルの《共感視》が届いたのは、そのあとだった。
遅い。
今の情報をカインは使っていない。
「ゼル」
「見えてる」
「なら前を止めろ」
「うん」
正面では帳簿を抱えた男が裏口へ走っている。
ゼルは影糸を一本だけ絞る。
男の足元ではない。
半歩先へ置いた。
長く縛る必要はない。
ほんの一拍、踏み込みが崩れればいい。
男の靴が引かれ、体勢が傾く。
その間にカインが追いついた。肩を押して壁へ向け、刃を首筋へ当てる。
「動くな」
低い声に、男の身体が固まった。
倉庫へ静けさが戻った。
外では雨樋の水だけが、一定の間隔で石を打っている。
三人とも生きている。帳簿も無事だ。カインにも新しい傷はない。
任務としては成功だった。
それでもゼルは、すぐには動けない。
ほどけた影糸が、濡れた床へ沈んでいく。
渡しすぎた《共感視》も、近すぎた影糸も、遅れた支援も――最後に成立させたのは、カイン自身の判断だった。
一度だけ、ゼルは何もしなかった。
カインがすでに拾っていると分かり、指を止めた。
それでも、何も崩れなかった。
その事実だけが、濡れた床へ残る一本の影糸よりはっきり見えた。
「ゼル」
呼ばれて顔を上げた。
カインの右目がこちらを捉えている。
「怪我は」
「ない」
「なら戻るぞ」
踵を返しかけた背を、ゼルは思わず呼び止めた。
「カイン」
「何だ」
言葉がすぐには出ない。
濡れた床に残った一本の影糸を見て、ようやく口を開く。
「……さっきの、全部」
カインの眉が寄った。
「私の糸は近かった。《共感視》も多かった。それに遅れた」
「ああ」
否定も慰めもない。
その短い返事で、むしろ答えが形になった。
「君はずっと、ああやっていたのか」
「何を」
「私の術が足りないところを、自分で埋めていた」
一拍。
カインの右目が細くなる。
「今さらか」
静かな一言が胸の奥へ深く刺さった。
ゼルは目を逸らさない。
「……そうみたいだ」
「任務は終わった」
「終わったよ」
「なら帰る」
カインは短剣を鞘へ戻す。刃の背が鞘口の金具へ触れ、低い音が一度鳴った。
「次は俺が合わせる」
ゼルの顔が上がった。
「違う」
思ったより強い声が出た。
カインが足を止め、右目だけで振り返る。
「合わせるのは私だ」
雨樋から落ちる雫が、二人の間に何度か響いた。
やがてカインはゼルを見たまま返す。
「なら合わせろ」
「うん」
ゼルは黒銀腕輪の上で指を握った。
返した声は静かだった。
今度は、視線も逸らさなかった。
*
黒燈へ戻ると、カインは治療係のもとへ連れていかれた。
新しい負傷はない。それでも復帰後最初の実戦だった以上、状態確認を受けろとダリウスに命じられている。
カインは露骨に嫌そうな顔をしたが、逆らわなかった。
ゼルは一人で訓練室へ戻った。
昼を過ぎた石床へ魔石灯の薄い光が落ち、午前中にほどいた影糸の名残が木人の足元に残っている。
右手を床へつく。
細く絞る。
糸が途中で切れた。
「……違うな」
もう一度。
少し魔力を戻す。
今度は太い。
「これも多い」
《静域》を狭めれば、遠い反響と一緒に必要な足音まで消えかける。戻せば木人の軋みが耳についた。
眉間へ指を当て、息を吐く。
次は《共感視》。
方向だけ。
――距離まで混じる。
距離だけ。
――今度は輪郭がぼやけた。
ゼルは接続を切る。
「……これじゃ、渡せないね」
静かな訓練室へ、自分の声だけが落ちる。
もう一度、術を組み直す。
糸を細くし、《静域》を狭め、《共感視》も浅く繋ぐ。
それでも、一度だけ噛み合ったあの一拍にはならない。
「同じにならないな」
今度の声には、苦笑も混じらなかった。
何度繰り返しても、同じ精度では置けない。
任務は成功した。カインも無傷だった。けれど、それはゼルが支え切った結果ではない。
「……一拍でいい」
声にすると、求めているものだけが妙にはっきりした。
その言葉だけが、何度試しても変わらなかった。
必要なのは、それだけだった。
それを偶然ではなく、必要な時に置ける精度が欲しかった。
ゼルは右腕の黒銀腕輪を親指でなぞった。
魔力を細く通す時の呼吸も、指の角度も、最初に叩き込まれたものはここから始まっていた。
嫌って離れたつもりでも、基礎まで捨てたわけではない。
腕輪の縁で、指が止まる。
「……父、か」
口にすると、胸の奥に古い硬さが戻ってきた。
自分の基礎を作った術式家系であり、警備隊を離れた時には二度と頼らないと思った家でもある。
正しさを押しつけられる息苦しさから離れ、自分で選んだ場所が黒燈だった。
そこへ、自分から頭を下げに行く。
「今さら、だね」
かすかな自嘲が漏れた。
それでも知らないままでは、カインの左には立てない。
隣にいると決めることと、隣で何ができるかは別だった。
「……足りないな」
それだけは、声にしても変わらなかった。
*
その日の仕事を終えたあと、ゼルはダリウスの執務室を訪れた。
「話があります」
机の向こうでダリウスが書類から目を上げる。
「聞こう」
「しばらくカインとの術式連携訓練を止めたい」
ダリウスの視線がゼルの顔へ留まった。
「理由は」
ゼルは右腕の黒銀腕輪へ一度目を落とし、正面へ向き直る。
「今の私では、カインの左側を補えない」
「今日の任務は成功した」
「しました」
「カインも無傷だ」
「はい」
「それでもか」
「だからです」
ゼルの指が腕輪の縁へ触れる。
「カインが私の不足を埋めました。今日だけじゃない。前からです」
ダリウスは何も挟まない。
声に出したことで、倉庫で気づいたことがさらに明確になる。
「私は自分が合わせているつもりでした。でも違った。カインが私に合わせていた」
室内を流れる空気に、机の紙がわずかに揺れた。
しばらくしてダリウスが低く聞く。
「それで、どうする」
「学びます」
「誰に」
腕輪の縁へ触れていた指が止まる。
答えが出るまでに、一拍かかった。
「父に」
ダリウスの目がわずかに細くなる。
「戻るのか」
「いいえ」
今度は迷わない。
「戻るためではありません。カインの左側へ立つために、必要なものを学びに行きます」
「期間は」
「分かりません。ただ、勤務を崩すつもりはありません」
ダリウスは椅子へ背を預け、ゼルを見る。
「無理をするな、と言って聞く顔でもないな」
ゼルの口元に苦笑が浮かんだ。
「善処します」
「その返事はカインだけで十分だ」
思わず笑みが少し深くなる。
「気をつけます」
ダリウスはそこで話を切らず、指先で机を一度叩いた。
「行き先と戻る刻は毎回残せ。黒燈の任務に穴を開けるな」
「はい。もちろん」
「それから」
声が少し低くなった。
ゼルの表情から笑みが消える。
「お前だけが、合わせ方を探していると思うな」
ゼルが顔を上げた。
ダリウスは視線を逸らさない。
「あいつも今、自分の身体の使い方を作り直している」
朝の訓練室で、音へ向いた右目と、それを追うように少し遅れて動いた顎を思い出す。
倉庫でも、カインは以前とまったく同じだったわけではない。
それでも、自分で拾い、自分で選び、自分の足で動こうとしていた。
「……はい」
「学んだものを、そのままカインへ押しつけるな」
腕輪へ触れていた指が止まった。
「使うかどうかを決めるのは、あいつだ」
ゼルはゆっくり頷く。
どれだけ精密な術を覚えても、それをカインへ押しつければ同じことだ。
「分かりました」
今度は、分かっているつもりでは済ませない。
ダリウスはそれ以上何も言わず、書類へ視線を戻した。
*
その夜、ゼルは自室の灯りを落としてからも、すぐには横にならなかった。
低い魔石灯が石壁へ淡い影を落としている。扉の向こうを夜番へ交代する者の足音が過ぎ、少し離れた食堂で器が一度触れ合った。
やがて、それも消える。
ゼルは袖の上から黒銀腕輪をなぞった。
明日の夜明け前、かつて離れた家へ向かう。
「……本当に行くんだな」
誰もいない部屋で声にすると、ようやく実感が輪郭を持った。
許してもらいに行くのではない。家へ戻るためでもない。
必要なものを、必要な時に置けるようになるためだ。
父に会う理由は、それで十分だった。
その答えを、自分の手で掴みに行く。
ゼルは一度、黒銀腕輪へ触れた。
何も持たない右手を開く。
淡い魔石灯が、空の掌を照らしていた。
「……一拍でいいんだけどね」
昼間と同じ言葉が、今度は静かに落ちた。
一拍。
カインを動かすためではない。
彼が自分で選んで動く、その瞬間へ余計なものを持ち込まないための一拍。
ゼルは指を閉じる。
「見つけないと」
声に迷いはなかった。
明日から、学び直す。
隣へ置ける一拍を、偶然ではなく選べるようになるために。
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竜人の攻めが長いこと探してた番の人間くんを探して(半強制的)に結婚したのに、ツンデレどころかクーデレが過ぎてたせいで、ある日人間くんが「離縁します」と置き手紙残して失踪…!
後悔とブチギレしてる話がなきゃ掃除と洗濯できない😭😭』
という自分の愚痴から始まったツイノベもどきを、再構成と校正しました。
「番」とは何かも知らされず、
選択肢すら与えられなかった人間リオと、
大切にしている“つもり”だった竜人のナガレ。
ちゃんとハッピーエンドです。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕






